過去
棺のような黒塗りの車は、都市高速を走る。時刻は深夜一時を過ぎたところだ。高架の下。横。昔のSF映画に出てきたモニュメントのようなマンションが見える。その無機物のかたまりのなかには、それぞれの生活がある。埋め立て地に建てられた建築物の中では、それぞぞれの生活がある。竹越はこの道を通るたびにそのことを考える。するとそれは、目眩を伴った不快感に変化してゆく。
例えば一部屋に四人の人間(家族かそれに近い人びとだ)が住んでいたとする。十四階建て十五部屋の建物の中にその一人ひとりの人生ぎゅうぎゅうとつまっているのだ。その膨大な量と時間に目眩を覚えるのだ。赤ちゃんが産まれた部屋の前後では、年寄りが今際の際を迎えているかもしれない。記念日を祝う家族、今夜にでも夜逃げを画策している家族いるかもしれない。
会議は紛糾した。今回、竹越が企画した企画は、担当するクラスでコンペティションを行い、竹越がピックアップした生徒をある企画のタイアップに推薦する、というものだ。最初はスクールの有望なクリエイターの卵を発掘してチャンスの一助になれば、というところからスタートしたのである。ただシンプルに竹越の感性に引っかかった人間をピックアップしてバックアップする。それだけの企画だったし、もちろん外部にも漏れていないはずだった。
ところが鼻の効く人間はどこからでも湧いてくる。竹越に言わせれば、そのほとんどは夜盗やゴブリン、いわゆる狡猾で醜悪な存在にしか見えない。
しかし、竹越には少なくともそれに対抗しようとする青臭い精神は持っていたつもりだった。
それなのに。
「これはどういうことでしょう。ぼく個人の持ち出し企画だったはずなんですが」
定例の会議で竹越は副学長に詰問した。
「君がこのスクールを介さないのであればね。でも、君はこのスクールの一講師であり、このスクールの生徒に向けてコンペを行ったわけだ」
あたりまえだ、と竹越は思った。
竹越は、この専門学校を設立する時、理事の一人にならないか、と持ちかけられた。しかし、竹越は実利的なことには興味が無かった。いや、あえて避けていた。自分は単なる講師という関わり方を選択したのである。今までにもこんな事はあった。そのたびに理事にならなかったことを後悔したが、自分は音楽で口をのりしているという自尊心があった。あくまで講師は副業だ、という気持ちがあったのである。
しかし、キャリアを振り返ってみると、大した実績は残していない。メジャーシーンににヒット曲を送りこんだことは無い。所謂ミュージシャンズ・ミュージシャン。聞こえはいいが要するに自分はマニア受けなのだ。同業のミュージシャンや後輩は、こぞって竹越の仕事を褒めてくれ、リスペクトしてくれた。「人気取りに走らない、孤高のミュージシャンだ」と。今になってみると、そのおごりが理事を断った原因なのだろう。物事には潮目というものがある。それに少しでも乗ればよかったのかもしれない。竹越はそれをあえて逃したのだ。
それにしても魅力的な作品ばかりじゃないか。理事のひとりが言った。
「クリエイターは、おそらく君に似て個性的な人間なのだろうねぇ」
寺蜜陽介。
川村玲。
古川奏。
作風も違えば、見た目も年齢も違う三人だ。
「ええ、その通りです。というか、音楽で食べていこうって連中ですからね。まあそんなところです」
で、質問なのだが。理事のひとりが言った。
「この古川奏、という高校生だが、あの古川仁の娘だろう」
「古川をご存知なんですか」ラブラドールのような古川の笑顔がよぎった。音楽を愛しすぎたが故にメジャーになれなかった男。それが古川だ。自分と同世代なら知らぬものはいない。古川の鳴らすギターの音は何よりも彼自身の作品に忠実だった。
「当たり前だろう。その娘がなぜこのスクールにいるのかな」
そこで止めてください。竹越は自宅の数キロ手前でタクシーを止めた。
頭を冷やせ。クールになるんだ。
奏が凡庸であってくれたなら。古川と愛莉の才能を受け継いでいなければ。
空気は澄んでいた。月のクレーターまではっきりと見えるほどに。竹越はコンビニに入ると、煙草と百円ライターを買い求めた。紫の煙が月に吸われてゆく。
ひびき 龍斗 @led777
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