13 口約束

 数日後、戻った本部の執務室で机を挟んで向かい合ったレオに、ジーンは無情に言った。


「没」

「没とかあるんですか、報告書に」

「とにかく没だ。書き直せ」


 念入りに破いて灰皿に乗せ火をつける。道中に苦労して精一杯簡潔に纏めたというのに、この仕打ちはどうなのだ。


「……書き直しても同じになります。誇張とかはなく、本当に妙な穴と亡霊だったんです」


 灰と化した元報告書を恨みがましく見つめながら言う。釈然としない気持ちが露骨に声に出てしまった。深く息を吐いたジーンがおもむろに椅子から立ち上がる。


(あ、やばい)


 思った途端に伸びてきた手に髪を掴まれた。強引に顔を上げさせられる。


「お前が嘘を書くとは思ってない。言葉を話す亡霊が出るという報告はここ半年で、数は少ないが受けている。見解が揃わず周知が遅れているのはこちらの不手際だな。早急に何とかしよう」

「そ、うなんですね。その……だったら何が問題なんですか?」


 言葉は冷静だが、ジーンは明らかに苛立っている。機嫌を損ねた理由がわからなくなり余計に焦るレオを、ジーンは黒い目で睨むようにじっと見つめた。


「お前は本当にわかってなかったのか。……ダリルに言われるまま、過保護にしすぎたな。もっとも、そこまで妙なことが出来るとは思ってなかったが……」

「……? 何のことです?」

「鏡を見て気付かなかったか。ぞ」

「え……?」


 唐突な指摘に戸惑う。化粧をするわけでもなし、鏡を念入りに見るなんて、それこそ目にゴミが入った時くらいだ。


(目の色なんてそんなに変わるわけ……いや変わったとしたって、なんで隊長が怒るんだ?)


 そもそも虹彩の色の変化など自然現象な気がするが、どうして責めるように詰められているのだろう。意味がわからず、ただ黒い目を見返すことしかできない。


 瞬くばかりのレオに、ジーンは諦めたようにため息をついた。迷うように目を伏せたのは一瞬で、すぐに静かに語り出す。


「八年前、穴から戻ったお前の聴取をとったのは俺とダリルだ。お前は幽世かくりよから『また穴に落ちて戻った』と正しく言った。選別でも探知者サーチャーの資質を示した。だからお前は自分で扉を開けて戻った探知者サーチャーで、帰還者ではないと判断した」

「……はい」

「だが、覚えておけ。探知者サーチャー狩猟者ハンターの武器を操作しない。作り変えるなんて不可能だ。ダリルが体質とか個人差とか適当なことを言ったのが悪かったんだろうが、穴の気配で目が光る探知者サーチャーも、お前以外に見たことはない。意味がわかるか」


 ここまで言われれば馬鹿でもわかる。


 ——先輩が一番、妙だったりして。


 穴を出る直前に言われた言葉を思い出して、ため息なのか笑いなのかわからない声が喉から漏れた。


(意外に鋭いのか? あいつ。いや、俺が鈍かっただけか)


「……つまり俺は、本来は帰還者なりかけの括りだった、ということですか」

「違う。討伐資質は亡霊に取り込まれたら真っ先に喰われて消える。資質を持ったままの帰還者はいない。探知者サーチャーの資質を示している以上、お前は人間だ。まだ」


 レオの反応をどう取ったのか、ジーンの目に僅かに案じるような色が浮かぶ。


 帰還者の目は押し並べて金色だ。レオの目は母譲りの琥珀色だが、はどうだったろうか。そもそも母の瞳の色は、今のレオのものより深くはなかったか。


(つまり、あんまり幽世かくりよで力に触れすぎると、俺は多分……)


 レオの予想を肯定するように、ジーンは同じ言葉をもう一度重ねた。


、だ。わかったら幽世かくりよで無茶はするな。今度のようなことがあったら何を置いても外へ戻れ。……俺とダリルはお前を帰還者にするつもりはない。それを踏まえて報告書は書き直せ、わかった——」


 そこで前触れなく扉が開いた。

 びくりと肩を揺らしたジーンの手に力が篭り、それは掴んだままだったレオの頭を真下にあった机に叩きつけることで収まった。


「説教は終わったか、ナット。戻ったばっかだし無理はさせ——ってなにやってんだお前、怪我人だぞレオは! 心配したからって八つ当たりすんなよ本末転倒だろバァカ! 連れて帰っていいぞエリアム、二人とも今日は休めお疲れ! ナットは説教だゴラァ!」


 手にした書類束をジーンに投げ付けながら叫び詰め寄る五男坊のアシュトンに、たしか一人っ子だったジーンは明らかに狼狽した片言で答える。


「違う、これは驚いただけでわざとじゃ、そもそもノックがないのが」

「うるせぇバァカ! ガキ! 単細胞! 暴力男! 弱い者いじめ!」

「…………」


 フォローすべきか放っておくべきかよく分からず、打ち付けた鼻を押さえて立ち尽くしていると、不意に腕を引かれる。


「帰っていいみたいなんで帰りましょう、先輩。なんか幼児の兄弟喧嘩みたいになってますし、巻き込まれないうちに」


 小声でうんざりと言ったエリアムは、レオの腕を引いたまま執務室を出る。


 告げられた現実感のない事実と現実感のありすぎる鼻の痛みに、自分で思うより混乱していたらしい。無言でされるがままになっていると、足を止めたエリアムが奇妙そうに顔を覗いてくる。


「……あの、ハンカチどうぞ」

「あ?」

「鼻血出てます、ちょっとですけど」

「ああ……悪い」

「えぇ、先輩に素直にお礼言われると怖いんですけど。大丈夫ですか? もしかして、めちゃくちゃ怒られたりしました?」

「……? いや、そうでも……ない? のか? どうなんだあれは。まあ、注意は——されたな。うん、注意された」


 話しているうちに落ち着いてきた。

 レオの目の妙な力はジーンの考える通り、帰還者に稀に起こる幽世かくりよの副次的な作用によるものなのだろう。しかし、落ちてから八年、討伐隊に所属して五年の間に特に問題も、心身の変化もなかったのだ。普通に考えればこれからも大丈夫だろう。ジーンやアシュトンもそう判断したからこそ、レオを隊に迎え入れたはずだ。


(要するに、これからも今まで通りにして、穴の中で妙な無茶をしなければいいってことだよな)


 ——例えばこいつの武器を作り変えるとか、そういうことを。


 考えながら、眼前の男を我知らず見つめる。

 そんなレオを不気味そうに見返していたエリアムは、ふと何かに思い当たったように呟いた。


「……僕のせいですか?」

「は……?」

「いや、だから……僕が道中に予定外の騒ぎとか起こしたから先輩が殴られたのかなって。『殴られるのは監督係の俺だ』って言ってたじゃないですか」


 そう言ったエリアムはひどくばつが悪そうな顔をしている。おそらくは初めて見せる、申し訳なさそうな顔だった。

 問題児に似つかわしくない表情に、ハンカチの裏で小さく吹き出す。


「……『僕じゃないならいい』とか言ってたくせに」

「ええ? そんなひどいこと誰が言ったんですか」

「誰だろうなぁ」

「……以後、気をつけます。出来るだけは」

「『以後』があるのか?」

「ありますよ。お金、返すことにしたので。分割無利子無期限で」

「……へえ?」


 瞬いたレオに、エリアムはへらりと笑った。


「死ぬ前に返し終わるか微妙な線ですけどね」

「寿命と出世次第だな」

「なら死なない程度に頑張らないとですね、バカで雑で無謀な相棒に足を引っ張られないように」

「あぁ? 完全に俺の台詞だからなそれ!」

「興奮するとまだ鼻血出ますよ、先輩」


 その血のついたハンカチを投げつけると「洗って返してくださいよ雑」と文句を言われる。

 しかめられた眉にひとまずの溜飲を下げ、先に立って歩き出す。すぐに気を取り直したような声が追いかけてきた。


「あ、次は監視任務みたいですよ。それなら怪我人でもいけるだろ明日からヨロシク! って副隊長が言ってました」

「明日……。なんだかんだ人使いは隊長より荒いよな、副隊長……」

「これも出世のためです、協力してがんばりましょう」

「お前にもっともなことを言われると腹が立つな。今度こそ言うこと聞けよ、問題児」

「そこは相棒って言ってほしかったですねぇ」

「一年保ったら言ってやるよ」

「へぇ。その言葉、ちゃんと覚えといてくださいね?」


 妙に挑戦的に言ったエリアムを訝しく思って振り返る。目が合うと、なぜか楽しそうに笑った。

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