呪撃黒点拳の脅威

oxygendes

第1話

 一瞬の静寂の後、沸き起こったどよめきが道場全体を包む。

 あたしはその中心に立ち、足元に倒れこんでいる緒妻おづま選手を静かに見下ろしていた。極限まで高揚していた身体と意識が少しずつ静まっていく。

 緒妻選手に目を落とすと、この戦いのためにあたしがなくしたものの大きさがじわじわと心に沁みてくる。勝利のためにはやむを得ないものだったのだけど。

 どうしてこんなことに……、脳裏をこの一週間の出来事がよぎっていく。



 あたしたち尚武館しょうぶかんの優勢で進んでいた道場対抗戦は、武厳むげん道場の緒妻と言う選手の登場で流れが変わってしまった。緒妻がうちの選手を次々に破っていく。その強さが尋常では無い。無造作に構えた両手でこちらの攻撃を払うようにいなした瞬間、懐に入ってきて正拳や肘打ちを放つ。うちの選手はみな一撃で畳に沈んだ。そのまま動けなくなり、あたしたちで自陣まで抱えて来なければならなかった。

 先輩たちがざわつく中、師匠はじっと試合を見つめている。選手に選ばれなかったあたしは、先輩たちの肩越しに試合を眺めながら臍をかんだ。緒妻は決して大柄では無い。あたしと変わらないくらいの背丈だ。どうしてあんな威力の技が出せるのか。


 うちの選手が残り一人になったところで対抗戦は中断された。師匠が負傷した選手の手当てのために申し入れたのだ。続きは一週間後に相手の道場で行われることになった。


 武厳道場の選手が引き揚げた後も、緒妻に倒された先輩たちは動けないままだった。あたしたちが介抱していると、師匠が藤原先輩のそばにかがみこみ、先輩の上体を抱えて道着や体を調べ始める。そして、

「やはりな」

 師匠は藤原先輩の道着の袖を持ち上げでみなに示した。袖の先に小さな黒い丸印が付いている。直径が五ミリほど、くっきりしたきれいな円だ。

「これは呪撃黒点だ」

 いぶかしげな顔のあたしたちに師匠が説明した。

「文字呪撃の一種だ。この丸印は文の終りを示す句点を模してある。句点が文を終了させるように、この丸印を相手の体に打つことで、一瞬で相手の動きや思考を止めてしまうのだ。藤原たちは技の途中で丸印を打たれ、攻撃は力を失い、防御もできないまま緒妻の攻撃を受けたのだろう」

 あたしたちは他の選手の体を調べた。先輩たちを抱え上げたり、手足をひっくり返したりして見ていくと、橋谷先輩は右手の掌、里見先輩は道着の左脚の裾に同じような丸印が見つかった。

「でもどうやってこれを?」

「この丸印を付けるための道具を隠し持っていたのだろう。判子はんこのようなものだな。道場戦は『武器使用以外は何でもあり』のルールだからな。呪撃も道具も反則では無い」

 師匠は冷静に状況を洞察していたのだ。

「呪撃と分かれば対抗策もある。だが、そのためには、捨て身の覚悟、相手の間合いを見切る視力、そして一気に飛び込む瞬発力の三つが必要だ。うちの道場で三つを併せ持っているのは……」

 取り囲んでいるみんなの顔をゆっくりと見回した。

「志穂、お前だけだろう」

「ええっ!」


 師匠に指差され、びっくりした。先輩たちも目を丸くする。

「やってくれるか、志穂」

 なぜ女のあたしが、と思った。だけど、師匠はたくさんの門弟の中からあたしを選んだ、きっとあたしにしかできない事なのだ。

「はいっ、やります……じゃなくて、やらせてください」

「うむっ、頼むぞ」

 こうしてあたしは緒妻と戦う選手に選ばれた。


 翌日から特訓が始まった。師匠から呪撃黒点拳への対抗策を伝授される。

「呪撃を破るには丸印に別の意味を持たせることだ。そのために丸印をこちらが選んだ場所に打たせる。防御の姿勢はとらず、攻撃の構えのまま相手の間合いぎりぎりのところへ入り込むのだ。そうすれば相手には……」

 告げられたのは想像を超えた捨て身の戦法だった。あたしの大事なものを失うことにもなりかねない。けれど黒点拳の脅威に対抗するにはそれしかない。あたしは腹を据えた。


 特訓は、相手の間合いを見切り、ぎりぎりの距離へ素早く踏み込む稽古からだった。師匠が畳んだ扇子を隠し持ち、あたしは四メートル、試合での相手との距離から一気に間合いを詰める。師匠が振り下ろす扇子の長さを見切って、届かないぎりぎりの所にぴたりと静止するのだ。

 初めのうちは間合いを見きれず、扇子で頭をはたかれたり、距離が遠すぎて師匠に叱咤されたりした。踏みこみを繰り返すうちに、扇子の長さを瞬時に見切り、下半身に溜めを作って制動をかけ、振り下ろされる扇子の寸前で正確に止まることができるようになった。



 次は踏みこんだ後、相手を一撃で倒す技についてだ。天井から吊るしたサンドバッグを使って師匠が手本を示してくれる。

「お前に伝授するのは全身の力を使った掌底打ちだ。最初の構えは腰を少し落とし、右手を引いて体の横に付ける。左手は右こぶしを包むように添えろ。そこから、右手を更に引くようにして体を捻る。一杯に捻った体勢から一歩踏み出し、右足の床を蹴る力、捻った体が元に戻る力、右手を突きだす力、そして手首の回転、全てを掌底に集中させて相手のみぞおちに叩きこむのだ」

 師匠は体を捻った体勢で一瞬静止し、サンドバッグに掌底を打ちこんだ。バンッ。百キロ近いサンドバッグがほとんど水平になるぐらいに跳ね上がる。

「やってみろ」

「はいっ」

 あたしは言われたとおりにサンドバッグを掌底で打った。だけどサンドバッグはずっしりと重い。巨大な河馬かばを叩いたような感触がして、ゆらりと揺れただけだった。

「力がばらばらになっている。動きの軸を意識してその方向を揃えるのだ」

「はいっ」

 あたしはひたすら掌底打ちを繰り返した。傍に立つ師匠から「捻りを大きく」「足裏の荷重を意識して」と指導が飛んでくる。それに従って体を動かしているうちに少しずつコツがつかめてきた。三日間の稽古の後、あたしは掌底打ちでサンドバッグを斜めに跳ね上げることができるようになった。打撃の感触も河馬から信楽焼の狸くらいに変わった。



 特訓の仕上げは全てを一連で行うものだった。師匠が分厚いプロテクターを胴に巻いて立つ。手に持つのは扇子では無く、鋼鉄製の寸鉄だ。離れた位置に立つあたしに師匠が声をかける。

「大丈夫だ。お前ならできる。さあ来い」

「はい」

 あたしに迷いは無かった。すばやく近寄りながら師匠の握る寸鉄の長さを見てとる。指の幅六つ分ほどの長さだ。師匠のリーチを加え、ぎりぎりの距離で踏みとどまる。突き出された寸鉄の切っ先が目の前で止まった。体を捻って力を溜め、寸鉄をかいくぐって師匠に掌底を打ちこむ。ずんっ、確かな手ごたえとともに師匠の身体が一瞬浮いた。

「ぐっ……。いいぞ、その呼吸だ」

 同じ稽古を何十回と繰り返し、決戦の準備は整った。



 決戦の日、あたしたちは武厳道場に乗り込んで行った。


 選手として試合場に立つ。自分でも意外に思うほど冷静に周りの状況を見る事ができた。背後の自陣から声援が送られてくる。その中には先週、緒妻に敗れた先輩たちの声もあった。体や道着から丸印を洗い落としたら半日ほどで回復したのだ。それはあたしにとっても心休まるものだった。


 武厳道場の選手は当然、緒妻だ。無表情にあたしを見つめている。様子を視ていて、右手に灰色の指輪をしているのに気が付いた。おそらくあれが呪撃の道具だ。

「始め!」

 審判の声と同時に飛び出す。緒妻は開始位置で構えを取った。前と同じ両手を前に掲げた構えだ。あたしは拳を腰の横に当てた姿勢で突っ込む。緒妻は右手をわずかに引き迎撃の体勢を取った。呪撃の射程は拳の位置、そう見きったあたしはぎりぎりの位置で一気に止まる。ほんの一瞬だが、体感的にはひどく長く感じられる時間、その姿勢で緒妻の攻撃を待つ。


 緒妻は正拳を繰り出してきた。その軌跡で親指が何かをはじくように動く。瞬間、正拳は中指を第二関節まで伸ばした中指一本拳に変わっていた。その先端に灰色の指輪、そして小さな黒い丸印が見えた。

 緒妻の拳があたしを捉えた。間合いを伸ばした中指一本拳はぎりぎりであたしに届く。構えた姿勢のまま視線を下ろすと、あたしの道着の胸の部分に小さな丸印が付いているのが見えた。手ごたえがあったのだろう、緒妻の口の端がわずかに上がる。だが……、



 あたしは一歩踏み出す。捻った体に溜めた全ての力、そして先輩の無念と師匠との特訓の数々、全てを掌底に込めて緒妻のみぞおちに叩きこんだ。ずうんっ。緒妻は掌底打ちをまともにくらい、驚きと苦痛に身をよじりながら崩れ落ちていった。必死に伸ばした手があたしの肩を掴もうとする。だが指に力は無く、あたしの道着を滑り落ちていった。その指が黒い丸印のそばへ達した時、

「そ……うか」

 緒妻は目を更に大きく見開き、そのまま倒れこんだ。

「勝負あり。尚武館の勝ち」



 勝利の判定を聞いても、あたしは悲しい思いでいっぱいだった。丸印を付けられた道着の内側がいやでも目に入る。本来あるべきものがそこには無かった。

 呪撃黒点を破る対抗策は、まるをAにくっつけさせて記号のオングストロームにすることで、句点で無くしてしまうものだった。あたしの道着の下にはAが潜んでいた。それはあたしの素肌、胸部に丸印を付けさせることで、Aカップの胸をÅカップにする。Aカップはバストとアンダーバストの差が10センチだが、Åは1センチの1億分の1、顕微鏡的なほとんどゼロに近い長さなのだ。だからÅカップの胸とは……。半日経てば元に戻るはずとはいえ、あたしは大事なものをなくしてしまっていた。

 この対抗策は使う者がAカップでなければ成り立たない。自らのスペックを知られてしまう捨て身の戦法なのだった。



 翌日、道場の更衣室で洗濯の終わった道着に袖を通しながらあたしは胸をなでおろしていた。元通りのものがそこにあったのだ。

 人並みを超えるものではないけど、山高きがゆえに貴からず。男の人は大きな胸が好きな人ばかりでは無いと聞く。あたしが大切に思う人が受け入れてくれたらそれでいい。

 更衣室を出て道場に入ると師匠が先輩たちに囲まれて立ち話をしていた。あたしもそばへ駆け寄る。


 師匠はあたしに気付いてこちらを向いた。笑顔を浮かべていた師匠の目がすっとあたしの胸元に向けられ、困惑の表情を浮かべて首をかしげた。

「えーと?」

 あたしが師匠の顔を見上げると、師匠はすっと目をそらした。

 ふうん、そうなんだ……。

 次の瞬間、師匠のみぞおちにあたしの掌底打ちが炸裂した。もちろんプロテクター無しで。


 しゃがみこんだ師匠に先輩たちが駆け寄る。ざわめきの中であたしの気持ちは不思議に晴れやかだった。一連の出来事であたしがなくしたもの、そして得たものが、あたしを一週間前のあたしとは別人に変えていたのだ。


                終わり

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