《水瀬由枝子さんの行方が分からなくなったと通報があったことが新たに分かりました。出版以降関係者とは一切連絡を絶っていたとの話もあり、現在も捜索が続いているようです。また、同居していた交際相手と見られる男性の行方も分からなくなっており、ネットでは『empty』​は春那 所以子の実話だったのでは無いかと──…》















​──ブチッ。音が途絶えた。



水曜日の昼下がり。テレビ画面を突然真っ暗にした女は、俺と一度目を合わせてフッと笑った。それから流れるままに目を逸らし、湯気を立てる珈琲を嗜んだ。一瞬の瞳が物語っていた。やったね、してやったよ私たち。その瞳が、確かに訴えていた。




俺と由枝子は、遠い遠い田舎の街に出ることにした。思うほど世界は優しくないが、世界を多く知らない街も確かにこの世には存在していた。


そこは緑が魅力的だった。空が青かった。夜は星がよく見えた。朝は小鳥のさえずりで目が覚めた。



俺たちは、旅に出た。



『empty』の話題は徐々にテレビや雑誌から遠のいていき、春那 所以子は幻となった。デビュー作で大賞受賞、その後消息不明。前代未聞の自由奔放な若手作家。SNSをやっていない由枝子の元に誹謗中傷や罵詈雑言は届くはずもない。


サエコとマヒロの物語は終わった。『empty』は最初で最後の傑作となった。春那 所以子はもう、文字を書かない。



「真秀も一緒に有名人になるなら、春那所以子も悪くなかったと思えるよ」

「うん、そっか」

「サエコがマヒロを好きだったこと。春那所以子が、『交際相手と見られる男性』を好きだったこと。真秀が、私の空虚な人生に現れてくれたこと。世界にそれが伝わるなら、もうなんでもいいかもしれない」

「うん。」

「真秀が本当にクズだったとしてもいいよ。私、真秀ならなんでも許せそう」

「それは複雑かも」



あはは、ごめんね。君が笑う。ニュースを見ていた時の無表情なんかじゃない。俺の知っている、柔らかい笑みだ。



「ねえ真秀、真秀と私の物語はさぁ」



彼女の双眸が、俺を捕らえる。




​──この物語は誰にも真似出来ないよ。死にかけの真秀を拾ったこと、真秀に一目惚れしたこと、一緒に印税の話をしたこと。 真秀との一瞬を全て文字にしておきたいと思えたことも全部、私たちの物語で奇跡なんだ。それにね、無職無一文って、肩書きだけ聞いたらだいぶ酷いけど、そうなった経緯がある。就職して沢山働いて苦しいことも沢山あってさぁ。心が死んじゃうまで頑張ったんだ。真秀が死ななくてよかった。あの時まで生きてくれたから私たちは出逢えたの。人は分かり合えないけど、真秀のことは分かってあげたかったんだ。自分よりやばい人を見て安心したかったって言ったけど、本当は違ったよ。一目惚れだったから、真秀から目が離せなかったの。ここでまた新しい日々が始まるよ。私は春那 所以子に助けて貰ったから、数年は真秀と生きる資金がある。ねえ真秀、私はね。




「君と生きれて、幸せだ」











〈完〉

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エンドロールは白紙のままで 七依茶子 @nanae_chaco

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