猫の細道
「つまりです。お珠さん。このままアタイとこの国に留まるのはどうです? 」
高座に座る七星越しに、呆然とするお珠が見えました。
「……あんたはここに留まるのね? お玉」
「そうですね。郷でのんびり余生を楽しもうかと思います――」
「……姐さんはどっちの結末を取るんだろうか」
九口が細波に囁きました。
「……こりゃアわからんぞ。なぜって、俺はお玉と別れる筋なんざ書いてねえからさ」
「姐さんは、新しい結末を作る気ってことですかい? 」
二匹は固唾を呑んで、下座から七星を見つめました。
「……アタシ、この三味線を置いてくわ」
「お珠さん……」
「アンタがいなけりゃ、これを弾くのも楽しかないもの。だからって、猫の国でちやほやされんのも懲り懲りよ。そんなのはやめたんだもの」
七星は胸を拳で叩きました。
「アタシは自分を自分で買い戻した女よ。ここにいちゃア、アタシはアタシをまた売り払うことになるのさ。ようやく一人前になりそうなんだ。――アタシは帰るよ」
〇
「たいしたことねえ
下膨れで厳めしい顔をコチコチに硬くした師匠が、開口一番ブッ刺しました。
「せっかく膨らんだ風船を、七星が少しずつ空気を抜きおった。なんだァあの落ちは!? しょぼしょぼになった風船が、そんまんま風に流されて空の彼方に飛んでっちまったじゃねえか」
七星が顔をくしゃくしゃにしながら俯いておりました。対して、書いた話をこき下ろされているはずの細波の顔は、初夏の風のように爽やかです。
「ははは。姐さん、してやられましたね。こりゃ大人しく嫁にいきますか」
「兄さん、ちょっと不謹慎ですよ。なんで笑っていられるんですか」
「だって俺の書いた落ちは、けっきょく使われなかったわけだから。軽い軽い。ははは」
「駄目だこりゃ。筋を変えたことを根に持ってやがる」
「そもそも筋からして遊女の設定を生かしきれてねぇだろうが」
「うぐっ」
「細波、てめえに新作はまだ早かったな」
「し、師匠たら……」
細波はがっくりと肩を落とします。
「うう……」
七星が、唸り声を上げながら、ついに青い目ん玉が溶けだしたかというようなものを、ぼろりと落っことしました。
「……悔しいか」
それが誰の声なのか、ちょっと分からなくなるくらい優しい声で、七代目月見亭鈴生が言いました。
しかし。
「ざまあねえ。粋がるからだ」
師匠はにやりと笑います。娘のまなじりが、耳の内側が、みるみる赤くなりました。
「ねえ師匠。次は古典で勝負しましょうか」
細波が申しますと、上機嫌の師匠は顎をなぞって「いいねエ」と、娘そっくりの青い目を細めます。
「【面白い】……かもしれん」
九口は溜息をつきました。
「……こりゃア、師匠が上手だア」
『狐七化け 狸八化け』と申します。はるか紀元前より、獣たちは節操なしに人間の真似をして参りました。
化けては恋をし、友をつくり、話をし。しかし生き物であるからこそ、同じこともございます。
親には児がおり、児がいれば親がいる。
時は流れ、児は親にとっては児であるがままに親になったり、ならなかったりする。
その間に、果てなき天望を持つこともございましょう。
なるべき姿とは、はたして何か。
ここは細道。誰もにとってが未踏の細道でございます。
これにて一先ずは終幕といたしましょう。
月見亭 九口でした。
今夜はから騒ぎ 陸一 じゅん @rikuiti-june
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