VSメリーさん

あーるし

VS メリーさん

「私メリーさん。今、あなたの後ろにいるの……」


 全国各地でメリーさんの怪談が流れ始めて幾数年、やがてそれが単なる作り話ではなく、フィジカルな物理的に襲ってくる怪異であると人々は確信した。


 見たことがない電話番号でかかってくる着信を取ってしまうと、メリーさんが家の近くまで来ていることを突然伝えてくる。その状態になったら終わりである。警察を呼ぼうにも特殊な力で発信できず、不思議な力で家のカギや窓は明かなくなり、いつの間にか彼女は背後にいるのである。


 諸星もろぼし区は国内の中でも異様にメリーさんとの遭遇率が高い地区だ。

 住民たちは皆、不用意に見知らぬ番号からの着信を取らないと決めている。

 地区内の配達業者も事前に電話番号を伝えており、初対面の人とは挨拶のように互いの電話番号を教えあうのが常識となっていた。


 同地区に住む佐伯さえき龍之介りゅうのすけもまた、対メリーさんに関する教育を受けながら育った諸星区民の一人だ。


「っつーわけで、今日俺の大切な……本当に大切な勉強会があるからな! 絶対に家に帰ってくるなよ!」

 龍之介は家族の面々に向かって大切な注意事項を伝えていた。

「龍ちゃん、いったい誰と勉強会するの?」

「ばっ……それはっ! えっと……あれだよ、学校の友達の……えりちゃんが一緒にしようって……」

 母親の質問にたどたどしく返事をする。

 そう、龍之介は今夜、デートなのだ。勉強会というのはテストが近いからそうなっているだけで、彼にとっては意中の相手と何とか取り付けた約束である。


 もちろんえりちゃんはただの勉強会だと思っているかもしれないが……。


「まあなんだ、龍之介も俺たちに会話を聞かれるのが恥ずかしいんだろう。別に直接家に上がり込むわけじゃないんだよな?」

 何となく気持ちを察した父親が尋ねる。

「ああ、そうだぜ。いわゆるオンラインデ……勉強会だ。電話とかビデオを繋ぎながら、軽く雑談を交えて勉強するんだ」

「ねー、わたしも参加したいー!!」

 妹のトラ子が間に入ってきたが、両親は龍之介の気持ちを察したのか彼女を下がらせた。

「若いって、こういう感じなのか……懐かしいな。俺も昔は……」

「あらやだお父さんったら……私も思い出しちゃうじゃない、あの日のこと……」

 二人は少々思い出に入り始めかけた。

「そういうのはいいから! とりあえず夜になったら外に食いにでも行けよ! 寿司でもすき焼きでも俺の分までな! 絶対2時間は帰ってくるんじゃねぇぞ!」

「はいはい、龍ちゃんの将来のためだもの。私たちは外で豪華に行きましょうか」

「ああそうだな……ところで龍之介、今晩俺たちが家を出るとお前は一人になってしまうわけだが……」

 父親が言葉に少々の鋭さが帯びる。


「ああ分かってるぜ。メリーさんの電話には出るな、だろ?」


 メリーさんは家の中に一人しかいないタイミングで襲ってくる。

 諸星区では日ごろから住民たちの自衛でメリーさんが来ない状況を保っているからか、一人きりになると相当の確率で謎の着信が来るらしい。


「俺は友人全員の電話番号をしっかり覚えてるからな。寝ぼけてても間違えねぇぜ?」

 その絶対的な自信を含む返事に、なら安心だな、と両親は頷いた。




 その夜……

「では母さんとトラ子と俺は、ホテルへカニを食いに行ってくる。そのまま泊まって朝まで帰ってこないかもしれん。龍之介もえりちゃんと仲良くするんだぞ! ……色々とな」

「ば……バッカやろう! まだそんなんじゃないぜ!」

 あっはっは、と笑いながら父親は窓を閉めると、三人を載せた車を走らせて去って行ってしまった。


 車が見えないところまで行くのを確認すると、龍之介は家の中へと戻った。

「さて、邪魔な家族はいなくなった……」

 龍之介は二階の自室に正座して待つ。

 目の前には普段から使っているちゃぶ台と、国語と英語の教科書。

 国語はそこそこ出来るが英語がからっきしの龍之介が、英語が得意で国語がそこそこ出来るえりちゃんに勉強を教えてもらうというのが今夜の構図だ。

「約束の時間はたしか午後8時だったはず」

 時計を見ると、もうあと5分くらいだった。


 ドキドキしている。鎮座する携帯を前にして、龍之介はいつでも着信を拾えるように、手に取る光景を何回もシミュレーションしていた。

 コールが一回鳴ったらすぐ取らないと、印象が悪いんだったか……?

 どこかで聞いたようなマナーの話を頭によぎらせる。


「……」


 静寂。


「……」


 いったいいつになったらかかるのだろう……


『てぃろてぃろてぃろてぃろ』

「……っ!!」


 龍之介はすぐに手を伸ばして携帯を掴み取る。

 指で通話開始ボタンを押す前に、学校で何度も訓練した着信番号確認を行う。

「5359****3424……えりちゃんだ!!!!」

 輝く指が光の速さで通話開始ボタンをスライドさせた。


「はい、もしもし佐伯さえきです!!!」

 張り上げるような大声が部屋に響く。


「……」


 えりちゃんの返事が来るまでの時間が、とても長く感じる

 

『……龍之介くん? こんばんは~私だよ~』

 それは紛れもないえりちゃんの声だった。

「あっ……こんばんは~」

 今日もえりちゃんはかわいいな……私だよ~って言われてもそれだけじゃ誰だかわかんないじゃんか……

 などと龍之介は先ほどの緊張を忘れ、始まった幸せタイムに身を完全に溶かしてしまった。


 流れるように雑談が始まる。今日の夜ごはんのこと、風呂はもう入っただの、休みの日はどこどこに行きたいだの……あっという間に時間が経過する気がしたので、龍之介は勉強を始めるように促した。


『じゃあ早速勉強しよっか~。私今日は頑張るよ! テストも近いしね!』

「うんー! 頑張ろうねー!!」

 通話越しには分からないから良かったものの、龍之介は壊れるような笑顔で普段は使わない声域を捻りだしている。

 本能なのか性格なのかは判別つかないが、この大切な時間を何とか完璧に乗り越えようと全神経を投じていた。


「何から始める? 国語? 英語?」

 ぱらぱらと本をめくりながら、龍之介は尋ねた。

『あれ? 数学からやるって話じゃなかった? 私ほら、文系だから全然数字とかだめで~』

「えっ!? あれ? そうだったっけ? おっかしいなー、数学の本を用意してたと思ったら国語と英語しかなかったよ……! ちょっと待っててね!」

 痛恨のミスである。えりちゃんとのデートを前に頭がおかしくなっていたのか、完全に記憶違いをしていた。


 龍之介は急いで立ち上がり、触りたくもない教科書の山を掻き漁る。特に数学などという目にするだけで吐き気を催す最悪の教科は、その山の一番底にあるであろう。

「どこだ……どこだ……!? ……あった!!」

 数学年分の教科書の中から、何とか今必要な教科書を見つけ出した。


 急いで戻らないとえりちゃんの好感度が下がってしまう。

 龍之介は飛びつくように携帯へジャンプした。

 しかし

「あれ!? 電話が切れてる……!? なんで! どうして!」

 通話終了、という文字がでかでかと表示されていた。

「もしかしてさっきの衝撃で間違えて切れちまったとか? もしくは俺が予定をはき違えたせいで愛想尽かされたってのか……? ちくしょう、なんてこった……」


 理由は分からないにせよ、教科を間違え相手を待たし、電話を突然切ったことで失った好感度に龍之介はショックを受ける。まだ始まっていない恋愛のスタートラインが後ろに下がった気がした。



『てぃろてぃろてぃろてぃろ』



 再び着信が鳴る。


「えりちゃんっ!!!!!!!」


 首の皮一枚つながった思いで龍之介は通話に出た。


「もしもし! えりちゃん! ごめんね急に切っちゃって!」










「えりちゃん?」











『……私、メリーさん。今、駅の近くにいるの』

















 背筋が凍り付いた。


 龍之介は初めてだった。

 メリーさんの声は同じ女の子の声なのに、先ほどのえりちゃんとは全く違う。

 冷たく、暗く、深く、何より怖い。

「あ……あはははは、えりちゃん冗談言ってるの? ごめんってば、本当に反省してるから……」


『……』

 電話の向こうから返事はない。


 龍之介は薄々気付いていた。先ほど自分を忘れ、何も確認せず通話を初めてしまったこと。相手がえりちゃんのような血の通った存在ではなさそうであるということ。

 本当の本当に冗談である、という一抹の希望を賭けて、龍之介は耳から携帯を離して電話番号を確認した。


「*************……ははは、聞いたこともない番号だ……」


 あまりの衝撃と展開の速さに涙もでない。

「……やっちゃったな」


 実感は遅れてやってくる。


「うわあああああああああああああああああああぁぁぁああああ!!!!!!!」

 龍之介は叫びながら、一心不乱に通話終了ボタンを連打する!

 ガチっガチっと爪が画面を叩く音がするだけだ。

「なんで! どうして反応しねぇえんだよ!!!」

 非情にも通話時間の数字だけが一秒ずつ経過していく。


『……私メリーさん、今交差点の近くにいるの』


 再び。錯乱する龍之介の耳にその声は否応なし届いた。


「っ!!!!!」

 携帯を全力で投げ捨てる。壁に向かって叩きつけられ、壊れるだろうと思ったが画面にはヒビ一つ入っていない。


 寒気に包まれる。冬でも何でもないのに空気が冷たい。


 勢いよく部屋の扉を開けると、龍之介は急いで下の階に降りた。

「どうするっ!? どうすればいいんだ!?」

 飛びつくように玄関の方へと向かう。

「早くっ! 早く逃げないと……!」

 学校で習った対メリーさんの対策は頭から抜け落ちている。メリーさんに補足された時点で屋外への脱出は不可能なのだ。

 玄関の扉に手をかける。施錠サムターンは回った。しかしドアノブを回してもガチャガチャと音を立てるだけで、一向に開く気配はない。


「出してくれ! 俺をここから出してくれよおぉおおおお」

 汗と涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃに、もはや龍之介の頭の中は消えかけている生きる希望への執着だけだ。



『私メリーさん、今青果店の前にいるの』


 無慈悲にも彼女の声がまた聞こえる。

 二階にあるはずなのに、まるで耳元で囁いているかのように鮮明に聞こえる。


「ああ……」

 龍之介はその場でへたり込んでしまった。

 もう終わりだ。家は駅前からおよそ1km、メリーさんは時速5.3kmで移動すると習ったから、おそらくあと5分もしないうちにくるだろう……

 龍之介は走馬灯のように、これまでの人生のことを思い出した。

 家族で寿司を食べに行ったこと、えりちゃんと初めて会ったこと、家族ですき焼きを食べに行ったこと、えりちゃんと二回目に会ったこと……


「……あっ」


 ふと思い出したのは、家族でメリーさんに備えるための家族会議の記憶だった。

「たしか親父が言ってたな……『我が家も万が一に備えてメリーさん対策をしている』って……」


 そうである、諸星区はメリーさんの多発地帯。そんな区の住人がこうして補足されたときの防衛策を用意していないはずがないのである。

 龍之介の脳内に、その記憶が鮮明に浮かび上がってきた。





 数分後……


『……私メリーさん、もうすぐあなたのお家に着くの』


 二階へと戻ってきた龍之介を前に、彼女の人間味のない声がスピーカーから鳴る。

「ああ、俺も会うのが楽しみだぜ、メリーさんよぉ……」

 先ほどまでの情けない顔とは違い、龍之介の表情は覚悟に溢れていた。


 メリーさんは、件数でいえば諸星区の殺人事件よりも発生件数が多い。実際に被害にあってしまった例もあるが、自衛が成功してメリーさんを撃退する例もかなりある。

 それは諸星区の政策の一環として配布されていた撃退キットのおかげであった。防災意識のあった龍之介たちの一家は、加えて民間の撃退商品も導入しており、その使い方を含めて以前に父親からレクチャーがなされていたのだ。


「もうすぐか……」

 先ほどのメリーさんの電話は、出現の30秒ほど前にかかってくると言われている。過去の経験から人類が学習した、歴史的知見の一つだ。


 電話は接続しっぱなしである。メリーさんの側からの着信であるが、なぜかこの電話代は被害者側に請求が来るという。

「10分の電話代、少し高いな……」




『……私メリーさん』


 来た……!


『今あなたの後ろに』


 そのときだった。





『「うぎゃぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」』


 電話口と背後、その両方から甲高い何かの悲鳴!!!

 龍之介は急いで振り返る。

 そこにいたのは白いワンピースと帽子をかぶった、髪の長い小学生くらいの少女だった。

 だがその足は、床一面に張り巡らされた防犯用トゲシートにぐっさりと貫通させられている。

「や……やったぜ!!!」

 そう、メリーさんの侵入は空間を超えてやってくるが、結局はターゲットの背後に一度降り立つ。

 泥棒の侵入経路に置く防犯グッズのように、龍之介の背後に置いた対メリーさんトゲシートは見事彼女の足を串刺しにした!


 しかし油断はできない。メリーさんが包丁を取り出すまでの猶予時間のうちに、龍之介は急いでその場所から離れる。

「よかった……! マニュアルの通りだ! あとは……」

 すでにメリーさんは動けない。足を貫通させられた状態で、足を持つメリーさんがまともに動けるわけがないのだ! 彼女の表情は痛みにもだえ苦しみながら、そのうえ近寄ることさえ出来ない歯がゆさに壮絶なものとなっている。


「き……清めの塩ぉ!!!!」

 ばばっと龍之介は対メリーさん用と但し書きされた袋から食塩を放つ。


『「うぎゃぁぁぁぁああああああああああ”あ”あ”あ”あ”ああ!!!!!」』


 先ほどと同じかそれ以上の叫び声が上がる。

 この世の終わりの断末魔

『「あ”あ”あ”あ”あ”ああぁ………!!!」』

 しかしやがて声は薄れていき、ついにはメリーさんの姿そのものも塩と一緒にかき消えていった。


 怪異なのに物理的にフィジカルで殺しにかかってくる怪物は、物理的にも霊的にも弱かったのだ。


 そして龍之介は対策キットの中から一枚の紙を取り出す。

「えっと……『はっはー、ざまーみやがれ、どうやら俺の筋肉には道具なしでは勝てなかったようだな。もし後ろを取られて刃物で襲われていたらやられていたかもしれないが、今回は違ったみたいで何とかなってよかったぜ』……っと」

 龍之介は半信半疑だが、これを読み上げて煽ることでメリーさんの残り香を騙すことができ、今回の防衛対策出現位置にトゲを置く方法が次回も有効になる、らしい。


 これでメリーさんの始末は完了となる。

 短くもはなはだしい緊張から解放された龍之介は、命が助かったことを心から安堵した。

「ふぅ……」






『てぃろてぃろてぃろ』


「うわぁっ!?」

 警戒していなかったせいで身体が跳ねる。

 だが今度は番号を確かめてから、龍之介は落ち着いて通話ボタンをスライドした。


『……もしもし、私メリーさん。今あなたのお家の前にいるの』

 その声に龍之介の顔がほころびる。


「もう、冗談はよしてよ。今度こそごめんね、えりちゃん」


 紛れもなく相手は人間えりちゃんだった。

『今度こそ?』

「ああ、いやこっちの話」

『そうなんだ? でも半分は冗談じゃないよ』

「……?」


 どういうことだろう、と数秒考え、はっと龍之介は部屋を飛び出した。

 階段を下りて、廊下を抜け、玄関へとたどり着く。

「……もしかして!」

 鍵を開けると、今度はちゃんとドアが開いた。




「……こんばんは~、なんてね!」


「ああ、えっと、こんばんは……」


 紛れもない、えりちゃんだ。

「どうしたの? 汗でぐっしょり濡れてるけど……」

「えっ!? こ……これね! 数学の教科書が全然見つからなくてさ~それで勢い余って本棚ひっくり返しちゃって……」

 諸星区ではメリーさんは身近な災害なので、本当のことを言っても特に疑われはしない。だが何となく、この時間をもうメリーさんに邪魔されたくないという気持ちが龍之介にあった。


「っていうかどうして俺の家に!?」

「今日、家族が家にいないんでしょ?」

 確かにそうであるが、そのことをえりちゃんに言った記憶が龍之介にはなかった。


「さっき龍之介くんのご家族が車でうちに来て、『今日は息子は家に一人だぞ』って伝えにきたの」

「あのクソおやじ……」

「で、通話中に突然ドタバタしだしたし、なんか電話もつながらなくなっちゃって……それで心配になって……」

「それで来てくれたんだね」

「……うん!」


 えりちゃんの全力の笑顔がとても眩しい。

 それを独り占め出来ているこの瞬間が、龍之介には最高の思い出となることは明らかだった。


 メリーさんに突然邪魔されて死にかけたけど、こういう顛末になるのであれば、必ずしも悪い出来事ではなかったな……と龍之介は思った。

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