第14話(最終話) いつかの春のために

 幸太郎が目を覚ますと、唯花は既にそこにはいなかった。

 

 辺りを見ても彼女はいない。だが、布団が動かされた形跡と部屋の扉が少しだけ開いているのを見つけた、幸太郎は立ち上がって部屋を出た。


 今何時かはわからない。だけど、もし今が昨日にとっての明日なのだとしたら、急がなければならない。


 足早に階段を下りると玄関の車いすは無くなっていた。代わりに三谷が待っていた。


 幸太郎は唯花の居場所を聞こうと口を開きかけた。だがそれより前に、


「唯花さんなら海に居ます。行ってあげてください」


 と言って、三谷は外を指さした。幸太郎は礼を言うと、彼女は深く頭を下げた。


「唯花さんのことよろしくお願いします」



 

 今日は快晴だった。それは海に着いても同じで、水平線まで水が澄んでいるように見えた。幸太郎は傷を押さえながら懸命に走って、以前唯花と一緒に来た海辺の塀を目指した。


 だが、そこに着くよりももっと手前の草原に、車いすに乗った唯花がいた。


 唯花は風に髪をなびかせながら、じっと海を見つめていた。


 幸太郎は、ゆっくりと歩いて唯花の隣に立った。


「おはよう」


「おはようございます。賭けは幸太郎君の勝ちですね」


「賭けなんてやってないぞ?」


「いいえ、昨日やりました。私が今日を迎えられるのかどうか。それであなたは出来ると言いました。だから、幸太郎君の勝ちです」


「そうか、ありがとう。それで、俺は何かもらえるのか?」


「そうですね。じゃあ、私が何でも幸太郎君の言うことを一つ聞く、なんて権利はどうでしょう」


「ほう、そりゃいいな」


「さあさあ、何でも言ってください」


「じゃあ、唯花が飲んだ薬の話をしよう」


 唯花は黙り込んでしまった。彼女は白けたような顔で幸太郎を見る。


「もしかして、それがお願いですか?」


「そうだ、だめか?」


「いや、だめじゃないですけど。でも、ねえ」


 唯花はため息をついた。


「ほんと幸太郎君は意気地なしですね」


「ああ、何とでも言え」


「まあ、いいです。それで、私、この前どこまで話しましたっけ」


「GLORIAについては、ベルトリエから聞いたよ」


「そうですか」


「俺が知りたいのは……」


「何ですか、もったいぶって」


「いや、聞くのは野暮かと思ってな」


「構いませんよ、幸太郎君のお願いですから」


「わかった、じゃあ聞くが。なんで唯花は自分が助かったのにGLORIAを飲んだんだ?」


「それは、あなたになるべく完全な私を見てほしかったからです。再会できたのに車いすだったら、遊びに行くにもなかなか行けないでしょう」


「でも、昨日は行けたじゃないか」


「そうですね。だからその意味で言えば、少々誤算がありました。

 でも、初めてあなたと出会ったときに私はしっかり歩けていたので、ちょっとだけ期待もありました。この姿なら気づいてくれるんじゃないかって」


「悪い、気づけなくて」


「いいですよ。今こうしてあなたと居られるんですから。結果オーライです。

 他には何かありますか? 何でもいいですよ」


「そうだな、じゃあ質問はこれで最後にする」


「はい」


「唯花は、なのか?」


 唐突の質問だった。だが、唯花は隠す様子もなく答えた。


「そうです、よくわかりましたね」


「まあな。これまでの話を振り返れば予想は出来なくもない。もしかして、GLORIAが使えたのか?」


「その通りです。でも勘違いしないでください。私の幸太郎君への気持ちや思い出は全て本物ですよ」


「わかってる。ただ、唯花も立派なエージェントだなと思っただけだ」


「でしょう。もっと褒めてください」


「そうだな。流石だ。俺の次にすごい」


「うわっ、なんだか腹立たしいですね。そこは「お前が一番だ」とか言ってくれればいいんですよ」


「いや、そこは譲らない」


「ほんと困った人です」


 二人は顔を見あうと、声を上げて笑った。


「もし、もしですよ? 私たちが結婚して、子どもが出来たとしたら、どんな子だと思います?」


「そうだな、きっと唯花に似て綺麗で優しい子になるんじゃないか」


「まあ、そうでしょうね」


「唯花も自信過剰だな」


「いやいや、幸太郎君が言ったんですからね?」


「ははっ、わかってるよ。でもそうだな、もしそんな未来があったら、また違った楽しさがあったのかもしれないな」


「そうですね、その意味では勿体ないことしたかなとも思います」


 草花が静かに音を立てている。この意地の悪い寒さも、あと少しで終わりなのだと思うと、何だか寂しく思えた。


 唯花は吐く息で手を温めた。


「本当に冬は寒いですね」


「そうだな」


「もう、そこは「温かいところに入ろうか?」とか優しい言葉をかけてくださいよ」


「でも、そんな時間もないだろう」


「ははっ、そうですね。でもそういうこと言っちゃうあたり、本当にデリカシーないですよね」


「それが俺だからな」


「少しは悪びれてください」


 二人はお互いの顔を見て笑った。


「ねえ、幸太郎君、私と出会ってからの1か月間はどうでしたか?」


「すごく楽しかったよ、人生で一番楽しかった」


「良かった、そう言ってもらえて嬉しいです」


「唯花はどうだった?」


「私も楽しかったです。そして何より、ほとんどずっと一緒に居られたこと、幸太郎君が隣を歩いてくれたこと、私を見てくれたこと、その全てが私にとって宝物で、幸せでした」


「ああ、俺もだよ」


 風が少しずつ強くなってくる。


 二人の時間が、終わりに近づいていた。


「あと、何か言い足りないこと、ありますか?」


「そうだな、俺が昔戦闘員だった時……」


「その話、長そうですね」


「大丈夫。短めにまとめる」


「なら、いいですけど」


「そう、それこそいつもUDUKIを飲んで戦ってさ、本当に飲むと気持ち悪くなるし、自分の中の衝動を抑えきれないし、つらかったんだ。

 だけど、いつもUDUKIを飲むと誰かの顔が見えるんだ。最初はぼやけてるんだけど、数飲んでいくうちにだんだんと鮮明になっていって、100粒目を飲んだときにようやくはっきりしたんだ」


「へえ……どんな顔してました?」


「無表情だったよ」


「何ですか、それ」


「本当だよ。それでな、その時は誰なのかわからなかったんだ。内なる自分ってこいつのことなのかとも思ったよ。だけど、江ノ島に行った日、唯花の話でわかった。あれは唯花の昔の姿だ」


 そこまで言うと、唯花は顔を赤らめて幸太郎を見ていた。


「……ヘンタイ」


「え?」


「幸太郎君はそうやってずっと私の幼少期を思い出して生活していたんですね。そんな趣味があったなんて……」


「おい、誤解だぞ」


 幸太郎が焦って弁解すると、最初は真面目に聞いていた唯花も、途中から口元を隠して笑っていた。


「わかってますよ。でも、そうやって私が幸太郎君の支えになれていたのなら、これ以上嬉しいことはありません。ありがとうございます」


「ああ、だから正直、唯花と会えたのは運命だと思ったよ」


「なっ、そうやって急に言うのやめてください。私だって心の準備はしたいんです」


「そうか、なら準備してくれ」


「え? ……え??」


 唯花は幸太郎の言葉にどぎまぎしてテンパっていたが、気を取り直して深呼吸を繰り返し、目を瞑って「どうぞ!」と言った。


 幸太郎は唯花の目線の高さに自分の目線を合わせ、正面から優しく唇を重ねた。顔を離すと既に目を開けていた唯花が耳まで真っ赤になって、幸太郎を見ている。


「俺は、唯花と出会って、この1か月、本当に幸せだった。戦うことしか知らなかった俺に、唯花は色々なことを教えてくれた。

 一つ残念なことがあるとしたら、俺が昔、唯花に会っていたのを忘れていたことだな。それを覚えていたら、もっと唯花のことを考えていられたのになって、今なら思う」


「幸太郎君、そういった可能性もあったかもしれませんが、私は今の幸太郎君だからいいんです。きっかけは昔、私をあの部屋から連れ出してくれたことかもしれませんけど、それも含めて今のあなたがいいから、一緒にいるんですよ」


「UDUKIで人格がひっくり返っていてもか?」


「はい、と言うかどちらも幸太郎君じゃないですか。私としては2人の幸太郎君を知ることが出来て、得した気分です。しかも、それで言ったら、今の幸太郎君はSAKURAを飲んで元の人格に戻っているはずです。だから何も問題はありません」


「え、何で俺がSAKURAを飲んだこと、知ってるんだ?」


「やっぱりそうだったんですね。だってほら、この間、思いっきり戦ってるじゃないですか。SAKURAの話をした時も知っている風だったし、幸太郎君だったら使っていてもおかしくないなって思っただけです」


「なんだ、そういうことか」


「はい、でも気を付けてくださいね。SAKURAは一度使うと、もう二度と使うことはできません。もし使ってしまったら、その名の通り、花びらみたいに自分の体が散ってしまいます」


「そうか、なら好都合だ」


「……そんな、だめです。あなたはもっと自分の命を大事にしてください。せっかく自由になれたのに、そんな簡単に命を投げるようなことしないでください」


「いや、それは違うよ。唯花、俺は君のおかげで幸せな時間を過ごすことが出来たんだ。毎日が楽しくて仕方なかったんだ。だから、唯花がいないならもうここに居る理由もない」


「だめです。貴方には、貴方を理解し支えてくれる人がいるはずです。昨日いたミナミさんだってそうです。

 貴方はもっともっと幸せになるべき人なんです。それだけ今まで頑張って来たんです。

 だったらもう、幸せになったっていいじゃないですか。何かに縛られなくたっていいじゃないですか」


「唯花、俺は君が好きだ。だから、これ以上生きながらえても、これ以上に幸せになれることなんてない。俺の人生は唯花のために使って死ぬ。そう決めた以上、俺は一歩も譲らない。それが俺なりに見つけた自由な生き方だ」


 唯花は涙があふれ出ていた。


「ずるいです。またそうやって不意打ちで。いいんですか? 本当に私なんかのために幸太郎君の一生を懸けてしまっても、いいんですか?」


「ああ、ずっと一緒だ」


「幸太郎君、貴方はひどい人です。いなくなる人間に、こんなに優しい言葉をかけて、そればかりか好きだなんて言って。そんなに言われたら私、死ぬに死ねないじゃないですか」


「なら生きてくれ、思う存分生きてくれ」


「知ってるでしょう。もう私も長くないんです。今にも崩れ落ちそうなんです。

 知ってますか? GLORIAを使った人間は時間が切れたら、灰のようになって崩れ去るんです。跡形もないんです。私はあと少しで消え去るんですよ」


「なら、俺も一緒に行く。昔の俺が唯花を連れ出して、今の唯花が俺を連れ出したのなら、今度は一緒に次に進もう」


 幸太郎は唯花を強く抱きしめた。二度と忘れないように、もう思い残すことがないように、唯花が次の人生はもっと幸せでいられるように。


 唯花も強く抱きしめた。幸太郎への感謝を込めて。幸太郎への精一杯の愛をこめて。幸太郎が次の人生では、戦いに身を焦がすことなく、幸せでいられるように。


「じゃあ、幸太郎君。最期に私のお願い聞いてくれますか?」


「ああ」


「あなたの持っているSAKURAを2つください。せめて灰じゃなく、貴方と同じ花で終わらせてください」


「……ああ」


 幸太郎は、ポケットからシートを取り出し、三粒押し出して二粒を唯花の小さな手のひらに載せた。そして自分も一粒押し出して自分の手に載せた。


「大好きです、幸太郎君」


「ああ、俺も、唯花が大好きだ」


 二人は、お互いを見つめあって笑い、手に載せたSAKURAを飲み込んだ。間もなく、強い風が吹いて、二人の体は桜の花びらのように、揺られて散った。




 ピンクに染まった桜の花びらが二枚、草原に残された車いすとSAKURAのシートの上に重なった。


 また風が吹いて、それらは海の方へと舞っていく。


 二枚の花びらはいつまでもそばを離れずに、やがて日の光の中へと消えていった。


                                                

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UZUKI 藤沢 志門 @SimonFujisawa

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