第27話 猫のキーホルダー

 ということで俺は上ってきた階段を再び駆け下りることとなった。そして、ビル裏の狭い駐車場へとやってくると何やら紫色の馬鹿派手なスポーツカーがそこには止まっていた。


 なんでかわからないが、車に手を掛けて自慢げに俺を見つめる編集長を見ているとぶん殴りたい気持ちになった。が、そんなことをしている余裕はない。


 車に乗り込むと、編集長は必要以上にエンジンをふかすと車を発進させた。


 そして30分ほど荒い運転に揺られてゲロを吐きそうになったところで車は急停車する。


「着いたわよ……」


「う、うぅ……気持ち悪い……」


 が、どうやらついたようだ。右側についた助手席から窓の外をみやるとそこには一棟のおんぼろアパートが鎮座していた。


「ここっすか……」


「そうよ。ここの302号室が咲夜ちゃんの部屋。じゃあ私は銀行に行くからあとは二人でよろしくやってよね」


「あ、ありがとうございます……」


 と、吐きそうになりながらお礼を述べると彼女は「いいわよ。面白い物見せてもらったし」とにっこりと微笑んだ。そして、何故かポケットからスマホを取り出すと、画面を俺へと向ける。


 そして、


『俺、岩永達樹は木花咲夜と一緒にいた日々が楽しくてしょうがなかったです』


 と、真っ暗の画面の中、俺の恥ずかしすぎる音声がスピーカーから鳴り響いた。


「おい、やめろっ!!」


 ホントこの女、性格が悪い……。


「クスクスっ……じゃあね。ついでに咲夜ちゃんにデスクはそのままにしてあるって伝えておいてあげて」


「わかりました……」


 ということで俺が車から降りると、ブンブンとまた必要以上にエンジンをふかして高級車は走り去っていった。


 さて、やるか……。


 俺はバクバクと脈打つ心臓を抑えながらアパートの階段を登っていく。三階へと登った俺はドアの横の部屋番号を確認しながら、奥へと進んでいく。そして手前から二番目の扉の前で立ち止まった。


 ここが302号室、咲夜の部屋だ。


 ついにたどり着いた……。待ち望んでいたその瞬間にも関わらず、俺の心臓の鼓動はさらに激しくなっていき、今度は緊張のあまり吐きそうになる。


 だが、ここで逃げるわけにはいかない。


 一度深呼吸をしてから、インターホンのボタンを鳴らした。するとドア越しに部屋からピンポーンと呼び鈴の鳴る音が聞こえてきた。


 が、


「…………」


 待てど暮らせど、ドアは開かない。


 もう一度インターホンを押した。が、やっぱり誰も出てくる気配はない。


 もしかしたら留守なのだろうか?


 必死のあまり彼女が留守であるという可能性が頭からすっぽりと抜け落ちてしまっていた。


そもそも留守だとなると俺にはできることなんて何もないのだ。


 あまりに当たり前のように一緒に過ごしていたせいで、生憎なことに連絡先も聞いていない。


 が、一応は居留守だと嫌なので、俺は咲夜と同じ手を使ってみることにする。


♪ピンポーンっ!! ピンポンピンポンピンポン ピンポーンっ!!


ドンドンっ!!


♪ピンポーンっ!!


 すると、


「せ、先生っ!?」


 咲夜の声が聞こえてきた。が、聞こえたのは部屋の中からではなく通路からだった。慌てて声のする方へと顔を向けると、そこには猫のアップリケの付いたジャージ姿で右手にコンビニ袋を掴んだ咲夜の姿があった。


「さ、咲夜っ!!」


 どうやらコンビニ帰りのようだ。が、まあとりあえず見つけることができた。思わず彼女の名前を呼ぶと彼女は動揺したように2、3歩後ずさりする。


「な、なんで先生がこんなところにいるんですかっ!?」


 まあそりゃそういう反応になるだろうな。


「悪い……編集長に聞いたんだよ……」


「なあ、三毛猫出版を辞めたってのは本当なのか?」


 そう尋ねると彼女は少しバツの悪そうな顔で俺から顔を背けた。


「それがどうかしたんですか? それに先生だって辞めた方がいいっておっしゃってたじゃないですか? だから辞めたんです……」


「そ、そうだけどさ……」


「というか何の用ですか……。言っておきますけど私はもう先生の担当編集でもなんでもないんですよ?」


 と、そこで彼女は少し攻撃的な目で俺を睨んだ。


 確かにそうだ。俺と咲夜はもう赤の他人である。だけど、ここまで来てああそうですかと引き下がるわけにも行かない。


 俺はまだ彼女に謝ってはいないのだ。


「そうだな。だから、ここからは作者と読者として話がしたい……」


「意味が分かりません。用がないなら道を開けてください。あんまりしつこいようだと警察を呼びますよ?」


「用ならある」


「な、なんですか?」


「俺は咲夜に謝りにきた」


 単刀直入に彼女に目的を伝える。そんな言葉に彼女は動揺したように目を見開いていたが、またすぐに攻撃的に俺を睨むと下唇を噛みしめた。


「どうして先生が私に謝る必要があるんですか?」


「決まってんだろ。咲夜が俺にファンレターを送ってくれていた読者だからだよ。俺はずっと咲夜に申し訳ないと思いながら作家を続けてきたんだ。もちろん許してくれなんて言わないけど、自分の口で謝っておきたかったんだ」


「…………」


 そんな俺の言葉に彼女は黙っていた。が、その鋭い視線は俺に向けたままである。


「とりあえず中に入ってください。話はそれからです……」


 と、彼女はそう言うとポケットから猫のキーホルダーの付いたカギを取り出して、自室のカギを開けた。


 どうやら一応は俺と話をしてくれるようだ。


 彼女がドアを開けると部屋の中から何やらさわやかな香りが漂ってきた。その香りは咲夜の洋服から漂ってくる香りに似ていた。


「お、お邪魔します……」


 と、一応頭を下げて部屋に入ると、靴を脱いで部屋へと上がる。


「お茶ぐらいしか出せないですけど、我慢してくださいね……」


 と、彼女は無表情のままそう言うと奥へと入ってくので俺も入ることにした。そして、視界に広がるのは整理整頓された女の子って感じの部屋。


 どうやら彼女はピンク色が好きなようで、カーテンの色もベッドのカバーも薄ピンク色で統一されていた。


「そこに座ってて下さい」


 と、彼女に言われた俺は大人しく部屋中央の一人用の小テーブルの前に腰を下ろす。すると、彼女はコンビニ袋から日本茶のティーバッグを取り出すと、やかんに水を入れて沸かし始めた。


 そして、俺のもとへとやってくると、相変わらず冷めた目で俺を見下ろした。


「先生、先生と話すことはかまいません。ですが、私は先生の求めている例の読者でもなければ、あなたから謝罪を受ける義理もありません……」


 と言い放つ。


「でもあの筆跡は……」


「先生は筆跡だけで誰だか判別できるほどのスペシャリストなんですか? まあいいです。とにもかくにも私は先生の読者でもなんでもありません。それでも私をそうだと言い張るのなら私は先生と話をしません」


 正直なところ、どうしてそこまで彼女が否定をするのかはわからなかった。


 だけど、そう言われてしまった以上、俺にはそれ以上追求することはできない。


 謝るために来たのに謝ることを拒否されてしまうと、そもそも何のためにここにやってきたのかわからないが、とにもかくにも彼女とは色々と話すべきことがあるのだ。


 俺が「わかったよ」と彼女はそこでようやく頬を緩めた。

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