うさんぽはうさぎのためにするものじゃない

 うさんぽ。

 うさ飼い以外には馴染みのない言葉だろう。

 うさぎ+散歩=うさんぽ

 うさぎと散歩することを表す造語である。


 散歩と言っても、犬の散歩を思い浮かべてはいけない。

 だいたいのうさんぽは道端を歩くのではなく、車で公園などに移動し、芝生の上で遊ばせるのだ。

 しかも、うさぎはこちらの理想通りになんて歩かない。

 たまに「あ、散歩っぽい」と思う瞬間はある。

 しかし、それはほんの一瞬だ。


 うさんぽのほとんどの時間は、うさぎの毛繕いに費やされる。

 うさぎは綺麗好きな動物なので、インドアでもアウトドアでも身だしなみを整えるのに余念がない。

 毛繕いがはじまるとなかなか動かないので、わたしもしゃがみこむ。

 すると、うさぎは急に走り出す。


 ついて行くと、人間には向かない坂道を駆け上がろうとするので、行ってはならぬとリードを引っ張る。

 が、うさぎは飼い主の言うことなんて聞かない。

 あまり強く引っ張るとハーネスで首を絞めてしまう。

 仕方なくつきあってやると、土手の上で遊ぶ親子連れと遭遇して気まずかったりする。


 それでもうさぎは自由だ。

 疲れて木陰に伏せ、鳥の鳴き声にビビって逃げ、今度は坂を降りようとし、また毛繕いタイムがはじまり……。

 と、こんなのの繰り返しだ。

 とてもじゃないけど「散歩」とは言えない。


 そもそも、うさぎに散歩なんか必要ない。

 1日に数時間(最低1時間でもいい)、ケージから出して部屋で遊ばせれば十分な運動になる(こちらは「うさんぽ」をさらにもじって「へやんぽ」と言ったりする)。


 では、なぜうさんぽをするのか。

 うさんぽは、うさぎのためじゃなく飼い主のためにするものなのだ。


 もちろん、これはわたし個人の意見であり、うさ飼い全員の総意ではない。

 すべてのうさ飼いが、自己満足のためにうさんぽをしているわけではない。おそらく。


 ただ、わたしは、わたしがうさんぽしたいからうさぎたちにつきあってもらっている。

 そんな表現がしっくりくるのだ。


 うさんぽの最大の目的、それは、写真撮影である。

 だから、散歩とは名ばかりで、まったく歩かなくてもいいのだ。

 自然の中に佇むうさぎ。

 それだけで絵になる。


 うさんぽはいつでもできるものではない。

 うさぎにとっての適温は20℃ほどだから、春と秋に限られる。

 花と新緑の時期は特に良い。

 毎年4月は、休日になると近辺の桜スポットへと、日が昇って間もない早朝にうさんぽへと繰り出す。


 そんな時間を選ぶのは、人の邪魔になりたくないし、人に邪魔されたくもないからだ。

 花見スポットに真昼に出かけたら、人混みで撮影どころではない。

 それに、前述の通り、うさぎの動きは予測不可能。

 そう簡単に満足のいく写真は撮ることができない。

 うさぎと目線をあわせ、もはや地べたに這いつくばるレベルの姿勢でシャッターチャンスを待っていたら、他の見物人の邪魔にしかならない。

 だから、早朝の人の少ない時間を狙うのだ。


 昨年は桜前線の到来とともに、異常な暑さまでやって来た。

 例年通りなら、徐々にあちこちで咲きはじめ、毎日どこかしらが見頃になるはずだった。

 しかし、一気に温度が上がってしまったせいで、周辺の桜はほぼ一斉に咲き揃ってしまった。

 しかも、そのあとは2日に渡って雨……。


 うさぎたちへの負担を考えると、移動は片道30分以内が望ましい。

 仕事のシフトの兼ね合いもあって、きなこと2回、ごま子と1回しか花見に行くことができなかった。

 それでも、満足のいく写真はいくつか撮ることができた。

 何度見返しても飽きない。

 無限ににやにやしてしまう。


 都会では、うさぎ専門店や動物カメラマンの方が開く撮影会があると、ネットで目にしたことがある。

 季節のイベントにあわせ、可愛らしく飾られたセットの中で、耳飾りやドレスのようなハーネスをつけたうさぎを撮ってくれるらしい。

 可愛い。たしかに可愛い。

 だけど、うちの子たちもこんなふうに撮ってほしいとは思わない。


 これもわたしの持論なのだが、うさぎは自然光で撮るのがいちばん可愛いのだ。

 作られたセットで、人間のように着飾らされ、じっとしててねと言い聞かされているうさぎより、太陽が生み出す自然の陰影の中で、華美すぎないハーネスをつけ、自由に動いているうさぎの方が可愛いのだ。


 うさぎがいちばん輝く姿を、1枚でも多く残したい。

 きなことごま子を飼いはじめてから、そんな思いが強くなっていった。

 たぶん、初代、2代目のうさぎたちの写真が少ないことを後悔しているからだ。


 とはいえ、初代は少なくても仕方ないと言える。

 飼っていたのが幼少期で、携帯電話やデジタルカメラを持てる年齢ではなかったからだ。

 残っているのはインスタントカメラで撮ったものが数枚と、チェキが1枚。

 幼いころの記憶が曖昧なため、今では大きさや毛色も正確には思い出せない。


 2代目の子は、初代と比べると結構残っている方だ。

 中学生のころから持たせてもらっていた携帯電話、20歳のときにはじめてのバイト代で買ったオリンパスのデジタル一眼でよく撮った。

 それでも、見返したとき思い出がよみがえるほどの写真となると、それほど多くない。


 うさぎが元気だと、写真なんかいつだって撮れるし無限に増やせる、という気がしてしまう。


 うさぎの寿命は平均10年。

 長くて13~15年。

 ギネス記録でも18年。


 どうがんばっても、きなこもごま子もわたしより先にいなくなってしまう。

 むしろ、わたしが先立つわけにはいかない。

 いくらうさぎのためなら死ねるとはいえ。


 うさぎたちが生きたあかし。

 うさぎたちと生きたあかし。


 それをできるだけたくさん、そのときの天気やうさぎたちの表情、機嫌、どんな言葉をかけたかまで、鮮明に思い出せるような写真を残したいのだ。


 だから、うさんぽにつきあってもらっては、ビビるきなこをなだめすかして草の上に立ってもらったり、駆け回るごま子に振り回されたりしながら、わたしは幾度となくシャッターを切りまくる。

 そして、増えた思い出のあかしを見返しては、笑ったり、いつか訪れる別れを想像してちょっと泣いたりする。


 うさんぽはわたしがしたいからするもの。

 あまりにも勝手で(ビビりなきなこにとっては特に)迷惑だと分かっている。


 だけど、可愛くて仕方ないその命を看取らせるという、残酷きわまりないことを強制するのだから、たまにでいいからわがままにつきあっていただきたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る