寝落ち姫

八咫鑑

寝落ち姫



「リミットnから無限大の時に? Σシグマの上が12だから項数が12個あるってことで、Kイコール3だから、三つ目から始めればいいってことでしょ?だから、それを式に直すと……うーん、どう変化させるんだっけ?あー、積分難しいなぁ。」

 楓子ふうこは睨みすぎで痛む眉間を親指の腹で指圧し、「くはー。」と背もたれに寄り掛かった。卓上の電波時計は深夜1時24分を指している。楓子は『目指せ京大!キラキラJD!』と書かれた数学ノートの上にどさっと覆いかぶさり、重ねた前腕の腕に頭を乗っけた。

(はー、いっそもう寝ちゃおうかなぁ。どうせこんな時間に追い込んだって身につかないんだし。あー、歯磨き済ませといてよかった。トイレはー、まぁ大丈夫かぁ。ふぁーあ、眠た。あー、ベッド遠いなぁ……)


 ~*~*~*~*~*~


(……あッ、寝落ちしてた!まずいまずい!今何時だ!?)

 楓子はバッと起き上がり、卓上の電波時計を両手で鷲掴んで液晶を凝視した。


 深夜1時24分


「なーんだ、一分も経ってない、焦った~。」

 楓子は、んっと伸びをすると、開いたままになっていたノートをしばらくじーっと眺めた。そして、うん、と清々しい顔で頷くと、そそくさとノートを片した。

(さて、切り替え切り替え。こうなったらもう寝るっきゃないわ。トイレ行って寝ちゃお。)

 楓子は椅子から立ち上がると、机の電気を消し、ドアへ向かった。

(この時間だとママはまだ起きてるかもだなぁ。バレると面倒だし、足音立てないようにしないと。『何度寝する気だ!早く寝ないからスッと起きられないんだろ!』って毎朝怒るくせに、自分は遅い時間まで起きて……)



(ん……あれっ?あ、私また寝ちゃってた!?)

 楓子はガバッと体を起こすと、グワシッと電波時計を掴み取り、時間を確認した。


 深夜1時24分


「あれ?まだ24分なの?そんなことある?時計壊れちゃったかなぁ。」

 楓子は耳元で時計を振ったが、時計は電波のくせに、規則正しくカチコチと音を立てている。

「えーと、机の電気……はもう消してあるのか。ノート……あれ?ノートも片付いてるぞ?どういうこと?」

 時計を戻した机の電灯は既に消されており、楓子が隣にかけてあったリュックを開くと、そこには先まで使っていたはずの数学のノートがしまわれていた。

「おっかしいなぁ。寝落ちしちゃってたはずなんだけどな。寝ぼけてんのかなぁ。」

 楓子はそれ以上考えることを諦め、立ち上がった。


(ん、私今立ってなかったっけ?あれ?)

 気づけば楓子は、またしても机に突っ伏していた。ガバッと体を起こした楓子は、卓上の電波時計を見やった。


 深夜1時24分


「いや絶対そんなことないって!え?なにこれ?ループ?」

 楓子はゾッとして、思わず両の二の腕を激しくさすった。

(落ち着け、落ち着け私。そうだ!)

 楓子は付箋メモに「深夜1時24分、楓子」と書き、電波時計に張り付けた。

 それから急いで席を立つと、親の寝室に向かってダッシュした。

(間に合え、間に合え、間に合え!)

 楓子が親の寝室に入ると、楓子の父親と母親はぐっすりと、寝息を立てて寝ていた。父親のシーパップがシュコーッと空気を送り出す。

「ママ!パパ!ちょっと変なんだけど!起きて!ねぇったら!」

 楓子がいくら二人をゆすっても、どちらも起きる気配はない。

(まずい、起きない!このままだと……あぁ、はいはい、ちょっと慣れてきたわ。)

 楓子は突っ伏した状態から体を起こし、半ば悟った様子で時計を確認した。そのまま楓子は手を伸ばして、時計に貼られてあった「深夜1時24分、楓子」と書かれたメモを引っぺがした。時計の液晶部分があらわになる。


 深夜1時24分。


(時間は戻ってるけど、私がやったことは戻ってない。おかしいな。単純に時間が戻っているわけじゃなくて、時間自体は進んでいるってことか。でも時間が進んでいるなら、なんで何回起きても1時24分に戻ってるんだろ?もう一度ママとパパを起こしに……)

 楓子は脱兎のごとく椅子から跳びあがり、部屋から駆け出そうとしたが、ドアノブに手をかけたところで、思い直して立ち止まった。

(だめだ、今更行っても多分間に合わない。毎回寝落ち?しちゃった場所は違うけど、大体間隔は同じくらい。てことは、この疑似ループは一定の間隔で起こってるはず……ループはしてるけど、私が起こした変化は元には戻らないんだよね?)

 楓子は今度は上体を起こさず、突っ伏したまま顔を横に向けた。


 深夜1時24分


 楓子の目の前で、電波時計は非情にも時を刻んでいる。楓子はぼーっと時計を眺め続けた。電波時計特有のデジタル表示は、確実に一秒ごとに、そのイカ墨表示を変化させ、世の物理法則に従い、時を示す仕事をきっちりとこなしていた。

(どのタイミングでループするか見てやる。そうだ、このループ回、意地でも起きたまま、徹夜して朝を迎えられるか試す回にしよう。他にやることも無いし。いや……あるにはあるなやれること。そもそもループの間隔が短すぎて出来るかわからないけど。やってる途中でループすると状況が悪化するかもだけど、一か八か……う、んオーケー、やっぱ意思にかかわらず、強制的に伏せた状態に戻されるってわけね。)

 楓子は重ねた前腕に押し当てていた額を引きはがすと、急いで立ち上がって部屋を飛び出した。そのまま廊下のほうからドタバタ聞こえていた足音は、遠のいていくにつれだんだん小さくなり、消えた。そのまま訪れる静寂。何秒経っただろうか。家の隅の方から小さく、くぐもった音で「ジャージャジャジャジョロジョロジョロ~!」という人工的な水流音が鳴った。

(……あっぶなー、ギリ間に合った。そして、こっからが本題!)

 楓子はどんな起き上がりこぼしよりも早く上体を起こすと部屋を飛び出し、スウェットパンツを引っ張り上げつつ、イレ込んだ馬のようにドタバタ騒々しく両親の寝室に踏み入った。

「ママ!パパ!起きて!私面倒なことになってるの!あーもう、一分しかないから!パパごめんね!」

 いくら揺さぶっても不自然なほど目覚める気配のない両親に、楓子は強行策に打って出た。

 父親のシーパップを引っぺがした楓子は洋服ダンスによじ登ると、その脂肪を蓄えた腹めがけてムーンサルト・ボディプレスをお見舞いした。

「ン”ン”ェッフゥ!」っと父親は苦しそうにうめき声をあげた。が、一向に起きる様子はない。

 落ち方が悪く、横で寝ている母親の脛に思いっきり自身の脛をぶつけた楓子は、父親の腹の上で脛を抱えてのたうち回った。

(いった~い!お腹もだけど足いったーい!ベッドで衝撃吸収されたから打ち身で済んだけど、硬い地面だったら絶対折れてた!私もママも!あー、オーケー、痛みも引き継がれるのね。)

 楓子は机に突っ伏したまま、机の下に手をやって、ジンジンと痛む脛を優しく撫でた。楓子の眼に温かいものがあふれる。

(流石に怖い。ずっとループしてるし、親は起きない。足が痛い。外に出ても1分じゃどうにもならない。原因がわからない。怖い。ここまで頑張ってみたけど、流石に怖いよ、これは。足もめちゃくちゃ痛いし。どうしようもない。不安だ。惨めだ。)

 楓子は声にならない声を吐き出し、スンスンとすすり泣いた。滲んだ目で、うつ伏せ状態の隙間から漏れ指す部屋の明かりで仄暗く映る、机の表面をただ眺め泣く。そうして二回~三回程ループしただろうか。元カレが転校することになって別れ話を切り出された時くらい泣いた楓子は、いっそ吹っ切れた顔で上体を起こした。

「はー、泣いた泣いた。私は何をしているんだ。さっさと寝よう。」

 パッと立ち上がってクルッと振り返った楓子は、部屋の電灯のひもをダダッと二連続で引っ張って常夜灯に切り替えると、その動線のままベッドにダイブした。

「おやすみー。どうせもう30秒もすれば机だろうけど。」

(このまま私は永久にこの1時24分を繰り返すのかな。ループ物の映画だと大抵『主人公たちは頑張ったけど、永久にループの中に取り残されてしまいましたチャンチャン』ってオチなんだよなぁ。私もそういうことかぁ、やだなぁ。大体私が何をしたって言うんだ。夜遅くまで勉強して寝落ちしただけだぞ?それがこんな状況になるなんて。不憫だ。理不尽すぎる。夢であってくれ。どうか夢で……)

「楓子、いつまで寝てんの!早く起きなさい!」

(あー、ついには幻聴と来たか。いよいよ精神が錯乱してきたのかな。早くない?精神錯乱するの。あれか、気づいてないだけで、実はもう相当長いことループし続けてました、ってやつ。)

「ほら、いい加減起きなさいって!」

 楓子にかぶさっていた布団がガバリとはぐられた。

「え?え、え?実体!?」

 楓子が体を硬直させて身構え、ゆっくり目を開くと、いつもと変わらない自室の天井が見えた。足元に目をやると、母親が楓子の掛け布団を片しているところだった。

「もう、いつまで寝ぼけてんのよ。」

 母親は、思春期娘の整理整頓されているとは言い難い部屋で何かを踏んだのか「イタッ」と小さく悲鳴を上げ、痛そうに足をさすりつつ楓子の部屋を出て行った。体を起こしてそれを見ていた楓子は、母親の仕業であろう全開の窓から差し込む朝日に目を細め、ゆっくりと背中から布団に倒れこんだ。そして楓子は、夢の中であんなにもシリアスになっていたことを思い出し、おかしくなってケタケタと笑い声をあげた。

「なーんだ、夢だったか。そうかそうか。全部、寝落ちするっていう夢オチだったか。アハハハハ、アハハハハ、あーぁ、あー疲れた~。全然眠った気がしないや。」

 謎のループによる寝不足感、そしてループそのものから解放されたらしいことによる安堵も相まって、楓子はいつもの如く二度寝にいざなわれた。それは、甘い甘い二度寝の時間。永久に来ないかに思われた明日が突如としてやってきて、「昨夜は理不尽な時間をごめんよ」と、埋め合わせをするかのように楓子に与えたご褒美の時間。

「楓子、いつまで寝てんの!早く起きなさい!」

「えー。あともうちょっと。」

「あんたなに朝からウダってんのよ。今日お母さん足が痛くてね。お父さんも寝てる間にシーパップ外れてたみたいで、お腹も鈍痛がするーってうるさいからこの後病院連れて行かないといけないのよ。だからあんたくらいはさっさと支度して学校行ってちょうだい。」

 楓子はガバッと体を起こし、声を強張こわばらせた。

「え?あ、そうなの?うん。」

(え、どういうこと?あ、でもそうか、私の行動は引き継がれるんだったな。)

 楓子は布団の上で胡坐あぐらをかき、こめかみを指圧しての頭をフル回転させる。

(いやでもそれって夢の中の話だから、現実には起こってないはずというか、え?あの時だけ私起きてたとか?それか幽体離脱とか)

「楓子、いつまで寝てんの!早く起きなさい!」

 ピタッと思考と体の動きを硬直させた楓子は、ゆっくりとその瞼を開いた。その目線の先には、いつもと変わらない自室の天井が広がっている。それはいつも、。楓子はスッと両手で顔を覆った。

「あんたなに朝からウダってんのよ。今日お母さん足が痛くてね。お父さんも寝てる間にシーパップ外れてたみたいで、お腹も鈍痛がするーってうるさいからこの後病院連れて行かないといけないのよ。だからあんたくらいはさっさと支度して学校行ってちょうだい。」

「もうやだぁ~。」



Fin.



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