第10話

―――――――ろ・・・・お・・・・・い

―――お・・き、おき・・・さい

ねぇっ・・・・

おきなさい!

「ねぇっ!」

・・・・

「やっと起きた。遅刻するわよ」

そう言って、母は部屋から出ていった。

「ちこく?」

目をこすって、重いまぶたを開ける。

「いけね。遅刻だ!」

ベッドから飛び起きる想真。

「まじかよ!」

急いで制服に着替える。

部屋を出て、リビングへと向かっていく。テーブルには朝食が用意されている。またその横には新聞が広げられていて、「A国と交渉締結」と大きく見出しが書かれていた。

「くそっ、遅刻しちまう」

パンを口に放りこみ、家を出て行った。

外に出るといつもの風景。一軒家が並んでいて、遠くには高いビルが密集している。

空は相変わらず濁った灰色のような霧が邪魔をしていて見えない。気温も蒸し蒸しして、気持ち悪い暑さだ。肺に入ってくる空気はいつも通りくさくて、汚い。もう慣れてしまった。

ペースを落とすことなく河川敷を走る。川は、泥水のように茶色で汚く、ところどころ油のようなものが浮いている。

  ちっ、今日は遅れられないってのに!

イライラしながらつぶやいた。

そして、想真はさらに走るペースをあげる。

河川敷を抜けると、また住宅地に入った。

  卒業式を遅れるなんて、めっちゃカッコつかないじゃねぇか!


”そうだ。あの日は卒業式だった。そんなことよりも大事な予定があった。”


この住宅地をこえれば、学校まであと少し。このペースで行けば、何とか間に合う。

  なんとか着いた後、服装を直す時間もできそうだ。

と思った、その時、

「えーん、えーん!」

道端で子供が泣いている。

なんだろ、でもすまないが急いでいるんだ。

子供の横を何事もなく駆け抜ける。

周りに人はちらほらといる。誰かが助けるであろう。

そうだ、誰か助けるに決まって・・・る?

足を止め、後ろを振り返る。

「えーん、えーん!」

みんな見はするが、声をかけようともしない。明らかに様子がおかしいのに。

「―――っっ!!!」

想真は数秒、頭を抱える。だが、答えは出ていた。

「ちっきしょう!」

心から叫び、子供のほうへ歩いていく。

  なんなんだよ!みんな見て見ぬふりかよ!?




「相真、遅いわね。休みなのかしら?」

イラつくガーベラ。

「確かに遅刻なら遅すぎだしね。もう卒業証書もらっちゃったし」

トスカは心配そうに教室のドアを見る。

想真、何やってんだよ。今日はお前とって大事な日なんだろ。

トスカは心の中でイラついている。

ここは教室。前の黒板には卒業式とでかでかと書かれている。教室は泣き顔の生徒であふれていた。先生も、目を赤くして最後の話をしている。

  想真のやつ、最後の日に来ないとか、ほんとバカなのかしら?

まわりが泣いている中、ガーベラは一人不機嫌そうな顔をしている。

なんだよ。卒業式の後、あんなに一緒に作戦を練ったのに、来ないとかありえないぞ。

トスカも不機嫌そうな顔をしている。

  それに今日しかチャンスがないんじゃないか?

トスカもせっかくしんみりとした雰囲気に浸りたかったのに、想真のせいでぶち壊しにされてイライラしている。明らかに教室の中でこの二人が浮いている。

そして、先生の話が終わろうとした時、

「すいません!」

ガラッと、教室のドアが開き、汗だくで息切れした少年が現れた。

「想真!」

ガーベラとトスカが声を合わせて叫ぶ。教室の中がざわつく。

「想真、ずいぶん遅かったじゃないか!」

先生が想真に近寄る。想真はドアのところで、膝に手をついたまま動かない。

「迷子で、泣いている子供が、いたんだ。いっしょに、家まで、送っていったら、こんな時間に・・・」

息を整えながら話す想真。

「わ、分かった。大変だったな。とりあえず席に着け」

想真はよろよろと歩きながら、席に着く。制服もしわしわでみすぼらしい。

くそっ、なんでこの日に限って。

席に着くと、隣いたトスカが想真をギラリと睨む。

想真も上を向き、呼吸を荒げながらそちらを向く。

わかっているよ。ほんとごめんな。

心の中であやまり、ガーベラのほうへ視線を向ける。

ガーベラは頬杖ついて、なにやってんの、と言わんばかり表情でこちらを見ている。

ほんとその通りだ。最後の最後でかっこつかないことやっちまったな。

がくっと、天井から地面に視線を向ける。


「あんたやっぱりバカなの!?」

「ほんとだよ。卒業式で大遅刻なんてありえない」

卒業式の帰り道、トスカとガーベラの総攻撃にあう。

「・・・ああ。俺もそう思うよ」

周りはしんみりと友達と最後のあいさつを交わしたり、写真を撮ったりしている。

「迷子の子供なんて、交番に届ければいい話じゃないの」

ガーベラが言う。どうみてもこの三人は卒業式の後という雰囲気ではない。想真は体も心も疲れきっている。

「そうだよ。なんでこんな時間かかっているんだよ!」

トスカも一緒に燃え上がる。

「それなんだけど・・・」

想真が話そうとした瞬間、

「想真、先輩?」

後ろを振り向くと、知らない女の子が2人。左側の女の子が顔を赤らめてもじもじしている。

背が小さく、おさげの髪型で眼鏡をかけたかわいらしい子だ。

「あ、美化委員で一緒の・・・」

想真は手を挙げあいさつする。が、そこで動作が止まる。

「ごめん、誰だっけ?」

想真がそう言うと、女の子はガクッと下を向く。

「ほんとバカか(なの)?」

トスカとガーベラは声を合わせる。

「春菜よ!」

隣にいた女の子が叫ぶ。

「あ、そうだった」ごめんと、手を合わせる想真。「ごめん、ちょっと今日、バタバタしててド忘れしちゃった」

そう言うと、さらに春菜の隣にいる女の子の険しい表情をする。

「あんたって本当に女の子を傷つけるのが上手いわね」

ぼそっとガーベラがつぶやく。

「そうですよね。影薄かったですし・・・」

春菜という子が、震えるような声で話す。今にでも泣きそうだ。

「ごめん。名前は忘れてたけど、君のことはよく覚えているよ」

想真が真剣な表情で話す。

「いつも教室の片づけ終わった後、次使う人のこと考えて、掃除用具きれいにそろえていただろ。あと、一番印象的だったのは机とか椅子とかいらなくなったものをどうやったら再利用できるのか、ものすごく考えていたよな。けどさ、大勢の中で手を上げないのがもったいないなぁ、っていつも思ってたよ」

春奈が顔を上げると同時に、顔が真っ赤になり泣き出す。

「えっ、あ、ごめん・・・悪気はなかったんだ」

あたふたする想真。

・・・このバカ。意外としっかりと見ているのよね。

ガーベラが心の中でつぶやく。

少し、この子がうらやましいわ。

「俺たちはいないほうが良さそうだな」

トスカがこっそりとガーベラに話す。

「そうね」

ガーベラとトスカは静かにその場から離れる。

「先輩、大学へ行くのですか?」

春菜が聞く。

「ああ。北東大学の気候変動学部に行くんだ」

「気候変動?」

「そう。この地域おかしいんだ。俺がもともといたところは、こんなところと違ってすべてがきれいだった。まず、空気がうまかったし、空が見えていた。川も海もきれいで底が見えるんだぜ。ありえないだろ」

「先輩、その話よくしますよね」

春菜がくすっと笑いながら話す。

「あ、そうだったっけか」

「お父さんがこの地域は儲かるからって引っ越して来たはいいけど、親父は肺炎になってしまったんですよね?」

春菜がそう言うと、

「そっか、君にも話していたのか」

想真は本当にこの子に話したことを忘れていたようだ。

「想真先輩の故郷の話、とても興味あったのでよく覚えています」

そう言うとまた顔を赤める春菜。

「ありがとう。それなら分かってくれると思うんだけど。俺、一度故郷で台風が去った後、天の果てまで透き通って見える位の空を見たことがあるんだ。あの空をこの地域でも見せてやりたいんだ。それも一度だけじゃない。ずっと、永遠に。そうしたら何かこの世界が変わる気がしてさ」

空を見上げると、濁った霧が一面を覆いつくしており、雲も見えているのかわからない。

空を見上げている想真を春菜はじっとみつめる。そして、息をつき、

「先輩、ボタン頂けませんか?」

決心したかのように想真に話す。

「ボタン?」

「袖のボタンです」

「ああ、こんなのいくらでもやるよ」

ブチっと取って、春菜に渡す。

「先輩、ありがとう」

春菜が深々とお辞儀をする。

「こちらこそ、ありがとな。君の課題に向き合う姿勢、見習っていくよ」

想真も軽くお辞儀をする。そして顔を上げて、やっと気付く。

「あれ、あいつらいつの間にかいなくなってやがる。そろそろ行かなきゃ」

やっと二人がいなくなったことに気づき、後ろを振り向こうとする想真。

「先輩!」

それを止める春菜。

「私も先輩と一緒に透き通った空を取り戻したい。だから、一緒の大学に頑張っていきます!」

「おっ、おお」

急なことで少し驚く想真。

「もし、同じ大学に行けたら、一緒に・・・先輩の故郷に連れてって、くれませんか?」

心の中から言葉をふり絞るかのように言う春菜。

それを聞いて想真は少し間をおいて、

「もちろんだ。見たらびっくりするぞ」

にかっと笑って素直に返答する。

春菜は思わず涙がこぼれ、後ろを向く。それと同時に想真も後ろを振り向いて走り出す。

「・・・春菜、それでよかったの?」

隣にいた女の子が聞く。

「うん。今の私じゃまだ無理よ」

涙をぬぐい、顔を上げる春菜。

「だって、あんな遠くを見ている人。今の私なんかじゃ相手にしてくれない」

隣の女の子は春菜の表情を見て驚く。

「春菜?」

落ち込んでいるかと思いきや、すっきりとした顔をしていたからだ。

「落ち込んでなんかないよ。私、頑張って先輩を支えられるくらいの人になる。そしたらきっと、私も思いを伝えられると思うんだ」

春菜は最後の涙をぬぐい、想真の背中を見つめる。

「春菜・・・」

春菜の姿を見て、隣の女の子から涙がこぼれていた。



「あいつ、意外とモテるんだな」

トスカが言う。

「そうね。でも、鈍くて全く気付いていないけどね」

ガーベラが長い髪をガシガシかいており、イラついている。

「それな」

トスカがガーベラに向かって指さす。

「泣かせるのもうまいわ」

ガーベラが皮肉る。トスカもうんうんと頷く。

トスカとガーベラはゆっくりと桜並木を歩く。周りは桜の木を背景に写真撮影している。今年は珍しく台風にやられず、きれいに残っている。

「あいつ。最初転校してきたときは、みんなに嫌われてたのになあ」

「そうね・・・そんなこともあったわね」

ガーベラはうつむく。

「俺もどちらかというと影が薄くて、嫌われていた部類だったから、違和感なく仲良くなれたけど」

トスカはガーベラを横目で見る。ガーベラはうつむいていた。

「私は、ひどいことしたわ。想真は何も悪いことしていないのに」

「けど、ガーベラは地道に想真の味方をしてあげていたな。俺、びっくりしたわ」

そう言うとガーベラも頭をかき、

「今思い返しても、ほんと自分でもびっくりだわ。よくやったわね」

ふぅ、とため息をつく。

「なんだかんだで想真のこと好きだったからなんじゃない?」

トスカが軽い感じでいう。

「何言ってんのよ。あんな鈍くてバカなやつ!」

トスカを睨むガーベラ。

「そうかなぁ?」

うーむ、ガーベラもわかんないな。いつもと変わらないな。

首をかしげるトスカ。

「何よトスカ?」

「ん、なんでもないけど?」

するとガーベラは足を止める。トスカもつられて足を止める。

「何か言いたそうだけど、はっきり言ったらどう?」

ガーベラが食いついてくる。

「どうしたの、やけに食いついてくるね?」

  あれ?いつもと違う。

「別に何でもないわ。変なこと言わないでよ!」

怒ってしまい、先に行ってしまうガーベラ。トスカはあぜんとする。

「・・・へぇ」

珍しくいつもと様子が違う。

  意外と脈ありとは。よかったな想真。

トスカはニヤニヤしながらガーベラを追いかける。

今日は上手くやれよ。


一か月前・・・。


「なんだよ話って?」

誰もいない教室。そこにぽつんと想真が一人、自分の席に座っている。

「ごめんな。こんな時間に呼び出して」

いつもの様子と違う想真。

「まぁ、座れや」

言われるがまま想真の隣の席に座る。

「・・・・・」

トスカは何も言わず、想真の様子を見る。だが、想真はうつむいたまま話す気配がない。

「・・・悪い話、みたいだね?」

沈黙に耐えられず、トスカが聞く。

「いや、違うんだ」

トスカの方を向く想真。

「?」

別に思いつめたとような感じではない。むしろ、恥ずかしがっているような。

「なぁ、ガーベラと、俺ってさぁ、仲いいほう、だよな?」

想真がたどたどしく聞く。

「ん、いまさら・・・」

普通に答えようとしたとき、ピンときた。

「そうだな・・・そりゃあ、仲がいいだけの友達だよね」

そう言うと、想真は表情が凍る。

「そ、そうだ、よな」

またうつむく想真。心の中で笑うトスカ。だが、少しやりすぎてしまった。

「ごめん、想真。からかって」

そう言うと、想真は不思議そうな顔をする。

「そっか、ガーベラのこと好きだったんだな」

そうトスカが言うと、想真の顔が赤くなる。

「ん、あ、いや・・・よ、よくわかったな」

想真が戸惑いながら答える。

「想真の様子がいつもと違いすぎるから、すぐわかるよ」

「そ、そんな違ったか?」

驚く想真。

「うん」

気づいていないことに、こちらが衝撃を受ける。

「でも、意外だな。ガーベラみたいな気の強い人が良いとは」

  逆にそれが良いのかな?

「確かに気が強くて怖い時もあるけど、根は優しいんだ。そこに惹かれたんじゃないかな?」

疑問形で終わり、想真もよくわかっていない様子。

「まぁ、好きになるって具体的な理由は分からないよね」

「ホントだよな。あんなきついやつをさぁ」

首をかしげる想真。けど、好きになってしまったという感じはトスカにも感じられる。

「で、想いを伝える予定はあるの?」

トスカが聞く。

「ああ、そのことで相談だったんだが・・・」

想真がそう言うと、急にガクッとうつむいた。

「?」

「やっぱ、ただの友達としか思ってないよな・・・」

ため息をつきながら話す想真。

「ご、ごめん!」あわてるトスカ。「さっきは冗談だよ。大丈夫、想真なら!!」

想真の両肩をガシッとつかむ。

「・・・そうか?」

「ガーベラもあまり表には出さないけど、想真に対しては友達以上の感じは持っていると思うよ」

「・・・ほんと、か?」

「本当だよ。でも、もう少し普段からそれっぽい雰囲気は出してほしかったな。こう言われるまでほんと気づかなかったよ」

  ガーベラも想真に少しは気があるとは思うけど、あきらめている可能性がありそう。

「それな」またため息をつく想真。「ずっと友達でいると、好意を出すのが難しくなってな」

「確かに難しいところだよね。でも、気持ちは相手に伝えないとわからないよ。それにもう卒業じゃないか」

「分かっている。それで相談なんだけど・・・」



「いたいた。やっと追いついた」

想真が後ろから追いついてきた。

「あ、想真」

トスカが足を止める。

「あら、想真」ガーベラも足を止める。「おめでとう、彼女ができたのね?」

ニコッと微笑むガーベラ。でも何か言葉にとげがある。

「ち、違う!」首を振る想真。「ボタンほしいって言うから、やっただけだ!」

想真は必死だ。

「そんな照れなくてもいいのよ」

またニコッ微笑むガーベラ。トスカにはそれが怖く見える。

「だから違ぇって!」

必死な想真。

・・・なんだ、意外と両想いじゃん。

ふうっ、と息をつくトスカ。

「そんなことよりさぁ、さっきも話していたけど、想真って違う地域の人なんだよね」

話をそらすトスカ。

「今ではこんな風にクラス以外の人とも話しているのが不思議だよな」

そうトスカが続ける。すると、二人は言い合いをやめた。

「そう、みんな想真のこと、違う地域から来た人ってだけで嫌っていたのがバカみたいって話をしてたのよ」

ガーベラも少し気まずそうに話す。

「なんだ、そんなくだらない過去のこと話していたのか?」

ケロッとしている想真。

「くだらないって、想真。あんなにひどいことされたのに」

驚くトスカ。

「あなた、不条理に嫌われていたのに、なんとも思っていなかったの?」

「ああ。全くな」

またケロッと答える想真。そしてこう続けた。

「だって、ここにいる奴ら。こんなどんよりとした空しか見たことなくて、汚ねぇ空気しか吸ったことしかないから、そんな心になっちまってるんだ。って、ずっと思っていたからな」

想想真が言うと、二人はキョトンとする。

「なに、それ?」

「だからさ、こんな場所じゃこんな心になるのも当然だろ。だから俺はこの汚い世界を変えたいんだ。そうすれば、みんな心もきれいになる。だから、みんなが悪いんじゃない。こんな汚い世界が悪いんだ」

想真は真面目だ。本当にクラスの人たちに恨みはなさそうだ。

「・・・やっぱ、あんたバカだったのね」

ガーベラは呆れている。

「お前らも透き通った空を見れば、あんなネチネチした性格なんかならないって」

想真はそう本当に信じているみたいだ。

「ホントバカね。空見て変わるわけないでしょ?」

ガーベラはふうっ、とため息をつく。でも、二人とも想真がそう言うと、なんとなくそういう気持ちになってしまう。

空かぁ・・・よく想真、見上げているよな。

トスカは空を見上げる。相変わらず濁っていて、もう一つ先に青いものがあるとは想像がつかない。

「ん?」

遠くにうっすらとシルエットがかかったようなものが目に映る。

「どうした、トスカ?」

想真が聞く。

「せっかくだからさ、あれ乗ってかない?」

トスカが指さす先には観覧車が見える。

「あら、いいわね。行きましょ!」

そう言ってガーベラは足早に観覧車のほうへ歩き出す。

取り残された二人。想真はトスカのほうを向く。トスカも同じタイミングで想真の方を向く。

「おい、当初の計画と違うぞ」

想真がトスカに向かって小声で話す。

「ごめん。でも、こっちのほうが雰囲気良いと思うよ。ガーベラも乗り気だったし」

トスカが少し申し訳なさそうに言う。

  確かに当初はカフェに行って、それから二人きりになる予定だったけど。

「観覧車か」想真は空を見上げる。「トスカ、信じるぞ」

「上手くいくって!」

そして、二人とも観覧車に向かって歩き始める。


歩いて十五分。観覧車の下に着いた。

こじんまりとした遊園地で、入園料はかからない。アトラクションに乗るときや個々の施設で料金を払うシステムだ。メインは観覧車で、他にジェットコースターや遊覧船など多くはないが、いつもそこそこにぎわっている。

周りには同じようにうちの学校だけでなく、他の学校の卒業生が遊びに来ている。

「いつも近いからあまり来なかったけど、今日みたいな日はいいわね」

ガーベラは嬉しそうだ。

「ほら、チャンスじゃん」

ガーベラの後ろで二人でこそこそと話す。

「そ、そうだな」

当初の計画と変わり、少し戸惑っている想真。

「二人とも何しているの、行くわよ!」

ガーベラはさっそうと券売機の列に並びに行った。

「さっ、想真」

トスカが想真の背中を押す。

「がんばってな!」

想真はそう言われると覚悟を決めたようで、表情がキリっとしまる。

「ありがとな、トスカ」

想真は後ろを振り返り、ガシッとトスカの手を握る。

「彼女、しっかりモノにするんだぞ」

そして、トスカはゆっくりと想真の手を離す。

「!?」

一瞬、想真はこの手を離してはいけなかったような気がした。

「なに変な顔しているんだよ!」

バシッと肩をたたくトスカ。

「す、すまん」気をとりなす想真。「行ってくる!」

想真はそう言って、ガーベラの後を追う。

トスカは想真の背中に向かって、ニカッと優しく笑って手を振る。

想真は振り返らず、握りこぶしを高く上げた。

「あれ、トスカは?」

ガーベラは先に券売機で券を買ってくれていた。

「トスカ、高所恐怖症なんだって」

「は?」ガーベラは首をかしげる。「トスカが乗ろうって誘ったのに?」

上手く嘘をつけない想真。

「あ、ほら早く並ばないと順番とばされるぞ」

強引に話を変える。それに、こう話している間に列が少しずつ長くなっていく。

「あ、ちょっと!」

ガーベラの話を聞かず、想真は列の後ろに並びに行く。

トスカがくれたチャンス、無駄にするわけにはいかないからな。

列に並ぶ。前には20組程が並んでいる。

「トスカ、本当にいないわね」

あたりを見渡すガーベラ。

「乗っている間、ゲーセンにいるって言ってたよ」

想真が言う。

「なにそれ!?券買っちゃったじゃない」

ガーベラはプンプンしながらトスカの分の券を改めて見返す。

「後で返せばいいさ」

さっきまで前に10組はいた。少しづつ前に進んでいくにつれ、想真の心臓も高鳴っていく。

「せっかくみんなで乗る最後の機会だったのに」

ガーベラは少し寂しそうだ。

「おいおい、別に最後ってわけじゃないだろ。また会えるんだからさ」

卒業しても行先は違うけど、会えなくなるわけではない。

「そうだけど、卒業式の思い出としてとっておきたかったのに」

ガーベラは少し悲しそうな顔をする。

「たしかに、そうだな」

順番が来た。

「でも、俺は今だけは二人きりで乗りたい」

そう想真がつぶやく。

「・・・え?」

ガーベラが聞き直そうとしたが、

「足元にお気を付けください」

係員が誘導する。

「トスカには悪いが、乗っちゃおう。一周して、また乗ればいいじゃん」

想真はさっそうと観覧車に乗りこむ。

「・・・らしくないけど、わかったわ」

ガーベラはそうつぶやいて、想真についていく。

いつもの想真だったら、トスカを引っ張ってでも連れてきそうなのに。

ガーベラもゴンドラに乗りこみ、想真の前に座る。ごゆっくり、と係員がドアをロックする。

扉が閉まると周りの音が聞こえなくなり、ゴンドラが動く音と中のちょっとしたBGMしか聞こえない。

ゆっくりと観覧車が上昇していく。想真はじっと外を眺めている。ガーベラは訝しげに想真を見る。

遊園地が一望できる高さになる。遊覧船、ジェットコースター、お化け屋敷などの建物がいくつか見え、無数の人が行き来している。

あ、トスカ。ちゃっかりあんなとこで見てやがる。

想真はその無数の人ごみの中から見つけ出す。ゲームセンターの近くにあるベンチでこっちを見上げている。

・・・ありがとな。

そう想真は心でつぶやき、前を向く。

ガーベラは想真と同じように遊園地を見渡していた。同じくトスカを探していたのかもしれない。想真は下を眺めているガーベラをじっと見つめる。

「?」

ガーベラが想真の視線に気づき、顔を上げる。

「・・・なによ」

怪訝そうに想真を見る。

「・・・今まで、ほんと世話になったな」

頭を下げる想真。

「え、きゅ、急になによ!?」

やっぱり想真、なにかおかしいわよ。

「お前のおかげで学校生活、楽しく送れたよ。まじで」

そう言うと、想真は顔を上げて続けた。

「でも、なんであんなリスクを冒してまで俺のことを気にかけてくれたんだ?」

想真は首をかしげて言う。

ガーベラは髪をかきあげ、

「なにいまさらそんなこと聞くのよ?」

想真に聞き返す。

「・・・そうだな。いまさら野暮なこと聞く必要ないよな」

想真はまた外を眺める。ゴンドラは時計で言うとちょうど9時のところまで上がってきた。

  やっぱ答えてくれないよな。

外の景色は大気汚染のせいで、霧のようなものが覆っている。遠くや地上も見えなくなった。

雰囲気、あんまりよくないな。

そう思っていると、

「想真。別にね、これと言った理由なんてなかったのよ」

ガーベラが口を開く。

「ただ、同じ人間なのに何やってんのかしらって、そう思っただけ」

ガーベラは真面目な表情だ。

「・・・そんな理由でか?」

「そうよ。それで離れていった友達もいたけど、その程度なんだって思えたし。逆に同じ考えを持っていた友達はさらに良くなったから、さっぱりしたわ」

全く後悔していない様子だ。

「ははっ、ガーベラらしいな」

笑う想真。

「やっぱ笑った。だから言いたくなかったのよ」

そっぽ向くガーベラ。

「やっぱ、ガーベラ。けっこうイケるやつだな」

「またそれ?」

最初にガーベラに口きいた言葉だ。ガーベラはあの時のように眉間にしわを寄せる。

「ほんと、助けられたよ」

想真の笑いが止まる。ゴンドラはもう少しで頂上に上がる。周りの景色は雲の中のように白い。

「・・・想真?」

想真はガーベラを見つめる。

「不思議なもんだな。いつもなら普通にしゃべれるのにな」

心臓がバクバクしてやがる。弱っちいな、俺。

ガーベラの目を直視できない。意識してみると、不思議といつもよりきれいに見えてしまう。

「何言ってるの?」

想真、ほんと様子が変ね。なんか顔赤いし。

なにか引っかかる。

  赤い・・・って、え?

ガーベラがピンときた。

「・・・え、うそ、でしょ?」

「ん、どうした?」

想真がガーベラのほうを向く。

いやいやいやいや、まさかそんな。そんなことは・・・。

目をそらすため、うつむくガーベラ。

「だ、大丈夫か、酔ったか?」

想真がガーベラの顔をのぞきこむ。

「だ、だいじょうぶ、きに、しないで!」

顔を隠すガーベラ。

「お、おう」

急にどうしたんだ?

じっとガーベラを心配そうに見つめる想真。

想真が、私のことを?うそ、でしょ?でも、もしそうなら・・・。

顔を上げるガーベラ。

「もう。だいじょうぶ。ちょっと、ムセちゃった」

どことなく片言に話すガーベラ。

「なんだ、心配したぞ」

ホッとする想真。

「!」

想真の顔を見ると、ガーベラはまた顔が赤くなる。

「でも、顔赤いな。熱でもあるのか?」

想真はガーベラの額を触ろうとする。

「き、気のせいよ!」

顔をそむけるガーベラ。

「そ、そっか」

手を引っこめる想真。

  なんだよ、さっきから。急に様子が変だし、顔赤いし。

ふう、とため息をつく想真。ガーベラはそっぽ向いたままだ。それに、何度も髪をかきあげたりいじったりしている。

なんか、落ち着きないな・・・あ、もしかして。

「・・・ガーベラ、トイレ行きたいのか?」

恐る恐るいう想真。

それを聞いたガーベラは、

「んなわけないでしょ!バカ!!」

激怒する。当たり前だ。

「すまん。体調悪そうだから、そっちかと思ったぞ」

悪気なく話す想真。

「ほんとあんたって鈍いわよね!」

まったく、こいつは、女心が分からないわね!

「すまん・・・って、鈍い?」

想真がその言葉に引っかかる。

  あ・・・。

ガーベラの顔がまた赤くなる。

鈍い?まて、それって・・・。

今度こそピンときた想真。一緒に顔が赤くなる。

お互い目が合う。

  え、まじかよ。

ガーベラも珍しく目が泳いでいる。

ちょ、き、気づいたのかしら?

目をそらすガーベラ。

ガーベラのこんな姿、初めて見た・・・。

いつもどちらかというと気が強いイメージのガーベラがもじもじしている。

まじかよ。かわいいもんだな。

想真の顔がさらに赤くなる。

「鈍くてごめんな。俺、いつもお前を前にすると、いつもの感じになってどうアピールすればいいのかわかんなくなってさ」

ガーベラを見つめる想真。ガーベラは想真の視線をよけるかのように下を向く。

「そ、想真のせいじゃないわ。私も居心地が良くて、この関係を壊したくないっていうのもあったから」

ガーベラも正直に話す。

そう、このままでもいいのかなって最近は思ってた、でも・・・。

ガーベラはちらりと想真を見る。

「同じだな。結局俺もそう考えて、何もできないでいた。でも、やっぱりそれじゃだめだ」

想真は両手に力が入る。

「なぁ、ガーベラ」

優しく想真が呼ぶ。

「そう、ま?」

ガーベラがゆっくりと顔を上げる。

そして、ゆっくりと想真は口を開く。

そのころ、ちょうどゴンドラは頂点を過ぎたところだった。

あたりは霧がかかったように真っ白で良い雰囲気ではなかったが、今の二人にとってはどうでもよいことであった。


「いまごろ、うまくやってるかな?」

ゲームセンター横のベンチに座りながらトスカはずっとゴンドラを見上げていた。

「こっちも緊張してきた」

缶ジュースを飲み、霧の中に消えていくゴンドラを見送る。

まわりは同じような学生が楽しそうに行きかっている。カップルも多い。一緒に歩きながらクレープやポップコーンを食べている。どんよりとした天気だが、みんな楽しそうだ。

でも、二人もどってきたら、どうすっかな。

降りてきたとき、気まずい雰囲気かイチャイチャしているか。とはいえ、後者である確率が高い。

  邪魔者になりそうだな。でも、祝福してやりたいな。

二人が結ばれたことを想像すると、思わずニヤけてしまう。

面白そうなカップルだしな。

想真が尻に敷かれている場面を想像してしまう。

まぁ、とはいえ、だ・・・。

トスカの表情が固くなる。

  ほんと、こうなってほしかったな・・・。

缶ジュースを飲みほし、ベンチに置く。涙が頬をつたい、ベンチにこぼれ落ちる。

「なんで、あんなことになっちまったんだろな」

目を細めるトスカ。徐々に視界が暗くなっていく。

先ほどからひっきりなしにトスカの前を人が通り過ぎる。

「そう、それでさぁ―――」

女子高生の集団が楽しそうにしゃべりながらトスカの前を通り過ぎる。

「でしょ!?ありえないでしょ!」

女子高生たちがトスカが座っているベンチを何事もなく通り過ぎる。

ベンチには空き缶が一つと、数滴水で濡れた跡だけが残っていた。


――――――


「起立。礼」

放課後をつげるチャイムとともに、ホームルームが終わった。

「福原。ちょっといいか」

担任が私を呼ぶ。職員室まで来いとのことだ。覚悟はできていた。

職員室に行くと、先生が一枚の紙を見ながら、机に座っていた。

「先生。何か?」

先生は渋い顔をしている。何の話か大体予想はつく。

「お前、本当にここ受けるのか?」

紙を置き、指をさす先生。

そりゃそうよね。

指の先には大学名が一行だけ書かれている。

「はい。受けます」

さらに顔が渋くなる先生。それもそうだ、書かれている大学は到底受かりそうにないところだ。

「厳しいのは承知だろうな?」

先生は睨むかのような目つきで紙から私に向ける。

「承知しています。無謀だと思われても仕方ないと思っています」

でも、何を言われても、私の考えは変わらない。

「そうか」先生はまた紙に目を戻す。「だが、せめて滑り止めくらい受けたほうがいいんじゃないか?」

「その通りだと思います。ですが、滑り止めに受かっても結局行かないので、やめました」

先生は目を丸くしてこちらを見る。

「福原。そこまでここに行きたいとは、相当な覚悟があるんだな」

「無謀かと思うかもしれませんが、がんばります」

そう言うと、先生は唇に笑みを浮かべる。

「どうやら、本気のようだな。俺はお前が気が狂っちまったかと思ったよ」

私もつられて笑う。先生も笑うがすぐに真顔に戻る。そして、

「血のにじむような努力が必要だぞ。がんばれよ!」

声を張り、激励してくれた。

「はい!」

そう返事をして、職員室をあとにする。

教室に戻ると、私の机に寄りかかりながら恵理が待っていた。

「何か悪いことでもしたの?」

「うん。先生困らせてきた」

「悪い子ねー」

恵理が腰に手を当てて言う。

「ふふっ、いまさら気付いたの?」

そう冗談を言いつつ、机の中の物をかばんの中に入れる。

「さて、帰ろっか」

教室を出る。廊下にはまだちらほらと人がいる。帰る人を待っている人や、帰らずに友達と一緒にしゃべっている人。その中を横目に歩いていく。

「本当に直るのかしらね?」

ふと、恵理が言う。

「直る?」

「最近話題の上の校舎よ」

・・・あっ。

そう言われて気がついた。

「だ、だいぶ壊れてるから、時間はかかるかもね」

ふと、あの時の記憶がよみがえる。

あれから一週間すぎた。

校舎の東側と屋上は、現在立ち入り禁止。一夜にして何があったのか、学校は原因を調査中で、テレビも放送された。

みんな隕石の仕業だとか、ガス管が爆発しただとか、中には先日町で暴れたガーゴイルの仕業だとかいろいろと噂していたけど、少しずつではあるけど話題に出なくなってきた。

私としては、こうして今いられるのが不思議。あれは夢だったのでは、と今でも思う。

そう、ケンジの存在も。

「やっぱりガーゴイルのせいかしらー?」

恵理はこの話題になると興味津々で話す。

「いやいやガス管でしょ」

「ガス管だったら上の階だけですまないでしょ」

恵理は反論する。

「それもそうだけど。目撃者がいないのは不思議ね」

「そうなのよね。音で誰かが見に来ると思うのにね」

あんなに暴れまわったのに誰も目撃者がいなかったのは私としては助かった。

「まぁでも。近くに誰もいなくて良かったのかもね。もし、誰かいたら、ケガどころじゃすまなかっただろうし」

それだけは本当に良かった。人がいない時間ではあったが、万が一誰かいたら、どうなっていたことか。

「それはそうね」

そうして、学校を出る。もう春が近づいてきている。凍えるような寒さは消え、優しく暖かい風が体を包みこんでくれる。

カオスとの戦いの後、しばらく私は意識を失っていた。目が覚めると、まったく動かなかった体が何事もなかったかのように動いた。ボロボロだった体はなぜかかすり傷一つなく、傷跡も残っていなかった。もちろん翼もなかった。まるであの出来事は夢だったかのように。でも、この壊れた校舎を見ると、現実だったと認識させられる。

  ケンジ・・・。

あれからケンジの声も聞こえなくなった。何度心の中で名前を呼んでも、なにも返ってこない。

今までははっきりと声が聞こえたのに。もともと目に見えない存在だったからか、特に喪失感というものはない。でも、なんとなく心の中に穴かが開いていて、いつもより胸が冷たく感じられる。

  ほんと、胸の中に空洞が開いちゃったみたい・・・。

彼がどうなったかはわからない。ただ一つ考えられるのは、自分の命と引き換えにボロボロだった私の体を元通りにしてくれた。きっと彼ならそうする。そして彼はガーゴイル。死ぬことはない。またこの地球に帰って眠りに着いただけだと思う。

だからそう、きっとまた、会えるよね。

空を見上げる。

―――ああ、もちろんだ。

「!」

「虹、どうしたの?」

急に私が驚いた顔をしたから、恵理も驚いてしまった。

「な、なんでもないわ」

  ケンジ・・・なわけないか。

ケンジの気配はない。でも気のせいか、声がはっきりと聞こえた。

「ねぇ、虹。クレープ食べに行かない?」

恵理が目を輝かせて言う。

「行くに決まってるじゃない!」

そう言うと恵理は満面の笑みを浮かべ、

「行こー!」

恵理が走り出す。

「今日はあの店安いはず。きっと並んでいるから急がなきゃ!」

「うん!」

とはいえ走り出してから数分、恵理が音を上げる。その後は早歩きで店に向かう。

「あ、虹」

恵理が思い出したかのように言う。

「進路、決まったー?」

歩きながら聞く恵理。

「決まったけど、先生困ってたわ」

「ん、まさか、それで?」

恵理は足を止め、恐る恐る聞いてくる。

「そう。そのまさか。それで呼び出されたの」

恵理が心配そうな顔をする。

「進路先、なんて書いたの?」

「一つだけ書いたの。私、環境学部へ行きたいの」

「環境!?」恵理が驚く。「また、どうしたの!?」

驚くのも無理はないと思う。

「ちょっと興味が出てね。それで、やるなら思いっきり学びたいのよ」

そう言うと恵理は目を丸くして、

「やっぱり虹はしっかりしたものを持っているね」

感心している。

「とはいえ、環境学部ってほとんどないのよね。だからどこも倍率が高いみたい」

それだけが難点。先生が言った通り、そうとう努力しないといけない。

「大丈夫なの?」

恵理がまた心配そうに聞いてくる。

「今の自分じゃ無理だけど、絶対入って見せるわ!」

  必死に学んで、少しでも環境汚染を止めてやるんだから!

そう言うと、恵理に笑顔が戻った。

「その意気ならきっと大丈夫ね」

肩を落とす恵理。

「恵理よりも頭良くなってやるんだから」

恵理に挑戦状をたたきつける私。

「ふふっ、じゃあ私も負けないようにしなきゃね」

二人は笑い合い、そしてまた繁華街の中を駆け出した。

またケンジが目覚めたとき、少しでもきれいな地球を見せてあげたい。とはいえ、私一人では到底無理だと思う。でも、やってみなきゃわからない。最初は私一人でも、少しずつ少しずつ仲間が増えていけば、何かが変わっていくはず。そうすれば、ガーゴイルたちも少しは見直してくれるかもしれない。そう、ケンジが言っていたように。だから私もがんばらなきゃ。今度彼に会うときは、胸を張って会えるように。

夕焼け空。この地球上すべての生き物たちを暖かく見守るかのように赤く、そして優しく包みこんでいた。


――――――


あたり一面砂、砂、砂。広い広い砂漠のような場所。ビルが倒れ、その上に砂がかぶさっていて、砂丘を作っている。瓦礫は太陽の光を受けて、干からびたかのように色があせている。遠くの大地は前まで草が生い茂っていたのに、今は枯れて、砂に埋もれてきている。その近くに山があり、森林豊かな森があり、川が流れていた。しかし、今はもう森林も枯れはて、葉がほとんどない。そこには川があったが。川の水もチョロチョロと今にでも命が途切れてしまいそうな勢いだ。いつしか水はなくなってしまうであろう。

一人、その森の中腹にたたずむ女性。右手には杖をついている。たしか彼女の名はミラ。その左手には小さな手が握られている。まだ幼く、目がくりくりした男の子の姿がある。まだ5,6歳くらいだ。

ここから、小さな集落のようなものが見える。木造の小さな家が何十軒かあるが、半分以上は屋根がなかったり、半分つぶれていたりする。そこから少し離れた場所には、数えきれないほどの十字架が刺さっている場所がある。集落と同じくらいの広さだ。その奥のほうには大きな穴が開いており、この村の人たちと思われる人々が集まっている。十五人くらいか。穴の横には木でできた十字架がいくつも置かれている。

人々は皆、長い間手を合わせる。そして、半数の人たちがスコップで砂をかぶせていく。それを見ているうちの一人がひざまずく。

すると、一人また一人、砂をかけていた人も震えながらひざまずいていく。みんな、うつむいており、涙を流している。涙で砂漠を潤しているが、太陽はそれを許さず、すぐに水分を奪っていく。まるで涙を流すことも許されないかのように。

ミラもそれを見て、うつむく。地面に涙がこぼれ落ちる。それを見ていた子どもがミラのことを心配する。ミラはそれに対して、大丈夫と泣きながら答えるが、子供はずっと暗い表情のままだ。

ミラはごめんねと、子供の前に雨のように涙を降らしながら謝る。子供はなぜミラが謝るのかわからない。

子供の目の前には泣き崩れる母。十字架の前にうなだれる人たち。枯れ果てた大地。遠くを眺めても、ただただ砂だらけの光景が広がる。空虚で、殺風景な光景が。この先どうすればよいのか子供でも分かる。

子供は前の光景を見た後、こう口を開いた。


「なんで、こんなことになっちゃったの?」


ミラはその問いに心が痛む。だが、子供の掌をギュッと握り、こう答えた。


「                       」


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