第13話 エピローグ【完】






 ロイは暗闇の中にいた。ここがどこかも分からない。だけどきっと、すぐに終わる。

 ロイはもうすぐ自分の命が絶えることを知っていた。


 どこか遠くで自分を呼ぶ声がする。愛おしい声だ。ロイはその声に耳を澄ませて彼女の名前を呼んだ。

 するとそれに応えるように、唇に熱を感じた。

 その熱は身体中を巡り、不思議と全ての痛みを和らげた。そして暗闇だった目の前が、徐々に色付いた世界に戻っていく……。

 そこでロイは目を覚ました。




『俺は……生きてる……のか』


 ロイは自分の身体が動く事を確認しながらそう呟いた。致命傷を負ったはずなのに傷一つない。不思議に思って身体を起こすと、そこには信じられない光景が広がっていた。


『ダリア!! なんでこんな所にいるんだ!』


 自分の隣で倒れていたダリアを発見し、ロイは取り乱した。ダリアの身体は氷のように冷たく、呼吸も既に止まっていた。ロイは血の気が引いていくのを感じた。


『何があったんだ』


 ロイは混乱していた。

 すると、どこかで聞いたことのある老人の声がした。


『目覚めたか、死神よ』


 血走った目をしたロイの前には、真っ白な服を身に纏った老人が立っていた。

 ロイは一瞬にしてこの老人が“人ではない”ことに気付いた。そして怒りに任せてその老人の胸ぐらを掴んだ。


『おいジジイ、一体こいつに何したんだよ!』


 首を締めかねないほどの強さで、ロイは老人に迫った。

 しかし老人は表情一つ変えない。


『その娘がそうなったのは、お前に接吻したからじゃ』


『何だと?』


『その娘がそう望んだ。だからお前は死神に戻れたのだ』


 老人は淡々とそう言った。

 ロイは膝から崩れ落ちた。そして頭の中が真っ白になった。

 

 ダリア、お前はどこまで馬鹿なんだ。

 お前にはこの先もっと幸せな未来があったじゃないか。お前を愛してくれる人間だっていた。それなのに、全部捨てたのか? 俺を生かすために? なんて余計なことをしてくれたんだ。

 

『なあ、冗談だって言ってくれよ。頼む。なんとか言ってくれ……』


 ……俺は、お前に死んで欲しくなんてなかったのに。


 消え入りそうな声で、ロイはそう呟いた。そしてダリアの亡骸を抱え、静かに涙を流した。







『ほう、死神も涙を流せるのじゃな』


 老人が感心した様子でそう言うと、ロイはあからさまに顔を歪めた。


『お前、その格好ナリは天使だろう。不愉快だ。今すぐ俺の前から消えてくれ』


 ロイはダリアを抱えたまま、老人に殺気を含んだ目を向けた。

 しかし老人は動じず話し続けた。


『ワシら天使にも仕事があるんじゃ。心優しき者を災いから守り、寿命を全うさせるという仕事がな』


『……黙れ。今は誰とも話したくないんだ』


 ロイはそう冷たく言い捨てた。

 天使など知ったことか。ダリアはもう自分に笑いかけることもない。全て終わってしまった。ロイはこの状況に絶望していた。

 しかし老人はそんなロイの態度を気に留めてなどいなかった。


『まあ聞け、死神よ。ワシもその娘に目をつけておったのだ』


 老人のまわりくどい言い草に、ロイは苛つきながらも言葉を返した。


『……何が言いたい?』


『分からんのか? ワシもその娘を気に入っとったのじゃ。そして残念ながら、お前にも恩がある』


『だから何の話だ?』


 ロイがそう返すと、老人は光を放って姿を変えた。

 その姿は、ボロボロの服を着た垢だらけの浮浪者だ。先ほどの威厳ある老人とはまるで別人だが、こちらは見覚えはある。


『……お前、あの時のジジイか』


 それは一年前にダリアが病院に連れて行った老人だった。あの老人は実は姿を変えた天使だったのだ。


「死神のくせに今まで気付かんとは、なんと未熟な。だがそんな事はどうでもよい。とにかく、その娘を助けてやろう」


『っ……そんな事ができるのか?!』


 ロイは必死の形相で再び迫ると、老人は静かに頷いた。


「あの子の魂はまだあの世に辿り着いておらん。今ならばワシが引き戻せる。ただ、お前はその分の対価を払わなければならんが……それでも構わぬか?」


『対価ならなんでも持っていけばいい! だから早く……! 早くダリアを助けてくれ』


 ロイは掠れた声で、老人に懇願した。


「……よかろう。ならば、対価にお前の死神としての“全て”を頂く」


『代わりに俺が死ぬってことか。そんなものでいいなら構わない』


 ロイは真っ直ぐな瞳でそう言った。

 自分の命などどうでもいい。それでダリアが助かるのなら。ロイはそう思った。

 しかしその姿に、老人は呆れたように溜息をついた。


「このワシがそんな死神みたいな真似をするわけなかろう。お前の“能力”を没収するということだ」


 老人はそこまで言いかけると、再び光を放ち威厳ある天使の姿に戻った。


『つまり……人として生きろと言うことだ』


 老人の言葉と共に、周囲が強い光に包まれた。その眩さに、ロイは思わず目を閉じた。













 ロイが再び目を開けると、老人の姿はもうなかった。そして自分の姿は死神ではなく、人間に変わっていた。腕の中にいたダリアは息を取り戻し、すやすやと眠っている。


「ダリア……!」


 ロイは感極まってダリアの頬にそっと触れた。

 温かい。ダリアが生きているというだけで、嬉しくて手が震えてしまう。

 彼女の寝顔をしばらく眺めていると、ついにゆっくりと目を覚ました。

 その大きな瞳には、今にも泣き出しそうな自分の顔が映っている。


「……ロイ? よかった……無事だったんだ」


 目覚めたダリアは、開口一番にそう言って微笑んだ。

 ロイはダリアを強く抱きしめた。ダリアは目を閉じて、その温もりを噛み締めるように自身の腕をロイの背に回した。


「温かい……。ロイってこんなに温かかったんだね」


 そう言われると確かに自身の体温が一段と上がっている気がした。死神であった時はこんな感覚を知ることもなかった。


「もう俺は死神ではなくなった。だけど……人として生きるのも悪くない」


「ふふ、そうでしょ? ……アタシはね、ロイが傍にいてくれるだけでいいの」


 ダリアの言葉は、ぽかぽかと染み渡るようにロイの心を満たしていく……。

 そしてロイは愛おしむようにダリアを見つめ、ゆっくりと唇を重ねた。


 そろそろ日が沈む。夕暮れの空に、遠くで聞こえる子供たちの声。吹き抜けていく心地よい風。どこからか漂うスープの匂い。

 この当たり前の日常を共に過ごしていくことが、二人にとっての一番の幸せなのだった。




【end】

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死神サマと幸せの唄 つきかげみちる @tukikagemichi

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