ヒロインなのに悪役令嬢役にされて困ってます!

仲室日月奈

第1話

 王立学園に転入してからというもの、なぜか不可解な出来事に巻き込まれることが多い。

 例えば、伯爵令嬢に呼び止められたと思っていたら、彼女が自分から階段を落ちていったとか。叫び声を聞きつけてやってきた王子に対して、彼女はありもしないことを平気でのたまう。


「シーラ様に突き飛ばされて……わたくし、ちょっとお話をしていただけですのに」

「なんだと?」

「ですが、わたくしの言い方にも問題がありましたね。ごめんなさい、シーラ様」


 レナルドに手を引かれ、ベアトリーチェがよろよろと起き上がる。

 婚約者の前だからだろう。さっきまでの高圧的な物言いはなりを潜め、淑女らしく切なげに目元を伏せている。


(突き飛ばすもなにも……自分から落ちたのに、何を言っているの?)


 しかし、弁解しようと口を開く前に、ベアトリーチェの射るような視線が向けられる。反射的に口を噤むと、自分を置いてきぼりにして話が進む。


「とにかく、念のため医務室に行こう。歩けるか?」

「足をくじいただけですので、大丈夫ですわ」

「それはいけない。しっかりつかまっていろ」


 言うや早く、屈んだレナルドがベアトリーチェの肩と膝を抱き上げ、さっと踵を返す。シーラは去っていく彼らの背を無言で見つめることしかできなかった。


***


 それからも、ベアトリーチェ絡みの珍事件は続いた。お茶会に招かれて行けば、他の招待客の注意を引いた隙にティーカップを傾けて自分のドレスを汚し、その不始末をシーラのせいにされる。

 学園内の池に呼び出されたかと思えば、彼女の教科書が水の中に浮いていて、何事かと目を剥いている間に同級生が集まりだして、犯人はシーラだと名指しで言われる始末。本当に意味がわからない。

 およよと嘆く彼女は周囲の同情を集める一方、自分は日を追うごとに悪者扱いされていく。


(これは一体、何の茶番なの?)


 シーラはしがない男爵令嬢で、父親は王宮の騎士をしている。

 対するベアトリーチェはハールストンの中領地を管理する伯爵令嬢だ。腰まで伸びたウェーブがかった緑の髪に、レモン色の瞳。少々目元はきついが、目を引く美人だ。婚約者の王子は文武両道の貴公子で、日に日に溺愛度は増している。

 それに引き換え、シーラはまっすぐ伸びたクリーム色の髪に、金茶の瞳。両親は愛らしい顔立ちと言ってくれるけれど、学園内でシーラに声をかけてくるのは他国からの留学生ぐらいだ。彼は大商人の息子というだけあって、誰とでもすぐに打ち解け、気さくに話しかけてくる。留学の理由も人脈作りの一環だろう。

 困っているのは、ベアトリーチェに恨まれる理由が思いつかないことだ。


(原因がわかれば、手の打ちようもあるけれど……)


 現実は四面楚歌。頼れる友人もいない。彼女の目的は一体なんなのか、それだけでもわかれば対処法も考えられるのだが、過去の自分は何をしてしまったのだろう。


***


 シーラは桃色のシフォンが重ねられたドレスの裾をつかみながら、憂鬱な気分で会場に向かっていた。

 今日は、学園の一年の締めくくりに開催される仮面舞踏会の日だ。場所は王宮の第三ホールを貸し切って執り行われる。生徒は全員参加という理事長からのお達しがなければ、欠席していた。

 ダンスのパートナーもいないシーラにとって、舞踏会ほど気が滅入るものはない。

 会場の入り口に着くと、男女別に仮面が選べるようになっていた。シーラは孔雀の羽がついた仮面を選んだ。

 一人きりでホール内に足を踏み入れると、きらめくシャンデリアの光が降り注ぐ。色とりどりのドレスの向こうには宮廷楽団の姿があり、優雅な音楽が奏でられている。華やかな会場をぐるりと見渡すと、豪華なチキンや一口サイズのケーキが目に入った。


(どうせ壁の花になるのなら、食事を堪能するのも悪くはないわよね)


 食べ物のあるほうに足を向かわせていると、くすくすと笑う声が聞こえてきた。振り返ると、黄金の仮面に百合の花を飾った淑女と視線がぶつかる。見慣れた緑の髪に、直感でベアトリーチェだと悟る。

 彼女は王子だけでなく、数人の男性を従えていた。仮面を被っていても、癖のある髪や背丈、雰囲気は誤魔化せない。右から生徒会長、侯爵令息、子爵令息だろう。最近、彼ら三人はよくベアトリーチェの周りにいたから。


「……私に何か御用でしょうか?」


 控えめに反応を窺うと、ベアトリーチェは口の端をつり上げた。


「パートナーもおらず、出席しなければいけないなんて、おかわいそう」

「…………」


 わざわざ口に出さなくても、自分がみじめなのはわかっている。はっきり言って、余計なお世話だ。無言で去ろうとすると、彼女の横にいた生徒会長が口を開いた。


「一番いじらしいのは、男爵令嬢の数々の暴言にも耐え抜いたベアトリーチェのほうだ」

「まあ……」


 負けじと横にいた侯爵令息の賛辞も続く。


「伯爵令嬢という身分におごらず、謙虚な君が一番美しい」

「常に美しくありたいと思っていますが、そう言っていただけて嬉しいです」


 子爵令息は大仰な身振りで、自分だけの花を称えた。


「君を前にして、会場内の花はかすんでしまうだろう」

「そんな……もったいない言葉ですわ」


 世辞を言うたびに、こちらに敵意の眼差しを向けてくる紳士もいかがなものだろうか。

 シーラはわざとらしく首を傾げた。


「何が仰りたいのですか?」


 目を細めると、ベアトリーチェを守るように、四人の紳士が前に出てくる。背の後ろにかばわれた彼女が不安そうに口元に手を当てている。

 だが、目の前の光景に別の光景が重なって見え、シーラは瞬く。不意に、視界がにじんで立ちくらみがした。

 初めて見る光景のはずなのに、既視感がある。見たことがあるとすれば、一体どこで。ひょっとして夢の中? そんなまさか。


 けれど、自分はその答えを知っている気がした。


 あと少しで思い出せそうなのに。ピースがひとつ、足りない。今までのベアトリーチェの台詞が走馬灯のように思い出され、頭がズキズキと痛い。こめかみを押さえていると、レナルドの剣呑な声が聞こえてきた。


「今まではベアトリーチェが大事にしたくないと言ってきたから見逃していたけれど、さすがにもう看過できない。……これ以上、彼女をおとしめるような真似を、僕は許さない」


 その言葉が引き金だったように、忘れていたはずの記憶が呼び起こされる。


(……知っている。この台詞。……だけど、本来はこの台詞は私に向けられるものじゃない)


 だって、自分は乙女ゲームのヒロインなのだから。

 レナルドが糾弾する悪役令嬢はベアトリーチェのはずだ。彼女の今の立ち位置は、シーラがいる場所だ。なぜ、立場が逆転しているのか。


(おかしい。今の状況はまるで、私が悪役令嬢みたいじゃない……)


 ベアトリーチェを取り囲む彼らは皆、攻略対象の男性キャラたちだ。本来、自分が攻略するはずの相手に見下され、違和感はさらに募る。そのとき、仮面の奥でレモン色の瞳が楽しげに歪んでいるような錯覚を覚えた。

 彼女はうつむき、祈るように両手を重ね合わせた。


「わたくし、どうしてシーラ様にここまで嫌われるのか、わかりません。本当は仲良くなりたいのに……」

「ああ、ベアトリーチェ。君はなんて優しいんだろう」


 レナルドがベアトリーチェの手を握り、二人で見つめ合う。感動的な場面を前に、シーラは一気に熱が冷めるのがわかった。

 なぜなら、先ほどの彼女の言葉は、ゲーム画面で見たテキストと同じものだったから。


(間違いない。彼女も転生者だわ……!)


 自分が悪役令嬢役なのを知って、ヒロインになりすまそうと考えたのだろう。前世の知識を使い、他の攻略対象たちの心も掌握して。

 しかしなぜ、よりによって今、記憶を思い出してしまったのだろう。

 味方のはずの攻略キャラたちは、すでに敵である悪役令嬢に攻略されている。自分の味方はいない。

 この茶番劇を終わらせる有効な手立てはない。ヒロインなのに悪役令嬢役にされて、自分を助けてくれるヒーローもいない。


(もうゲームも終盤。私のできることなんて、ないじゃない……)


 握りしめた拳から力を抜いた、そのときだった。


「シーラは悪くないよ」

「……フェリオ?」


 自分たちを見ていた群衆の中から、一人の紳士が進み出る。異国の金髪はきらきらと輝き、理知的な瞳は海と同じ色。上背があるため、見上げる格好になる。

 フェリオはシーラの横に並ぶと、白い仮面を外して、困ったように笑った。


「もう、そのくらいにしたら? 君の望みもすでに叶っただろう」

「……な、なんのことですの……?」


 ベアトリーチェが焦ったように声をうわずらせる。フェリオはシーラを一瞥し、言葉を返す。


「それともシーラからすべてを奪わなきゃ気が済まない? それほど、彼女を妬んでいるの?」

「……フェリオ。君が大商人の息子といえども、この国ではただの留学生だ。僕の婚約者を愚弄しないでもらおうか」

「これはレナルド殿下。私は事実を述べたまでです。シーラは悪くありませんよ」

「なに?」


 レナルドが片眉をつり上げる。その反応すら想像していたように、フェリオはすっと手に載るほどの大きさの黒い物体を差し出した。


「こちらは、私の商家で試作段階の特殊な機械でございます」

「……ずいぶんと小型だな。一体、何に使うのだ?」

「過去を記録するためのものです」

「ほお。過去を?」

「論より証拠。その耳で確かめてもらいましょう」


 横にある突起を指で押すと、ジッジッという機械音の後に、女性の声が続く。


『——お待ちなさい。シーラ・ライティラ! わたくしを見下ろすなんて、いい度胸をしているじゃないの』

『ベアトリーチェ様。これは階段を上っているだけで、あなたを見下ろすためではありません』

『お黙りなさい。男爵令嬢風情が殿下に色目を使うのも大概になさい。本来、あなたごときが声をかけられるのお方ではないのよ』

『……重々承知しております』

『あの方に愛されるのはわたくし。あなたではないの。それを思い知りなさい』

『……ベアトリーチェ様!?』


 シーラの悲鳴に似た声の後、ドスンと何かが落ちる音がして、誰かが駆け寄ってくる足音がする。その後はレナルドとベアトリーチェの会話が続き、やがて再生は止まった。

 いつの間にか、会場内は静まりかえっていた。楽器の音色も聞こえない。誰もが、この機械に注視している。

 レナルドは信じられないというように、うわごとのようにつぶやく。


「これはなんだ……なぜ、ベアトリーチェの声が聞こえる……?」

「録音機でございます。そのときの声や音を記録し、未来に何度でも聞き直せる機械です」

「そなたは……どうしてこんなものを?」

「シーラがベアトリーチェ様におとしめられているのを知ったからです。ですが、私だけの証言では誰も信じてくれないでしょう。ですから、公的な証拠を集めました。ああそうそう、先月にハールストン家から追い出されたメイドはうちが預かっていましてね。おもしろい話をたくさん聞かせてくれましたよ。聞きます?」


 フェリオの視線は、レナルドの後ろにいたはずのベアトリーチェに向けられていた。その視線を追ったのだろう。ゆっくりと後退していく婚約者に、レナルドが声をかける。


「ベアトリーチェ? どこへ行く?」


 会場中の視線を一身に浴び、耐えきれなくなったのか、ベアトリーチェが扇で口元を隠しながら早口にまくし立てる。


「ほ、ほほ。用事を思い出しましたわ。わたくし、これで失礼いたしますわ!」


 脱兎のごとく外に飛び出した令嬢の奇行を前に、誰も呼び止めることができなかった。

 呆気にとられる中、一番先に冷静さを取り戻したのはレナルドだった。婚約者が消えた方向から視線を戻し、そっと息をつく。


「フェリオ。……他にも証拠があるということだったが」

「さすがに信じられませんか?」

「……いや、他の証言も把握しておきたい。彼女が本当に、僕の妃にたり得る人物なのか、吟味したい」

「承知しました。近日中にまとめてお送りしますよ」

「頼む」


 二人の会話が一段落したのを見届け、シーラはフェリオの袖口を軽く引いた。


「フェリオ……あなた、どうして」


 一歩間違えれば、王族から処罰を言い渡されていたかもしれない。

 どうしてこんな危ない橋を渡ったのか、視線で問いかける。シーラの考えがわかったのだろう。フェリオは表情を改め、シーラに向き直る。


「俺は自分の不幸をただ泣くだけの女には興味ない。君のような、どんな逆境でも諦めない人のほうが好ましい」

「……え?」

「どうだろう。新天地で、俺の妻になってみる気はない?」


 まるで「今日のランチ、一緒にどう?」とでも言われたような気軽さだ。

 こんなフレンドリーな求婚文句をシーラは知らない。


(普通、プロポーズって……もっとこう、真摯な想いを相手に伝えるものじゃなかったかしら……)


 それとも、自分が憧れるシチュエーションは所詮、夢物語だったのか。乙女の夢が粉々になっていくのを感じ、うなだれそうになっていると、フェリオがにっと笑う。


「君なら、いい女主人になれると思うんだ」


 楽しそうに言われ、シーラは口を噤んだ。


(でも、嘘を言っている感じはしないのよね……)


 軽々しい口調には違いないけれど、それだけは確かだ。今までの信頼関係を振り返っても、彼は嘘はつかない。いつだって、自分の思いにはまっすぐで、まぶしいくらいだった。

 フェリオの言葉を信じることにしたシーラはふと、自分を見てくる青い瞳に試すような色があることに気づく。女の勘が囁いた。


「あなた……まさか……私がどう動くか、試していたの?」


 おそるおそる口にした言葉は、彼の求める答えだったようだ。

 フェリオは満足げに頷き、シーラとの距離を縮めた。ドレスの裾が触れあう位置に移動し、シーラのクリーム色の長い髪を一房持ち上げ、口づける。


「察しのいい女性は好きだよ。言っておくけど、こう見えて俺は一途なんだ。君のことは転入したときから気にかけていた。俺の言葉じゃ信用ならない?」


 色っぽい瞳に見つめられ、ぐぐっと返答に詰まった。

 ここで頷けば、まんまと彼の思惑に乗せられたようで、釈然としない。

 少しでも時間を稼ごうと視線をさまよわせてみるが、ちくちくと突き刺すような視線が痛い。シーラは言葉にならない苦い思いをため息とともに逃がし、顔を上げた。


「…………私の負けよ。フェリオ、あなたについていくわ」

「即決できる勇気もあって素晴らしいね、君は」


 褒められたのだろうか。一応、褒められたということにしておく。


(確かにこの事態は青天の霹靂だけど、フェリオの言葉は信じられる)


 そもそも、これまで伯爵令嬢の嫌がらせに耐えられたのは、彼のおかげだ。

 落ち込んでいる自分に笑いかけてくれた唯一の同級生。彼とは雑談ばかりだったが、あの時間があったから前を向いていられた。いつの間にか悪者になってしまった自分が、肩の力を抜いて過ごせたのは彼の前だけだった。


(フェリオの笑顔に救われていた。本当は、ずっと前から惹かれていたのかもしれない)


 攻略対象だけが恋愛のすべてじゃない。乙女ゲームのヒロインに転生したとわかったときは何の不幸だと思ったが、学園生活は悲しいことばかりではなかった。

 だって、彼と出会えたのだから。

 フェリオはシーラの手を取って、シャンデリアの光の下ではなく、外の月明かりのもとに連れ出す。三日月が丸みを帯びた夜空には雲一つない。

 冷たい空気を吸い込んで、シーラは笑みを浮かべた。


「……フェリオ。これからよろしくね」


 自分は乙女ゲームのヒロイン。

 だけど、ゲームのように選ばされるのではなく、自分の未来は自分で選ぶ。

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