学校祭〈5〉再び飛ぶ

 うさっちの風船を手放してしまって泣いている女の子が、いつか夢で見た幼い日のと重なった。


 普通に手を伸ばしても届かない。魔術を使って風船をこちらに手繰り寄せられないか考えたが、上昇してくるものに対して使える適切な術式がわからなかった。


 魔術を編んで『止めて』しまうか?……そう思った瞬間、途端に頭の中で何かが形になりかけたが、無理やりほどく。それはやってはいけないと言われている。


 ならば、どうすればいい?考えろ。


「こんなの、空でも飛ばないと無理だぞ」


 六弥くんの言葉ではっとした。そうか、空なら飛べる。魔術のようなものを編まずとも、前に使ったの術式を使わずとも、今まで何度も何度も数えきれないほど繰り返してきた魔術を使えばいい。


 意を決して手すりの上に立つと、四階というのは思いのほか高かった。しかし、不思議と恐怖感はない。無数に上がった悲鳴で集中力が途切れそうになったので、聴覚を塞いだ。スカートの裾が風ではためき、カツラも飛びそうになるのに怯みそうになったが、『迷い』は魔術の実行には邪魔だ。


 手すりを蹴って宙に飛び出すと、自分の位置を空中にしっかりと固定する。


 これには今まで散々補講でやってきた、ビー玉を浮かせ空中に留め置くのと同じ術式を使う。必要最低限の魔力量を計算している余裕はないので、流せるだけ力を流す。


 無茶苦茶なのは承知の上だが、滞空するのが長い時間でなければ大丈夫。森戸さんほどではないが、俺も魔力量には余裕がある方だ。


 浮かせているのは自分の身体なので、同じ重さの他のものを持ち上げるよりはいくぶんか負担は軽い。しかし、俺の体重はビー玉の約三千二百五十倍あるので、さすがに楽々とはいかないけども。


 ああ、そうだ、風船はどこだ! 考えているうちにの高さまで上がってしまっていた。


 ピンクの耳を揺らしながら、今にも空に吸い込まれようとしている。紐の先に小さなうさっちのマスコットがくくりつけられているのをはっきりと確認した。


 ちゃんと帰してあげなければ。思いっきり空気を蹴り、飛び上がって手を伸ばす。届かない、もう一度!!


 しかし風船は止まってくれない。風に流されたこともありどんどん離れていく。こちらも空を駆けるように、どんどん高度を上げるが、むなしくも俺の手は宙を切り続ける。


 しかもある地点で、急に身体が持ち上げられなくなった。魔力は切れていないから、術式の問題かもしれない。


 ……でも、ここまできたなら絶対に取ってやる!


「上がれっ!!」


 限界まで腕を伸ばして叫んだ瞬間、強い風に舞い上げられるように、身体が一気に持ち上がった。


 やっと指先に触れたうさっちのマスコットを掴むと、足元から小さくない歓声が聞こえた。いつのまにか女の子を囲むように人だかりができていたのだ。


 取れた……安堵から気が抜けてしまいそうになったが、まだ油断はできない。人の輪の中心を目指してゆっくり下降する。ついでに必死で考え事をしていた。またやらかしてしまったことに気がついてしまったからだ。


「おねえちゃん、ありがとう!!」


「どっ、どういたしまして」


 俺の着地を待ちかねたように駆け寄ってきた子に、できるだけ身を小さくして裏声で答えた。風船を受け取った女の子は大喜びしてくれて、本当に良かったと思う。


 しかし、女の子のお母さんは礼を言いつつもはっきりと眉を寄せ、首を傾げている。明らかに顔を覗き込もうとしてくる。こんな格好だが、さすがに女性には見えなかったらしい。


 また考えなしで飛び出してしまったことを深く反省した。



 泣きながらうさっちを呼ぶ姿が珠希さんと重なったのでなんとかしてあげたい一心だったが、俺は、世間に知られてはいけないのだ。


 隠す必要もないが、まだ明かす必要もない。周りの大人の意見はそれで一致している。それほどまでに俺の存在がもつ意味は大きいのだと。


 実は学生にも保護者にも箝口令が敷かれているそうだ。なぜなら一度明かしてしまえばそれは消えない記憶や記録になるから。


 今はまだ、不安定な力。本当に魔術師になれるのかもわからない。もし志半ばで道を諦めるようなことになった時、何事もなく普通の人間に戻れるようにという配慮からだった。


「あのメイドさん、男だよな?」


「えっ、大きいけど違うでしょ。だって、魔術じゃないの? 今の」


「学校祭の余興?」


「えっ? 魔術師は女の人だけじゃないの?」


 いつのまにか周りを取り囲まれてしまい、動けなくなってしまった。どうやってこの場を切り抜けよう。万事休すかと思われたその時。


「ウケケケケケケ!!」


 聞き覚えのある高笑いが、群衆のざわめきを全て飲み込んでしまった。


「ケケッ、まっこと上手いこと行ったでござるな!! とっさに屋上にいたメイドさんを飛ばすなんて、わたしも腕を上げたと思わんかね!?」


「そうだね、透子は本当にすごいや!! さすが魔術師の卵だね!!」


「うむ!!」


 なんとも芝居くさい口調。人垣がパックリ割れてできた道を、伝統ある瑠璃紺色の制服を着た透子がふんぞり返りながら進んでくる。後ろには六弥くん。どうやら合流することができたらしい。


 透子は俺の目の前まで歩んでくると、いつもの不敵な笑みをよこしてくる。なるほど。東都の学生である透子が、魔術を使って解決したという筋書きをつくってくれたようだ。荒唐無稽ではあるし、透子にはまだそんな真似はできないが、人々の注意を俺から逸らすにはハッタリで十分だった。


「すごい可愛い子」


「あんな小さいのに魔術師さんなの?」


「かっこいい!!」


「後ろにいる子も美人さんねえ」


「目の保養だわ」


 おそらく人々の目をひいているのは、秋風にそよぐ美しい銀髪と、晴れた空をそのままはめ込んだような澄んだ瞳。


 四宮シャーリー透子と同じクラスで学んで半年強。もうすっかり見慣れているのと、突飛で奇怪な行動のせいで忘れがちだが、彼女は誰もが振り返るほどの美少女なのだ。


 そんな透子に恭しく付き従う六弥くんも、何も知らなければ女の子にしか見えないし、率直に言ってかなり顔は可愛い。みんながみんなそんな二人に釘付けで、俺に注目している人はもう誰もいなかった。


「環……! ここにいたんですね。あっちで学生が呼んでます」


 人々の注意がまたもや別の方向に逸れる。人混みをかき分け現れたのは、やたらでかいメイドさんその二、紺野先生だ。人々が再びざわめく。


 先生も、男の人にこう言ってはなんだがとても美人なのだ。案の定、どっち!? という声が聞こえてくる。空を飛んだ謎のメイドのことなんか、きっともう誰も覚えていない。


「おねえちゃんたち、バイバーイ!!」


 紺野先生に先導され、四人で逃げるようにその場を後にした。ただひとり、全員が女性だと信じているらしい女の子が無邪気に手を振ってくれる。そんな彼女が握りしめているうさっちの風船もまた、手を振ってくれているように見えた。



 ◆



 俺と六弥くんは一年四組の教室にいた。紺野先生が六弥くんの立ち入り許可を取ってきてくれたのだ。透子は衣装に着替えるために更衣室に向かったので、今ここには俺と彼の二人きりだ。


 紺野先生はやらかした俺に何か言いたげな表情ではあったが、六弥くんがいるからかなにも言わず、事態の説明をしてくると告げて去っていった。


 透子の椅子に座った六弥くんは、興味深げに教室を見回している。とはいえ、ここで受けるのは普通科目の授業や魔術の座学なので、普通の学校とは変わらないのではないだろうか。


 飛んだせいで乱れたカツラを直していると、六弥くんが口を開いた。


「なあ。君は、なぜここに来ようと思った?」


「……手帳には書いてないのか」


「うるさいな。勝手に見やがって。書いてないから聞いている」


 なんか歯を剥き出しにされたが、勝手に人のプライバシーを踏み荒らしておいて偉そうに。あそこまで出来たなら最後まで自分の力で頑張れよと言いたいところだが、窮地を救ってもらった恩もある。情報をくれてやろう。


「単に母親に憧れてだ。腕がいいってのはもうご存じなんだろ。俺も同じように人の役に立ちたかったってだけ」


 改めて口にするとなんだか恥ずかしい。六弥くんはあっけに取られたように目を丸くした。


「そうか。しかし、そんな歳して母親……ははーんわかったぞ、透子に揺らがないのは重度のマザコンだからだな? そんなんじゃモテないぞ?」


「ああもうなんとでも言え、めんどくさいやつだな」


 なんでそうなる。だったらお前はモテるのか、と聞いてやりたかったがやめておこう。そんなくだらないことで争いたくもない。というか出会ってから今まで、俺に対してやたらと偉そうなのはどうしてだ? ああ、ひとつ年上だったんだっけか。


 今からでも先輩と呼んで敬語で話すべきかもしれないが、別に気を遣ってやる必要もあるまい。なんか失礼なやつだし、これからもそれ相応の態度で接してやる。


「ふたりとも、待たせたの」


「透子……待ってたよってアレ?」


 着替えを終えた透子が教室に戻ってきた。ゆるく波打つ銀色の髪を後ろでひとつに引っ詰め、白いシャツに黒のズボンと蝶ネクタイ、深緑のエプロンをキリッと着こなしている。メイド服ではなく、森戸さんとお揃いのスタイルだ。


 透子の私服はスカートで可愛らしい感じのデザインのものが多いが、こういうシンプルな格好も似合うと思う。


「うん。かっこいいじゃないか、透子」


「ウケケ、わたしもたまきくんのようになんでも着こなしてみせるでござるよ」


 笑い合う俺と透子をよそに、六弥くんはあきらかにうろたえている。


「えっ、透子、なにその格好? メイド服は?」


「ん? いつわたしがメイド服を着ると言ったかね、あやねどの」


「ええっー!?」


 透子の言葉にがっくりと肩を落とした六弥くん。なるほど、メイド服姿の透子が見たかったわけだな、彼は。確かに好きな子のメイド服姿はなんかこう……いいものだ。しかもこれからまた見られる。


 ハハハ、六弥礼音。俺が羨ましいだろと、内心で地味な優越感に浸る。ちょっと馬鹿らしいとも思いながら。


 そうだ、今のうちに疑問も解決しておかねば。


「ところで、透子はどこに行ってたんだよ」


「うむ。厠で何もかもを水に流し手を清めておったら、たまきくんのお父上……」


「女子トイレで!?」


 想像をはるかに超える話に、めまいがするようだった。それじゃ正真正銘の親父だ。ていうか思いっきり正体バレてるじゃないか……。


 こちらの世界にこっそり遊びにきたことに関してはこちらの法では取り締まれないが、女子トイレに突入してしまったら間違いなくどこに出しても恥ずかしい犯罪者じゃないか。


 ルールがわからずに間違え……いや、そんなわけあるか。あっちの世界もこっちとそこらへんのことは全くおんなじだったぞ!?


「ああいや、換気のために窓が開けられておるだろう。そこからよく似た声が聞こえてきての。まあ、確認しようにも背丈が足りんかったゆえ、外へ」


「いや、それは俺に知らせてくれればよくないか!?」


「いやあ、何やらあやねどのと楽しそうにしておったので、水を差すのも忍びなく思っての」


「……楽しそう?」


 透子を待っている間、六弥くんと言い合いになっていた時のことだ。透子にはアレが男同士のじゃれあいに見えたらしい。すぐに眼科を受診してその伊達眼鏡を度入りの眼鏡に変えた方が良さそうな気がする。


「ウケケ。わかっておるよ。同性同士、積もる話もあったんでござろう? まあそういうわけで、ちらりと確認しに外に出たが、姿は見えなかった。中に戻ろうとしたところでたこ焼きの屋台を見つけてしまい」


「……並んだんだな」


「うむ。まっこと美味だった」


 透子は笑顔でうなずいた。夕涼み会で生まれて初めてたこ焼きを食べて以来、その味や食感のとりこになったらしい透子は、それ以来たこ焼きに目がない。家でも何度か料理人さんに作ってもらったりしたらしいが、外で食べるのとはちょっと違うと首を傾げているとかなんとか。


 今回はたこ焼きの模擬店がなかったことを残念がっていたが、外部の出展者にはいたのだろう。飲食の店にはどこもかしこも長い行列ができていたので、なんの店が出ているのかまで確かめていなかった。


「その後は?」


「たまたま呼び込みに出会い、宝探しゲームに興じてしまっての。実習林で催されておるやつだ。面白かったから後で行ってみるといい……ああ、たまきくんにこれを。特賞らしい」


「は、何だこれ」


 得意顔で胸に押し付けられたのは、金色のリボンがかかった封筒。その封筒自体も型押し模様のついた分厚い紙でできていて、見るからに特別なものだとわかる。


「開けてみたまえよ。わたしが持っているよりは君が持っているほうが良いと思うのだが。なんかの足しにしてくれたまえ」


 遠慮なくリボンを解いて確認すると、中身は温泉施設のペアチケットだった。


 なんと入浴券以外に食事券や金券も入っていて、一日豪遊セットとでも名付けたい豪華さだ。そうだ、これで珠希さんと一緒に遊びに行けるじゃないか。もしかして、そのために?


「うわっ、めちゃくちゃ嬉しいけど、本当にもらってもいいのか」


「うむ。わたしは単に宝探しで遊びたかっただけだ……ん、もしもタダではというなら、ひとつ条件を飲んでもらおうか」


「条件?」


「なあに、簡単なことだよ」


 俺のスカートの裾を摘み、ニヤリと笑った透子。本部棟で聞いた、「君は女子の装いも似合うのだな」というセリフが頭に再び流れてくる。唾を飲んだ。


「ま、まさか」


「……ケケッ、言葉にせずとも、伝わったようだな?」


「おいッ!! コラ香坂環!! 一体何を……あっ!! 魔術を使うなんて卑怯だぞ!? ぼくも仲間に入れろ!!」


「違うわ!! ああもうめんどくさいな!!」


 ご名答とばかりケタケタ笑う透子。やはり俺はまた女装させられてしまうらしい。何を誤解したのか顔を真っ赤にした六弥くんにつかみかかられながら、俺は天井を仰いだ。


 ああそうだ、せっかくだから六弥くんも巻き込んでほしい。俺なんかより絶対可愛いし、彼も透子と遊ぶことができるのなら本望なのではないだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る