米麹から甘酒をつくった日のこと

snowdrop

「たしかに、炊飯器で作れる、とはいったけど」

 夕食後、私は冷蔵庫から板麹を取り出し、勢いよく閉めた。

「だからといって、買ってくるかな」

 我が家では、冬に甘酒を飲む。袋詰された市販の甘酒を購入し、同量の水とおろし生姜を入れてひと煮立ちさせたものを飲むのが定番。江戸時代は暑気払いに飲まれていたため、俳句の季語は夏なのは知っている。が、寒い冬に飲んであたたまるのを楽しみにしているのだ。

 最近、母は白内障の手術をした。病院から配られた注意書きには、お酒を飲んではいけないと記載されていた。甘酒はどうなのか気になり、主治医に確かめると「米麹の甘酒なら良いです」といわれた。その話を料理上手のご近所さんにしたところ、手作りの米麹を頂いたのである。甘酒にしてみると、市販のものよりも口当たりがよく、甘さ控えめの甘酒ができあがった。家でもできると知った母は、さっそく買い物先で見つけた国産手作り板麹を購入し、今に至る。

 早い話、手作りの甘酒の味が気に入ったのだ。

 眼鏡を外し、顔を近づけながらパッケージの裏側に記載されている麹を使った味噌や塩麹、甘酒の作り方を一瞥し、読み上げる。

「炊飯器で八時間から十時間ほど保温する、とあるよ。しかも、八十度以上だと麹が駄目になるらしい。五十度から六十度くらいを保つために蓋を開けて保温するみたいだけど、電気代がもったいないね」

 ヨーグルトメーカーなど保温機があれば手軽にできるかもしれない。が、我が家にはそんな高尚な代物はない。

「甘酒は作れないの?」

 そもそもどうやって作るのか、まずは母に説明しないといけないようだ。

「米一合に対して三倍の水でお粥を作り、八十度以下になってから二百グラムの麹を入れ、五十度から六十度で保温すること八時間から十時間でできあがり。作り方は単純。お粥に麹をまぜて、ひと晩保温すればいいだけだから」

 単純だからといって簡単にはいかない。それなりの準備が必要だ。

「米一合って、結構あるよ。お茶碗二杯分になるから」

 毎日ご飯を炊いている母は即答した。

「単純計算して、米と水と麹で一リットル。お粥にするから水分は減るだろうけど、七百ミリリットル入る保温容器が必要だね」

「そんな容器ないでしょ」

「ないよ」

「だったら、できないじゃないの」

 ふう、と息をいて肩を落とす母を前に「できるよ」と、余裕を持ってシンク上の戸棚を開く。

「これを使えばいいよ」

 取り出したのは、以前母が使っていた魔法瓶の水筒である。

「ステンレスボトルなら保温はできるかもしれないけど、サイズは小さいからね」

「書いてあるとおりの分量で作らなくてもいいよ。半合の米を使って三倍の水でお粥を作り、麹を百グラムにすれば、この水筒で米麹が作れるはず。そもそも、うまくいくと作れるとは限らないから、まずは半分で試したいしね」

 からの薬缶に水を入れると、IHコンロに乗せて電源を入れた。

「そのためにはまず最初に、水筒を煮沸消毒しないとね。雑菌が入らないように」

 システムキッチの引き出しから小さな片手鍋、ミルクパンを取り出し、つづいて冷蔵庫からは米を取り出す。

「この米でいいかな」

 現在、我が家で食べているのは、北海道産のゆめぴりか。

 計量カップで半合分計り、ミルクパンに入れる。水で洗い、軽く二十回揉んでから二度洗い、計量カップで米の三倍の水を入れる。お粥づくりを母に任せ、私は薬缶で沸かした湯を水筒に入れて煮沸消毒する。

「麹を入れるときは、粉々にしないといけないから」

 引き出しからキッチンポリ袋を取り出し、冷蔵庫から出した板麹の袋を開けた。ご丁寧に板状の麹が二枚、入っている。

「親切だね。包丁で半分に切る手間が省けた」

 ポリ袋にいた麹を一枚入れる。

 お粥ができるまで時間がかかるため、母に袋を揉んでもらって板麹を粉々にしてもらう。

「簡単にぼろぼろ崩れるね」

 麹の準備ができると、ようやくお粥ができた。が、できたばかりはまだ熱い。蓋を開けて少し冷ましてから、麹を入れ、スプーンでかき混ぜてから手早く水筒の中へと入れていく。飲み物を入れるようにできているから、口が小さくて入れにくい。できあがったとき、どうやって中身を出せばいいのだろう。

 詰めながら疑問が湧いていく。が、あれこれ考えても、手を止めるわけにはいかない。早くしないと冷めてしまう。

 なんとか詰め終わると、今度は保温だ。

「魔法瓶とはいえ、同じ温度のまま八時間以上保っていられるとは思えないよね」

「そうね。朝沸かしたお茶を入れても、夜まで熱かったことはないから」

 だったらどうするの、という顔をしている母を尻目に、ひざ掛けで水筒をくるんでいく。さらに電気ヒーターの前に置いておけば、熱も下がりにくいはず。

「夜は、これを抱えて寝るから。布団の中には湯たんぽも入ってるからね」

 壁時計に目を向けると、時刻は七時。明日の朝には完成しているはず。

「ちゃんとできるかな」

 母は心配そうな声を上げる。

「それは明日のお楽しみにとっておきましょう。この先は、麹が頑張る番だから」


 翌朝、湯たんぽとひざ掛けにくるまれた水筒を抱えてキッチンへ降りていく。

「よく寝れなかったんじゃないの?」

 すでに起きている母の言葉を聞きながら眠い目を開け、ひざ掛けを外して魔法瓶を取り出した。シンク台にプラスチックの弁当箱を用意すると、水筒の注ぎ口を下に向けて、勢いよく振ってみる。

 ぼこっ、と音とともにドロッとしたものが出てくる。

「……成功、かな」

 詰め込むのに苦労した割に、出すときは素直に全部出てくれた。あまりにあっさりだったので、拍子抜けしてしまった。

 出来はどうだろう。

 水筒の縁を指先でなぞり、そっと口に入れる。

「んー、ほのかに甘い」

 お米の持つ甘さを凝縮させたような、角のない甘さが口に広がる。おまけにしつこく残らない。

「あ、できた?」

 隣にやってきた母が、嬉しそうな顔をしている。

「できたよ。ちょっと食べてみて」

 スプーンで少し取り、差し出す。

 口に入れた母は、「あら、ほんのり甘い。できたじゃん」満足げな顔をする。

「そうだね。これに同量の水と砂糖、塩、生姜をすり下ろしてひと煮立ちしたら、甘酒のでき上がり」

 これを砂糖代わりに卵焼きなど、料理に活かすこともできる。とはいえ、まずは甘酒を作ってみることにした。

 ミルクパンにでき上がった米麹を入れ、同量の水を入れてひと煮立ちさせてみる。

 市販の甘酒は、甘さが強い。なので控えめにしたかったのだ。

 まず、そのまま飲んでみる。

 飲めなくもない。が、水を入れたため薄まった気がする。だから市販のものには砂糖がはいっているのだろうか。

「トウキビの砂糖を使ってみたら。あまり甘くならないよ」

 母の助言を受けつつ。量も加減してみる。味見するも、やや足らない気がして、少し足してみる。生姜をすり下ろし、忘れずに塩も少々入れた。

 でき上がった甘酒を、母と二人で飲んでみた。

「ちょっと甘いかも」

 砂糖の加減は難しい。

「牛乳を入れてみますか」

 マグカップに少量加え、電子レンジで温め、再度試飲する。

「んー、ほどほどの甘さね」

「牛乳を入れるといいのか、なるほど」

 飲みながら、板麹の値段を聞く。税抜三百九十八円。約四百円として、半分の板麹を使い、半合の米と砂糖や生姜、塩、水、牛乳、電気代と手間を考えて市販の甘酒の値段と比較してみた。

「とんとんかな。若干、赤字かも」

「市販を買ったほうが、作るより安上がりってこと?」

「妥当な値段で売られてるんだね。麹を使って、味噌や塩麹など、こだわって料理をする人ならいいけれど、手の混んだものを作らない家では、買ったほうが手軽ではあるよね」

 母の思いつきと気まぐれで購入してきた食材を、なんだかんだ文句を言いつつ、そつなく作る私もどうかしている。コックではないのだけれど、とぼやきたい気持ちもある。が、食べ物だろうとなんだろうと、作るのは楽しいものだ。

「まあ、うまくできてよかったね。もっと、手軽にできると思ったんだけど」

 便利は不便利という。誰かが肩代わりしてくれているから、便利さを堪能できるのだ。でも、不便さの中にこそ楽しみがある。楽しみこそ、生きる喜び。その一端を体験できたのだ。貴重な時間だったのは間違いない。

「昔、おばあちゃんは家で麹を作ってたんだけど、どうやって作ってたのかな」

「家の二階で?」初耳である。

 田舎は都会と違って店がないため、いろいろなものを家で作っていたという。母の実家は農作業用に牛を飼っていたこともあり、その後は牛を育てて売ることも祖父はしていたらしい。牛は塩を舐めるため、大きな塊で塩を購入していたそうな。

「味噌や醤油も作ってて、家の中には味噌玉が紐で吊るされて、使うときはそこから取ってたね」

 おそらく、大豆団子だろう。軒下に吊るしておけば天然の麹菌が棲み付き、大豆麹となる。その団子を細かくし、塩水とまぜて熟成して味噌にしていたに違いない。

「この麹で味噌も作れるみたい。すりつぶした煮豆に塩と麹を入れて、熟成に半年かかるって」

 板麹のパッケージ裏に書かれた作り方を読み上げると、「結構です」と母は笑った。

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