SS

コミカライズ記念SS 「真夏の夜の悪夢」

◆ 




レイナードとリリアナが、新婚旅行から戻ってくる前日の夜。

ローデリック家の執事長であるクロードは、莫大な量の執務に頭を抱えていた。


祝いの言葉を伝えたいと、屋敷への訪問を希望する封書が山となり

さらに、リリアナあてのお茶会への招待状は、幾束にもなっている。


「大変だ……」


予定を調整するには時間がかかりすぎる。

これは、もう一度改めてパーティを開くほうがいいのではないか。

来月にはリリアナ嬢の為に作られる庭園も完成する。

季節も悪くないので、ガーデンパーティの提案をレイナードにしたほうが良いだろう。

しかし、困ったのはリリアナ嬢へのお茶会の誘いだ。実家であるフォルティス家がちょっとしたゴシップ誌に取り上げられてしまった。

素直な気持ちで彼女に会いたいというものばかりではないだろう、新婚早々嫌な思いをさせるのも可哀想だ。


「これもレイと相談だな」


リリアナ嬢宛ての招待状の束を、引き出しに入れて鍵をかけた。

もう遅い時間だ、明日はレイナードが帰ってくる。

少しだけそわそわと落ち着かない自分に笑ってしまう。


枕元に置いた赤ワインを飲み干し、ベッドにもぐりこんだ。



良く晴れた気持ちの良い朝。二人が帰ってくるには絶好の日和だ。

厨房もいつもより早く料理の準備がされ、香ばしい匂いや、甘い香りに屋敷が包まれている。


玄関ホールでは、ステラとメアリーが楽しそうに花の飾りつけをしていた。

フォルティス家から来たメアリーと、ローデリック家から出向していたステラは、会ってから一週間程度だというのに、古くからの友人のように仲良くなっていた。


「ステラ、メアリー。おはよう」

「おはようございます、クロードさん!」


ステラとメアリーが声をそろえて挨拶をした。

同じ年頃の二人。この二人の周りにも花が咲いているかのように、屋敷を明るくしてくれる。


「あと30分くらいでレイナード達が戻ってくるはずだ。リリアナ様の部屋の最終点検を頼む」

「はい!」


二人は元気よく返事をすると、ぺこりと頭を下げて廊下へ向かっていった。

少し離れた場所から「廊下は走らないように」と、侍女頭のマリスが声をかけている。しかし、その表情もまた笑顔だ。

屋敷全体がレイナードとリリアナの帰宅を待ちわびているようだった。


「少し早いが、出ておくか」


身だしなみを整え、屋敷の外へ出た。温かい日差しに穏やかな風。

ふたりの結婚式がずいぶん前のように感じる。


レイナードの耳の後ろに出ていた鷹の羽の紋章、あれは完全に消えてしまっていた。

そんなものはなかったかのように、普通の皮膚に戻っていた。

レイナードに起こった出来事は、不思議や奇跡という言葉で簡単に片づけられるようなことではない。ローデリック家の伝承が事実だったのか、それとも、神が憐れに思い加護を授けてくれたのか、それを考えてもわからない。

ただ一つ言えることは、二人が無事に結婚出来てよかったという事だけだ。


門の入り口に立ち、大通りへと続く道を眺める。


―― カサリ


背後の植え込みから、何かがいるような音がした。一旦戻って確かめるが、特に変わった様子はない。

野ネズミでもいたか?

そう考えながら道に目を戻すと、ちょうどローデリック家の馬車が通りを曲がってくるところだった。


レイナード達が戻ってきた。


久々の親友との再会。きっと、まだリリアナにデレデレしているのだろうと想像すると自然と頬が緩む。

あっという間に、馬車は門の前までやってきた。

御者が軽く頭を下げて馬車を降り、扉を開く。

それに合わせて頭を下げた。


「おかえりなさいませ。レイナード様、リリアナ様」

「クロード!」


頭をあげると、顔全体を笑顔にしたレイナードが、手を拡げながら馬車を降りて来た。

小さい頃から変わらない表情を懐かしく思い、少し気恥ずかしくなる。

その後ろから、レイナードと同じ様に、笑顔のリリアナが顔を覗かせた。


その時だった。


ついさっき物音がした方向から、小枝の折れる音とともに、悲鳴にも似た甲高い声が聞こえた。

皆が一斉にその方向に目をやる。


そこには、髪を振り乱し、見たことがないほど口を大きくあけたミレイアの姿があった。


 驚いたレイナードは、リリアナに覆いかぶさるようにして、馬車へと押し込む。

そんなふたりをめがけて、叫声をあげながら駆けてくるミレイアの手には、派手な短刀が握られていた。


「あぶない!」


ミレイアに背中を向けたままでいるレイナードの前に、無我夢中で飛び出した。


―― ドンッ


鈍い音とともにミレイアは弾かれ、道に転がる。

その華奢な身体を、御者が押さえつけた。


ミレイアの手にナイフはなかった……が、両手が真っ赤に濡れていた。


目の前がやけに霞む……。


「クロード!! クロード!!」

「ん……レイ? 大丈夫か?」

「しゃべるなクロード、ああなんてことだ、こんなに血が! 誰か!」

「血……?」


自分の腹部に手をやると、ぬるりと生暖かい感触と一緒に、金属製の固い何かに触れた。

なんとか首を動かし、目を凝らしてそれを確認する。


豪華な細工のナイフの柄だけが、自分の腹部から飛び出しているのが見えた。

細工には溢れでる血が流れこみ、どんどん赤黒い色へと変わっていく。


 あ、俺刺されたのか……。


目の前で御者に取り押さえられているミレイアは「許さない! 離して! なんなの!」と叫び続けている。


 なんだあの女、諦めてなかったのか……最悪だな。


そう言おうと口を開いたが、声を出すことができない。

全身から血の気が引いていくのを感じる。頭の中が冷水をかけられたかのように冷たくなっていく。

痛みはなぜか全く感じないが、目を開けているのが辛くなってきた。


顔の前でレイナードが何か叫んでいる。

さっきまであんなに幸せそうな顔をしていたのに、涙でぼろぼろだ。

俺死ぬのかな……ま、二人が刺されなくてよかったか……。


「おいクロード! 聞こえるか? 目を瞑っちゃ駄目だ! クロード! クロード!!」



「クロードさん? 大丈夫ですか? クロードさん?」


扉をノックする音が部屋に響く。部屋の中はカーテンが閉まっているため薄暗い。

ゆっくりと体を起こし、あたりを見回した。


「ここは、自分の部屋……?」

「クロードさん? どうかなされましたか?」


不安そうな声が、扉の向こうから聞こえる。

いまいち状況が呑み込めない。少し考え、自分の腹部に手を当てた。


ベッドから降りてカーテンを開くと、いつもの朝より少し日が高いことに驚く。

急いで扉を開けると、驚きと不安が混ざった表情のステラが立っていた。


「ああ、良かった。クロードさんがいつもの時間に来られないから、皆で心配してたんですよ。今日はレイナード様とリリアナ様が帰ってくる日だから、昨晩眠れなかったんですか?」

「今日……? すまないステラ、今日は何曜日だ?」

「まだ寝ぼけていらっしゃるんですか、珍しいですね。今日は土曜日ですよ」

「……レイナードは?」

「んもう! お二人は新婚旅行で今日戻られるんです! 昨日皆で用意したじゃないですかー」


 ……二人はまだ新婚旅行から戻っていない?


 さっきのは夢なのか?


「まさか……?」

「え?」

「いや、すまない。すぐに準備をするから支度に戻ってくれ。起こしてくれてありがとう」

「早く来てくださいね。では失礼いたします」


ステラはぺこりと頭を下げ、切りたての髪を揺らしながら執務室へと戻っていった。

すぐに寝間着を脱ぎ、執事服に着替える。

無意識に、眉間に皺を寄せていた。


「なんて生々しい夢だったんだ……まるでレイの夢のような……」


そこまで呟くと、大きく頭を横に振った。

鏡を見ながらさっきまでの自分を思い出し、一人で笑ってしまう。


きっとレイナードのことを考えすぎて、おかしな夢を見てしまったんだろう。

しかし恐ろしかった、あのミレイアの形相。

思い出しただけでも、じわりと嫌な汗が手に滲む。


支度を終わらせ、侍女頭のマリスに挨拶をした後、そのまま玄関ホールへと向かった。

ステラとメアリーが楽しそうに花の飾りつけをしている。


「ステラ、メアリー。おはよう」

「おはようございます、クロードさん!」


ステラとメアリーが声をそろえて挨拶をした。


その瞬間、さっき見た夢とまったく同じだと気づき、全身が泡立つのを感じた。

不思議そうな顔をする二人に、朝の寝坊を謝り、リリアナの部屋の最終点検を頼んだ。

二人の背中を見送っていると、少し離れた場所から「廊下は走らないように」と、侍女頭のマリスが声をかけるのが聞こえた。


「これは、一体……」


指先が冷えていく感覚を味わいながら、あらためてホール内を見回した。

そして、昨夜見た夢の内容を思い出そうと、額に手を当てる。


たしか、屋敷の外へ出た時、植え込みから何か音が聞こえたんだ……。

いや、何を考えているんだ俺は。こんなのただの偶然だ。

俺がレイのようにやり直しなんて……。


その考えの結論を出す前に、自然と足は屋敷の外へと向かっていた。


寝過ごしたせいで、夢の中より時間が遅くなっている。

もうすぐレイナード達の乗った馬車が帰ってきてしまうだろう。

いや、ただの夢だ。

そう思いたいが、あまりに同じことが起こっていてさすがに気持ち悪い。


夢の中で、不審な音が聞こえた植え込みへと近づく。

それだけのことなのに、自分の心臓の音が、耳の中で鳴っているかのようにうるさい。

木の枝を掻き分ける指先が、小刻みに震えている。

植え込みの中には誰も居なかった。

肩の力が一気に抜ける。


しかしこの植え込み、一見全体に茂っているように見えるが、中の枝は細く、小柄な者なら隠れることは可能だ。防犯面を考えると対策しておいたほうが良いかもしれない。

おかしな夢を見たおかげで、良い発見ができた。そう思うと、指先の震えもぴたりと止まった。

続けて、自分の行動につい吹き出してしまう。


「レイの心配性がうつったか……」

「おにいさまがどうかして?」


突然、背後から少女のような声が聞こえた。


振り返らなければいけない。

それなのに、脚に重しでもついているかのように、まったく動くことができない。


「ねえ、おにいさまがどうかしたの? 素敵な執事のクロードさん」


その声が近づいて来たと思った瞬間、背中に違和感を覚えた。

振り返ることも出来ずに、その場で膝から崩れ落ちる。


背中に手をまわすと、何か固いものに触れ、ぬるりと手が滑った。

この感触は夢の中と同じだ……。

植え込みにもたれかかるように倒れると、ミレイアが横から顔を覗き込んできた。


「ミレイアね、あなたのことも嫌いだったの。あ、馬車が戻ってきたわ!」

「レイ…」


ミレイアが、弾むように門へと駆けていく後ろ姿が見えた。

全く動けないまま、背中から溢れ出る血で、目の前が真っ赤に染まっていく。


ああ、なんてことだ、やはりあれは本当に起こることだったのか、最悪だ。

レイナードすまない……せめてもう一度、やり直し出来れば……。


目の前が真っ暗になった。




「クロード!……クロード!!」


 レイナードの声が聞こえる……。


「クロード!!」

「……レイ?」

「あ、起きた」


レイナードの言葉に、ステラとメアリーが「よかった!」と声をあげた。


「ステラもメアリーもありがとう。俺がクロードをみるから安心して仕事に戻ってくれ」

「はい、よろしくお願いいたします。失礼いたします」


二人の楽しそうな声が、廊下へ消えていく。

なぜレイナードがいるんだ? 何が起こっているのかまったく理解できない。

起き上がろうとすると、鈍器で殴られたような激痛が後頭部を襲った。


「いって!」

「お、二日酔いか?」


レイナードはベッドに腰かけ、嬉しそうに笑っている。

その言葉を聞きながら、口の中に気持ち悪い苦さと、更に強い頭痛を感じた。


二日酔い?


ベッドサイドのテーブルには、見慣れない真っ黒な果実酒のボトルが置いてある。


……ああ、そうだ! 全て思い出した!


昨晩、新婚旅行の土産のひとつとして、レイナードから南国の珍しい酒をもらった。

果実酒でジュースのように飲みやすいが、お酒が強い人でさえ倒れてしまうという。

その酒の名前は……。


「『悪夢』だ……」

「まさかクロードが寝過ごすなんて、この酒本当に強いんだな。いやー飲まなくてよかった」


果実酒のボトルを手に持ち、子供の頃と同じ顔で笑うレイナードを見て、全身の力が一気に抜けていく。

動くたびに度に痛む頭をおさえながら、ベッドから体を起こした。


恐ろしい夢だった。


夢で見たことが実際に起こるという恐怖、全てが無くなってしまうという不安。

本当に夢でよかったと実感するとともに、レイナードがこのようなことを何度も繰り返したという事実に改めて驚いてしまう。

こんな苦しいことを、最後までやり遂げて結婚までしたのか……。


「レイ、お前凄いな。いや本当にすごいよ」

「え? 何で急に褒めてくれるんだよ、怖いよ」

「凄い! 本当によく頑張ったな」

「え? クロードまだ酔いが覚めてない?」


レイナードがベッドの上で後ずさりしている。

その腕を掴み、ぽんぽんっとハグをしてベッドから起き上がった。


「クロード! もしかして俺がいなくて寂しかったのか?」

「はいはい、寂しかったよ」

「照れんなよー」


抱き着いてこようとするレイナードをかわし、酷い頭痛にうんざりしながらも、目の前にある現実に幸せを感じていた。



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