第28話 担当編集ちゃんと猫

 咲夜の部屋はなんというか想像以上にネコネコしていた。


 ピンク地のベッドカバーやカーテンには全て猫のイラストが描かれており、枕元には猫のぬいぐるみが置かれている。


 そして、


「お茶どうぞ」


「あざます……」


 そう言ってテーブルに置かれた湯呑にももれなく猫のイラストが描かれている。


「猫……好きなんすね……」


 と、思ったことを口にすると、彼女は枕元の三毛猫のぬいぐるみを胸に抱えると「好きです」とぬいぐるみの頭を撫でた。


「ですが、私自身は猫アレルギーなので、ぬいぐるみで我慢しています」


 どうやら神様はそんな猫好きには最悪のアレルギーを彼女に与えたようだ。


「けど本当は飼いたいです」


 と、少し寂しげに口にする彼女を見て、俺は「そっか……」と答えることしかできない。


 彼女はしばらくぬいぐるみの頭を撫でていたが、不意にベッドにぬいぐるみを置くと、お茶を一口、俺の顔を見やった。


「で、今日は猫の話を私にしにきたんですか?」


「謝罪をば……」


 謝ることを禁じられた俺だったが、目的はそれ以上でも以下でもないのでそう説明するしかない。


 そんな俺の言葉に彼女はため息を吐くとまた湯呑に口を付ける。


「そういうのは間に合っていますので大丈夫です……。それに私が先生に謝罪される筋合いはないので」


 まあ、そう返されるのはわかっていた。だけど、俺はまず彼女に謝ることから始めなければならないと思った。


 だから言葉を続ける。


「だって、俺は咲夜にあんな小説を――」


「あんな小説? 先生が私に何かをしたんですか?」


 が、そんな俺を彼女は冷めた目で見つめた。だけど、これも予想内だ。


「咲夜は2年前まで俺の小説のファンでいてくれた。それなのに、俺はそんなお前を勇気づけるどころか一番最悪な結末を書いて、そんなお前の勇気を裏切ったんだぞ?」


「なんども言っていますが、私とその読者さんを重ねるのは止めてください。確かに2年前まで私が闘病していたのは事実ですが、たまたまです」


 だけどやっぱり俺には目の前の少女が例の読者さんだとしか思えなかった。あの筆跡は何をどう考えても忘れない。それにあの封筒には確かに俺の家の合鍵が入っていたのだ。


「仮にそうだったとして、私に謝罪をしてどうなるっていうんですか? 私に謝罪をしないと先生は小説も書けないんですか?」


 が、そんな俺に彼女は相変わらず冷たい視線を向けたまま、少し低い声音で俺にそう尋ねてきた。


「少なくともその資格はないと思う」


「先生、じゃあ仮に私がその先生の大ファンの読者さんだったとして話を進めましょう。先生は2年前にどんな手紙を送ったんですか?」


「そ、それはその……せっかく期待してくれて読んでくれたのに、こんな結末でごめんなさい……みたいな……」


 少なくともファンレターを読む限り、彼女はヒロインを自分のことのように思って読み進めてくれていた。そんなヒロインを殺すことは、少なくとも彼女に対する大きな裏切りだったと俺は思う。


 たとえ、その結末以外書けなかったとしてもその事実は変わらないのだ。


 と、一応は理由を説明した俺に彼女は呆れたように、またため息を吐いた。


「あくまで仮の話です。もしも私がもしもそんな手紙を受け取ったとしたら、私は幻滅します」


「な、なんでだよ。あんな結末どう考えたって失望するだろ? ましてやお前は……いや、その読者は同じ病気で苦しんでいて、少なからず勇気づけられていたんだ。それなのに」


「過信ですね。あくまで小説は小説です。確かにショックはあったかもしれないですが、それだけで絶望なんてしません」


「…………」


 彼女は黙り込む俺に何やら意地悪な笑みを浮かべる。


「正直うざいですよ。何度も何度も謝られて……。私だったらそんな返事無視して二度とファンレターなんて送らないです」


「う、うざいっ!? 俺はどれだけ苦しんで返事を書いたと思ってるんだよ」


 俺はもう一生筆をおくつもりで手紙を彼女に送ったんだ。それなのにそれがうざいっ!?


 さすがに俺がそんな酷いことをしたつもりは。


 と、反論してみるが、彼女はそんな俺を鼻で笑った。


「粘着質なんですよ先生は。そんなことしてたら女の子に嫌われますよ?」


「…………」


「私ならこう思います。どうして先生が小説を書くために私の許可が必要なんだと。先生は小説を書くためにいちいち私の許可が必要なんですか?」


「少なくとも俺の小説を一番好きでいてくれた咲夜には――」


 と、そう言った直後、彼女は俺を睨みつけてきた。


「甘ったれんなっ!! 岩永達樹っ!!」


 突然俺は呼び捨てされた。そのことに俺が目を丸くするが、彼女は俺を睨み続ける。


「あんたは誰のために小説を書いてるのっ!? あんたは私一人のために小説を書いてるの? あんたの小説を待ち望んでいる人間はこの世界にはたくさんいる。だからにゃんにゃん文庫だってあんたに打診する。あんたはその結末しかないと思って小説を書いたんじゃないの? だから私はそれに感動した。ならば自分の書いたものにしっかりと責任を持てっ!!」


 と、そこで言うと「はぁ……」とまたため息混じりに息を吐くとまた湯呑に口を付けて「ごめんなさい……」と俺にぺこりと頭を下げた。


「言葉が悪かったです……。じゃあ仮に先生の小説を読んでショックを受けた人がいたとして、先生はその100人全員の許可が取れないと小説が書けないんですか?」


「…………」


「先生の小説ですべての人間を感動させることなんて無理です。先生は他人を傷つけたことに固執しすぎて、自分が傷つくことから逃げているように私には見えます」


 なんというか彼女の言葉はどこまでも正論だった。


 確かに俺は逃げているだけかもしれない。


 彼女から許しを得て安心して小説を書くことを望んでいたのかもしれない。だとしたら、俺が彼女に謝ろうとしているのは、全て保身のためなんじゃないか?


 少なくともそんな俺の弱さは咲夜にははっきりと見えているようだった。


 と、彼女はそこまで言って、湯呑を持つ俺の手を包み込むように触れた。熱いお茶のおかげで少し温まった彼女の手のひらが俺の手の甲を温める。


「先生、私は先生の小説が大好きです。ですが、私の顔色を気にして小説なんて書いて欲しくないです。私は先生が自分のために物語を紡ぐ姿に感動しましたし、そんな先生のそばで先生の力になりたいです……」


 そこまで言って彼女はわずかに笑みを浮かべた。


「だから私に謝らないでください……」


 彼女はどこまでも優秀な編集だ。


 彼女に謝りに来るつもりが、すっかり彼女に元気づけられている。いや、そもそも俺がこの家に謝りに来たのなんて、本当はただの言い訳で、本当は彼女に書いてもいいよと言ってもらいたかっただけかもしれない。


 そんな俺に彼女は、ただ優しい言葉をかけるだけではなくて、現実に目を向けさせてそのうえで背中を押してくれている。


 俺は自分自身の情けなさに反吐が出そうになった。


「わかったよ……。俺はもう謝らない……」


 だけど、そのことに気づいてしまった以上、俺はもう彼女に謝る必要はない。いや、謝ることは甘えだと気づかされた。


 そのことを彼女は教えてくれたのだ。いや、もしかしたら最初から教えてくれていたのかもしれない。彼女があの時の女の子かどうかはわからないし、それを追求すべきではない。


 だけど、彼女は俺がまた小説が書けるように全力を尽くしてくれていた。


 だから俺はそんな彼女の努力に報いなければならないのだ。


「俺、頑張るよ」


 だから、俺は自分のすべきことを口にする。


「それがいいと思います。先生の小説は面白いです。もっと自信をもって書いてください」


「わかった」


 俺には書く以外の選択肢は残されていない。


「じゃあこれで話は終わりです。家に帰って残りの原稿頑張ってください。私も陰ながら応援しています」


 そう言って彼女は俺に再び微笑みかけた。


 家に帰って小説の続きを書こう。少しサボっていたツケは払うことになるけど、それでも書いて書いて書きまくろう。


 だから、俺は立ち上がると、彼女の手を取った。


「じゃあ帰ろうか」


 そう言って彼女をやや強引に立ち上がらせると、彼女は少し動揺したように首を傾げた。


「一緒に家に帰ってあともう少し、一気に書き上げよう」


 と、彼女に言うと、彼女は慌てた様子で首を横に振った。


「わ、私はもう先生の編集じゃないです。それに三毛猫出版だってもう辞めちゃいました……」


 だけど、俺には情けないけど彼女の力なくして小説は書けない。


「辞めるも何も元々契約もまともにしていないような幽霊社員だろ。戻ったって問題ないさ」


「そ、そうですが……」


「俺が編集長に説得するよ。あの人、今は銀行で頭を下げているんだ。火の車の三毛猫出版は俺の小説がなきゃ倒産だ。少々のわがままなら許してくれるよ」


 と、困惑する彼女の手を引いて、俺は強引に彼女を部屋から連れ出した。


 彼女にこれだけ説教をされておいてなんだけど、俺の考えは変わらなかった。


 俺はそれでもやっぱり彼女のために小説を書こうと思った。



※ ※ ※



 それからのことを少し話しておこうと思う。


「先生、これ可愛くないですかっ!? 三毛猫ですよ……三毛猫……」


 ボロアパートの六畳間、ノートパソコンと睨めっこをする俺の横で咲夜は嬉しそうに宅配便で届けられたネット通販の枕カバーを見せつけてくる。


「か、可愛いな……けど、それで何匹目だよ……」


 俺はノートパソコンから顔を上げると呆れたように部屋を見渡した。目につくいたるところに猫、猫、猫。カーテンから布団カバーさらには俺が今飲んでいるコーヒーの入ったマグカップにいたるまで猫に埋め尽くされている。


「猫は何匹いても困らないです。それに我が家の猫さんは餌もいらないしトイレの必要もありません」


 そう言って彼女は枕元のぬいぐるみを抱きかかえると「ミーちゃんはお利口さんだね」と頭を撫でる。


 なんというか我が家に戻ってきてからの彼女には遠慮というものがない。俺は自分のセーターに描かれた三毛猫に目を落とすとため息を吐いた。


 あの日、二人で家に帰ってきた俺は徹夜で原稿を書き上げて、何とか明け方までに編集長へと原稿を送った。


 その結果、三毛猫出版としては2年ぶりに文庫本が書店で平積みされることとなったのだ。


 どうやら三毛猫出版はなんとか追加融資を受けられるようになったようで、一先ずは倒産の危機を脱したようである。


 が、あくまで自転車操業であることには変わらない。俺は一巻を校了した直後に、また地獄のようなスケジュールで執筆を余儀なくされ、明日までに3巻の原稿を書き上げて提出しなければならないのだ。


 これだ頑張って全10巻予定のまだ3分の一にも達していない……。


 いや、書こうって思ったよ。咲夜に勇気づけられて頑張ろうって思ってよ。


 だけどさ……毎月刊行はやっぱ無謀だよね?


 だが、そんな俺を咲夜は休ませてくれない。


 彼女は枕カバーを床に置くと、少し張ったお腹を摩る。


「先生、これからは家族を支えていかなければならないんですよ? だから今まで以上に頑張ってくださいね」


 と、彼女は何やら頬を染めたままお腹を摩る。


「いや、晩飯をを食いすぎただけだろ。もしも、家族が増えたとしても、少なくともそれは俺の子どもじゃないぞ……」


 と、何やら誤解されそうなことをなんなく口にする彼女にツッコミを入れると、俺はため息を吐く。


 とにかく最低でもあと7ヶ月は俺に休む間なんてないのだ。なんか7か月後にはまた例の写真や咲夜の持っている動画を使って、新しい仕事をさせられそうな気もするけど、今はそのことは考えないでおこう。


 相変わらず俺をからかうように笑みを浮かべる彼女を見て決意した。


 とりあえずこのシリーズが終わったら、彼女と二人で南国にでも旅行へ行って編集長から逃げようと。



――――



 本作をここまでお読みいただきありがとうございました。


 カクコン締め切り約2週間前に執筆を始めた本作ですが、おかげさまで何とか10万文字を書くことができました。過密スケジュールのため、やや雑になってしまったことは否めないですが、本作はこれにて完結です。


 ですが執筆自体はこれからも続けますので、もしも今後もあきらあかつきの作品を読んでやろうという方がいれば作者フォローしていただけると励みになります。


 また明日以降はまたエロマンガ聖女

https://kakuyomu.jp/works/16816700429513177263

 を完結に向けて執筆していきますので、そちらもお読みいただけると幸いです。


 ではでは本作をお読みいただいたすべての読者様、ありがとうございました。

また次回作でお会いいたしましょう。


 あきらあかつき

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原稿の締め切りに追われる俺のそばで小悪魔担当編集ちゃんが全力で誘惑してくる件~必死の抵抗もむなしく順調に飼いならされています~ あきらあかつき@5/1『悪役貴族の最強中 @moonlightakatsuki

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