第16話 お化けにもトラウマくらいある

 都内のネオン街。世間はいわゆるバブル崩壊期を迎えていたが、それでもまだこの街は活気に溢れていた。

 そのうちすぐに景気が戻ると楽観的に考えているサラリーマン達が万札を握り締め、高級品を身につけた女性が客引きをしている。

しかし今見たいのは、この翌日株価暴落による倒産で彼らが路頭に迷う姿でも、客引きをしている女性が闇金に引っかかる未来でもない。

トイレである。

ネオン街から少し離れた場所にある女子高のトイレで、花子さんはため息を吐いていた。

「今日も収穫なしかぁ……」

今日どころか、思い出せばここ最近……いや、ここ数年何もしていなかった。

 花子さんは自らのおかっぱ頭を櫛でとかしながら、手鏡を見つめる。黒々としたおかっぱ。白いブラウスに赤のスカート。自慢の一張羅である。

「うん、完璧! 明日は遠出して田舎の小学校にでも行くかな……そこなら」



――――ガタン。



 廊下から、何かがぶつかるような音がした。

 そして数人の女性の声。閉校後に校内へ忍び込んだのだろう。小声で何かを話しているようだった。花子さんはトイレの個室から出ると、入り口の木造扉に耳を当てる。

「ちょっと! 何音出してるのよ!」

「メンゴメンゴ! でもさすがにもう誰もいないっしょ!」

「だといいけど」

「にしても、肝試しっつっても何も出ないんじゃ怖くないべ~」

「あ~あ、こんなことなら銀ブラしとくんだった~」

 聞こえてくる声は……三人。

 この学校の生徒で間違いはないようだが

「きっ……肝試しですって!?」

 その言葉に、数年ぶりに花子さんの心が躍る。学校で肝試しといえば、当然といっていいほどトイレにやってくるはずだ。音楽室のピアノだとか美術室のモナリザだとか、学校によって心霊スポットは異なるかもしれないが、トイレだけは共通している。花子さんは確信していた。彼女達は、ここにやってくると!

「たっ、たいへん! 準備っ、準備しなくちゃ……!」

 数年ぶりに訪れた自分の晴れ舞台だ。ここでおもいっきり彼女達を怖がらせれば、トイレの花子さんの噂は再び世間を震撼させるだろう。そうすればまた、人気者になれる!

「あ、ちょっと待って。私トイレ」

「私も~~」

 チャンス到来であった。彼女達の足音が近づいてくる。花子さんは慌てて個室(ここはセオリー通り三番目)に駆け込み、その時を待った。

 ギイ……と木造扉の開く音に、緊張と期待で自然と顔が綻ぶ。

 ああ、どうやって驚かせようか。彼女達はどんな悲鳴をあげてくれるのだろうか。胸が高鳴る。動く心臓はないけれど、それでもこの鼓動が外に漏れそうなくらいに、花子さんは高揚していた。

「そういえばさあ~、知ってる?」

 思い出したようにひとりが話し出す。


「トイレの花子さん!」


「!」

 突然名を呼ばれ、おもわず花子さんは息を呑んだ。

「あー子供の頃なんか流行ってたっけー?」

「そうだった? なんとなく聞いたことはあるけど、何? もしかしてリカ、そういうの好きなの? マジ?」

「いや~、そんなわけないけどさ~」

 リカと呼ばれた女子生徒が答える。

「ちょっと試してみたいじゃん! だってさ、このまま何もしないで深夜の校舎回って終わりとかつまんないし!」

「あー」

「なるへそ~!」

 どうやら幸運は、花子さんに味方しているようだった。

 肝試しでトイレに訪れただけでもありがたいというのに、さらに彼女達は、花子さんを呼ぶつもりなのだ。この時ばかりは、神様に感謝してもいいと思った。妖怪だけど。そもそも神様は妖怪に対しても有効なのだろうか? いや、そんなこと今はどうでもいい。

「たしか三番目のトイレをノックしながら、花子さんを呼ぶ……だっけ?」

「あ! それテレビの特番で見たことある!」

 トイレの中を、三人の足音が進んでいく。

そしてその足音は、計算どおり、花子さんが絶賛待機中の三番目のトイレ前で止まった。ドア下にある隙間からは、三人分のソックスが見える。

「く……くる……っ!」

 花子さんは深く深呼吸し、ゴクリと生唾を飲み込む。

 ――そして、その瞬間は訪れた。


「は~なこさ~ん、遊びましょ~」

 花子さんは軽く両頬を叩き、気を引き締める。まだだ。まだ出て行ってはいけない。名を呼ばれてから少し間を空けて、当人が『良かった……出ないのか』と気を抜いた一瞬。このタイミングこそが大事なのだ。一秒……二秒……

「あ~あ、やっぱ何もないか……」

 ――今だ!!

 個室の扉が軋み、ゆっくり、ゆっくりと開く。その扉の内側はトイレではなく、常闇に繋がっているかのように酷く歪んでいた。

 そして女子生徒達は息を呑み、中から現れた人物に目を見張る。



「は~あ~い~……クスクス……アソビマショ?」



 ――決まった。

 闇の中、花子さんが不気味に笑う。その姿に、今まで笑いあっていた女子生徒達から笑みは消え、凍りついたような顔で悲鳴を……

「うっそおおおおお!? マジ!? マジで出ちゃったんだけど~~~~っ!」

「ウケる!!! マジウケる~~~~~~~~っ!!!」

「超バビるし! ぎゃはははははははは」



 ………………………………悲鳴を……

 ――――あ、アレ?



 大爆笑……である。

 花子さんは、一体何が起こったのか理解できず、ただ目の前で体を揺すりながら豪傑笑いする三人に呆然となった。

「はあ、はあ……ていうかさー」

 そのうちの一人が花子さんの全身を、じろりと凝望する。

「ぷっ……ダサくね!? 花子さん、ダサくね!?」

「~~~~~~~~ッ!!!???」

「たしかに~~!」

 あとの二人も同調する。

「今時おかっぱとか! やばいでしょ! 服装もヤバイ! 鬼ダサ!」

「しかもあそびましょうって言ったべ!? いいよ~バリカラする~? ぎゃはは」

 どう見ても三人は花子さんを恐れているようには見えなかった。それどころか嘲笑っている。花子さんはその光景に、ただ何も出来ず、立ち尽くしていた。



「…………その日からショックで五年はひきこもった……」

 話し終えた花子さんから、底知れない悲哀と絶望感が漂う。

 トイレの中は沈みきった空気が充満していて、その空気に耐えられなくなった燕が、俯く花子さんに声をかける。

「ええと……そう落ち込むな花子さん! そんなに気にするようなことじゃ」

「気にするわっっっ!!!!!」

 握り拳を力いっぱい床に振り落とす。メギャンという音をたてて、床のタイルに亀裂が入った。

「だからアタシはね……変わったのよ!!!」

 颯爽と立ち上がった花子さんが、腰元から大きめの化粧ポーチを取り出す。

「イメチェンしてっ!」

 そして無数の化粧道具を手に取り、瞬時に崩れていたメイクを直していく。

「もう誰にも笑わせないっ!」

 どこから取り出したのか分からないドライヤーで髪を整え

「ナウくてマブい、アゲアゲな花子さんになろうってね!!!!!」

 ――完成、である。

 再び自信に満ちた表情で、花子さんはその巻き髪をバサリとかきあげた。

もうこれ以上はないだろう、というどや顔で。

 龍太と燕はお互い顔を見合わせ

「ええと……つまり……」

「なるほど! だから花子さんはこんなにもオシャレをしているのだなっ!!!」

 うんうんと、燕が目を輝かせる。

 いや待て燕、どう見てもオシャレじゃないだろ! 

 それとも自分の美的感覚がおかしいのか? 

 たしかに今時の女性とはまったく付き合いがないが……

 ――いや違う。さすがにコレは違う! 

 龍太は頭を振り、一瞬でもオシャレなのかもと考えようとした自分を否定する。

「イメチェンっていっても、何でそれでそんなギャルの格好になるんだよ!」

「ふっ、これが今一番流行っているからに決まってるでしょ!」

 花子さんが、悦楽な笑みを浮かべ龍太に言い返す。

「えっ流行ってるのか!?」

「アタシのリサーチに狂いはない!」

「おお~、花子さんはファッションに詳しいのか!」

 一体どうリサーチしたのか。

 感心している燕はひとまず置いておくとして、はっきりと龍太にわかるのは、そんなファッションなんて今は絶対に流行っていない! ということだった。

 たしかに、昔そんなギャルがたくさんいた。というのはテレビや雑誌で見たことはあるし、もしかしたら今も渋谷かそういう人達が集まる場所に行けば会えるかもしれない。

 ただし確実に時代が違う。はやっていない! なうじゃないっ! 

 いくら流行に乏しい龍太でもそれくらいは知っていた。

「いい? だからアタシは人生も今時のオシャレ女子としてもすべてにおいてアナタの上なの! 態度には気をつけな!」

「む、むうう……ううう、わかった」

 オシャレに関しては無頓着なのか、知識がないのかはわからないが、燕はすっかりと花子さんを信じているようだった。

「しかし、その格好で今までよくやってこれたものだな……」

「あら? オシャレをしてからは百発百中なのよ? アタシ」

 ふふんと鼻高々に花子さんが笑う。

「あれからいろんな学校で人間達を驚かせてきたけれど、みんなアタシを見ると泣き叫んでいたわ! 中にはその場で気絶した子供もいたわ! みんなが怖がってた!」

「おお~~っ」燕の目が輝く。

「…………いや、それは」

 ゴリゴリメイクのギャル女が誰もいないトイレから飛び出てきたら……


 ――怖がる意味が違う気がする。

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デリバリー・ホラー・ショー 小山ヤモリ @koyamayama

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