第十五章〜切断〜

やはり上光さんのことを忘れることは出来なかった。上光さんの残したかけらを見ては切ない気持ちになった。ある日、上光さんの日記を見つけた。勝手に見るのは悪い気持ちになったが、読むことにした。


「未来に来た。早く過去に戻って使命を果たしたい。仲間に会いたい」

「引っ越しの仕事はなかなか楽しい。現代の人たちは良い人ばかりだ。なんと幸せな時代なのだろう。仲間達に申し訳ない」

「今日はあおいさんに料理を振る舞った。良い気分だ」

「あおいさんがうたた寝をしていた。なんと平凡な一日だろう。僕は幸せだ」

「いよいよ過去に戻る気持ちが薄らいできた。こんなことではいけない。あの時の気持ちを思い出せ自分」

「本心を書くとあおいさんとずっと一緒に居たい。何処かで区切りをつけなければならない。後もう一度だけ開聞岳に行こう。その時タイムスリップしなければ僕はあおいさんと今を生きたい。運命に身を任せる」


最後のページにはこう書かれていた。

「台風到来。いよいよこの日が来た。僕の運命は如何に。どちらにせよ、僕はあおいさんに出会えて幸せだった。ありがとう。もし今回帰って来られたら僕はあおいさんと家族になりたい」

家族になりたいという言葉を見て、涙が止まらなくなった。上光さんとの想い出が走馬灯のように頭を駆け巡った。上光さんはたしかに存在したのだ。妄想なんかではない。上光さんに会いたい。どうすれば会えるのか。また開聞岳に行けばタイムスリップして会うことが出来るだろうか。とっさに思い付いたのが知覧特攻平和会館に行くことだった。あそこには上光さんの写真があった。写真でも良いから上光さんに会いたい。


以前、知覧特攻平和会館に来た時は上光さんも一緒だった。しかし、今はもう居ない。一人になってしまった。相変わらず、石灯籠は特攻隊員のお墓に見える。上光さんもすでに死んでしまったのだろうか。中に入るとあの日と同じ光景が目の前にあった。若い人達の写真がいくつも並んでいる。そして、上光さんを見つけた。五月十一日戦死。何も変わっていない。一つ変わっていたのは上光さんの遺書が展示されていたことだった。呆然とした。以前はそんなものは展示されていなかった。たしかに上光さんの遺書だった。何度も名前を確認した。遺書にはびっしりと文字が敷き詰められてる。それは家族に宛てた手紙だった。


「出撃前夜記す。拝啓御家族様。皆様お元気ですか。僕は元気です。いよいよ明日出撃します。みんなを残して行くこと申し訳なく思います。僕はみんなを守るために死んでいくのです。どうか悲しまないでください。僕は幸福でした。出撃前に不思議な体験をしました。それはとても幸福な時間で、まるで夢のようでした。死ぬ前に幸福な幻を見ていたのかもしれません。死ぬ前に幸福に出会えた僕は幸せ者です。ただ一つ大事な人を残して行くことは心残りですが、お國の為です。喜んで死にます。御家族の皆様に最後のお願いがあります。この手紙を何十年後かしたら出来るであろう鹿児島の特攻隊員の遺品が展示される施設に寄贈してほしいのです。それが今の僕の願いです。以下、伝えたいことを書かせてほしい。あおいさん、これを読む日は訪れていますか。あおいさんならきっと読んでくれていることでしょう。最初は深い悲しみに暮れたが、今はこれが僕の運命なんだと受け止めている。ただあおいさんを一人残してしまったことが心残りだ。申し訳なく思う。僕は運命からは逃れられなかったようだ。これが僕の運命だった。それが僕の任務だ。決して、悲しまないでください。今はただあおいさんの幸せだけを願っている。あおいさんと出会えたことは僕の人生においてもっとも幸福な出来事だった。初めて人を想う気持ちを学んだ。ありがとう。どうか悲しみに暮れないで幸福な出来事に焦点を当てて生きてください。僕が死んだという事実を受け止められるとは思えません。死んでも僕の魂のかけらが残るなら空の上からあおいさんのことをずっと見守り続ける。ずっと一緒だと思いたい。あおいさんが天国の道へ行く時、僕は迎えに行きたい。そんな夢を今は見ていたい。最後の瞬間まで必ずあおいさんのことは忘れない。あおいさんの想い出とともに出撃出来る僕は幸せ者だ。すでに深夜の二時になった。まだまだ書き続けたいが、もうすぐ出撃の時間だ。今夜も月と星が綺麗だ。あおいさんと見上げた綺麗な夜空は決して忘れない。幸福な人生だった。ありがとう。どうか身体には気をつけて。あおいさんは冷え性だから身体を温めるように。本当に本当にありがとうございました。それでは、これにて。愛おしく美しいあおいさん、永久にさようなら。上光」


手は震え、動悸が止まらない。涙で前は見えない。上光さんは過去から今へ手紙を託してくれていた。やはり幻ではなかった。上光さんは元の時代に戻ったのだ。すでに上光さんはこの世に存在しない人になっていた。その現実を受け止めることは出来なかった。何故、上光さんは死ななければならなかったのか。自分には理解出来なかった。検閲を逃れるために所々本音とは違うことが書かれている気がした。最後に手紙を託してくれた上光さんの心境を思うと心が痛くなった。

「上光さん。しっかりこの目で読みましたよ。ありがとうございます。そして、お疲れ様でした」

写真を見てそう伝えたが、もう伝わることはない。もう二度と上光さんには会えないのだ。手紙の最後に書いてある永久にさようならという言葉が頭の中を駆け巡った。また自分は一人になってしまった。結局、自分はずっと天涯孤独のままだ。でも今はそれでも良いと思えた。心の中でたしかに上光さんは生きている。心の中で生きている限り、上光さんという存在が本当の意味で死ぬことはない。いつか年老いて死ぬ時、本当に上光さんが迎えに来てくれるのかもしれない。幻想でも良い。そう思うことで自分はこれからも生きていける。それならそう信じれば良い。そうすることで自分は生きていくことが出来るのだから。幻想だとしてもそれで良いではないか。


戦争は残酷だ。今まで自分にとって戦争は遠い世界のものだった。しかし、今上光さんを戦争で失ってようやく本当の意味で戦争の無惨さに触れた気がする。この怒りを何処にぶつければ良いのか分からない。誰が悪いのかも分からない。戦争で家族や恋人、友人を亡くした人は途方に暮れただろう。なぜなら誰がその大事な人を殺したのかが分からないからだ。敵兵も敵兵の意思で戦争を始めて人殺しをしているわけではない。言うならば、一人一人は駒のような存在だ。誰を責めて良いのかが分からない。上光さんを殺したのは誰でもなく戦争だろう。アメリカ兵を憎むことは決して出来ない。憎しみは憎しみの連鎖を産むだけだ。戦争さえなければ上光さんは生きていたはずの人物である。会いたくても会えないと思うと気が狂いそうになった。


ここに居る人たちは特攻隊員が普通の人たちであったことを知っているのだろうか。どこか遠い世界の人と思っているのではないだろうか。上光さんは現代の人とそんなに変わらなかった。特攻隊員と言うと遠い昔の人や英霊になった人という印象を持つかもしれない。しかし、一緒に過ごしてみて自分と何ら変わりのない同じ人間だった。そこには感情もあり笑い、時に悲しみ日々を過ごしていた。特別強い人でもなかった。きっと他の特攻隊員も同じだろう。特別な人達ではなかったはずだ。普通の人だった。一人一人に大事な家族や恋人、友人が居たはずである。一人が死ぬ事でどれだけの人が悲しんだのだろう。特攻隊員だけではない。あの戦争で多くの人々が無惨に死んでいった。軍人として任務を果たした人、飢餓の人、病の人、空襲の被害に遭った人、戦争の苦しみから逃れる為に自殺した人、そして原子爆弾に殺された人、さまざまな死があっただろう。その一人一人に物語があった。太平洋戦争で死んだ人の数は三百十万人にも及ぶ。以前の自分なら三百十万人という数だけを見ていたかもしれない。しかし、今は違う。それは上光さんと出会ったからだ。上光さんも三百十万人のうちの一人である。統計的な数で見ると一人の命など大したもののないように思えるかもしれないが、やはりそこには一人一人の人生があった。上光さんにだって人生があり、大事な人達が居た。上光さんの死によって自分の心は殺されたも同然だ。太平洋戦争で死んでいった人達の一人一人にこのような物語があったのだと感じると余計に心が痛くなった。


今も戦争で大事な人を亡くした遺族は多く存在する。みんな群衆に混じって何気なく生きているのだろう。むろん、何気なく生きているように見せているだけだろう。何十年と経っても心の傷は癒えないのではないだろうか。ある瞬間に当時のことを思い出し、胸がギュッと掴まれる想いをしているのではないだろうか。自分は上光さんのことを決して忘れないだろう。忘れたように元気に振る舞っても心の何処かで上光さんは存在し続ける。自分のことは騙せない。それが上光さんと出会って想い出を紡いできた自分の運命だと思う。死んだ人を想いながら生きるのは辛い。上光さんとの想い出は途絶えてしまった。新たに想い出を作ることはもう不可能なのだ。これが戦争の実態である。人を殺すだけではなく、殺された人間の周りの人達の心まで殺していくのだ。


こうして上光さんと自分の物語は終わりを告げた。上光さんの命と未来は戦争によって切断され、永久に絶たれてしまったのだった。上光さんは生きたくても生きられなかった。だからこそ、自分は上光さんの分まで生きたい。そして、上光さんが経験したかったことや見たかったものを自分がこの目で見るのだ。それが自分に出来る上光さんへのせめてもの恩返しに思えた。そうしていつも心の中で上光さんに話しかける。


外に出た。空は青く太陽が眩しい。目の前に蝶が現れた。驚くことにその蝶は自分の肩に止まった。そして、またヒラヒラと空高く飛んで行った。蝶は自由だ。何処までも遠くへ飛んでいく蝶を見て少し心が和らいだ。くよくよしていては上光さんが悲しむ。自分は強く生きるのだ。上光さんの分まで。心地よい風が頬を撫でる。深く深呼吸した。


「二度と戦争が起きませんように。第二の上光さんが現れませんように」

心の底からそう思った。


誰もが傷つかず穏やかに生きれる世界が訪れる日が来るように。

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