ステラとメアリーとフォルティス家の噂
書籍発売記念SSです。
明日8月20日上巻発売です!
書籍の夢のシーンは、とても素敵なデザインにしていただきました。
よろしかったら書店でお手に取って頂けると嬉しいです♡
どうぞよろしくお願いいたします。
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レイナードとリリアナの結婚式から一か月後。
ステラは一日の仕事を終え、自分の部屋で机に向かっていた。
コットンにたっぷり化粧水を含ませ、鏡の前でおでこに叩きこんでいる。
「はぁーさっぱりするーー! リリアナお嬢さまがくれたこの化粧水、本当にすごいわっ」
あたりにさわやかなハーブの香りが漂う。
化粧水をつけ終えたステラは、ガラス細工の瓶からクリームを手に取ると、顔にちょんちょんと乗せていく。
「んーーっ、この香りも本当に素敵! わたしローデリック家に来てからお肌の調子が良くなりすぎちゃった」
ステラは、鏡の前で頬に手を当て微笑んだあと、気恥ずかしそうに一人でへへへと笑っている。
その時、部屋の扉をノックする音が響いた。
「ステラ、私よ、メアリー」
「はーい、今開けるー」
ステラは、鏡の前から飛び跳ねるようにして扉へ向かった。
真っ白な扉を開けると、部屋着に着替えて髪を三つ編みにしたメアリーが立っていた。
メアリーから、ジャスミンの心地よい匂いがふわりと漂っている。
「お疲れ様、お婆様からビスケットが送られてきたの。一緒に食べない?」
「わあ嬉しい! わたしお茶淹れるわね」
ステラはメアリーを部屋に迎え入れ、早速お茶の用意を始めた。
メアリーはテーブルの上に、紙ナプキンとビスケットを広げる。
ステラとメアリーは、この屋敷に来て一緒に働くようになった。
それでも、元々リリアナに侍従していたメアリーと、リリアナのことが大好きなステラが仲良くなるのはあっという間だった。
いまでは、こうやって二人がお互いの部屋を行き来し、おしゃべりに花を咲かせている。
ステラがカップにたっぷりとお茶を注ぎ入れ、ふたりでテーブルについた。
「ありがとうステラ。やっと今日リリアナ様の温室が出来上がったわねー」
「ほんっと! よかったわ、なかなかフォルティス家から植物が運ばれてこなくて、レイナード様がやきもきしてたもんね」
「うんうん、工事は終わってるからリリアナ様はのんびりしてらしたけど……」
「「レイナード様がね」」
二人で同時に声を出し、顔を見合わせてふふっと笑う。
妻になったリリアナのことを、レイナードが愛おしく思っているのは屋敷の皆に伝わっていた。
愛が溢れすぎてしまい、たまにリリアナに窘められている姿を見ることも。
それでも、二人の姿は微笑ましく、ローデリック家は幸せに満ちていた。
ふと、ステラは、ずっと気になっていたことをメアリーに問いかけた。
「ねえメアリー、あの噂本当なのかな?」
「ミレイア様のことでしょ……」
「うん」
久々に聞くミレイアの名前……ステラは、結婚式前日に裏庭であったことを思い出していた。
メアリーはまだ戻っていなかったので、あの日の出来事を知らない。
あの時のミレイアお嬢さまは、信じられないことをたくさん言って、リリアナお嬢さまを傷つけた……。
ううん、あそこにいた人全員がミレイアお嬢さまに振り回されてたんだわ。
翌日の結婚式は、体調が悪いと欠席……あんなことしちゃったら、顔を出しづらいわよね。
ステラはため息をつきながらお茶を飲み、メアリーが持ってきたビスケットを口に運んだ。
サクッと軽い音を立て、小麦と甘いミルクの風味が口の中に広がる。
「メアリー! すっごく美味しいわ、あなたのお婆さまは天才ね!」
「ありがとう、私もこのビスケットは世界一だと思ってるの」
頬を緩ませたメアリーが、嬉しそうな表情でビスケットを頬張る。
一枚食べ終え、お茶で口を潤した後、またお喋りを始めた。
「私がこの国に戻った時、リリアナ様の結婚式当日だったでしょ。あの日もミレイア様に会ってないの」
「……うん、そうよね」
「結局挨拶することもなく、ローデリック家に来たの……」
「体調が悪いとかで、お部屋から出てこられなかったんだもの、仕方ないわよ」
「そうね」
メアリーは何かを思い出すような目をして、またお茶を一口飲んだ。
「でね、私はずっとリリアナ様と別館に住んでたから、本館の人とはあまり交流が無かったの」
「うん、わたしも短い間だったけど、お話ししたのは料理長とブラッツさんくらいだわ」
ブラッツさんは、フォルティス家の筆頭執事だ。
リリアナお嬢さまが屋敷を出るとき、一番喜び、そして一番泣いていた。
「そう、そのブラッツさん。別館にある荷物のことで一度だけ手紙が来たの」
「まあ、お手紙が」
「ええ。その手紙の中にね『現在、お屋敷にはフォルティス侯爵一人しかいらっしゃらないから、とても静かです』って内容が書いてあったの」
「えっ?」
ステラは目を丸くしてメアリーの顔を見た。
メアリーは黙ったまま、大きく頷いた。
「私も、あれ? と思ったんだけど、そんなに気にしてなかったの。そうしたら、最近おかしな噂が流れてるじゃない……それで、ブラッツさんの手紙を思い出したの」
「噂って、王太子様のお嫁さん選びの?」
「うん、それ」
巷では、近々発表される『王太子妃候補』の噂で盛り上がっていた。
来月に王太子誕生祭があるため、どこに行ってもその話題で持ち切りだ。
何年後かには、この国の王妃になるかもしれない人物、興味があって当然のこと。
酒場では、賭けなども行われているらしい……。
庶民の間では、ミレイアの人気が高かった。
顔を見たことある者は少ないが、商人の間で美しい公女がいると口伝で広がっていたせいだ。
しかし、ここ最近フォルティス家に出入りをしていた宝石商や職人たちが、ミレイアの姿をまったく見ていないと言い始めた。
姉であるリリアナ・フォルティスの結婚式以降、誰一人屋敷に呼ばれていないと……。
その話がどんどん広がり、ミレイアが王太子妃候補から外れたのではないかという噂まで流れ始めていた。
「私が働いていた時は、毎日のように色々な商人がミレイア様に会いに来ていたわ」
「わたしは毎日荷物が届いていたのは知ってる。料理長がいるのに、お菓子もたくさん!」
「そう! そうなの。もし、何かの間違いでドレスに興味が無くなったとしても、ミレイア様がショコラを我慢できるなんて思えない!」
「ショコラ! 美味しいよね、リリアナお嬢さまにいただいたことがあって、倒れちゃうかと思うくらい甘くてとろけちゃった」
「わかるわーステラ。私もリリアナ様にいただいたけど、あんな美味しいお菓子初めて食べたもの」
「びっくりしたよね! でもね、このメアリーのお婆さまのビスケットもやっぱり最高よ!」
「ありがとう」
二人でまたビスケットを一枚つまみ、口に運ぶ。
サクサクとした音と甘い香りが、部屋の空気を包み込む。
「あっ、そうそう。でね、さっきのブラッツさんの手紙に戻るの! 侯爵様一人っていう内容と商人たちの話を合わせると、ミレイア様は不在なのでは? って私は思ってる。だって、奥様もいらっしゃらないってことよね? 二人でどこか静養にでも出られたのかしらね」
「静養……」
ステラはまた、あの中庭でのことを思い出していた。
話の内容ははっきりとはわからなかったけど、レイナード様とミレイアお嬢さま、あとは侯爵夫人とも何か揉めていた気がする……。
騒ぎ立てるミレイアお嬢さまが憎ったらしくて、リリアナお嬢さまが可哀想で……。
フォルティス侯爵も最後には怒っていらしたっけ。
てことは、結婚式には出席しなかったミレイアお嬢さまと夫人が、どこかに出かけてしまったってこと? 間違いなくハンナさんは付き添いよね。
でも、結婚式からもう一か月経ってる……。
あんな騒ぎを起こした後だもの、いくら侯爵夫人が一緒だからって、フォルティス侯爵がそんなに長期の旅行を許すかしら?
うーん、何かがおかしいわ、気になるなあ。
口を尖らせて考え込むステラを見て、メアリーは微笑み、空になったティーカップに新しいお茶を注ぎ入れた。
「ありがとうメアリー」
「どういたしまして。でも、本当にミレイア様がいないどうかは、すぐわかると思うわ」
「どうして?」
「来月には王太子妃候補の元へ文書が送られるでしょ。それに、このお屋敷でもパーティがあるじゃない」
「ああ、そっか!」
二か月後、このお屋敷でパーティが開かれる。
大幅に改築された中庭と、“ローデリック夫人”となったリリアナお嬢さまのお披露目のため。
結婚式に来られなかった親族の方や、研究施設や学院の方など、かなりな人数になる予定だ。
レイナード様が、とにかくリリアナお嬢さま……リリアナ奥様自慢をしたい! というパーティでもある。
と、これはクロードさんが言っていた。
もちろん招待状はフォルティス侯爵家にも送られる。
欠席の連絡があったら、何かがわかりそうよね……って、わかったところで何もないんだけど。
ミレイアお嬢さまはお人形のように美しかったけど、怖かったし。
リリアナお嬢さまに意地悪してたから、本当は会いたくないっ!
ステラはまたビスケットを一枚頬張り、思いきり噛みしめた。
「リリアナ様が幸せならそれでいいわよね……」
メアリーがぽつりと呟いた。
口には出さないが、きっとステラと同じようなことを考えているのだろう。
ステラは、メアリーの言葉に大きく頷いた。
「そんなことよりステラ、二か月後のパーティでリリアナ様が何かを配られるそうよ!」
「え! なにかしら」
「今日ね、たくさん蜜蝋が用意されてたの。試作品が出来たら、ステラと私にくれるって!」
「えーー楽しみすぎるーーー」
「ねー」
「そうだわ、この前言ってた珍しい刺繍糸があるお店って」
「ああ、ちょっと待って。今からメモ書くわね」
「ありがとうメアリー」
甘いビスケットと、瑞々しい花の香りがひろがる部屋。
ローデリック家に仕える二人の少女のおしゃべりは、夜更けまで尽きることなく続けられた。
おわり
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