ボトルに願いを 

 どかっ……と並び隣の机にリュックが置かれ、スマホから顔を上げて見ると案の定だった。

「しずかにしろよ」

「平気だって」

 リョウが遅れて来るのも日常と化していて今更そこを咎めることはないが、俺までお仲間として見られることは許容できない。しかしリョウの言う通り、先生は学生の一人が遅刻して来ようが気に掛ける素振りなく滔滔とうとうとうとう講義を進めている。

「なあ、この前言ったアプリ〈ボトルメール〉入れた?」

「声がでかい」

 リョウはにやりと笑うだけで悪びれもせずに、心持ボリュームを下げて続ける。

「入れたんだろ?」

「入れたよ。でもあれ何にもなんないよ」

「そりゃ、この辺歩いているだけじゃ手に入んないよ。ちゃんと読んでないの?」

「ああいうの全部スキップしちゃうんだよね」

 リョウは仕方ねえなあとでも言うみたいに溜息ひとつ入れると、自慢げな口調に変わった。

「あのね、あのアプリは出されたボトルメールが世界中に均等にバラまかれるの。だから東京に居たんじゃ、こんな狭い土地にこれだけの人数が居るんだよ。そりゃとっくに他の誰かに拾われちゃってるって」

「でも、たくさんの人が出してりゃ一個ぐらい拾えてもおかしくないだろ。これあんま流行ってないんじゃない?」

「ばっか。もう利用者が世界で十億人超えたって。開始から一年足らずでこれって普通じゃないから」

「じゃあ何で一通も届かないんだよ?」

「だからあ、出されたボトルメールは漂って漂って世界中に、均等になるように流れ着くようになってるの。世界中だよ? 太平洋の洋上とかチベットの山奥とか、そういう所にも流れていくんだよ。地球に対して東京の面積なんか〇・〇〇〇一%、ほとんどゼロだよ」

「へー、詳しいじゃん」

「ばーか、こんなんネット見りゃイッパツよ。だからね、東京にじっとしていても、拾える確率なんてほとんどゼロなんだって」

「なんだよ、それ。だったらこんなアプリやってたってほとんど拾えないんじゃ意味ないじゃん」

「だから面白いんじゃんよ。考えてみ? 拾うだけでも奇跡。そのボトルメールはいつ、どこの誰が流したものなのかも分からない。そんなの絶対読みたいじゃん。中身気になるじゃん。ロマンスだよ、ロマンス」

 ひとしきり話し終えたと、満足な顔してこちらの反応を窺って来るのが鬱陶しい。だから俺の中にほんの小さないじわる心が燻って、

「ロマンスねー。ロマンスロマンスと二回首肯して。それじゃあ、そのロマンス君は、一体どれほどの“ロマンス!”に溢れた手紙を拾ったのでしょうかねえ?」

 俺の言葉を聞いたリョウは待ってましたとばかりに一層えみを作って、チッチッチッと立てた人差し指を振ってみせる。俺は虎穴に入れられてしまったようだ。

「残念だったな。昨日おとといと俺が旅行に行ってたのは知ってるよな? どうもその道中でボトルメールを拾っていたらしくて。それで手紙を読むと、送り主は北海道に暮らす女の子。しかも、なんと同い年。すごくない? 拾うだけでも奇跡、それが送り主は女子! いやー、びっくりしたね。『拾ってみたはいいけど書かれてあったのはアラビア語で読めなくてシュン』みたいなツイートとか結構あったから開けるまで半信半疑だったけどさ」

「それあれじゃない? なりすまし。実際はおっさんが書いてんだよ、絶対」

 リョウが再び顔の前に人差し指立て、チッチッチッと舌を鳴らしたものだから、

「それやめろ!」

 と思わずその手をはたいた。

「そこ! さっきからうるさいぞ」と、とうとう先生に怒られ俺は「すみません」と頭を下げた。隣で顔を伏せたリョウがくっくっくと笑いを堪えているのが無性に腹立たしい。

 講義が再開されると俺はリョウに耳打ちして二人して教室を出た。

「あーあ、年明け試験だぞ?」

「いいって別に。過去問あるし。それより続き」

 薄暗く寒い廊下であったが長話になる訳でもないだろうと先を急かす。

「ふん。ボトルメールにインスタとツイッターのアカウントも書いてあって。そこにDM送った。向こうも用心深い子らしくて、それで〈ボトルメール〉のスクショ送ったら信用してくれたみたいでさ。で、こっちもおじさん相手とかだったら嫌だからさ、だからこっちが指定した言葉を紙に書かせて、その紙と一緒に写った顔写真を送ってもらったの。そしたらその子ちょーカワイイんだよ。あっ、見る?」

 リョウがスマホを取り出そうとポケットに手を伸ばしかける。興味はあるが話の先があるようで気になるし、実際にかわいかったら癪だと、

「いいよ。つーかよくそんな方法、思い付くな。逆に感心するわ」と放った皮肉も、

「そーか? このくらい普通だろ?」

 今のこいつには通じないらしい。

「で、まあ俺も同じように向こうが指定した言葉と顔写真を送って」

 そこでチャイムが鳴り教室の中が俄かに騒がしくなる。

「それで、年明けこの子に会いに行くことになったから」

「はあ!? おい、試験は?」

「大丈夫だって。過去問あるんだろ。あとで送っといて」

「いや、でも。会いに行くって北海道だろ? それにその子信用できるの?」

「おいおい。〈ボトルメール〉が結んだ奇跡だからって嫉妬すんなよ」

 と俺の肩をたたき、終始笑顔で次の授業へと去って行った。


 年末年始は高知の実家に帰省した。道中機内や車内やらで、ボトルメールを拾いやしないかなと何度もアプリを開いて見たが、砂浜に白波が当たっては柔く砕けるアニメーションが続くだけで、ボトルは一向に姿を現すことはなかった。

「ちょっと。一年ぶりに帰って来たと思ったらスマホばっかり見て」

 と母から小言を貰ったのは正月特番を垂れ流すテレビの居間でのことだった。

 それほどスマホを気にするのには訳があった。実はリョウと話をしたあと、自分でも何通かボトルメールを出していた。



     初めまして、こんにちは。こんばんは。Good morning

    かも?なんてw僕は東京の大学に通う瀬嶋っていいます。

    ――云々。

     これ、僕のツイッターのアカウントです。

      https://twitter.com/○△□×

     P.S. 彼女募集中ですww



 こんな類の気障に気取った文面飾ったボトルメールを五通は出した。俺にも彼女を! と思ってしまったのだから、その少しばかりほんの少しだけ背伸びした自己紹介文も、今となっては仕方ない。これを出した夜は寝るまで確かに浮かれていた。目覚めても興奮冷めやらなかった。

 しかし翌朝――こんな時に限って遅刻をしない――リョウの不適に見える笑みから「ボトルメールやってる?」と聞かれ、心の臓がきゅうと音を立てて凋んだ。まさかリョウにあのメールを拾われたのかと思ったのだ。それはどうやら勘違いだったようだが、軽度のPTSDとして胸の内に刻まれることになった。

 どうかあのボトルメールはマリアナ海溝の底の底に沈んでいてくれ。南極のあと千年は溶けない氷河に守られていてくれ給え。いっそサハラ砂漠の銀河ギャラクシー蟻地獄の巣に落ち込んでくれまいか。のちにリョウに教えてもらった〈ボトルメール〉まとめサイトに書かれてあったのだが、アプリの仕様上、自分の流したボトルメールを自分で拾うこともできるらしい。あのボトルメールを拾う旅に出る冒険譚はまだ始まらない。

 それからというもの、自分の名前ではボトルメールを出していない。それでも流行している〈ボトルメール〉をやらないのも気が引けて、俺が日に決まって一通、多い日には十通ほど流しているボトルメールは次のようなものだ。



     初めまして、今日こんにちは。富幌慈慰トポロジーと言います。本名では

    ありません、筆名です。以下は私が初めて書いた小説で

    す。


             「白秋、晦日」


     …… …… …… …… …… …… …… ………

    … …… …… ……。…… …… ……。…… ……

    … …… …… …… …… …… ……。…… ……。

     …… …… …… …… …… ……。 …… …… 

    …… ……。…… ……。…… …… …… ……。…

    …… …… …… …… …… ……。……。…… …

    …………。

                         [つづく]



 〈ボトルメール〉で流せるのはテキストデータだけで、日本語だと三千字が制限だ。なので、まずは小説冒頭の三千字を四五日くり返し流し、続きの三千字が書き上がると今度はそれをまた四五日間ながした。昨日ようやく次の三千字を書き溜めることが出来たので、早速今朝からそれを三通流した。

 この三千字の制限から、異名を語って何か書こうと考えたとき、初めは小品ショートショートか詩にしようかと思案した。しかし、詩はどうも満足いくものが書けず、小品を書いても僅かに三千字から足が出た。切り詰めても良かったのだが、久しぶりに小説を書いてみると思いの外たのしく、いっそのこと思うように書いてやろうと思い至った。

 それでこんな具合に工夫なく三千字程度ずつに分けた小説を流している。中途だけを拾った人からすれば迷惑なことかもしれないが、申し訳ないがあまり気にしていない。そもそも誰かに届くとも限らないのだから、気負うて丁寧に三千字に収まる小品書いて流すのは馬鹿らしいじゃないか。

 そう割り切ったつもりで居てもやはり末路は気になる。誰かに届いてやしないか、その人の心に強く刺さってはいまいか。きっと俺は数分おきにツイッターで「白秋、晦日」と検索していたのだろう。加えて〈ボトルメール〉にどこからか手紙が流れ着いているかいないかをつくづく気にしていれば、母も小言を与えたくもなるものだ。無理もない。

「ちょっと出て来る」とソファを立った。

「出て来るって。三が日なんだからどこも開いてないよ」

 リビングを出ようとする背中に洗い物をしている母の声が当たっても振り向きもせずに、

「いいの。散歩。じゃ、行って来ます」

「気いつけてね。あったかくして行きなよ」

 母が言い終えない内に「はーい」と答えて扉を閉めた。


 実家から徒歩三十分ほどのところに、市の「緑の景観地」として保護されている小山がある。そこを目指して、年暮れに買ったお気に入りのヘッドホンをスマホに刺して、音楽喫しつつ歩いた。じきに「白秋、晦日」の続きを念入りに思慮つかまつりたくなって、音楽が小五月蠅く感じて止めて、ヘッドホンを首から下げた。カラ風が晒した耳朶に強烈に触れて痛くなってから、母の「あったかくして行きなよ」が改めて聞こえて来た気がする。

 小説を書くのは高校の時分、好きだった。だからボトルメールの「初めて」というのはちょっとした嘘だ。我ながら懲りないやつだ。文芸部の類は無かったが、小説サイトに幾作か投稿して楽しんでいた。大学デビューとともにやめたものの、そこに特段の理由もこだわりもなかった。投稿したどの小説も馴染みの読者以上に波及は起こらず停滞し、書きたい話もすぐに尽きたのが理由と言うことも出来るが、やはり受験勉強に伴う自然なフェードアウトと呼ぶべきだろう。

「緑の景観地」はその名に相応ふさわしいまでに朱夏の青さを、三割ほど残した冬枯れ魅せる茶色い景観をたくましく茂らせている。この地に足を踏み入れるのは随分久しぶりだった。小山には小川と呼ぶべきか小流せせらぎと呼ぶのが相応か、ほんとうに小さく弱い流れが短く下っていて、初夏になると蛍が見られることで有名だった。俺が蛍遊賞に来たのが小学生の頃だったから、かれこれ十年ぶりに入ることになった。

 小山には申し訳程度に整備された遊歩道がある。俺はスマホ取り出し〈ボトルメール〉の波打ち際を観察しながらそこを登った。こんな山に入る人など滅多に居ない訳で居ても爺さん婆さんであれば〈ボトルメール〉をやっていないだろうから、ここにボトルが流れ着いていれば、誰にも拾われていない確率が高いという寸法だ。

 小山にしては所々急斜面やら丸太階段が現れ、その頃には小説創作吟味どころでなくなっており、ヘッドホンを再び装着して音楽に鼓舞され野山と格闘した。童心に帰ったようで、寧ろ童心ごっこ遊びをしている気分でなかなか高揚する。

 息をきつき坂道じゃり道どんどん歩き、〈ボトルメール〉を観察するも岸辺にボトルは流れ着いていない。路の機嫌が凪のような穏やかさに変じ、ここらは裸の枝からむ木陰の中、勾配起伏のない平易な蛇行道に変わった。不案内な道でなければ一層スマホ睨みつつ歩く。

 と、白波に乗ったボトルが……三歩歩けば二歩下がるの要領で、押し出され……引き取られ……波に弄ばれ……砂浜に。あまりに静かにゲーム的なエフェクトなくボトルが流れ着いた。虚を突かれぽかんと足が止まる。

 同時に、画面視る視線の先にスニーカーが迫って来るのが分かり、

「あっ、ごめんなさい。すみません」

 と慌てて脇に避けた。

「すみません、こちらこそ」

 と、あちらも歩きスマホを謝る女性の声に聞き覚えがある。確かに知った声だが一体だれだろうとつい彼女の顔を凝視してしまうと、申し訳なさそうな表情から困惑へとグラデーション落として固まっていき、なおなお誰だかわからなくなる。だけれどどうにか思い出せた。

「あの……もしかして、内藤?」

「え? えっと」と内藤は答えても良いものかと言い淀む気色を表す。

「俺、瀬嶋! 中央北中学いっしょで、二年のとき同じクラスだった」

「あー! せっしー!? せっしーじゃん! こんなところで、奇遇だね」

「あー、ね。ほんと。びっくりした。内藤はここで何してんの? 帰省?」

「そ。せっしーも?」

「うん」

 なんだかふわふわする。当時の内藤とは当たり前に何かが違う。でも、何がどこがどのように変わっているのか、答えが出せない。

「会うのは卒業以来? 変わらないね」

「うん。内藤も、大人っぽくなったけど全然変わってない」

 そうだ。何かが変わっているけど、全然変わっていないんだ。懐かしい、久しぶり、知ってるという感情ばかりが刺激を受けて、躍如の活躍をする。自分の発した言葉に、はっと腑に落ちるなんて。なんだ、これ。なんだかうれしいぞ。

「まあね。ふふ。なんかへんなの。それで? 正月早々こんな山奥で何を見てたんでしょうか? 当ててあげよっか!? 〈ボトルメール〉でしょ!」

「ハハハ。あたり! 内藤も?」

「うん。でも空振り。田舎なら手に入るかなって思ったんだけどねー」

「俺いま拾ったよ!」

「うっそ! 先とられてるじゃん。中身は?」

「ううん、まだ見てない」

「見せて」

 と内藤が寄って来る。俺は内藤からも見やすいようにとスマホを体から離そうとしたが、首に掛けたヘッドホンのコードがコートに絡み、思うようにいかない。内藤はもたつく俺に構わずぴたりと隣に並び「早く」と急かす。

 画面のボトルをタップするとポーンとボトルが前面に近づき、栓が抜かれ巻かれた紙が出て来る。紙がひらひらとほどけて、



       【うらない】


      あなたの運勢は、大吉です! 

      おめでとうございます!! 仕事

     運、金運、恋愛運すべて良いでし

     ょう。勉学に励めば見合った成果

     が必ず付いて来ます。とくに恋愛

     運が良いです。気になる人が居る

     のなら、ぜひ夏祭りにでも誘いな

     さい。

           元住職の当たる占い



「夏祭りだって」

 と内藤の笑う声が耳さわる。

「何だよ、全然当たってないじゃん」

「ね。どんまい。そうだ! せっしー、もう初詣行った? 今から行こうよ!」

「いいね。あそこでしょ? 甘酒とか配ってる」

「そうそう。あそこの甘酒おいしいんだよね! それにいろいろ屋台も出てるじゃん」

「それ目当てかい」

 と笑い合いながら下る山道は、二人並んで歩くには少々狭かった。




























「そうだ。内藤はこれまでボトルメール拾ったことある?」

「ふふん。あるよ」

「どんなのだった?」

「うーん。なんかねえ、小説?」

「えッ!」

「わっ、急に大声ださないでよ」

「ごめんごめん。小説ってありなんだと思って。……どんなのだった?」

「それが英語でさ。でも私のところに辿り着いた訳だから、読まないのも失礼かなあと思って。辞書開いて読んだんだけど。なんかねー、よくわかんなかった。いや、内容は分かったんだけど、なに? これって面白いの? って感じ」

「そっか。うーん。……そういうものだよね」

「まあね。それが傑作とかだったらさ。拾い上げたのはこの私! って自慢になるけど」

「だね。うん。わかる気がする」

「ねえ。そういえばさ、せっしーって高校で小説書いてたんでしょ?」

「はぅ?」

「えりから聞いた。今でも書いてるの?」

「……」

「書いてるんだ! 見せて」

「いやだよ」

「いいじゃん。みせてって」

「だめだめ、だめだめ」

「みーせーてよー」

「だめだって」


 と、結局読ませた感想は「よくわかんないけど、拾ったやつよりは面白い」だった。


 [了]



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