sunflower & girl's

カレーだいすき!

単話

 まどろみの中で口をふさがれ、ハッキリと目がさめた。 目の前にはよく知っている 女の顔があった。

 ああ、またここに転がり込んだんだなと思うとともに、 全身の力が再び抜け、シーツの上に倒れこんだ。

 女は目で微笑むと、やわらかな唇で、私の口をふさいできた。感触からして おそらく、先程の口をふさいだ主はこの唇だったのだろう。

 女が腕を絡めて来るので、それに答えなければまずいと思った 。

 私は、更にその外側から彼女を抱きしめた。


……。


 何分、何秒──。少しの間その体勢をとっていた 私達だったが、彼女が飽きてしまったらしく、行為は何の予告も無しに終った。

 少々惜しい気もしたが、ここ数日で習慣と化してしまっているので、すぐにどうでも良くなった。

 それは例えるならば、空気を吸う行為にも等しい。


「今日、もう少し早く起きるかと思ったのに」


 女は私と反対に向き、下着を着けながら私に聞いた。

 私はただ「うん」とだけ唸り、天井を眺めた。

 しみひとつない天井に、四角い蛍光灯のカバーが影を落としている。

 何度も見慣れた天井に、今日もそれほど思い入れを抱くことはできなかった。

 私も服を纏おうと起き上がり、自分のそれを探す。

 服はベッドから少し離れた入り口のドアから、順番に脱ぎ捨てられていた。よく覚えていないが、酒をしこたま飲んで終電に間に合わず、とりあえず力の限り歩いて見たものの、すぐに限界を感じ、少しだけ休んだ後、結局ここに戻ってきた。 そんな所だろう。

 駅に近いこの家が悪い、という心の中でする言い訳も何度目だろう。

 8月とはいえ、クーラーの効きすぎで寒くなった部屋に耐え切れなくなった私は、ベッドから降りると、散らかった服を拾いにかかった。


「ねぇ」


 女が言った。


「今日、何の日か、知ってる?」


 私は、床に散らばった服を拾い上げながら考えた。


「……誕生日は、先月だったし……出会った日でも、原稿の締め切日でもない。……なんだっけ?」


「ほら、もう忘れてる」


 女は少し不機嫌そうな声で言った。


「今日は『世界が終る日』」


 私は、少しだけ動きを止め、彼女を見た。彼女は細身のシガーケースからタバコを1本取り出し、火をつけた。

 煙を吸い込み、吐き出すまでに時間をかけ、『それ』を補給しているようにも見えた。私は、彼女から目を逸らした。


「そうか、そうだったっけ」


「信じてないのは、あなただけ」


 彼女は煙をふっと吐きながら、私にではなく壁に貼り付けられた絵に向かって言葉を投げた。


「信じてるよ」


 少し酒の匂いの残るシャツを身に着け、私は彼女の隣へと座り、彼女の咥えていたタバコを盗み、その煙を軽く吸い込んだ。

 苦味とともに、いつもの感覚がまどろみ地獄から戻ってきたように感じた。


「うそ」


 彼女はテーブルの上で無造作に置かれた雑誌を、パラパラとめくりながら呟く。

 栗毛色の髪に隠れる横顔が私は好きだ。いつまでもそれを見ていたかったが、彼女はすぐに顔をあげ、テレビのリモコンを手に取った。

 女がスイッチを押すと同時に、テレビは賑やかな音を出し、朝日とは別の光を私達に向けてきた。

 テレビでは、確かに女の言う『それ』っぽいニュースを報じていた。

 キャスターはいつも通りの表情で、それを伝えている。その右上、四角く枠組みされた部分では、わが国の首脳がマイクを向けられている静止画がテロップ入りでとどまっていた。


 「前年度から懸念されていた…」などと今更の様な事を淡々としゃべるキャスターに愛想をつかしたのか、女はチャンネルを切り替えた。

 画面には、子犬が数匹、飼い主とじゃれあっている映像が流れた。私は無言ながらも、そのほほえましい光景に目を奪われようとしていた。

 が、それは彼女のチャンネルチェンジにより、あっけなく終了してしまった。


「あたし、犬より猫派なんだよね…」


 女は言いながら、次々とチャンネルを変えていく。朝の情報番組も、世界が終わるという話題で持ちきりだ。そういう類の映像が何度も使いまわしのように流れていた。


「そんなにパチパチ変えると、目が痛くなる」


 私は女に毒づいてみる。

 女はその言葉にむっとして、ついにテレビを消してしまった。


「…消さなくてもいいじゃん」


「消せって言ってるようなものでしょ? 」


 そこから少しだけ会話が途切れた。

 世界が終る日だということだから、外はいろいろと大変だろうと窓の向こうの音に耳を澄ましてみる。が、それらしい音は聞こえてくることがなく、この時間ならありがちな近所の子供達の声、挨拶を交わす大人の声が普通に入ってきていた。蝉の声もいつも通り聞こえてきた。

 本当にいつも通り。

 その言葉を頭の中で描いてみたが、以外に味気なく思えてしまい、すぐにそれを消してしまった。


「世界最後の、日か」


 私は声に出して言ってみた。別にそれで世界が変わるというわけでもなかったが、口に出したほうがいいと思えた。


「ええ。今日、終るの」


女が、それに応えてくれた。


「何で世界が終っちゃうんだっけ」


「知らない」


「世界ということは、人類が滅ぶとか」


「知らない」


「でも、何で皆普通なんだろう」


「そんなものよ」


「私達、ここでこうして……別に悪いことしてないのに」


「あたしにはしてる」


「嘘」


「嘘じゃない」


「どのあたりが?」


 私が、座っている大勢から、彼女に覆いかぶさった。

 彼女は拒みもせず、それを受け入れた。



 テレビは依然として「それ」を伝え続けている。私達はそうめんをすすりながら、それを見ていた。


「ねぇ、旅行行かない?」


彼女が私に言った。


「行くったって、どこに? それに、今日で世界が終ってしまうんじゃないの」


「でも行きたい」


「どこに?」


 私が聞いた後、少しだけ彼女は考えていた


「熱海や箱根って気分じゃないし、ハワイは…この間行ったよね…北海道も、沖縄も京都も大阪も岐阜も岡山も四国も出雲も日光も、上海も香港もL.Aもニューヨークもオセアニアも、あなたの実家も。もう全部行ったよね」


 確かに実際、私は彼女が「世界が終る」といい始めたぐらいから、互いの持っているありったけの金を出し合って、いろいろな場所を見に行った。それはもう、途中でその旅に嫌気が差すぐらいの過密スケジュールで。

 幸い、私もある程度単位はとっていたし、就職も内定を取れていた。女はとくにそういうものも仕事というシガラミもないらしく、私を引きずりまわしていた。


「そうだな…ヨーロッパは、まだだね」


「ヨーロッパ…うーん…今から行くのは少し遠いかな」


 彼女は、そうめんをつゆにジャブジャブとつけながら口にした。


「遠いか…そうかもね」


 私は後ろに手をつき、ため息をついた。目の前にはまだまだ、なくならない位のそうめんが山ほど詰まれていたのだが、私の胃は既に満腹感を充分に覚えていた。


「あなたは、どこへ行きたいの?」


彼女は私に聞いた。


「……ここでいい」


 私は少し考えてみた後、そう応えた。


 ──もう、どこへも行かなくてもいい。



 まだ日も落ちる気配のない夕方。

小奇麗に片付いた部屋で、私達はどこへも行かずにテレビにかじりついていた。

 午前中の静けさから一転し、画面の中だけではなく、外からの声もじょじょに変わってきていた。恐らく、事の重大さを実感した近所の住人が大騒ぎをしているだけなのだろうが、どんな奴が出てきているのかという好奇心も私の中で芽生えつつあった。


「あ、これ見て」


 女がテレビを指差した。

 テレビでは都心の各所の模様が、中継されていた。

 リポーターの後ろでは大きなやぐらが組まれており、たくさんの人間が「準備」に取り掛かっている。


「カウントダウンイベントだって」


 彼女は無邪気なトーンで言う。


「また、物好きだな」


 私は彼女のシガーケースからタバコを1本無心し、火をつけた。


「一生に1度あるかないかのイベントだからかな」


「1度しかないよ。ねぇ、見に行かない?」


「いきません」


 女が目を輝かせて私を見る。私はそれを却下した。

 そういう馬鹿騒ぎに乗る気もしなかったし、第一、人ごみに繰り出すことに億劫になりつつあったのだ。わざわざ電車に揺られ、見知らぬ人間と今更になって何を分かち合えというのだろう。


「えー、なんでよ?! 行こうよー」


「人ごみ、好きじゃない」


 私は彼女にそれだけ伝えた。


  *


 それから更に数時間。

 私はいつの間にか眠ってしまっていたが、外からの音で目を覚ました。それがなければ、あるいは永遠に目を開けることなどなかったかもしれない。

 日は既に姿を隠し、部屋は暗闇に浮かんでいた。

 私の隣で寝息を立てていた女も私が起き上がるのと同時に目を覚ました。


「イベント……行きたかった」


 女が不機嫌そうに言う。


「なんでもそうやって、ムッとしてりゃいいもんじゃないよ」


 私は、テレビをつけようと思ったのだが、余計な光を受け入れたくなかったので、コンポの電源を入れ、FMにスイッチを切り替えた。

 その時間に放送している番組は予定を大幅に変更され、カウントダウンイベントの模様を中継していた。ラジオ局には『最後に聞きたい曲』としてリクエストが押し寄せているらしく、パーソナリティがうわずった声でうれしい悲鳴を上げていた。

 先週発売になったロックバンドの曲から懐かしのアイドル、果ては落語CDの一部が、お喋りとともに流れていた。

 バイトからの帰り道に垂れ流しで聴いていたこの番組も、ついに今日終るのかと思うも、やはりそれは別の要素が入った上での高揚であったことに気がつき、私はすぐに冷めてしまった。

 暗い部屋には、一方通行の音声があふれかえっていた。


「ねぇ――」


 私は彼女に言った


「何」


「何か、言うこと無い?」


「何かって?」


「……なんでもない」


 私は彼女の顔を見ずに呟いた。

 もしここで終わるなら、私たちはもっとすることや、話すことがあったんじゃないか。彼女がまだ私に話していないこと、私が彼女に伝えてないこと。

 沢山あるように思えてきた。

 これは現状に対しての相乗効果というやつだろうか。 


「ひとつくらい、あるんじゃない?」


 彼女が言った。


「ん……特に無い」


「じゃあ、あたしもない」


 ここでステレオから流れていた軽快なポップスが急に停止した。

 どうやら『その時』が来たようだ。パーソナリティは興奮しながら、しきりに「生きていたら」等とリスナーに呼びかけていた。

 生きていたら―― 。

 そうだな、生きていたら、私は何をするのだろう。何事もなく、まじめに学校に行って……来年の春まで生きていたら、そう、どこか小さな会社で働き、それで週末には、またこの部屋で、自分とまったくタイプの違うこの可愛らしい彼女と、こうしてダラダラしているだろう。

 そう有りもしない未来を思いながら、私は笑みをこぼした。


「あ、あれ……」


 彼女は窓の向こうを指差した。

 ビルの隙間からしか見えないが、大量の光が浮かんでは消えていた。


「花火……?」


「綺麗……あ、ねぇ」


「ん?」


「向日葵畑。向日葵畑も行こうよ」


「今その話?」


「あれ見てたら、思い出しちゃった。初めて行った旅行でみた景色」


「ああ、そうか。私たち……そうだったね」


 その光は、重たい音を撒き散らしつつ、何発も何発も打ちあがり、綺麗な色を 一瞬だけ見せ、落ちていった。それは途切れることもなく、それが途切れるとすべてが終ってしまう事を知らせているようだった。

 彼女が、私の開いた左手を握ってきた。

私も、何も言わず握り返し、窓の向こうの打ち上げ花火を眺めた。


 60秒前のカウントダウンがはじまっても、私達はお互いの顔を見ることもなく、ただビルの向こう側で咲いては散る、最後のひまわりたちを眺めていた。


5,4,3,2……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

sunflower & girl's カレーだいすき! @samurai_curry_guan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ