3.女の話
「そういうわけだ。俺は止めたんだ」
「なるほどな。だがあんたがそのあと梧桐に連絡して弟を待ち構えさせた、そこに代わりはねえよな」
「電話なんか持ってないよ」
「は?」
「電話なんか持ってないんだよ。そんなもの、食うや食わずの易者が使えますかい」
「スマホもねえのか? 今時?」
「ないよ。食べて寝るだけ、道楽は読書だけだ。
スマホ? 契約したことすらない。勘弁してくださいよ」
「鞄をあらためてもいいか?」
「ああいいとも、鞄くらい好きにどうぞ。金を取られなきゃいい」
男が机の下のカバンを開け、ざっと中を見渡した。
「ポケットは」
「この服にそんなものないよ」
簡単に体を左右から軽くさすり、男は易者が何も持っていないことを改めた。
「たしかに持ってねえな」
「全く、なにをやってんだよ」
「なにが……」
「大の男が新宿のど真ん中でじじいの体を撫でさすって、なにをやってんだって言っているんだよ」
「わかったよ」
チッと小さく舌を打ち、男が易者から離れた。
「まったく」
易者が掛けなおした。
「で? 次はなんですか。
公衆電話でもつかって梧桐に垂れ込んだんだろうとでもいうんですか?」
「いや、もういい。事実がどうでも、あんたにこれ以上絡む気はねえよ。
悪かったな。弟が適当に話を作り替えた、そういうことだと。
あいつはやられた。俺がやり返した。話はこれで終わりだ」
「まったく寿命が縮みましたね! ただ、一つだけ言わせてくださいよ」
「なにをだ」
「あんた、かたき討ちはまだやってないでしょう」
「ん?」
「まだ梧桐のところには行っちゃいない。ましてや殺してなんかいない」
「ほう」
男が驚いて口を縦に伸ばした。
「あんたのは脅しだ。
梧桐を殺したといえば、俺が驚いて何もかも事実を言うと思ったんでしょう」
「あたりだ。なんでわかった?」
「易者だからですよ。なんでもわかる」
「そうかい。そりゃすげえ。
じゃあそのすげえところで、一つ、俺のかたき討ちはうまく行くかやってみてくれよ」
「は? なんですって?」
「弟にやってくれて、俺にやってくれないってことはないよな」
男が5千円札を出した。
「あんた、まだ梧桐を殺しに行くつもりなのか」
「そうだ。あんた、弟に運命と言ったな。それがどこまで本当か見ときてえ。
梧桐がおまえの知り合いだろうが知ったことか」
「もういい加減にしてくださいよ。変な奴ばっかり相手してられませんよ」
「やらなきゃここであんたを殺す。やるなら許してやるし金も払う」
「兄弟そろって、なんてやつらだ」
しぶしぶと易者は卦を立て始めた。
筮竹を手の中に並べ、願をかけるために顔に寄せた。
それからくるくると回し、手のひらで何度も叩く。
二つに分けて、小さな木片――算木を引き寄せる。
何度かそれを繰り返す。
繰り返し、繰り返す。
そして、易者がぼそりとつぶやいた。
「
「意味を言いな」
「敵討ちの必要はない」
「耳か頭か、おかしいのはどっちだ。俺は上手くいくかどうかを聞いてるんだ」
「だから必要ないと言ったんです。やらなくていいってことですよ。
あんた、もう一つウソをついてますね。弟は死んでない。そうでしょう?」
それを聞くと、男は少し口を閉じ、それから目をアスファルトへ移した。
「……そうだな。ただ、こっちの話はそれほど違いはないよ。刺されて昏睡なんだ。何日も保たない。だから死んだと言った」
「やっぱりウソじゃないですか。大違いだ。変な結果が出たから、どう言えばいいのか迷ったじゃないですか」
「少しは見直したよ。けどな、俺がやることに代わりはねえんだ」
「やめときなさいよ。行ったって意味ないですって」
男は答えず、背を向けて四谷の方角へ向かった。
*
梧桐の家に着いたときは深夜だった。正面から堂々とチャイムを押そうとした、その後ろから女の声が聞こえた。
「どなた?」
振り返ると、地味な洋服に地味な髪、警戒に満ちた目つきの女が立っていた。
「弟の件だ。一週間前に来た奴だ。梧桐はいるか」
「いるはずよ。あなた、何しに来たの」
「梧桐を殺しに来た。邪魔すんならお前から先に叩きのめすぞ」
「……同じ用件ってこと?」
「は?」
「私も、梧桐を殺しに来たのよ」
「なんの冗談だ」
「靖国通りの易者に、行くなって言われなかった?」
「言われた」
「私が頼んだのよ」
「何を言ってやがる?」
男が問い詰めると、女はハンドバッグの中に仕込んだ包丁をちらりと見せ、それから訥々と話し始めた。
*
女が付き合っていた少年はまだ18歳だった。
白いデニムのジャケットに真っ黒な皮パン。ドクロやら羽やら手錠やらのシルバーアクセサリーを体中につけ、髪は金色に近い茶色に染めている。
少年が易者の机に手をついた。
「ケンカ買いにいくんだ。勝つか占ってくれ」
「喧嘩! あんたそんなことする必要ないよ! こんな可愛い彼女がいるのに!」
あっけにとられて、易者が叫んだ。
少年は眉と口をゆがめて、顔を相手に近づけた。
「聞いてるのは勝つか負けるかだ。やるかやらねえかの話じゃねえ」
「しかしあんた、運命ってのがある。それをあなどっちゃいけない」
「もったいぶるんじゃねえ。さっさと始めろや。先払いでもいいぜ」
「いやいや、そうじゃない。そういうことじゃないんだよ」
「なにが……」
「一週間以内に大地震が起きるんだぞ。そんな前に喧嘩とか、そんなこと、そんな話に大事な見料を使っちゃいけないよ」
「地震?」
「とんでもない大地震だよ。関東は全滅!」
「関東全滅?」
夜の新宿に少年の笑い声が響いた。
「ずいぶん大きく出たな」
「そうとも。それを聞いたら喧嘩なんかどうでもよくなるだろう?」
「いいや」
少年はポケットから皺だらけの5千円札を机にたたきつけた。
「世界がどうなろうが、ぶん殴らないと気が済まない奴がいるんだ」
「やらん!」
易者が言った。
「へえ」
少年が呆れていった。
「客だぞ?」
「こいつがそう言っている」
三爻を指さしてつづけた。
「止めてくれんのは結構だ。でも当たるも八卦だろ」
「そんなことはない。こいつは本当のことしか言わない。
当たるも当たらぬも八卦、そんなのはポンコツの言うことだ。俺の易は外さない。
だからこそ、こいつがやるなと言ったら、俺はやらん」
*
「おまえは弟の女なのか」
男は電柱にもたれたまま、女の話を聞き続けた。
「もとは梧桐の女だった。でもあいつは私を薬の客としか思ってなかった。
あんたの弟はあたしを逃がして薬抜きに付き合ってくれた。
それがきっかけで、あたしたちはずっと梧桐に狙われる羽目になった。
だからあいつは、梧桐を殺しに行ったのよ」
女がそこまで言ったところで、二人の耳にパトカーの音が近づいてきた。
「警察か」
「なんかこっちに来てるわね」
「離れるぞ。どうせあとで戻ればいい」
足早に二人は歩いた。
そして、男と女はどちらも、足をさっきの易者のところへ向けていると気づいた。
なぜかそうしたのかは、どちらにもわかっていなかった。
足早に歩く中、女の携帯が鳴った。
彼女が雑踏の中でスマホを開いた。
「……えっ」
女は一言、それだけを言って、あとは、はい、はいと繰り返した。
「どうした」
「……病院から。目が覚めたって」
「なに?」
話しながら歩いているうちに、二人は最初の場所へ戻った。
易者は二人に目を向けると、あきれた顔で言い放った。
「ほれみたことですか。なんだい、弟さんの彼女もいっしょか」
「……何が起きたか知ってるのか?」
「顔みりゃわかりますよ。いいか、俺はウソは言う。
けれどこいつはウソは言わないんですよ」
易者が机にまとめた筮竹を指さした。
「それが天の声です。何度も聞いてきたんだ」
「警察を呼んだのはあんたか?」
「あんたが人の話を聞かんもんですから、仕方なくお巡りさんに伝えたんですよ。
もうここでの商売もたたむ。梧桐みたいな連中との付き合いもやめる。
それより早く行ってやったらどうなんです。
あんたらの顔見たら、すぐ元気になりますよ」
「まいったな」
「参るも参らないもあるか。運命は運命だ」
易者が言った。
男がへっと笑って言った。
「最後に教えてくれ」
「なんでもどうぞ。特別にタダでいいよ」
「明日、地震は起きるのか?」
易者はにやりと笑った。
「いや、ウソですよ。こいつはそんなこと言ってません」
易者が筮竹をもう一度指さした。
「とっさに口に出したデタラメですよ」
「そうかい」
男がもう一度笑った。
それからポケットからティッシュの広告を抜き取って机に置き、電話番号を書いて易者に渡す。
「別の場所に店を出したら教えてくれ。また来るよ」
「そりゃどうも」
パチンとボールペンを置いて、男は女を連れ、夜の雑踏に消えていった。
次の日が来た。
その日、東京で殺された人は誰もいなかった。
その日、東京に地震は起きなかった。
それが運命なのかは誰にもわからなかった。
(おわり)
易者を殺しに来た男 梧桐 彰 @neo_logic
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