14 黒い血の男

 薄暗い書斎に不似合いな赤い頭を紙束の上に伏せながら、アンデルセンは恨みがましく呻いた。


「だからなんでうちばっかり大人気……? うちの班また一人足抜けして減ったのに、いっそ俺も真人間に戻りたい戻って予科の先生とかやりたい、うえっ」

「いちいちえずくなアンデルセン、こっちまで気持ち悪くなる。口述じゃないんだから口より手を動かせ、手を」

「うるっせえ! 毎日十時間すやすや眠ってるグリム君は黙っててくれますか健やかな顔しやがって腹立つ!」

「おや、レオと新人君のところもアンデルセンだったのか。本当に大人気だねえ」


 飽きもせずに口論を始めた二人の間に割り込むように、イソップは机を立った。ちょうどさっきの血液の入った小瓶を、目の下に隈を作ったアンデルセンの前に置く。


「はい、お裾分け。これくらいしか出来ないけど使ってよ」

「イソップさん……すき……!」


 がばりと起き上がり、瓶を大切そうに手に取る。

 頬擦りせんばかりのアンデルセンを呆れた目で見やりつつ、グリムはかねてからの疑問を思い出したようにイソップに尋ねた。


「俺も前にもらいましたけど、その血ってイソップさんのですか? インクにした後の発色が違うような気がして」

「貰ったくせに文句言うなよグリム君、図々しいな」

「文句じゃない、気になっただけだ!」


 再び起こるかと思った口論は、仕掛け人であるアンデルセンによって止められる。


「まぁでも、俺もさすがに気が付きましたよイソップさん。やけに伸びもいいし。誰かの混ぜました?」

「はは、さすが班長たちだ。よく気付いたね?」


 ばかばかしい喧嘩ばかりをしているが、二人は記述者レコーダーとしては優秀だ。情緒も安定しているし、力にもむらがない。アンデルセンは仕事を抱え込みがちではあるが、それは班員に無理をさせないようにしているからだろう。二人揃って班長になってからまだ三年かそこらだが、面倒な面子の多い記述者レコーダーをよくまとめ上げている。落ちる前にも似たような仕事をしていたのかもしれない。


 二人は素直だ。愚痴を言いつつも真面目に、おそらくはそれなりの使命感を持って、閉ざされた軍の中でいつまで続くとも知れない日々を〝生きて〟いる。


(飽きもせずに、よくやる)


 とっさに乾いた本音が出そうになって、慌てて笑みを浮かべ直す。彼らとイソップは違うのだ。彼らは実際、まだ若い。まだ飽きるわけがない。


 かかる時間に個人差はあれど、帰還者はいずれ〝人〟に戻る。生涯に渡って管理されるのは確かだが、力を完全に失って歪みが正されれば、軍都に降りて普通の人間のように生きることだって出来る。目の前の彼らにはきっと、歪んだ自分に飽く前に、次の道が開く。


(何十年も歪み続けている私とは、違う)


 最後に取り残されるのは自分だと、イソップにはその確信があった。

 だから少し。ほんの少しのいたずらならば、許されるだろうと思って笑う。


「うちの班の新人の血と私のを混ぜてみたんだ。ほんの少し混ぜただけなのに、書き心地って変わるものだよね。好奇心で試してみたら気に入ってしまって。で、君たちにもおすすめしたいと思ってさ」

「少しでこんなに変わるのか。そんな奴ならうちが欲しかったなぁ、減る一方だし」

「人員の割り振りは〝一人目〟の管轄だからね。君の班の補充は口添えしておくから、しばらくはお裾分けで凌いでよ。ね」


 小首を傾げて笑えばアンデルセンが「かわいい抱いて!」と腕を伸ばしてきた。グリムが丸めた書き損じを投げつけて、また喧嘩が始まる。


 止めることはもうせずに、イソップは仕事に戻る。もう何十年やっているのかも忘れた、すっかり飽きた仕事だが、二人に勧めた血を混ぜたインクを使うようになってから、少しだけ心が浮き立つ。


(〝彼〟は、今度はどんな言葉を取り戻すだろう)


 この書斎のある別棟は、軍で働く帰還者たちの隔離施設も兼ねている。地下には湖に繋がる水路があり、立ち入ることが出来るのは三人。みな古い帰還者で、イソップはその内の一人だった。


 別棟を仕切ることに忙しい一人目と、研究に明け暮れる二人目は共に地下に興味などなく、湖の監視は暗黙の了解でイソップの管轄になっている。湖に囲まれたこの地に穴は開かないが、帰還者が湖に〝流れ着く〟ことはあった。その帰還者を拾ったり、手遅れな者を看取ったり、そんなことを何十年も行ってきた。


 一年ほど前に初めて現れた〝彼〟も、そんな帰還者の一人だと、最初はそう思った。伸びきった黒髪の隙間にあった、水底のような青い瞳に気が付くまでは。イソップの目の前で、湖の水に溶けるように、その姿を消すまでは。


 その後も〝彼〟は湖から不定期に現れては消えることを繰り返した。〝彼〟は明らかに帰還者ではなかった。かといって、穴の外で人のように振る舞う亡霊なんて聞いたこともない。


 不可解な〝彼〟はイソップの忘れかけていた好奇心を刺激した。だから〝彼〟の存在は、他の誰にも明かしていない。隠す細工をしているわけではないが、今のところ誰にも気付かれてはいないようだった。


 〝彼〟の血を、自分のインクに混ぜてみたのは思い付きだ。髪と同じく真っ黒い血を一滴混ぜて、いくつか亡霊の物語を記した。しばらく経って、今まで言葉を発さなかった〝彼〟は、噛み切った黒い血の滴る腕を差し出しながら初めて言った。


「いい思い付きだった。もっとやれ」


 尊大な言葉に面食らいはしたが、おもしろいと思ったのも事実だ。

 だからこうして少しずつ、物語に〝彼〟を混ぜる。


(何が起こるのかはわからない。私の世界に、大した変化はないのかも)


 それでも楽しい。あるべき姿に戻ろうとする世界を少しは掻き乱せるのではと、そんな期待が捨てきれない。


(できるだけ、めちゃくちゃになりますように)


 祈りか呪いかわからない言葉を胸中で呟いて、ペン先をまたインクに浸した。




◎一話「アンデルセンの童話」おわり◎

 コンテスト用なので、ここで一度完結にします。終了後に書き足していくかもしれませんので、よろしくお願いします。

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フーバーメルヘン—大陸中央軍亡霊討伐隊— 三桁 @mikudari_han

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