心にタップ

rokumonsen

心にタップ

 Zoomで女子会をやっていた。

 東京で小さなタップダンス教室のインストラクター、詩織は、始まるちょっと前にもうみんなアラサーよね、と独りごち、ため息をついた。4年付き合った俳優志望の彼氏とは、つい先日、別れた。お互い、マンネリで、どちらから言うともなく、同棲を解消した。この1LDKの部屋には、まだ、彼の匂いが残っている。

 女子会は、6人で気乗りしなかったが、教室で多数を占めていた年配女性が新型コロナ感染を警戒して生徒は半減、教室の先行きは不透明だし、私生活の寂しさも重なって気晴らしがほしかった。そんなときに、高校のクラスメイト、Zoom主催者の美穂に声を掛けられた。参加者は、ふるさとの北の港町や東京だ。美穂は大学生のころにITで起業し、会社経営は右肩上がり、いまや年収二千万の社長だ。同じアラサーでも羽振りがいい。

 近況で盛り上がった。4人は結婚し、そのうちバツイチが一人。ずっと独身は詩織と美穂だけ。会が2時間を超えるころ、美穂は明らかに酔って、口調も傍若無人になっていた。もともと鼻っ柱の強い人間だったが、アルコールが入ると人を見下す。参加者の一人ひとりに、あんたの人生って何と問い質し始めた。

 そんな彼女の性格を百も承知のみんなは笑いながら、適当に受け答えしていたが、財務省のキャリアと結婚し、子ども二人に恵まれて、タワーマンションで幸せな家庭を披露した環に、美穂は痛烈に言い放った。

「あんたさあ、上級市民って恥さらしじゃないの。エリート官僚の専業主婦で、子ども、将来は東大に入れて、もう下級市民を見下した夫婦になるの?夫婦別姓のメリットとかデメリットなんかまともに考えたこと、あるの?どうなのよ!」

 自分を棚に上げて、この言い草だ。

 環は、ふるさとでも裕福な眼科の開業医の娘だったから、そんなことを言われても、動じない。静かに微笑んでいるだけだ。手にしたバカラの美しいワイングラスで、フランスの赤いボルドーワインが揺れている。詩織は分かっている。彼女は間違いなく酔っ払いの戯言と受け流している。

 突然、美穂の矛先は、詩織に向いた。

「あんたさ、タップダンスのインストラクターって、何なの?床、踏んでるだけじゃないの。猫踏んじゃったじゃあるまいし。何かさあ、社会のために、役立ってるのかい」

 美穂以外の全員が飲んでいる手を止めた。その眼はZoomを通して、あんた、言い過ぎだ、と非難している。余裕のある環と、アップアップの詩織じゃあ、状況が全然、違うと、みんな分かっている。

 ひと呼吸おいて、詩織は、無言の苦笑いで返した。

 美穂は畳みかける

「あんな金属のチップを靴底につけて、床、叩いて何が楽しくて、いくら稼げるっての。ユーチューバーでもやったら。そっちのほうが、金になるんじゃないの?」

「やめなさいよ。失礼よ」

 環がやんわりと諭した。

「上級市民に、言われたくない!詩織、はっきり答えなさいよ!」

 美穂の目は完全にすわっている。

 詩織はふつふつと怒りがたぎった。でも、声には出ない。夢を失いつつある、自分の心の奥を言い当てられている気がしたからだ。

「もう、お開き!」

 港町の漁協に勤めている一人が、画面を閉じた。じゃあ、わたしも、と次々と去った。

「女も男も酔っ払いは、嫌われるわ。自制心がないと困るわねえ。会社、やっていけるのかしら。持ちなれないお金が言わせてるのかしら」

 環が、強烈に皮肉って消えた。

 残ったのは詩織と美穂だ。

「会社経営の苦労なんて、税金泥棒の上級市民には分からないよ。弱肉強食なんだよ。カイサ~ン!」

 Zoomの女子会は終わった。

 しばらく、詩織は無機質なタブレットの画面を見つめた。始まる前から、こうなると何となく予想していた。ただ、美穂とは高校時代から仲がいい。口は悪いが、心根は優しい親しい友人だ。それでも、Zoomの向こうから、悪しざまにこき下ろされると、さすがに辛い。仲間の中で自分ひとりが不幸を背負った暗い気分だ。

 参加するんじゃなかった。詩織は心の中でつぶやいた。


 コロナが襲う1年前、教室は健康志向もあって大賑わいだった。朝10時から夜10時半まで、入門・基礎から初中上級の各コース1時間半、キッズの幼稚園児から80にもなるおばあちゃん、おじいちゃんまで楽しい、ときには汗だくの一日だった。

 若者を中心に生徒は戻ってきたが、ほとんど人がいないガランとした時間帯もある。でも、詩織には生涯の仕事に選んだタップダンスのインストラクターとしてのプライドがある。

 それが少し、萎えていた。コロナのせい?別れた彼氏のせい?

 いや、違う。詩織は分かっていた。秋には30歳になる自分の生き方に疑問を持ち始めているからだ。それを、美穂は別な形で、ずばりと切り込んできたのだ。

 詩織は中学生のときに、ビデオで観た1988年のアメリカ映画「タップ」がこの道に入るきっかけだ。広くもない薄暗いホールで、それまで杖をついていたジジイのサミー・デービスJrと、若い主人公のグレゴリー・ハインツが対で踊りまくる。

 タップシューズの高速の打音が耳に強烈に響いた。人間って、こんなに神がかった足技ができるの!黒人ばかりの年寄りが次から次と、タップシューズのつま先とかかとを自由自在に使い、床と共鳴して、魂を揺さぶる。

 国語教師の奥さんが元タップインストラクターというのも幸いした。教えを請い、高校を卒業後、東京で社会人となっている兄を頼り、上京した。外食チェーンのアルバイトをしながら、本格的にタップスクールで学び、先輩の紹介でインストラクターに採用された。それがいまの教室だ。

 同僚もコロナが終息せず、先が見えない状況に生活の不安を抱え、悩んでいる。ふるさとに帰り、職を探すのも選択だろう。漁業が不振で人口が急減する、あの港町に仕事があれば、だけど。もちろん、タップ教室を開くなど、夢だ。


 その朝、出勤した詩織は、いつも通り教室の入り口に消毒液をセットし、非接触型検温計をテストした。

「おはようございます」

 その声は遠藤さんだ。盲導犬のラブラドール・レトリバーと一緒だ。

「詩織先生、いますか」

「おはようございます!」

「あっ、先生、ご無沙汰してました」

「しばらくぶりですね」

「半年?」

「もう、そんな?」

「コロナで、家族が外出するなって、うるさくて。でも、身体が疼いちゃって」

 遠藤さんはケラケラと笑った。遠藤さんは、60を少し過ぎた快活な女性で、視力障碍者だ。2年前から、教室に通い始めた。でも、コロナで家族に止められた。

「先生、手の消毒、しなくちゃあ」

「遠藤さん、ここですよ」

 詩織は、肩に手を当て、消毒液に案内した。盲導犬の名前は知らない。敢えて聞かない。誰もが名前を呼ぶようになると、盲導犬が混乱すると、先輩から教えられた。詩織は、スタジオの隅に盲導犬用の青いマットを敷いた。盲導犬は、静かにその上に身体を横たえる。

「先生、久し振りで、ステップ、忘れちゃった」

「遠藤さん、大丈夫。ゆっくりしましょう」

「ほかの方は?」

「お二人、いますよ」

 スタジオには、まったく初心者の二十代の女性と、ときどき、顔を出す五十代の男性がいた。

「よろしく!」

 男性が朗らかにあいさつした。

「おはようございます!遠藤です。やっと、来ました。よろしくお願いします」

 遠藤さんは黒いタップシューズの右脚をゆっくりと前後に振った。よろめいた。詩織は咄嗟に、身体を支えた。

「遠藤さん、久しぶりだから、バーで練習しましょう」

「先生、お願いします」

 詩織は、スタンドのレッスンバーに遠藤さんを導いた。バーに片手を置くと、身体が安定する。

 三人の生徒を前に、詩織は簡単な準備体操をした。片脚で立ち、一方の脚を折り曲げて後ろに持ち上げる。10秒間、このままで。それを繰り返す。

「じゃあ、基本のシャッフルから始めましょう。遠藤さん、大丈夫?」

 シャッフルは、タープシューズのつま先で床を前に後ろに打つ。

「先生、もう久し振りで、うまく出来るかなあ。よろしくね」

 遠藤さんは明るい。盲導犬と一緒に、地下鉄で二つ駅を乗り換えて、この教室に来る。マスクは二重だ。内側に不織布マスク、外側に自分で作った四つ葉のクローバーをあしらった布マスク。詩織は思った。遠藤さんは、自宅からここまで、相当な決意で来たんだ。自分の指導を求めて。

 盲導犬は、じっと見守っている。身動きしない。双眸は慈愛に満ち、全身から発している温かいオーラが凄い。タップの打音は、同じ床にいる盲導犬にも伝わっているはずだ。どう感じているのだろう。遠藤さんの気持ちと盲導犬の身体にタップの打音は、どう響いているのだろう。詩織の想像力が刺激される。遠藤さんは生き生きしている。額に滲む汗が光る。

「遠藤さん、無理しないでね」

「全身の細胞が、叫んじゃって、止まりません」

 その場の全員が笑っていた。


 夜、時差8時間のバリのヴィクトール先生からメールが来た。先生は3年前、来日し指導してくれた。もう70歳を超える。コロナが猛威を振るい、先生の教室は閉鎖しているが、7歳の男の孫とアンサンブルでYouTubeにアップしたので、ぜひ、見てほしいとURLが添付してあった。

「詩織さん、この孫のためにも、コロナに負けず現役を続けますよ」

 短いメッセージが目に留まった。クリックした。祖父と孫は、息がピタリと合い、打音を掛け合いながら、楽しくタップを踏んでいた。

 就寝中、スマートフォンの着信音で起こされた。美穂だ。相手の時間なんか、構わない。

「寝てた?まあ、寝てる時間だよね。あのさ、頼みあるの。いいかな?」

「こんな時間に、なに?」

 自分でも少し驚いた。腹立たしい気持ちがこもっていた。

「嫌ならいいの。嫌なら」

「そんなつもりじゃないの…話して下さい」

「あのさ、うちの社員でふたり、タップダンスに興味があるって。それで、わたしも健康のためにエアロビクスやヨガより、いいかなあと思うの。三人で習いに行きたいけど、いいかなあ」

 詩織は驚きのあまり、返答できなかった。

「嫌ならいいのよ」

「そんなわけないじゃない。ちょっと、びっくりして」

「そうだよね、わたしがタップなんて想像できないもんなあ。ヘン?」

「まさか!大歓迎っ」

「そう、良かった」

「美穂、ありがとう」

「詩織、この間はごめんなさい」

「何が?」

「うん、謝りたかった。これですっきりした」

 やっぱり、彼女は自己中心だ。でも、それが美穂の持ち味だ。詩織はスマホを握って、苦笑した。

「丁寧に教えるね」

「サンキュー。じゃあ」


 どうっていうことのない一日が過ぎた。いや、詩織は少し自信を取り戻した。自分はひとりじゃない。こうやって、人と繋がっている。それだけで生きる意味がある。

 明日も元気にタップを踏めそうだ。             了

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