Episode1 #5 Who am I?
自分の名前がの本当に自分のものかどうか怪しいとはどういうことだ。
その問いにバートは無言で身に着けていたチェーンネックレスを外すと、それをジェームズへと渡した。
ペンダント代わりにチェーンにぶら下がっていたのは、丸みを帯びた長方形の1枚の金属板だ。
ステンレス製だろう。縁の周りには劣化したゴムがくっついている。どうやらこれが今話題に上っていたドッグタグそのものらしい。
「これが? その?」
「ああ。それさ」
ジェームズはそのドッグタグをひっくり返し、文字の書いてある方を表にして読んだ。
「バルトロメオ イゾラ 男 RH+B 8月26日1963年……!?」
素っ頓狂な声をあげるジェームズに、バートは「な?」とだけ返した。
「今は2015年だぞ? これが本当なら君は今52歳じゃないか!?」
「……そうらしいな」
どこか釈然としない、不満げな面持ちをしてバートはそうぼそりと返した。
「……僕、いくつぐらいに見える?」
「20半ばぐらいだな」
「……だよな」
「誤差を考えても君の見た目で50は明らかに無理がある」
「血液型は検査したんだ。同じRH+のBだった」
アジアとは違い、ヨーロッパでは血液型がB型である人間は極めて少ない。アジアでの平均は2割を超えるのに対し、欧州のB型の割合は1割前後だ。とはいえ、1割はそこまで小さな割合ではない。それこそ左利きの人間がいる割合程度の話だ。
「だから、そのドッグタグは僕の父親か親戚の誰かのものじゃないか、って」
父親か親戚の誰かの物。確かにそれが一番納得が行く話かもしれない。だが、バートはその判断に釈然としていなかった。
「……君はそう思っていないのか」
ジェームズが、心を読むようにそう呟いた。
「えっ?」
「このドッグタグは自分のものだ、自分こそバルトロメオ・イゾラだって思っている。……違う?」
ジェームズの問いに、バートは何度も瞬きを繰り返してジェームズの顔をじっと見た後、うつむく。
そして、低い声で、ぼそりと。
「……分からない」
迷いをにじませ、かろうじてそう返した。
「……毎晩、同じ夢を見るんだ。僕はそこで確かにバルトロメオ・イゾラとして生きていて。……それで死んでいるんだ」
「死ぬ?」
「ああ。軍の施設みたいな場所から逃げ出して……兵士に追いかけられて、捕まるんだ。それで抵抗を試みるんだけど、いつもライフルで撃たれそうになった瞬間に目が覚める」
「そこで死んでるなら君とバルトロメオは別人かも。そう思ってる訳か」
「でも、かなりリアルな夢だ。だからその夢が自分の記憶だってどこかで思ってる」
「精神科に行った方がいいんじゃないか?」
「……勘弁してくれ」
ジェームズが比較的真面目な口調で返す。だがバートにしてみればそれだけは嫌だった。
「10日前に警察に連れて行かれたばっかりだよ」
「一応参考までに聞くけど、結果は?」
「医者なりに誠実に対応してたけど、悪夢のことには触れてさえくれなかったよ」
「……そりゃそうか」
二人で同時にため息をつく。バートがこんな心霊事件に出くわすあたりからして、医者が役に立つとも思えない。
ジェームズはしばらく黙った後、バートの方を向いて、ぽつりと。
「あのさ、アイソラ君?」
「……一応、元の読みを使ってイゾラって名乗ってるんだけど」
「じゃあイゾラ君か?」
「……もうこの際バートでいい」
「OK.じゃあバート」
ジェームズは咳払いを一つすると、なぜかネクタイをキュッと締め直してからバートの方を向いた。
「……僕はジークムント・フロイトじゃないから、夢から精神分析なんて高等な真似は出来ない」
先ほど自分の会社の社長をおっさんなどと軽率に言った人間とは思えぬほどに、ジェームズは言葉を選びながら一つ一つ語っていた。
「でもな、これだけは言える。……人の直感っていうのは、恐ろしくよくできている。だから君は、もっと自分の直感を信じてもいい」
「…………」
「君が感じたことが真実だ。いくら他のことと辻褄が合わないって感じられても、現実は驚くほど奇妙で、その“他のこと”を容易く覆すもんだ」
あまりに真剣な表情で語られたせいで、バートはぽかんとジェームズを見るだけしかできなかった。だが、少しずつ彼の言いたいことが分かってきて、どこかとても安心できる何かを受け取った気がした。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
ジェームズが渡されたドッグタグをバートに返そうとした、その時だった。
ふっ、と。辺りが暗くなる。何事かと思い、二人は辺りを見回して、衝撃を受けた。
二人の視線の先。車の横の窓ガラスには、またもや緑色の怪物の姿が。今度はバラバラではなく、五体満足なそれが、車の屋根に上り、窓からこちらを覗いていたのだ。
「のわあああああああああああっ!!」
二人は同時に悲鳴を上げた。ジェームズは一気にアクセルを踏むと、勢いよくハンドルを切り、右、左と車体を揺らして怪物を落としにかかる。カーレースも真っ青なドリフト走行だ。
慣性が思いっきりかかったせいで、車内にいるバートもグワングワンと左右にとてつもなく揺らされる。まるでいきなり洗濯機の中に放り込まれたてかき回されたかのような勢いだ。
シートベルトがなかったら、窓を突き破って外に飛び出しそうだと思った。
「舌噛むなよっ!?」
ジェームズにそう忠告されたが、あと10秒ほどその忠告が早かったらもう少し余裕を持って注意できたとバートは思う。
悲鳴を上げて道路に振り落された緑色の怪物を、バックミラー越しに確認して、ジェームズはようやく安堵の溜息を吐く。
「大丈夫か? バート、生きてるか?」
「……ああ。心臓なら動いてるよ」
ジェームズがバートを心配してそう聞いてきた。冷や汗はすごいが、なんとか生きている。
怪物は、落ちた際にしこたま身体を打ったのだろうか。どうやらもう追ってこない様子だった。
「奴さん、予想以上にしつこいな」
ジェームズが少し忌々しそうにぽつりとそう零す。
「……予想以上?」
バートの質問に、ジェームズはあっと声をあげ、バツの悪そうな顔をした。
「……悪い。君の前でこういう話をすべきじゃなかったな」
「ここまで悪いことが続いたら気にしないよ」
「……ありがとう」
「どういたしまして。……で、予想だったらもう少しあっさりしてたってこと?」
「……まあな。だって君、それこそ一般市民じゃないか。退魔師じゃあない」
今まで“奴”が殺したのは、3人の退魔師。一応悪魔や悪霊に対する知識は持っていてもおかしくない人間である。しかし、バートは退魔師でも何でもない。霊が見えることを除けば、何処にでもいる一般市民だ。もしバートを殺そうとしているのが本当に悪魔か何かの類なのであれば、ここまで手を打ってくるというのは珍しい。
大抵の悪魔は自分たちから見ればはるかに弱い存在である人間を見くびっている。
だから、もし仮に普通の人間であるバートが狙いなのならば、ここまで執拗に慎重な手を打ってくることはそうないのだ。
それなのにここまで執拗にバートを殺そうとするのは、悪魔自体の性格か、それとも――。
「君を確実に殺すメリットがあるか……それとも僕を殺せばいいと思っているか……」
そこまでジェームズが呟いて、そして黙った。彼の考えていることは分かった。バートも同じことを考えていたからだ。
「あいつは、君の同業者を3人も殺したんだよな?」
「そうだな」
やたらあっさりとした返答である。自分がターゲットにされている可能性を考えているのに、落ち着きすぎではないのか。
「アンタが退魔師ならあいつのスケールぐらい見積れてないのか?」
「それなり」
「……それなり?」
何だか大変曖昧で引っかかる言い方である。
「悪魔にも色々いるんだよ」
「そりゃまあそうだろうけどさ。サタンとかいるんだろ!? そんなの出てきたらたまったものじゃ」
「ああそこら辺は超大御所すぎていないいない」
即答である。あまりにバッサリ切られた気分だ。
「たとえばサタンの眷属がボスの名前を名乗っていいことにはなってるけどさ。ふっつー親分そのものが人間ごときの要請に呼ばれないぜ?
君がiPhone買って不良品だった時、Appleに問い合わせたらジョブズが来るようなもんだ。来ても代理の業者かそこの会社の修理工だろ」
「…………」
何だか、思いっきり想像の世界をぶち壊された気分である。旧約聖書に出てきたサタンはそんなに大御所だったのか。
「……じゃあその”眷属”がそれなり?」
「まーさーかー。昔は人間に呼ばれたり取り憑いたりするケースはあったけど、今人間を殺すなんてチンピラ仕事するかよ。”それなり”はその下だ」
「下?」
「なんらかの形で現代の世界に生まれてきた悪魔のことさ。これが一番現代で恐ろしい。何せあいつらには背負う名前もプライドもない。生きることに必死だからな」
「十分危ないじゃないか!」
それのどこが“それなり”なのかがさっぱり分からない。もしその話が本当ならば、退魔師が複数人殺されているのも頷ける。自分たちの命も『危ない』なんて話で済まないんじゃないか。
バートの慌てようを、ジェームズは特に気にしている風じゃなかった。ただ、運転の為にフロントガラスから見える前方の景色を気にしているだけで。
「気にすんなよ。僕は連中と格が違うんだ。やられるようなヘマはしないさ」
連中と格が違う。バートにはその言葉の意味が少々わからなかった。さっきの文脈から考えれば連中とはおそらくジェームズが言うところの『それなりの悪魔』なのだろう。
だが。それにバートは異様な引っ掛かりを覚えた。これは自信過剰と見るべきか、それとも。
「……自信満々だな」
バートの指摘に、ジェームズはへらっと笑うだけ。
「君も楽観できるときは楽観しといた方がいい。希望がなくなって心が潰れたら、体も簡単に死ぬからさ」
「……そういうもんか?」
「ああ、どうせならドライブを楽しんだっていいんだぜ?」
その言葉に、バートは車の窓から見える景色をぼうっと眺めた。
赤や白のレンガの建物が、高速で彼の視界から過ぎ去っていく。いくつか見える大きな建物にはアーチや柱が多用されていて、一つ一つじっと見ていてもしばらく飽きないだろうなと彼は思う。
バートの仕事の上司から聞いた話だと、高いビルやガラス張りの建物など、近代的な建物もここ十数年の間にだいぶ増えてはきたらしい。しかし、この街自体トークス有数の観光地であるために、歴史的なレンガ造りの建物がまだかなりの数が建っているのだそうだ。
Mr.Enigma 浦辺京 @ichiishi
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