うさぎたちの人生はわたしのもの、わたしの人生はうさぎたちのもの
うさぎほど、すべてが可愛い存在などいないと思う。
ごはんを食べている姿が可愛い。好物だと咀嚼が速くなるところが微笑ましい。果物を食べるとき、口元がびしゃびしゃになって床にまで果汁をこぼし、そのこぼれた果汁まで綺麗に飲み干すのもいじらしい。
寝ている姿も可愛い。油断している姿を天敵に見せないために、目を開けっ放しで寝る習性があるのは被捕食者だから仕方ないとはいえ少し切ないが、眠気と必死に戦っている姿はとても可愛い。成長するにつれてどんどん警戒心が薄れていき、今では浜辺に転がるアザラシのように横たわる姿も見せてくれる。その心境の変化も含めて可愛らしい。
毛づくろいをする姿はこれ以上ないほど可愛い。顔を洗ったり、髪を梳かすように耳を前足で撫でつける仕草など、悶絶級だ。関節が心配になるほど身体をひねって背中やしっぽを舐める姿もとても微笑ましい。
しまいには、トイレをしている姿すら可愛く見えてくる。わたしはうさぎのトイレを覗くのが好きだ。覗き込んで、ころんと丸いふんが落ちる瞬間が見られるととても嬉しくなる。悦に入るわたしをうさぎたちは怪訝そうに見て、トイレから降りてしまう。
うさぎにすら引かれていると思うと興奮する……いや、少し反省しているが、やっぱり健康的に排泄している姿を見られるのは嬉しいことだ。
うさぎは草食動物だ。草食動物は常に牧草を食べ、消化器官を動かしていないと死んでしまう。
うさぎがよく患う「うっ滞」という、大量の毛や異物などが腸に詰まり、消化器官が止まってしまう病気がある。うっ滞になると排泄も食事もできなくなり、さらに消化器官にガスがたまり、最悪の場合死に至ることもある。
きなこは一度だけ、うっ滞になりかけたことがある。
あのときのことを思い出すと、本当に胸が痛くなるし、大事に至っていたらと思うと恐ろしくなる。
異変に気づいたのは、去年の冬の夜だった。
食欲旺盛なきなこが、おやつをせがんで寄ってくることもなく、好物のりんごも食べようとしない。お腹を伸ばしたがるように背中を反らせたり、人の目から逃れようとしたり、挙動がおかしかった。
うさぎと暮らして20年以上になるが、初めてのことだった。だけど、うさぎがかかりやすい病気はそれほど多くない。すぐにうっ滞だと気づいた。
ちょうど換毛期の真っ只中、しかもきなこはごま子の毛づくろいにも余念がなく、ねだられたらしっかりそれに応えていた。通常の何倍も毛を飲みこんでしまったのだ。
ネットの情報を頼りに、カイロでお腹をあたためた。腸に詰まったものが少しでも動いてくれと祈りながら、お腹や背中をマッサージした。
朝いちばんで病院に行かねばならない。田舎にはうさぎを診てくれる病院が少なく、車で40分もかかる。徹夜明けに運転するには少々辛い距離だ。
少しでも眠ろうと横になっても、苦しそうに息を荒らげるきなこを見ていると眠れなかった。眠ることなんてできなかった。目を離したら、その隙に死んでしまうかもしれない。医者でもないわたしが見守っていることに何の意味もないけれど、それでも見つめている間は終わりが来ないような、そんな気がしていた。
きなこは何とか朝まで持ちこたえてくれた。受付は3番目になったけれど、急患として1番に診てもらえることになった。
きなこは即入院。そして最悪の場合は開腹手術と告げられた。
空のキャリーケースを手に、病院を出る。信頼できる獣医に任せられたという安心感と、もし助からなかったらという焦燥感が交互にやってくる。
きなこはまだ若い。3歳になったばかりだ。こんなところで死なれたら困る。あと10年……いや、ギネス記録を超えるくらい生きてもらうつもりなのだ。
ごま子だってきなこがいなくなったら困るだろう。わたしがきなこに依存しているように、ごま子だってきなこにベッタリなのだ。こんなに早くお別れさせるわけにはいかない。
きなこの生命力と、獣医の尽力のおかげ、そしてわたしの祈りも少しは足しになったのだろうか。
きなこは手術を受けることなく、見事快復した。
翌日、迎えに行くと、きなこは慣れない治療と入院で疲れたのかぼんやりとしていたが、生きていた。確かに生きていた。
領収書を見て驚いた。痛み止めや点滴など、計7本も注射を打たれたようだ。人間だって注射の痛みは辛いものだ。それを1日に7本も……。
そんな目にあわせてしまったのは紛れもなくわたしのせいだ。
もっと徹底的にブラッシングをすべきだった。消化がよくなるように、もっと牧草を食べさせるべきだった。寒さも消化に影響を与えるから、エアコン以外の暖房器具の導入も考えるべきだった。
うさぎのために死ねると言いながら、うさぎにしてやるべきことをしてあげられていなかった。
うさぎたちの人生はわたしのもの。
わたしの人生はうさぎたいのもの。
うさぎたちが捧げてくれた人生に、わたしも全力で応えなければならない。
まだうさぎのために死ぬわけにはいかない。うさぎのせいで死んでも納得してる場合じゃない。
もっともっとうさぎたちを幸せにしないと満足できない。
あれから1年、きなこもごま子も病気知らずで暮らしてきた。あの日ほど、辛くて長い1日はなかった。
わたしは今日も、うさぎたちがトイレで元気に排泄する姿を眺めてにやにやしては、うさぎたちにすら引かれて不審者を見る目をされている。
不審者でも何でもいい。
うさぎたちが今日も可愛く、一生懸命生きて、健康でいてくれたら、それだけでわたしは幸せだ。
うさぎのためなら死ねる。 桃本もも @momomomo1001
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