第10話 我は・・・

「ハヤク……ハヤク……」

 玉という老人の魂の抜け殻。

 死体という器に過ぎなかったそれは期待に胸を躍らせていた。

 仙丹というナノマシン治療薬が動く死体に自我を与え、新しい死人となった彼は万能感に酔っていた。声を張れば無数の人々が彼の元へ集まり、その数は膨れ上がってゆく。まるで天主になった愉悦に包まれ、若き日に動かした紅龍科技公司へ巨大重機”力王”を向かわせていた。

 魂なき玉の肉体にとって”力王”は全自動になる前から勝手知ったる愛機であった。

 全自動化が進んでも万が一に備えて手動操作を可能にしていたことが彼にとっての幸運、この世界の人々にとっての不運を招いた。

「フヒヒ……ヒヒヒヒ……」

 仙丹を手に入れる喜び。そして殺戮に浸る喜びが彼の口を醜く歪ませた。

 生前の玉ならばありえない狂笑を運転席に響かせ、彼は路上の無人車や家屋を粉砕していく先についに彼の記憶にあった紅龍科技公司の外観が見えた。

 赤い竜のシンボルが掲げられたそこを見ると死人は重機の進行速度を速め、拡声器を通じて死人の軍勢に大声で叫んだ。

「ウオオオオオオオオッッ!!」

 周囲に響き渡った死人の声は無数の同族を呼び寄せ、興奮した声が増殖していく。その声だけで建物を破壊できるほどの音量だった。それは民衆の喝采を受ける独裁者のように彼の胸を高鳴らせる。無論、それは幻覚であり、心臓はすでに止まっていた。

「ハヤク!ハヤク!フヒ!フヒヒヒヒ!」

 2本の回転粉砕機を腕のように動かし、巨大な玩具がミニチュアの都市を行進するような光景が出来ていた。

「ヒヒヒ…………ヒ?」

 彼の目は前方に立つ男の姿を捉えた。

 長い黒棒を持ち、後ろの建物に何かする気なら許さないと言うように、その男は金剛力士さながらの眼力で”力王”を睨みつけた。

 その運転席にいる死人はその目を自分に毒を持った周と同じ脅威と感じた。

「悪者……殺ス……殺ス……」

 殺戮への情熱を燃やし、彼は拡声器に向かって叫んだ。

「ジュラララアアァアァァァッ!!」

 その声に呼応して前方にいた死人の群れが走り出した。

 目標は紅い龍を守る1人の男。

 およそ1対2000。それに”力王”という巨大重機を加えた文字通りの死闘が始まった。

(強化兵……かどうかはもう関係ねえな)

 死人の群れが洪水のように押し寄せてくる光景を見ながら悟空は思った。

死人のほとんどは一般人。だが、その中には電力の切れていない強化服を着た警官や兵士の死人も少し混ざっている。そのため、駆け足の競争をすれば自然と差がつき、悟空は先に強化兵と戦うことになるのだが先々を考えればどうでもいいことだった。

「行くぜぇぇぇっ!」

 悟空は大地を踏みしめ、こちらも疾走を開始した。

 警官と兵士の死体が悟空をめがけて襲い掛かり、その1体の首がねじれ跳ぶ。悟空の突き捻りを受けた結果だとわかる生者は誰もおらず、同じ攻撃で3体の死人が頭を失った。

「まずは4体!」

 焼き石に水という言葉を考えないようにしながら悟空は次の敵にタングステンの棒を見舞おうとするが、その前に銃声が数発聞こえて強化兵の頭に鉛弾が撃ち込まれた。

 彼がちらりと空を見ると複数の飛行型無人機が支援していた。紅龍科技公司に元からいた、あるいは避難してきた技術者が銃器と無人機を組み合わせたそれらの攻撃機は法で厳しく禁じられていたが、もはや気にする者はいない。

「ありがてえ!」

 些細な援護だが、悟空は感謝して強化兵たちを突き、蹴り、時には投げ飛ばして動かぬ死体に変えてゆく。50体ほどを片付けたところで死人の質と数が変わった。

「しゅるるるぅぅぅっ!」

 この時代の流行服を真っ赤に染めた女が悟空に飛び掛かった。

「ふんっ!」

 彼が薙ぎ払った警棒の軌跡には回転する頭部があった。

 だが、頭部を失った女の死体を踏みつけて3体の死人が彼を襲う。その背後には9体。その背後には27体。強化兵でない大量の死人が戦場に追いついたのだ。

「はあああああっ!」

 悟空は足を交代させ、警棒を捌きながら死人たちの首や頭部を砕いてゆく。3体。5体。10体。死人達をただの物体に変え、それでも無数の援軍が後ろからやってくる。

「しゅああぁぁぁぁっ!」

「やかましい!」

 真っ赤な口を開けた死人の口から警棒を貫通させ、引き抜いた悟空は自分の立つ場所を意識する。

「これ以上は……下がれねえ!」

 20メートルほど下がった所で彼は後退をやめて死人の猛攻に立ち向かった。

 いや、正確には後退できなかった。後ろに下がる空間がないわけではない。紅龍科技公司に近づきすぎると死人が紅龍側に散る恐れがあり、それは彼が最も恐れている事だった。

「せいいいいっ!」

 彼は一人の死人を踏み台にして飛び上がった。魚の群れが餌に飛びつくように死人達がそこに押し寄せる。これでいいと彼は思った。死人が狙う目標は自分一人でなければ困ると。

 身体が1つしかない悟空は1か所でしか戦えない。もしも死人が散り散りになればどんなに疾走しても追いつけず、生存者たちを襲うだろう。彼らも抵抗するとはいえ1人が死人化すれば鼠のように敵の数が増えていく。そうさせないための孤軍奮闘であった。

(目が体中についてりゃなあ!)

 悟空は跳び蹴りで死人の首を折り、前後から飛び掛かる死人達に回転斬りの要領で首を2つ飛ばしながら彼は虚しい願望を持った。死人の気はあまりに弱く、生者のように探知できない。死人の波にすでに飲み込まれて前後左右どころか上下さえ襲ってくる敵に対して頼りになるのは両の目だけだった。

「じゅららぁぁぁっ!」

「しいいいぃぃぃっ!」

「うるせぇぇっ!」

 悟空は対抗して叫ぶが、死人の雄叫びは鼓膜を打ち続けて精神的な負荷も与えていた。飛行型無人機を改造した攻撃機はすでに弾切れになって補充に戻るので援護はないも同然。それでも彼は警棒の乱撃ですでに200体以上の死人を倒していたが、その耳に死人とは別の音が聞こえた。

 ミシリッ。

(ああ、もう、か……)

 彼が予感したのは警棒の限界だった。そう思った通り、死人の一体を屠った瞬間、タングステン製の警棒がバキンッと硬い音を立てて折れた。世界一硬い金属といってもただの物体。様々な方向から何度も負荷をかければいつかは折れる。ましてや固い脛骨や頭蓋骨を砕き続けたのだ。今までよく持ったといえるだろう。

「お疲れさん!」

 彼は短い旅をした武器に礼を言い、すぐに2本目の警棒を腰から引き抜いて引き延ばした。

「うらあああぁぁぁっ!」

 仇を討つように悟空は新しい警棒で死人達の首を打ち砕き、斬り捨てた。

 津波のように襲い掛かってくる敵を突き飛ばし、折り、曲げ、砕く。無尽蔵とも思える死人たちの戦いで灰色の衣服は腐肉色に汚れていった。

 建物の中からその死闘を見守る翠蘭たちは足の震えを堪えなければならなかった。

 孫悟空はあまりに強い。今までもそう思っていたが、一騎当千を体現する英雄の雄姿に心を動かされない者などいない。上から見下ろすことで死人の数はすでに1割近く減っていることがわかった。

 だが、それでもたった1割である。鬼神のごとき戦いを続ける悟空をまだ9割の死人たちが捕らえ、噛みつき、自分たちの一員に加えようと憎悪を漲らせていた。そんな大群と戦う勇気など特殊任務に就くロニでさえ持てなかった。

 多数の目が見守る中で悟空は敵を打ち続ける。

 その目には敵が減ったようには一切映らず、むしろ数を、濃度を増して襲い掛かってくる気がした。

 ミシリッ。

 また嫌な音がし、ほぼ同時に警棒が折れた。

「ちぃっ!」

 彼は汗と腐肉にまみれながら3本目の警棒を引き延ばした。

 1本目よりもあまりに早く折れた。これは悟空の攻撃法が変わったためだ。突きで撃てる死人はせいぜい2体だが、斬撃として警棒を振れば4,5体を屠れる。全方位から襲い掛かってくる死人と戦うには突きを出す余裕はなかった。

「うおおおおおっ!」

 悟空は良くないとわかっていても剛力に任せて警棒を360度回転させた。回転する破断機のように死人達を斬り、警棒はしなってミシミシと悲鳴を上げる。その音に申し訳ないと思いながらも彼はほかに手段がなかった。

 死人の海を泳ぐように戦い続ける彼はすでに地面の上に立っていない。足の踏み場は全て死人だった。動くか、もう動かないか。それだけの違いしかない。

 ミシリッ。

 無茶苦茶な戦いは警棒の寿命をあっという間に終わらせた。

(ああ、すまん)

 悟空が詫びると同時に3本目の警棒が折れた。

 たが、彼はそれを捨てない。2本の警棒として死人の頭と首を叩き続けた。射程が短くなったぶんだけ攻撃範囲は狭くなり、敵の密度は上がってゆく。彼の手足に、頭に、胴体に噛みつき、肉食魚の群れに襲われる小魚はこんな気分かもしれない。

 悟空は全身に力を入れ、死人の拘束に入らないよう必死だった。

 実をいえば死人だけならそこまで問題はなかった。何十体に押しつぶされようと鋼のような肉体に歯や爪を食い込ませない自信があった。だが、全く別の強意が彼のすぐそばにやってきた。

(この”気”はなんだ?)

 悟空が感じたのは死人のかすかな邪気とは全く異なる異質なもの。今まで感じた事のない新種の気といってもよかった。あるいは新種の憎悪だ。

 その発生源である死人は”部下”たちの波にのまれず戦い続ける悟空を見て死人なりの脅威を感じていた。

(悪者……ハヤク……潰レロ……)

 玉だったものは悟空を無視して紅龍科技公司に向かう事も出来た。だが、孫悟空という異質な存在に危険なものを感じ、自分の”力王”が持つ粉砕機で挽肉にすべきだと感じた。

 彼の血が廻らなくなった脳は”力王”が協力無比であってもそこまで速度がないことを理解していた。鼠か猿のように走り回り、飛び回る敵をすり潰すには動きを止める必要がある。そのための部下たちだ。彼らに押さえつけさせ、玉だった存在は部下ごと悟空をすり潰すつもりだった。

 いかに異常な男でもレンガやコンクリートを粉砕する”力王”の粉砕機には勝てないという自信が彼にはあった。それは正しかった。

「ヒヒヒヒ……」

 死人が飛び掛かり、その圧力に押しつぶされてゆく悟空を見ながら彼は待望の瞬間を待った。

「う、お、おおおおおっ!」

 悟空は400体目ほどになる死人の首を握りつぶした。

 息が乱れ、身体には明確な疲労が溜まっていた。周りは全て動く死人。上下の感覚さえ怪しくなってきた時、彼の脳内に危惧していたことが起きた。

(********)

(ぐううっ!またこれか!)

 彼の頭の中にまた音とも声ともつかない何かが響いた。

(*******!****!)

 それは今までより強く、死闘を繰り広げている悟空にとって命を危険にさらすものだった。

(うるせえええええっ!今は忙しいんだあああああっ!)

 彼は開いても目的もわからないそれに悪罵を飛ばし、襲い掛かる死人の群れを交わし続け、破壊し続ける。

 だが、鬱陶しい反応は増え続け、ついにそれは言語になった。

「聞こえておらぬのかあああああっ!!!!」

 怒気をつめこんだ女の声だった。

「おわああっ!だ、誰だ、お前!?」

 彼は頭の内側から鼓膜を破りそうな大声で気絶しかけた。

 その間にも死人は襲い掛かり、あやうく不覚を取りそうになる。

「わらわの声がわからぬか?間抜け猿!」

 状況を知らないらしい彼女は悪口を飛ばした。

「わらわ?その言い方と声……お前、まさか……」

「ふんっ!本来なら卑しい猿と言葉など交わしとうはなかった!」

 傲岸不遜な物言い。それでいて男たちが恍惚となりそうな声の色と艶。

 悟空はやっと正体がわかった。

「お前、どうやって……いや、何の用だ?」

 悟空は死人と戦いながら交信手段に関する疑問を脇に置いた。

「今、死ぬほど忙しいんだ!」

「わらわをお前などと呼ぶでない!まったく。あの無駄に顔の良い仏がわらわの夫に加勢を頼み込んだのじゃ。その夫がわらわに願い出たゆえ、間抜け猿に手を……いいや、指1本くらいを貸してしんぜよう。これから百年、毎晩ひれ伏して感謝するのじゃぞ」

 無駄に顔の良い仏。そして彼女の夫。

 その2人が誰か悟空はすぐに分かった。

「そりゃありがてえが、何してくれるんだ?」

「地上へ繋がってる渦とやらへお主の武器を投げ込んでやったのじゃ」

「はあ!?そんな事、できたのか!?」

 悟空は耳を疑った。

 地上に天界の物は勝手に持ち込めない。それができるなら最初から持ってきていると。

「教えてほしいか?駄目じゃ!くっくっく」

 嗜虐心に満ちた笑い声だった。

「地上のどこかに落ちているであろう?はよ探さぬか」

 彼はそう言われて慌てて地上の気を探った。

 彼が長年愛用してきた武器の強烈な気はすぐにわかった。

「あった!」

 悟空は手で印を作るとそれを呼び寄せた。

 その時、北の彼方の山脈に突き刺さっていた一本の棒が空中に浮かびあがり、時速1000キロを超える速度で悟空の元へ飛来した。地面に突き刺さり、その中心を彼はがっしりと掴んだ。

「ありがてえ!」 

 悟空が自分の気を送ると愛用武器は数倍に伸び、それを剛力で回転させると四方からやってくる死人の群れが体を破裂させた。

 その時、紅龍科技公司の窓から見ていた連は叫び、ロニは唖然とした。

「あっ、如意棒だ!」

「マジかよ……」 

 少年の言う通り、それは悟空が地上の苦楽を共にした如意金箍棒であった。

「これがあれば百人力だぁぁ!」

「そうか。あとは我が夫がなにやらしておるようじゃ。わらわはもう行く。さらばじゃ、忌々しい猿め」

「あ、待ってくれ!」

「なんじゃ!わらわはお主と話などしとうない!」

 そう言われたが、悟空はどうしても言わねばならなかった。

「いろいろと迷惑かけて悪かった。あと、ありがとな」

 悟空は過去と現在の事を詫び、お礼を言った。

「今さら……ふんっ」

「ところでさ、敵の数が多いんだ」

「はあ?」

「できたら芭蕉扇も送れねえか?」

「猿めぇぇぇぇぇっ!」

 女の怒りの根源でもあった魔扇の名を出すと美しい怒声が脳内に響き、魂の繋がりは途切れた。

「ちぃっ。やっぱり駄目か」

 残念だったがやむなし。

 悟空はそう割り切って如意棒を振り回した。

 伝承に謡われた如意金箍棒。その硬度は地上のタングステンをはるかに凌ぎ、7メートル近く伸びた如意棒は死人を貫通したまま駒のように回転する。まるで切断機のように死人を切り裂いていった。

「うおおおおっ!さすが俺の如意棒だああああ!」

 歓喜の声と共に悟空は気力を引き出し、死人達を圧倒し始めた。

 1秒ごとに数十体の死人がバラバラにされてゆく光景は重機に乗る死人に恐怖を生んだ。

「悪者……嫌ダ……死ヌ……死ネ……死ネェェェェ!!」

 彼は恐怖を重機の粉砕機に籠め、パネルを操作した。

 金属の刃が大量の死人を斬り刻みながら悟空の元へ向かってくる。

 この時、悟空は回転刃に如意棒を突っ込んでみるか迷った。破壊できるかもしれないが、もしも折れたら形勢がまた逆転するので断念して跳躍した。

「死ネ!死ネ!死ネ!」

 駄々っ子のように死人は”力王”を操作し、粉砕機のもう片方が空中の悟空へ襲い掛かった。

 戦いを見守る人々は細切れになる英雄を予想し、中でも2人の女性は悲鳴を上げた。

「うおおっと!」

 悟空は如意棒を一瞬引き延ばし、建物にぶつかる反作用で自分の軌道を変えた。

 紙一重で粉砕機の刃を交わし、悟空は着地と同時に運転席めがけて如意棒を伸ばす。強化アクリルガラスに小さな罅が入った。効果はあるが薄い。如意棒がいくら硬くても速度と重量が足らなかった。

「ちぃっ!頑丈じゃねえか!」

 悟空は次に死人の波を避けながら直上から如意棒を振り下ろした。

 金属同士の轟音が鳴り響いたが、こちらも装甲が少し凹むだけだ。

「どうすっかなあ……」

 死人を斬り刻みながら悟空は不思議な死人とそれを守る金属の箱の倒し方を考えた。

 だが、この形勢逆転は悟空にとってまずい効果も生んだ。

「ア、ア、アアアァァァ……」

 悟空の奇怪な武器を見た玉の死人はこの男から逃げたくなった。

 だが、どこへ。すぐに答えは出た。

「仙丹……仙丹……ドコダァァァ!」

 仙丹を手に入れれば自分はもっと強くなれる。あの化け物も倒せる。大した理屈もなくそう思った彼を乗せた”力王”は悟空を無視し、死人を引き連れて紅龍科技公司に向かって直進し始めた。

「お、おい!そっちに行くんじゃねえ!」

 悟空は慌ててその侵攻を止めようとするが、いくら如意金箍棒で叩こうと簡単に止まる物ではなかった。

「無視するんじゃねえええええっ!」

 大声を上げたが何の効果もない。

 このままでは建物を破壊し、死人がその中に押し寄せるだろう。

 彼は必死に知恵を絞り、解決法を1つだけ思いついた。

「嘘……」

 死闘を見ていた翠嵐が呟いた。

 百トンを遥かに超える”力王”の前に悟空が立ちはだかったのだ。

「まさかあの機械を体で止める気じゃないわよね!?ねえ!?」

 美朱は恐ろしい想像をした。

 あの不思議な御伽噺に出てくる如意棒が効かないから自力で化け物みたいな重機を止める気ではないか。そんなはずがないと誰かに否定してほしかった。

 だが、孫悟空はそのまさかをやる気だ。

 粉砕機を避け、機体にしがみついて停止させ、ぶん投げてやると考えていた。今も存在する東の島国で行われる国技のように。

 彼の頭脳はこう言った。

 無理だ。絶対に。潰されて死ぬ。

 そう断言していた。

「やるしかねえだろおおおおっ!」

 悟空はそう叫び、如意金箍棒を手放すと両手をパンッと打ち鳴らした。

 回転する粉砕機が2つ迫り、それを避けると無限軌道が地面を削り続ける音を聞きながら機体を両腕で掴んだ。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」 

 肺が破裂しそうなほど声を出し、悟空は”力王”を持ち上げようとした。

 筋肉が悲鳴を上げ、体がバラバラになるような痛みが襲ってくるが、それを無視して全身に力を籠めた。

「うらあああああああああああああああっ!」

 奇跡は起きるのか。いや、起きない。

 悟空の体は象に踏まれる蟻のように飲まれる寸前だった。

(あっ、死ぬな……まあ、仕方ねえ。やるだけやった)

 晴れやかな気分で割り切った彼の内側から別の声が響いた。

「ふはははははっ!面白い戦いをしているではないか!」

 その声を聞いて悟空ははっとなった。

「お前か!?」

「ああ!我だとも!」

 懐かしい声を聞いて悟空は懐かしさを……感じなかった。

 それどころではない。

「ふははははは!天界から気を探るのは苦労したぞ!」

「おい!何かするなら早くしろ!時間がねえんだ!」

「一人だけ地上に行くなど水臭いではないか。我が手を貸してやる」

「だから早くしろっ!」

 悟空は最後の力を振り絞って”力王”をわずかな時間止めていた。

「今から天界の穴をくぐる気か?間に合わねえぞ!」

「愚か!お前は我と義で結ばれ、血よりも濃い兄弟なるぞ。我が妖力を送ってやる。”あれ”をやるのだ!いかなる敵も滅ぼしてくれようぞ!」

 悟空は魂に繋がった相手からある思念を受け取った。

 同時に熱い力が、おびただしい妖力が流れ込んできた。

「ああ、その手があったか!」

 悟空は名案だと思ったが、この方法は危険だとも感じた。加減を間違えれば紅い龍が描かれた建物を巻き込んでしまう。

 だが、追い詰められた今はやるしかなかった。

「さあ!矮小な人間どもを魅せてやろうぞ……兄弟!」

「応よッッ!」

 孫悟空は体に溢れる気を使い、地上に降りて失った術を開始した。

 彼が誇る72の変化術。しかし、今回はそのいずれでもない。

 たった今、手に入れた73番目の変化術を用いるのだ。

「やるぜ……変化術ッ!!」

「え!?」

 その声は悟空を見ていたすべての人々の声だった。

 悟空の体が虹色に変化し、曇った空と街をまばゆい輝きが照らしたのだから当然だ。

 虹の光が爆発し、糸のように紡ぎ合い、ある形をとってゆく。

 天さえ貫かんと鋭く尖った二本角を持ち、鎧と籠手を身に着けた巨人の姿を。

「定命の者ども!そして死人ども!ひれ伏すがいい!」

 ドゥンッと地鳴りを響かせて悟空は言葉を発した。

 いや、それは悟空ではなかった。彼に妖力を送っていた相手が勝手にしゃべらせているのだ。

(おい!俺の体で勝手に喋ってんじゃねえ!)

(良いではないか!ふはははは!)

 精神内でそんな会話が起きていた。

 ”力王”の操縦席よりも高い目線になった彼は世界の果てまで届けとばかりに叫んだ。

「小さき者どもに名乗ってやろう!号は平天大聖!!大力王!!」

 悟空は義の兄弟である男の姿となって巨大な拳を振りかぶった。

「我こそは牛魔王なりいいいいいいいっっ!!」

 孫悟空にとって義兄弟の契りを交わしながらもある事情から拳を交えることになった妖仙。それが牛魔王である。最後は捕縛され、天界で監視されていた男に助力を求めたのはもちろんあの仏であった。

 大気を破った拳が突風を生み、流星の如き一撃が巨大な粉砕機の腕を粉砕した。

 破壊された破片から赤い火花と青い電撃が散り、その光景を見た人々はそれを恐ろしくも美しいと魅入った。

「ナンダ……コレハ……」

 歪んだ万能感に酔っていた玉の成れ果ては目の前の光景が理解できなかった。

 死んだ脳が現実を拒否し、夢でも見ているのかと呆けた。

「もう一撃いいいいいいっっ!!」

 牛魔王の、悟空の左の拳が怪物重機の右腕も粉々に吹き飛ばし、その衝撃で本体は横倒しになった。無限軌道からチェーンが外れ、機体は断末魔の悲鳴を上げる。

「そしてこれでぇぇっ!!」

 両手の拳が組み合わさり、天に向かって振り上げたそれが振り下ろされる。

「終幕ぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 爆撃に等しい衝撃と揺れが”力王”を中心に広がり、全員が膝をついた。

 圧殺され、機体の中で玉だったものは自我と精神が消えてゆく。

 それは子供のような声で呟いた。

「アァ……消エル……嬉シイ……」

 揺れが治まった後に残ったのは完全な鉄屑だった。

(おい!もういいだろ!変化を解くぞ!)

 他者には聞こえず、天界の牛魔王にだけ聞こえる声で悟空は言った。

(ぬ?もう終わりか?景気づけにその辺りを破壊し尽くしてはどうだ?)

「やるわけねえだろ」

 そういう性格だから地上に連れてこなかったんだ。

 悟空はそう思った。

「口上も短くていかん。なによりそんな小さな姿ではなあ……」

 牛魔王にとってその変化は不満たらたらであった。

 彼は本来なら文字通り山に等しい巨体なのだ。

「本当の姿になったら人間も踏み潰すことになるだろ」

「踏んだらいかんのか?」

「お前なあ……」

 悟空は閉口しながら変化の術を解こうとしたが、頭目を失った死人達はまだ彼に襲い掛かってきた。

「ちょうどいいや。こいつら、潰しとこうぜ」

「うむ!」

 義兄弟は蟻を踏むように死人を踏み潰していき、すぐに大群は消滅した。

「兄弟。この術は疲れるから今日はもう離れるぞ」

「ああ、恩に着るぜ」

「では……おっと!忘れる所だった」

 牛魔王はもう1つ知らせがある事を思い出したらしい。

「我が妻が地上に送ったものは届いたか?」

「如意棒だろ?ああ、ちゃんと来てる」

「何?如意棒だけか?」

「ん?」

「2つとも送ってくれと我が頼み込んだのだが……」

 悟空がまさかと気を探るとそれははるか南の上空にあった。

「あの意地悪女め……」

「ふははは!まあ、我が妻のやることだ!許してやってくれ!」

 牛魔王の体が光の粒となって蒸発してゆき、元の孫悟空に戻ると牛魔王の魂の繋がりも消えた。

 建物の方を振り向くと呆けた顔が幾つもあるのがわかった。あんな巨大な化け物を見たらこうなるだろうと彼でも予想できたことだが、なんとかならないかと言葉を探した。

「駄目だ!何も思いつかねえ!」

 あきらめてしまった悟空はこのまま去ってしまおうかと思ったが、そんな彼を止める者がいた。

「悟空さーん!」

「悟空先生ー!」

 翠蘭と美朱が駆け寄ってきた。

 怪物染みた、いや、本当の怪物である悟空を誰もが恐れて近寄れない中で2人だけが彼に怯えず駆け寄る事が出来た。少し遅れて連とロニも。

「すごかったです!」

「何言えばいいかわかんないわ!とりあえず結婚しましょう!」

「へ?」

 悟空が意味不明な美朱のセリフに困惑し、先手必勝でにやりとする彼女を翠蘭が見たこともない顔で見ていた。

「悟空お兄ちゃん!あれ、変化の術だよね!」

 連は目を宝石のように輝かせて聞いた。

「ああ、そうだぜ!」

「やっぱり出来たんだ!如意棒もあるし!」

「おうよ!」

 悟空は近くに転がっている如意棒に気を送ると引き寄せた。

「お前、そういう事できるって言ってないよな?ああ、絶対に言ってない」

 半ば恨みをこめてロニが言った。

「兄弟が気を送ってくれたんだ。あと、鉄扇公主がさぁ……」

 彼が経緯を説明しようとすると西の彼方から強い”気”がやってくるのに気づいた。

「お前ら、ちょっと離れとけ」

 念のために警戒した悟空は接近する飛行体に身構えた。

 それは雲を突き破り、悟空たちの手前で停止すると突風が生じた。

「きゃあっ!」

「何なの!?」

 悟空を除く全員が思わず目を閉じ、再び開いた時、彼女たちは信じられないものを見た。それは遠い国の御伽噺に出てくる住人だった。

「Ich bin Walküre!」

 大きな白い翼と黄金色の長髪を揺らす女は言った。

「Bist du eines der himmlischen Wesen?」

「おーい、何言ってるかわかんねえぞ」

「旧ドイツ語だ!」

 悟空がそう指摘し、ロニが慌てて通訳しようとした。

 様子を見た彼女はその前にポケットから人間が使う個人端末を取り出した。

「この言葉で通じるか?我はワルキューレ!」

 翼をはためかせ、彼女がもう1度喋ると個人端末が同時通訳を始めた。

「天界の西より降りた天人である」

「おお、すげえ!妖術か!?」

「いいや、人間の道具だ。便利なことは我も認めよう」

「ワルキューレって北欧神話の……じゃないよな?」

 ロニの質問にワルキューレはぎらりと目を光らせた。

「人間、卑小な分際で天地を知った気になるな。その驕りがこのような事態を招いたのであろう?」

「やっぱりそうなのか……す、すまん……」

 彼は戦女神の神話を必死に思い出しながら謝った。

「で、何の用だ、わるきゅーれ?」

「お前も地上に降りた天人であろう?名はなんという?」

「俺は孫悟空だ」

「そうか。孫悟空、我も西の神々に逆らって地上へ降りた。人の世を捨ておくのはまだ惜しいと感じてな。お前の力を貸してほしい」

「穴を塞ぐんだろ?俺も場所は知らねえんだ。一緒に探すか?」

「そのつもりだが、その前にすべきことがある。西の大陸で大きな問題が生まれた」

「お?なんだ?」

「まさか……」

 ロニの顔色が変わった。

 次に来る言葉を察したらしい。

「死人が意志を持ち、知恵を働かせるようになった。奴らは死人にあらざる死人。天界にも地獄にも行かぬ奇妙な存在だ」

 それが何を指すのか悟空もすぐに分かった。

 その1人を見たばかりだ。

「奴らは珍妙な薬で仲間を増やし、死人の国を作ろうとしている。生きた人間と交渉まで始める強かぶりだ」

「冗談だろ……」

 ロニの顔がさらに青ざめていった。

「放置すれば地上にも天界にも害をなすだろう。奴らを滅ぼすために手を貸してくれ、東の天人よ」

「よくわからんが、一緒に戦おうってことだな!いいぜ!」

 悟空はそう言うと指笛を思い切り吹いた。

 すると空の彼方から桃色の雲が飛来し、彼の前で止まった。

「あー!筋斗雲だー!」

 連が目を発光するほど輝かせて言った。

「おう!やっと見せられたな!鉄扇公主が送ってくれたんだ!」

「本物の筋斗雲!すごいすごい!」

「じゃ、俺はこいつと一緒に行く!皆、世話になったな!」

「ま、待ってください!」

 翠蘭は今にも飛び立ちそうな彼の元に駆け寄った。

「私とした約束、覚えてますか?」

「約束?ああ、そうだった!飯食わせてくれるんだっけ?」

「私、今度こそ嘘をつきません。美味しいご飯をあなたにいっぱい食べてもらいます。だから戻ってきてください。でないと、私、嘘つきになっちゃいますよ?」

「そう来たか……」

「あー!抜け駆け禁止!私も世界中の甘~いお菓子、お腹が破裂するほど食べさせてあげるから!」

 2人の女は太陽と月のように微笑んで言った。

「そう言われちゃ戻らないわけにいかねえな!わかった!」

 悟空は陽気に笑い、筋斗雲に飛び乗った。

 透けるほどに薄い雲は彼を支え、ワルキューレの隣へするすると登っていく。東洋と西洋の天人。御伽噺のような光景に誰もが見惚れ、個人端末で写真や動画を撮る者もいた。

「じゃあ、案内頼むぜ!」

「ああ、全力で飛ぶ。しっかりついてくるがいい」

「孫さん!ちゃんと帰ってきてくださいね!」

「帰ってきたら結婚しましょうね!」

 地上でそう言って手を振る彼女たちに彼は片手を上げた。

「行ってくるぜ、お前ら!」

 2人は笑みを交わし合い、悟空とワルキューレは一瞬で西の彼方へ飛び去った。

 空は晴れたわけではなく、曇天のままだ。今も地上は動く死人たちが彷徨っている。新しい死人も生まれた。それでも、神仏が見放すほど混沌とした今でも人々の顔には生きる意志が満ちている。

 それを見守る天界の誰かが微笑んだ。

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孫悟空2122 M.M.M @MHK

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