38.真実

 それから数日、ハーマンさんの協力の下、私たちは治療法の模索に励んでいた。

 そんなある日の夕方、特区の治療院からいつものようにアルベルトと馬車で帰宅すると、私の使わせてもらっている部屋のデスクに差出人のない一通の手紙が置かれていた。

 何の気なしに開けてみた瞬間、私は急いで部屋のドアを閉める。

 レオさんからだ。

 ついにアンリさんの治療薬が手に入ったという。

 待ち合わせは前回と同じく、中央図書館の閲覧室。

 私は今すぐにでも図書館に飛んで行きたかったが、アルベルトに何て説明しよう。

 ここで下手に全てを説明してしまってレオさんの機嫌を損ね、薬を分けてくれなくなるというのが一番恐い。

 図書館に行くだけなら不自然なことはないし、襲撃者もシュヴェールト商会が何とかしてくれてると信じてとにかく行ってみよう。

 私は手紙をビリビリに破き、暖炉に投げ入れると、部屋を出てリビングでくつろぐアルベルトに声を掛けた。


「アルベルト。急にごめんなさい。少し調べたいことがあるのでこれから図書館に行きたいんだけど、出掛けてもいい?」

「今からかい? もうじき閉館時間になるし、明日の朝、特区の治療院に行く前に寄ったらどうだい?」

「いえ、どうしても今日調べておきたくて。じゃなきゃ夜も眠れそうにないから」

「ははは、なるほど。分かった。では、行こうか」

「え? あの、すぐ終わるから一緒に来てくれなくても大丈夫ですよ。襲撃者もシュヴェールト商会のおかげか、あれから何事もないし」

「いやいや、その油断が命取りになる。すぐ終わるのなら、なおさら気にすることはない。私も適当に読書して待っているさ」

「あ、ありがとうございます、アルベルト。では、お願いします……」


 そうして私たちは再び馬車へと乗るのだった。

 まぁ、アルベルトも図書館に入ったら調べものをするという私にべったりくっついて地下の専門書庫までは行かないだろう。

 でも、何だか悪いことをしているようで申し訳なかった。

 傾く夕陽が図書館の真っ白な壁をオレンジ色に染める。

 入館手続きを済ませると、アルベルトが耳打ちする。


「私はこのあたりで適当に本を読んでいるから、終わったら声を掛けてくれ」


 私がうなずくと、アルベルトは微笑み、手近な書棚を眺め始めた。

 私はすぐさま螺旋階段を降り、指定された閲覧室のドアを指定されたリズムで叩く。

 すると、ガチャリと鍵の開く音が聞こえた。

 私がドアを開けると、そこには以前と同じようにフードを被った背の高い男性が立っていた。


「レオさん! ついに薬を手に入れたのですか?」


 挨拶も忘れてそう声を掛ける私に、レオさんはニカッと笑ってカバンから包みを取り出し、デスクに置く。

 そして、その包みをゆっくり解くと、中には薄い青色の小瓶が一つ現れた。


「遅くなって悪かった。ただ、運良く二つ手に入れることが出来たから、こいつは君のものだ」

「本当ですか!? ありがとうございます!! では、早速調べてみます」


 レオさんが笑顔のまま鷹揚にうなずく。

 私は小瓶のフタをそっと開けると、ポーチからシリンダーを取り出し、三分の一程をそれに注ぐ。

 そして、目をつぶり、ゆっくりと魔力を込める。

 シリンダーの魔法陣がまばゆい光を放つと同時に、レオさんのほぅという感嘆の声が耳に届く。

 そのままゆっくり魔力を込め続ける。

 深く、深く、ゆっくりと。

 目に見えない微細な、奥の奥まで。

 くまなく探り続ける。

 どれくらいの時間そうしていたか分からぬ程。

 そうしてようやく目を開ける。

 そこでレオさんと目を合わせて放った一言。

 それは。


「……何も、ありませんでした」


 レオさんが肩透かしを食らったようにガクッとよろけると、引きつった笑みで尋ねる。


「何もないというのはどういうことだ? これは正真正銘、私がアンリ・ルーベンスから購入した治療薬だぞ」


 私は黙って腕を組み、じっとアンリさんの治療薬をにらむように見つめながら考えていた。

 レオさんが何者なのか、信用に足る人物か不明だが、こうしてわざわざ密会までして治療薬の分析結果を聞こうとしているのだから、これがニセモノということは考え難い。

 そうであれば、間違いなくアンリさんから買ったと言っているのだから、これは本物の治療薬だということになる。

 その上で断言する。

 これは、ブドウ果汁が少量含まれているだけの、ただの水だ。

 ニンドウはおろか、薬効成分の一つもない、少しブドウの果汁が入ったただの水。

 シリンダーの下半分には抽出されるべきものが何も出ておらず、上半分に注いだ治療薬が残ったままだ。

 全く理解出来なかった。

 なぜ、こんな水で頭痛が治まる?

 なぜ、こんな水でディスガッツ病が治る?


「……すみません。まだ何の整理も出来ていないのですが、この治療薬を分析した結果、これはただの水だということが分かりました。申し訳程度にブドウの果汁が入っていますが、何の薬効もありません。恐らく、若干の色や香り付けだと思われます」

「何だと!?」


 私が事実を告げた瞬間、レオさんが私の肩を思い切り掴む。


「それは本当だな!? 神に誓ってか?」

「え、ええ。癒やしの女神ケレに誓って」

「……奴ら、何か隠していると思ったがそういうことか」


 レオさんがぶつぶつと言いながら、私の肩から手を離す。


「だが、あれだけの患者を治療してるんだ。ただの水でどうやって」

「それが分からないんです。でも、これが水であることは紛れもない真実です。レオさんが私を試そうとしているのでなければ……」

「私だって暇ではない。病気でもない私の部下に取りに行かせたが、仮病だとバレて失敗して、苦労したんだ」

「そうなんですね。ただお金を払って買うだけではダメだったんですね」

「ああ。適当に体調が悪いと言っておけばくれると思ったのだが、部下が頭もお腹も痛いとテキトーなことを言ったのでアンリ・ルーベンスに怪しまれて治療薬は買えなかったそうだ」

「では、その部下の方は何の処置もなく門前払いされたのですか!?」

「いや、他の治療師に回されて当たり障りのない治癒魔法と頭痛と胃痛に効く薬をもらって戻ってきたよ」


 私はそこで、むむと再び腕を組む。

 教区の治療院の実態が少しずつ明らかになってきた。

 この治療薬はアンリさんがじっくりと患者を診察し、何らかの基準によって処方されている。

 そして、ふさわしくないと判断された患者は他の治療師に回され、そこで治療を受ける。

 なぜ、アンリさんは通常の治療は行わないのだ?

 そんな時間も惜しいから?


「そうでしたら、この治療薬はどのように手に入れたのですか? その時の様子を具体的に教えて頂けませんか?」

「うん? これを手に入れた時は、前回の失敗を教訓に、別の部下にきっちりと病気の設定を打ち合わせしてから治療院に行かせた。病気と言ってもあまり具体的にし過ぎては症状が出ていないことでバレてしまう恐れがあったから、ひどい頭痛に悩まされているということにしたんだが。それで、アンリの診察を受けるとそれはもう長い問診だったと言っていたな。具体的な症状はもちろんのこと、最近、嫌なことや腹が立ったことはあったかとか、家族や職場の人間関係はどうだとか、仕事は上手くいっているか、夜は眠れているか等々、教会の懺悔室かと思う程、心の声を吐露して悩みをぶちまけたくなるような印象だったようだよ。部下は嘘を吐き続けるのが非常に辛かったと言っていたが、これが仕事ではなく正直に本心をさらけ出せる立場だったらどんなに気持ち良かったかとも言っていたな」


 教会の懺悔室か。

 そう言えば、アンリさんは聖職者を継がず治療師の世界に入ったと漏らしていたから、お父さんの影響があるのかもしれない。


「それで治癒魔法を掛けられ、この治療薬を処方されて戻られたのですか」

「そう……あ、いや、治癒魔法は掛けられたそうだが、確かこの治療薬にも治癒魔法を掛けていたとか言っていたな」

「何ですか、それ!?」

「冗談だと思って聞き流していたが、今思い返すと笑えるな」


 レオさんはハハッとダンディな低い笑い声を出していたが、私は笑えなかった。

 治療薬に治癒魔法?

 まるで司祭が祝福する聖水ではないか。

 当然、薬に治癒魔法を掛けたところで何の効果もないことは周知の事実。

 ただし、治療師にとっては、だ。

 では、一般の市民がそれを見た時、一体どう思うだろうか。

 しかも、あの由緒正しき侯爵家のアンリ・ルーベンスがしかつめらしく行っているのだ。

 それが、たとえただの水だったとしても。


「もしかして……」


 そこで私は一つの結論に達する。

 あくまで憶測でしかないが、でも、これしか考えられない。

 だが、そうだとすると私の想像を遥かに超えるくらい、協会の闇は深淵まで続いている。

 アンリさん含め、協会の上層部は当然この治療薬の秘密を知っている。

 それを知った上で、一定の効果が見られることから容認しているのだ。

 そして多大な利益を上げている。

 それを奪うような形で私はディスガッツ病の治療法を発表することになるのだ。

 どんな方法であれ、ただの水より材料費が高くなることは間違いないのだから。

 そう考えた瞬間、私の背筋にぞくりと悪寒が走る。

 私はいずれにせよ消されるのではないか?


「どうした? 顔色が優れないようだが」


 レオさんが心配そうに私の顔を覗き込む。


「い、いえ、ただ、このような秘密を知ってしまったことが恐ろしくて……」

「なんだ! そんなことか!」


 あけすけにそんな言葉を放つと、レオさんは朗らかに笑っていた。

 そんな様子に私はいらつきを覚える。

 引いていた血の気が戻ってくるのを感じる。


「あなたの目的は何か知りませんが、私にとっては死活問題なんです! 組織ぐるみの暗部を暴いてしまったんですから、どんな制裁を受けるか分からないんですよ!」

「そうかそうか。では、ついでに君に良い情報を教えよう。どうやら治療師協会は次の祝祭日に、公開治療をもってこの治療薬の承認を行うそうだよ」


 最悪だ。

 何が良い情報だ。

 公式に承認されることとなれば、なおさら私のように秘密を知った者を疎ましく思うはずだ。


「そんな……。これが承認されたら、もう……」

「おしまいだな」


 残酷な言葉を無遠慮にぶつけてくるレオさん。

 どうせ終わるのだったら、こいつを一発くらい殴ってやりたい。

 そう思い、拳を握ってレオさんを睨みつけた時だった。


「これで治療師協会もおしまいだ」


 そう言ってレオさんはせせら笑っているではないか。

 治療師……協会?

 きょとんとする私にレオさんが意地悪っぽく笑って続ける。


「だって、そうは思わないか? 君の分析が正しければ、これはただの水なんだろう? それを欲の皮の突っ張った治療師協会の連中が、目先の儲け目当てに承認してしまう。とんだお笑いじゃないか。それに、秘密、秘密と君は言うが、いずれこれがただの水だということは遅かれ早かれ誰かが気付く。今はまだあまり世に出回らず、手に入る数も限定的だ。だからこそ秘密は保たれ、それに価値があるように思われているが、それを公式に承認してしまうなど、自らその秘密を暴露しているようなものじゃないか」


 固く握っていたはずの拳がだらりと垂れる。

 それはレオさんの言う通りだ。

 この治療薬がただの水だということは、このシリンダーを扱える治療師だったら誰でも分かる。

 その事実を上層部だけで握り潰していたはずなのに、承認してしまっては多くの治療師の知るところとなる。


「なぜ治療師協会はそんなことを? 私のように秘密を知って、その事実を公表したら戦線送りにされますよ」

「だったら公表しなければいい」


 そこで私はハッと気付く。

 詳しい仕組みは分からないが、症状が良くなる効果はある。

 少なくともただの水である以上、何ら害はない。

 そして莫大な利益が得られる。

 そこで働く治療師にとっても当然、報酬という形で返ってくる。

 これだけのエサを前に、制裁覚悟で公表する治療師が果たしてどれだけいるだろうか。

 ただ、少なくとも一人はいる。

 再び拳が固く握られる。


「……公表しなければいい? ただの水をバカみたいな値段で売っているというのに? そんなやり方、私は許せません!!」


 それを見たレオさんが心底楽しそうにニヤリと微笑む。


「大分顔色が良くなったじゃないか」

「どうせ殺されるならとことんやってやりますよ! 後悔して死ぬくらいなら、一矢報いて笑って死んでやります!!」

「ハハハハハ!! 素晴らしい! では、その公開治療に殴り込んでやろうじゃないか! そこで行われるのはディスガッツ病の患者の治療だ。君は今、その治療法を見つけているところなんだろう?」


 どこまで知っているんだこの人は。

 私は力強くうなずく。


「では、決まりだ。ああ、君がこの治療薬の秘密を暴露する役を負わなくてもいい。あくまでディスガッツ病の治療だけだ。そうすれば、君に責任が及ぶことはないだろう」

「レオさん……。ありがとうございます!!」

「頼んだよ。当日にまた会おう」


 そう言うとレオさんはフードを被り、閲覧室を颯爽と出るのだった。

 聖戦の日は決まった。

 レオさんはああ言ってくれたが、これは治療師である私の問題だ。

 私の生きる場所は私自身が切り拓く。

 不平不満を垂れ流しながらゆっくり死んでいくくらいなら、一瞬でも輝いて前のめりに死んでやる。

 アンリ・ルーベンス。

 申し訳ありませんが、私はあなたと刺し違えます。

 今の私の瞳は、セルジュの赤眼のように、沈む夕陽のように、真っ赤に燃えていることだろう。

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ウソ!? 私の年収低すぎ? 〜辺境に左遷された治療師奮闘記〜 @takenoko2

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