クソ旨ボジョレーヌーボー
悠戯
クソ旨ボジョレーヌーボー
「今年のキャッチコピーは誇張じゃない」
そんな噂が口コミやSNSで広がり始めたのは一年の終わりも見えてきた頃。
ボジョレーヌーボーの解禁日である十一月の第三木曜日から数日後のことであった。
ボジョレーヌーボーといえば、たとえば「今世紀最高の仕上がり」だの「史上最高と評された〇〇年を上回る出来」だのと、ありとあらゆる語彙を駆使して賞賛されるのが常であるが……昭和の昔ならいざ知らず、それらの宣伝文句を真正直に受け取る消費者は今やほとんどいないだろう。
ハッキリ言ってしまえば誇大広告の類である。
とはいえ、消費者を騙して粗悪品を売りつけようなどという悪意的な話ではない。
その大袈裟にすぎる褒めっぷりはワイン好きの間では一種のジョーク、年末の風物詩のようなものとして受け入れられており、今年も例年と同じように軽く流されるはずであったのだが……そこへ来て先程の噂である。
「今年のキャッチコピーは誇張じゃない」
例年と同じように思われていた宣伝文句がどうやら大袈裟ではない、らしい。
ちなみに今年のキャッチコピーは「史上最高と言われた昨年の三倍旨い」である。
ワインの味の表現に「三倍」などという数字を使うのは風変りであるが、実際にそれくらい旨いのだから仕方ない。むしろ極めて的確かつ斬新な表現であると評判になった。
噂は間もなくテレビや新聞でも取り上げられ、更に多くの反響を呼ぶことになる。
この段階においても例の噂が販売業者やマスコミによるマーケティング戦略ではないかと疑っていた人々もいたけれど、試しに自分で一本買ってきて開けてみたら、これが実に旨い。旨いのだから認めざるを得ない。当然の道理である。
普段は日本酒やチューハイを好む人々も評判を聞きつけて試したのを機にワイン党に乗り換えたり、ワインに合う食べ物を売る料理店や輸入食材店が繁盛したり、ボジョレーヌーボーを入口にして他のワインに手を伸ばす人々も出てきたり。それから数か月の間、ボジョレーヌーボーを取り巻く各界隈はちょっとした好景気に沸いたのであった。
◆◆◆
そして時は流れて翌年の十一月第三週。
流石に一頃よりはワインブームも落ち着いてきたとはいえ、昨年末からのボジョレー・ブームは未だ記憶に新しい。その影響も手伝ってか、この年の解禁日は最初から大きな注目を持って迎えられることとなる。都内某所の大型酒店の店頭には取材のマスコミが押しかけ、午前零時の解禁と同時に誰よりも早く購入しようと前日から並ぶ徹夜組まで出るほどであった。
ちなみに今年のキャッチコピーは「大好評を博した昨年の十倍旨い」である。
十倍とは何とも大きく出たものである。
なにしろ、その一昨年の
仮に本当だとすれば、それはもう出来不出来の問題ではなく何かしらの異物が混入されているのを疑うべきではないかと思われるが、まあ流石にこれはウケ狙いの誇張表現だろうと見る向きが大半であった。
行列の先頭に並んでいた男性客……仮にA氏とする……が、わざわざ持参していたらしいグラスに買ったばかりのボジョレーヌーボーを注いで飲むまではの話であるが。
「……」
「あ、あの、どうかされましたか?」
インタビューをしていた女性レポーターが急に黙り込んでしまったA氏に心配そうな顔を向ける。直前までにこやかにインタビューを受けていた男性が、一口飲んだ途端に能面のような無表情になって黙り込んでしまったのだから無理もないだろう。
思わず黙り込んでしまうほどに不味かったのか、それとも徹夜で身体に負担がかかっているところに急にアルコールを流し込んだせいで体調を崩したのか。周囲の行列客やテレビスタッフがそろそろ救急車を呼んだほうがいいのではと話し出したあたりで、ようやくA氏は我を取り戻したのだが、本当の問題はここから先である。彼の発した一言が問題であった。
「ほ、本当だった……十倍……」
聞いていた人々はすぐに思い当たった。
いくらなんでも言い過ぎだろうと言われていた「十倍旨い」の宣伝文句。
彼は、その表現に一切の誇張がないと言うのである。先程の反応は、予想を遥かに上回る味に思考が追いついていなかったが故の沈黙であったのだ。
その言が真実か否かはすぐ分かった。
なにしろ現在はボジョレー解禁日の午前零時過ぎ。
特別に深夜営業をしている酒店には今も大勢の愛好家が並んでいる。彼ら彼女らは今目の前で聞いた言葉の真相を知るべくボジョレーヌーボーを購入すると、行儀の悪さには目をつむって路上で次々と栓を開け始めたのである。
そして飲んだ際の反応はというと先程のA氏と同じ。
人はあまりに旨すぎるモノを口にすると言葉を失ってしまうものなのか。
深夜の酒店の前には、一昨年の三十倍旨いヌーボーを味わって忘我の極致へと旅立った酒飲み集団が、呆けたように立ち尽くすという異様な光景が広がることとなった。
とはいえ、まあ旨くて悪いこともなし。
最初の一口こそ感動のあまり奇妙な反応をしてしまった人々も、最初からそういうモノだと覚悟して飲めば純粋に楽しむことができた。各種メディアなども旨すぎて飲みすぎる点にだけは注意しつつも基本的には好意的に紹介し、結果的に昨年のブームを更に上回る大ブームとなったのであった。
◆◆◆
そしてまた翌年の十一月。
またもやボジョレーヌーボーの季節である。
今年のキャッチコピーは「言葉を失うほど旨いと言われた昨年の二十倍旨い」であった。
三倍、十倍に続いて二十倍。
これが今年も言葉通りなら僅か三年で六百倍。
少年向けのバトル漫画もビックリのインフレ速度である。
そして結論から言ってしまうと今年も本当であった。
昨年から一気に二十倍。
いやまあ今更であるが味という個人の嗜好に大きく左右される
通常の六百倍旨いワインを飲んだ人々は、瞬間的に全身の細胞が強烈な多幸感に満たされて視界が真っ白に染まり、足はガクガク、涎はダラダラ……と、ちょっと公共の電波には乗せにくい感じの反応を見せることになった。
いずれも例外なく数分ほどで正気に戻ったので良かったようなものの、流石にこのあたりで国から待ったがかかった。昨年の時点で冗談半分に囁かれていた話であるが、警察や大学の研究機関が公にボジョレーヌーボーの成分分析をすることになったのだ。
当然その流れは日本国のみに留まらない。生産国のフランスを筆頭に世界各国の研究機関が連携し、異例の協力体制でボジョレーヌーボーの品質検査をするという珍事が巻き起こったのである。
少なくとも分析が完了するまでは販売や料理店での提供も禁止ということになり、あの味を知っている酒飲みからは大ブーイングが飛ぶ羽目になったのだが、製造や流通の過程でイケないお薬が混入されている可能性などを考えたらやらないわけにもいかないのだ。
だが検査の結果は、異常なし。
最新鋭の機器を駆使して何度検査を繰り返しても結果は変わらず。人々の異様な反応は、単に旨さに感動していただけであったと各国政府から公式に認められる形となった。
つまり通常の六百倍旨いボジョレーはただ純粋に旨いだけ。
これも偏にボジョレー地方のワイン農家の皆さん努力の賜物であろう。あと天気や日照時間とかのアレコレが何かこう奇跡的なバランスで上手く嚙み合ってのことであろう。
ごく一部の胡散臭いオカルト雑誌などは、数年前にボジョレー地方の農道に墜落してちょっとした騒ぎになった小隕石の影響を論じる記事など出していたが、メルヘンやファンタジーではあるまいし流石にそれはないだろうとほとんど顧みられることはなかった。
隕石から現代科学では検出できない未知の宇宙エネルギーが放出されて原料のブドウに影響を与えていたなどと、大真面目に主張すれば周囲から可哀想な目で見られること請け合いである。最近は低予算のサメ映画だってもうちょっと設定をひねってくる。
◆◆◆
そして、またまた次の十一月。
早速、今年のキャッチコピーであるが……。
「史上最高と言われた去年に比べると一割ほどの旨さ」
まあ、ブドウという生物を扱う以上はそういう年もあるのが普通である。
六百倍ボジョレーの一割、まだまだ従来の普通ボジョレーの六十倍の旨さはあるとはいえ、ここまで順調にインフレを続けてきたものが勢いを止めた影響か、この年のブームはやや控えめなものになるのであった。
◆◆◆
で、次の十一月。
「史上最も肩透かし感が強かった昨年の五十倍旨い」
まさかの旨さ三千倍であった。
完全に油断していたところを刺しにきた形である。
普通ヌーボーの三千倍旨いワインの味が如何なるものかというと、矛盾するようであるが最早旨いという表現ではまるで足りない旨さであった。一舐めした瞬間に意識が地平の彼方へとトリップし、綺麗な花園や小川を幻視する程度はまだ序の口。人によっては宇宙と一体になったとか世界の真理を理解したとか、もう味についての評価なのかも分からない始末である。
味わった彼らとて正確に表現したいのは山々なのだが、これはもう人類史が培ってきた語彙や言語能力の限界と見るべきであろう。端的に言えば、もう地球上の言語ではその味を言い表すことが不可能なのだ。
また、ここへ来て別の問題も発生した。
例年のボジョレーブームを一歩引いたところから眺めていた下戸の人間であるとか、あるいは法律的に飲酒が禁じられている児童が、そのあまりに旨そうな薫りに我慢できずに口を付ける事例が相次いだのだ。
当然ながらアルコール耐性が弱い人々が飲んだら具合を悪くするし、場合によっては救急車や病院の世話になることもある。各国の政府機関や各メディアはアルコールに弱い人間がボジョレーヌーボーを飲むのを控えるよう連日注意を呼び掛けたが、どうやらほとんど聞き入れられることはなかったようである。
◆◆◆
さて、また翌年。
今年のアレは、
「史上最高と言われた昨年の一万倍」
一気に普通ヌーボーの三千万倍である。小学生が適当に考えたみたいな雑なインフレ具合であるが、実際その通りの味なのだから仕方がない。
旨さに関しては既に昨年の時点で人間の理解力を超えていたので表現するための努力は早々に諦めるとして、今年になって問題になったのはその効能である。
ここ数年は解禁日前の段階で入念な検査が行われるようになったのだが、狂った旨さにも関わらず成分は相変わらず通常のボジョレーヌーボーと完全に一致。それにも関わらず、飲んだ人々の身体に異変が起こり始めたのだ。とはいえ、決して悪い変化ではない。
三千万倍ボジョレーを一口飲むや否や、これまで体質的に飲酒ができなかった下戸の人間や内臓機能が未発達の児童に極めて強力なアルコール耐性が身に付いたのである。嘘みたいな話であるが本当なのだから仕方がない。
更にはボジョレーヌーボーを
◆◆◆
で、翌年のアレである。
「去年の三十倍」
三千万倍の三十倍。つまりはノーマルの九億倍である。一昨年から昨年にかけてのヤケクソ染みた伸び率こそなかったものの、いよいよ億の大台に突入。
解禁日前の徹夜組は三か月待ちが当たり前になり、酒店前の路上でテント生活を送る人々も日常の光景になっていたのだが、ここへ来てまたもや新たな問題が浮上した。
需要に対する供給の不足である。
ボジョレーヌーボーとは要するにフランスのボジョレー地方という土地で収穫されたブドウを、その年のうちに発酵熟成させて作った新酒である。だが近年の世界的な大ブームによって仮にボジョレー地方の全域をブドウ畑に造り変えても生産が追い付かないほどの需要が発生してしまったのだ。今年の需要は辛うじて賄えたものの、翌年以降はどうなるか分からない。
このままでは品薄からの異常な高騰や窃盗、暴動にまで発展しかねないと思われた……が、ここで原産国たるフランスはとある妙手で以てこのピンチをチャンスに変えた。
何をしたかというと単純明快。国内の地方自治体や町村などをボジョレー地方に吸収合併する形で、フランス国内全土をボジョレー地方であると定義の上書きを強行したのだ。これで国内のどこで採れたブドウを使おうと、その全てがボジョレーヌーボーであると言い張ることが出来るのだ。
完全に狂っているとしか思えない強硬手段であったが、ボジョレーを
◆◆◆
で、次。
「一万倍」
またもや雑なインフレでとうとう九兆倍である。
その旨さたるや、五十メートルプール一杯の水にスポイトでボジョレーを一滴垂らすと、プール全体が真っ赤に染まって全ての水がワインに変わるほどである。試しにダム湖にボトルを何本か投げ入れたら全ての水が赤く染まって蛇口をひねればご家庭の水道からワインが出てくるようになり、世界中の国が次々と真似したりもした。
この年、医学界でとある発表が話題になった。
ある外科医師がいつものようにボジョレーをラッパ飲みしながら手術室で仕事をしていたのだが「同じ赤色だしまあいいか」と患者の体内にボジョレーを輸血しやがったのである。なにしろ周りの助手も当の患者本人も全員へべれけに酔っぱらっていたので誰も止めなかったのだという。
そんな狂気の沙汰にしか思えない所業であるが、世の中は何が幸いするか分からない。ボジョレーヌーボーを血管から直に摂取した患者はメスを振るう間もなくたちまち病状が回復し、病気になる前より明らかに健康になったのだ。
この事例を受けて他の病院でも病人や怪我人に直接ボジョレーを注入する狂気の人体実験が行われ、そして驚くべきことに全ての患者がみるみる回復したのである。やったね。
◆◆◆
次。
「百」
分かりにくいが前年の百倍。つまりは九百兆倍である。
このあたりになるとボジョレーの自然環境への影響が何かと取り沙汰されるようになった。人々が飲んだボジョレー成分が排泄され、下水道を通って海洋へと放出されたせいで、世界中の海がだんだんと赤みを増してきたのである。
色が変わるほどの海洋汚染となると水棲生物への影響が懸念されるところであるが、何故か一切の悪影響がなかった。それどころか近年絶滅を危惧されるほどに数を減らしていたウナギなどの種が爆発的に数を増やし、様々な問題が理由も分からないまま一気に解決したのである。不思議だね。
◆◆◆
次。
「三十」
二京七千兆倍である。
雑なインフレを繰り返すバトル漫画でもなかなか無い数字になってきた。
ボジョレー海洋汚染の続きであるが、世界中の海はますます赤みを増す一方である。
それに伴って蒸発したボジョレー成分が真っ赤なワイン色の雨雲を形成し、あちこちの地方にボジョレーヌーボーの雨が降り始めた。一昔前までの感覚なら真っ赤な雨など恐怖しか感じないだろうが、今や世界中どこを見ても大喜びする
◆◆◆
◆◆◆
◆◆◆
◆◆◆
◆◆◆
そして百年ほどが経過した。
時は二十二世紀。過去の人々は夢のような、あるいは悪夢のような未来のバリエーションを色々と予想したものであるが、流石にこんな未来は予想できなかったのではないだろうか。
とある小学校。
低学年の教室にて。
一人の生徒が手を挙げて教師に質問をしていた。
「先生、昔の地球は青かったって本当ですか?」
「ええ、本当よ。ほら、教科書のここのページに写真が載っているでしょう? 百年くらい前までの地球はこんな色だったのよ」
「ふーん、赤くないなんて変な感じ」
地球は青かった。
今は赤い。
クソ旨ボジョレーヌーボー 悠戯 @yu-gi
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