学校祭〈4〉透子を探せ!!
「六弥くん。とりあえず、一旦落ち着こう。ふらっとどこかに行った可能性の方が高い。一緒に心当たりを回らないか?」
香坂環は、特に取り乱すことはなく落ち着き払った様子だった。ぼくも咳払いを一つし、心を鎮めた。
以前、透子がこの学校で最も親しくしているのはヤツと言っていた。幼なじみで婚約者のぼくほどではないだろうが、彼女の扱いにはそれなりに慣れているのかもしれない。
「君の力を借りるのはしゃくだが、致し方ないな」
「あはは……」
香坂環はぼくを見るとまるで子供でも相手にするように苦笑いした。ああ、一歳半も年下のくせになんかむかつく。
しかし、ぼくにはこの学校のことはわからない。他に知り合いがいるわけでもないので、不本意でも今は従っておくのが賢明だろう。
「して、心当たりとは?」
「まずは教室棟だな。もうすぐ店に立つ時間だし、着替えに行ったのかもしれない。中には関係者以外入れないから、六弥くんには外で待っててもらうことになるけど」
「承知した」
ヤツについて歩き出した。目の前にあるのは大きな背中……香坂環は、常に身長順が最前のぼくと比べるとだいぶ背が高く、体格がいい。こんな女物の服を着ていたって女性には全然見えないなんて、羨ましい。
一方ぼくは、顔立ちも声も女っぽい。たぶんヤツもぼくのことを最初は女だと思っていただろう。透子が婚約者だと紹介した時のあの反応、おそらく間違いない。初対面の人物は大体ああだからもう慣れてしまったが。
ぼくは昔から身体が小さいのがコンプレックスだった。とにかく背を伸ばしたいと量を食べているうちにとんでもない大食らいになってしまったが、女子の平均身長に毛が生えた程度で成長が止まってしまった。思えば両親も小柄な方なので、仕方のないことなのかもしれない。
ただ、透子はぼくが小さくて女っぽいことなんか気にしていないと思う。彼女はあんな調子ではあるが、その澄み切った慧眼で内面をきちんと見通してくれる人だからだ。
そうだ、頭ひとつ背の高い彼女のクラスメイトをやっかんでいる場合ではない。ぼくはこれまで通り透子にふさわしい男になるため、ひたすら奮励努力するのみだ。
◆
六弥くんとともに、まずは本部棟を出て教室棟へ。ここは学校関係者以外は入れないので、六弥くんには入り口で待機していてもらう。一年四組の教室には姿なし。休んでいたクラスメイトに頼んで女子更衣室とトイレも確認してもらったが結果はシロ。外に出て、六弥くんと合流する。
「電話をかけてみたが……ダメだ。全然繋がらない」
俺もついでに自分のスマホを確認したが、なんの知らせもない。こうなると誘拐説が徐々に現実味を帯びてくる。いやいや、まあ落ち着け。こんな人目のあるところで人攫いをやってのけるなんて簡単なことではない。まだ決めつけるには早い。
「そうか。じゃあ……」
教室棟の隣にある特別棟に向かう。一階、にはいない。二階、クラスの模擬店にも立ち寄った形跡なし。
しかし、ようやく店が賑わってきたのを確認できてホッと胸を撫でおろす。店に立っているクラスメイトに、透子を見かけたら連絡してほしいことを告げて準備室を出た。
着せ替えが好きな透子ならもしやと思い、隣に出ている仮装写真館にも声をかけ事情を説明する。しかし、店番をしていた歌川先輩は、首を横に振った。
「うーん、実行委員会に頼んで迷子のお知らせかけてもらう?」
「迷子……ですか」
そこは学生の呼び出しじゃないんだ。歌川先輩は「冗談だよ」と笑ったが、俺も苦笑いを返した。
確かに今の透子には『迷子』という言葉がぴったりかもしれない。風の向くまま気の向くまま、まるで幼児のように自由なやつなのだ。
「ダメか。あとは図書館だけど、今日は閉館してるしなあ」
俺が腕を組みつつ呟くと、六弥くんは黙って校内の案内図を広げた。入学式の時に渡されたものと同じものだ。おそらく入場券を持ってきた正式な来場者には受付かどこかで配布されているのだろう。
「しかし、ここは広いだけで普通の学校と大差ないんだな。もっと変わったものがあるのかと思ったが」
彼は学校の風景にも注目していたようだ。今視界に入るのは校舎と運動場。少し向こうに学生寮も見える。建物は揃って煉瓦造りやそれ風のややレトロな見た目ではあるものの、確かに彼の言う通り一般の学校と変わらないかもしれない。
「
俺が指差した先には、この学校で一番高い高所実習塔がそびえ立っている。塔と呼ばれるだけあってやたらと細長い建物で、魔術の実習や実験に使われる。高さはビルの八階相当だとか。
今日はその壁に『東都魔術高等専門学校・第五十二回学校祭』と書かれた大きな垂れ幕がぶら下げられているのがここからでもはっきりと見えた。
六弥くんがじっと塔を見つめている。何かに思い至ったような表情に思える。
「なあ、あれに登ることはできるのか?」
「ん? いや、あそこは立ち入り禁止。どうかしたのか?」
小高い山を切り開いて建てられた学校にそびえ立つ建物。そのてっぺんからはふもとの街の景色を見渡せる。天気が良ければかなり遠くの方まで見えるのだとか。
俺はあの高さを
「透子は高いところが好きだから、もしかしたらと思ったのだが」
六弥くんはポツリとつぶやいた。なんとかと煙は高いところが好きという。まるで煙のように消えた透子が高いところに上ったというのはごく自然なことかもしれない。
とりあえず今日立ち入れるところで、一番高いところといえば。俺は今出てきたばかりの建物をもう一度振り返った。
◆
「高いところ、なあ。今日入れるところだと『空中庭園』かな」
香坂環が後ろを振り返ってつぶやいた。
「空中庭園?」
なにやら耳慣れない施設がこの学校には存在しているらしい。先ほどの建物に戻り屋上に上がった。校舎の屋上といえば普通は何もないものだが、ここの学校は一味違った。
そこはさながら街中の公園のようだった。足元は味気のないコンクリートではなく、芝生と土が半分半分といった具合。冬に向けて花を植え替えたばかりと思しき花壇があり、中央にはサークルベンチに抱かれるようにして木が一本、隅には
上を向けば、何にも遮られていない青い空が視界いっぱいに広がる。確かに空中に浮かんだ庭園と呼ばれるにふさわしい場所だと思う。
いくつか置かれたベンチや椅子に腰掛け、下の店で買ったものを食べる人、観覧の穴場なのか双眼鏡越しにメインステージの方を眺める人などでそれなりに賑わっていた。思い思いに学校祭のひとときを過ごしているようだ。
さっそく香坂環が学生と思しき人たちに聞き込みをしていたが、誰もが透子のことは見かけていないと口を揃えているようだった。
ぼくも何かしなければと、手すりに近づき足元に注目した。行き交う人たちの中に透子の姿を探すことにした。
銀糸のように艶やかな髪の持ち主はそうそういない。見渡せる範囲にいればすぐに見つかるはず。というより見つけてみせる。透子のことはぼくが必ず。
「ママ!! うさっちが!!」
ぼくが見つけたのは透子ではなかった。突然上がった幼女の叫び声に注意を引かれたのだ。うさっち、うさっちと泣きじゃくる声が聞こえてくる。
いつのまにかぼくのすぐ隣に香坂環がいて、しかも様子がなんだかおかしかった。大きく目を開き、手すりから身を乗り出している。あの子は知っている子なのだろうか。
ピンクの風船がゆっくりと上昇してくる。手を離してしまったらしい。風船売りも来ていたように思うから、買ってもらったばかりだったのだろう。
目を凝らすと風船の形には見覚えがあった。正式な名前は忘れたが、女の子がいかにも好きそうな色合いの丸っこいキャラ。小学生の妹の持ち物の中にもあって、クラスでも流行っているとか言っていたと思う。
香坂環は、おそらくぼくと同じところを見てじっと黙っている。やっぱり様子がおかしい。待てよ、まさか。
「おい、取ってやろうとか考えてないだろうな。こんなの、空でも飛ばないと無理だぞ」
「空を、飛べれば……ああ、そうか」
ごく小さな呟きのあと、香坂環は手すりの上に立った。突然の行動に、庭園にいた人たちがざわめいている。
思わず見上げた横顔は決然としていた。揺るぎない意志を感じさせる表情とは対照的に、スカートと長い髪がゆるい風にたなびいている。そして風船は、ちょうどぼくの目の高さに。
いったい何を考えているのかと思った次の瞬間、彼はなんの躊躇もなく手すりを蹴ってそのまま宙へ飛んだ。ここは四階建ての建物の屋上。地面に叩きつけられれば…………。
「お、おいっ!!」
飛び上がった彼の両足が、彗星の尾のように青い光を引いているのを、ぼくは呆然と見つめた。
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