いやしのちから

こげ丸

僕の仕事

 雪がちらついていた。

 夕闇が迫る駅前のロータリーの横に座り、僕は空を見上げる。


「今夜は冷え込みそうだなぁ……」


 雪は積もるほどではないと思うけど、それでもしんしんと降る雪は街をほんのりと白く染めていく。


「さぁ、寒いけど今日もやりますか」


 僕は誰に言うでもなく一人そう呟くと、持ってきた鞄から小さな折り畳みの椅子を二つ取り出し、組み立てて並べる。


 一つは僕の分で、もう一つはお客さんの分だ。


 そして今度は、鞄から一枚の看板を取り出して横に立てかけた。


「でも、こんなに寒いとお客さんこないかなぁ?」


 僕は看板に書かれている文字が、通りに見えるように位置を調整して少しでも歩く人の目にとまるようにする。


 看板にはこう書いてある。


『あなた一人だけのために歌います。心温まる歌で癒されてみませんか?』


 あ、あと、小さく『お題はお気持ちだけ』とも書いてある。


 僕は大学の授業が無い日は、いつもここで歌を謳っていた。

 よく駅前で見かけるストリートミュージシャンみたいな上等なものじゃない。

 何か音楽で食べていこうと思っているわけでもない。


 でも……心を込めて歌を謳うんだ。


 たった一人の誰かのために。


 どうしてこんな事をしているのか。

 それには理由があった。


 信じて貰えないかもしれないけど、僕の歌にはほんの少し、本当にほんの少しなのだけど、人を癒す力があるんだ。


 でも、その力はとてもちいさくて……。


 だから誰か一人のために謳った時だけ、その力は現れるんだ。

 最初は、家族や仲の良い友人が落ち込んだ時とか、あと……今はいないけど、もうだいぶんいないけど、彼女のためにだとか、限られた僕の周りの親しい人のためだけに謳っていた。

 こんな力のこと誰かに言っても信じて貰えないし、たくさんの前で謳っても効果があるのは心をこめたその人一人だけだから……。


 でも……こんなささやかな力だけど、大学生になって多くの事を学び、色々な人に出会い、そして考え、悩んだりするようになった時、ふと思ったんだ。

 こんなちいさな力でも、僕の歌で癒され、少しでも心を軽くしてもらえるのなら、何か行動を起こすべきじゃないのかって……。


 だから、こんな事を始めたんだ。


 少し今までのことを振り返り考えこんでいると、一人のサラリーマン風のお兄さんから声を掛けられた。


「お。今日もいるじゃないか。こんな寒い日まで頑張ってるのかい?」


 その人の顔には見覚えがあった。

 先々週だったか、同じぐらいの時間にここで歌を謳った人だ。


 たしか仕事でちょっとしたミスをして落ち込んで歩いていた時に、たまたま僕のこの看板が目にとまり、気になって声をかけたとか言っていたはずだ。


「こんばんは。その後はどうですか? 今日も何か謳いましょうか?」


 僕が笑顔でそう返すと、


「いや。今は君のお陰で元気だから遠慮しておくよ。先日は……ありがとう。まぁでも、また仕事でミスして落ち込んだ時には、あの素敵な歌を頼もうかな」


 と言って感謝された。


「いやぁ、そう言われると、お兄さんに仕事でミスをして貰わないといけなくなるじゃないですか~」


「ははは。確かにそうだな。じゃぁ、あの時の歌の暖かさが消える頃に、また君を探させて貰うよ。今はまだ……ここに暖かいものが残っているからな」


 サラリーマン風のお兄さんは、そう言って胸をそっと押さえた。


「そうだ。君、良かったらこれを貰ってくれないか。さっきそこで買った所だから、まだ暖かいと思うよ」


 鞄から取り出して僕に差し出したものは……。


「ほっとこーひー? ですか?」


 ペットボトルのラベルには『BLACK COFFEE』と書かれていた。

 受け取ったホットコーヒーは、たしかにまだ十分温かい。


「君の歌で暖かいモノを貰ったからね。暖かいもの繋がりって事で、そのお返し。あっ、ブラックは飲めるかい?」


「はい! ブラックの方が好きです! ありがとうございます!」


 良い人だな……この歌を謳う活動を初めて良かった。


「じゃぁ、今日はもう行くよ。彼女と約束があるんだ」


 前言撤回……リア充め。


 でも、手の中から伝わるぬくもりが、なんだか僕の心まで温めてくれているようだ。

 少しずつ遠ざかるお兄さんの後ろ姿を眺めながら、僕は手の中のコーヒーの蓋を開けて、一口口に含んだ。


「この苦みはきっと人生の苦みだな……あぁ、僕も彼女欲しい……」


 そんな事を呟いていると、今度は一人のOL風の女性が近づいてきた。


「あの……その看板、前からちょっと気になってたんですけど……」


 長い髪を後ろで纏め、スーツに身を包んだその女性は、そう言って僕に声を掛けてきた。


「一人の人のためだけに歌を謳わせて貰っています。いかかですか?」


「は、はい。良かったら何か一曲聞かせて貰えませんか?」


 今日はついているかもしれない。こんな綺麗な人に歌を謳うのは初めてだ。


「はい。喜んで!」


 あ……ちょっと舞い上がって、まるで居酒屋の店員のような返事をしてしまった。


「え、えっと……どうぞ、その椅子に座ってください。あと、このブランケットもどうぞ」


 最近は冷え込んできたので、今日はお客さん用にブランケットを持ってきていたんだ。


「あ、ありがとうございます」


 その女性が席に着き、ブランケットをかけるのを待ってから僕は声を掛けた。


「それではこれから歌を謳うために、最近あった辛い事とか、何か疲れている事とか、具体的でなくてもいいので、教えて貰えませんか?」


 その女性は、まさかそのような質問をされるとは思っていなかったようで、少し驚いたような表情を見せた。


「え? 辛い事……ですか?」


「はい。具体的な事じゃなくても構いません。仕事でちょっとミスしたとか、上司に怒られてとか、最近寝付けないとか、ほんとに何でも」


 僕の歌の効果をあげるためには、心から歌に想いを込める必要がある。

 だから、僕はいつもそう尋ねるんだ。


 僕の説明を聞いても少し不思議そうな表情を浮かべてい女性だったけど、暫く迷ってから、それならばと口を開いてくれた。


「えっと、じゃぁ……実は私、転勤が決まっちゃって、この街を出ていかないといけなくなって……」


 やっぱり辛い事を尋ねると、仕事に関係する事をこたえる人が多いな。

 ちょっとそんな風に思いながら、僕は「わかりました」と言って準備に取り掛かった。


 と言っても、椅子から立ち上がっただけだ。


「え? 楽器とか音源とか使わないんですか?」


「はい。アカペラなんです。リクエストも受け付けられないんですけど、でも、絶対に後悔はさせないから……聴いて貰えませんか?」


 その女性はきっとストリートミュージシャンみたいなものを想像していたのだろう。


 だけど僕が真剣にそう話すと、


「はい。ぜひお願いします」


 と言って、少し微笑んでくれた。


 僕は、気持ちよくOKをしてくれたその事に「ありがとうございます」と感謝の言葉を伝えてから、徐々に集中を高めていく。


「では……謳います」


 冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、僕はありったけの想いを込めて……歌を謳い始めた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 きっと君はこの街に少なくない想い入れがあるのだろう。

 なんとなくだけど、僕にはわかるんだ。

 だから、君は悲しいのだと。


 でも、君の未来へと続く希望の道は、きっとどこにだって存在していて、だからその新しい街にいっても、君はその道を突き進んでいけるんだ。


 新しい街には、新しい出会いがいっぱいつまっているんだ。


 それはもう大きな箱に詰め込まれたプレゼントのように。


 だから、何も怖がることはない。

 だから、何も不安がる事は無い。


 ちょっとの勇気で最初の一歩を踏み出せばいいだけ。


 だから、新しい旅立ちの日を楽しみに、指折り数えて待つといい。

 きっとその方が、早く希望の道へとたどり着けるから。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 歌を謳い終わると、ほのかな光が宙を舞い、ちらつく雪と混じりあって霧散していくのがわずかに見えた。


 どうやら僕のちいさな癒しの力は、ちゃんと仕事をしてくれたようだ。


「お粗末様でした」


 そう言ってお道化て最後の挨拶をする。


 毎回、歌が終わったあとは何だか少し恥ずかしくて、いつも言う台詞だ。

 僕は恐る恐るその女性を見ると、椅子に座って僕の顔をぽかんとした表情で見上げていた。


「あれ……? あんまりでしたか?」


 反応がない事に少し不安になって思わずそう尋ねる。

 すると、その女性の頬に一筋の光がはしった。


「あれ!? ごめんなさい! なんかわからないけど、ごめんなさい!?」


 頬をつたった涙に慌てて僕が謝ると、そこでようやく我に返った女性が、髪を振り乱すような勢いで顔を左右に振って慌てて口を開いた。


「違います!!  違います!! す、凄い感動しちゃって!」


 そっちの涙だったのかと、僕はホッと胸を撫でおろす。


「よ、良かった~。何か失敗しちゃったかと、ちょっと心配しちゃいました」


 僕がそう言って苦笑すると、彼女は突然前のめりになって、


「ホントに凄かったです! なんだか胸がとっても暖かいもので包まれたみたいになって……うまく言葉に表せないけど、でも、感動して身動きが取れなかったんです!」


 そう力説してくれた。


 良かった……ちゃんと歌に込めた想いが届いてくれたみたいで。


「僕の歌。少しはお役に立てたみたいで良かったです」


「はい! 最近は転勤のことがずっと頭から離れなくて、なんだかずっと憂鬱だったんですけど、何かこう本当に暖かい歌を聴かせてもらって、少し前向きな気持ちになれた気がします。本当にありがとうございました!」


「いえいえ。お役に立てたようで、僕も嬉しいです」


 その後、少し他愛もない話をしてから、その女性は帰っていった。

 その足取りは、ここに訪れた時よりも少しだけ軽く、そして前を向いているように見えた。


「仕事するってやっぱり大変なんだなぁ……」


 僕はまだ大学生だから、それがどれぐらい大変かはわからない。

 でも、こうやって歌の活動を始めたことで、僕も頑張ろうと思えるようになった。


 天が授けてくれた、ちいさなちいさな癒しの力。

 僕はこれからも謳い続け、一人でも多くの人へ歌を贈ろう。


 きっとこれが、天が授けてくれた僕の仕事だから。

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