第26話 悪魔編集長は素直じゃない

「ごめんね。今日あたりにメールを送るつもりだったの。あ、そうそう今日から先生の担当は私になるからこれからもよろしくね」


 ちょっと何を言っているかわからない。が、そんな俺の動揺を無視して、編集長はあっけらかんとそう答えた。


 なんで彼女が退職するんだよ。だって彼女は三毛猫出版に恩があるとかなんとか言ってただろ……。


「ちょっと待てよ……。なんで咲夜が退職したんだよ」


 確かに退職する理由は十分にある。そりゃ三毛猫出版はブラック企業を超えたダークマター企業だからな。だけど、彼女がこうもあっさりと退職することには違和感があった。


「さあ、一身上の都合としか聞かされてないわよ。せっかくさっくん好みの可愛い女の子をスカウトしたのに、最近の子は色々と心変わりが早いわね」


 だが、彼女が退職しようとなんだろうと、俺はとにかく一秒でも早く彼女に謝らなくてはならないのだ。


 編集長のパンツから必死に目を逸らしながら、息を整えると彼女を見上げた。


「で、咲夜は今どこにいるんですか……」


「知らないわよ。もう辞めたんだし」


「それでも住所ぐらいはわかるでしょ……。教えてください……」


 と寝そべりながら頼むという、失礼極まりない行動で必死に彼女に訴える。が、そんな俺に彼女は相変わらずニコニコしたままだ。


「あらあらさっくんったら咲夜ちゃんに相当お熱なのね。でも、あんまりがっつきすぎると嫌われちゃうわよ?」


「ちゃ、茶化さないでください……。頼みます。咲夜の住所を教えてください」


 と、懇願すると彼女はそこで眉間にしわを寄せた。


「教えてどうするつもり? 言っておくけど、会社の個人情報を赤の他人に漏らすことはリスクを伴うのよ? それ相応の理由を聞かせてもらおうかしら」


 なるほど、確かに個人情報云々言われている時代にそんな願いは非常識だ。いくら非常識な編集長でもそう易々と個人情報を教えることはできないらしい。


 だから俺は寝そべったままだけどできる限り誠意を込めて彼女を見つめる。


「例のファンレターを書いてくれていたのが、咲夜だったんです」


「あらそう。それはよかったわね。でもそれと住所を教えることとどう関係があるわけ?」


「…………」


 そんな彼女の指摘に俺は言葉が出てこない。


そりゃそうだ。だったら何だってんだよ……。咲夜があの読者だったとして、彼女が俺に住所を教える義理なんてないのだ。


 と、そこで編集長は俺の顔を覗き込むと、悪戯な笑みを浮かべながら首を傾げた。


「謝りたいの? 咲夜ちゃんに」


「そうです……」


「でも、謝ってどうするの? 謝ったらさっくんは新作をもう一度書いてくれるの?」


「それは……わかりません」


 正直なところそんなところまで思考が追いつかないというのが実際のところだ。多分、彼女に謝ることに気持ちが集中して、今はそのことを考えられるような状態ではないのだ。


 だが、そんな曖昧な答えが編集長に伝わるわけもなく、


「じゃあ教えられないわね。新作も書かない小説家に私は興味ないの。じゃあ私はこれから銀行に頭を下げに行くから。またね?」


 と、彼女は無情にも立ち上がるとエレベーターへと歩いていく。が、このまま彼女を行かせてはならない。


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!!」


 と、叫ぶと彼女は俺を見下ろした。


「まだ何か用? パンツならいっぱい見せてあげたけど、もっと見たいの?」


 やっぱりバレてたか……。


「いや、そういうことじゃなくて」


「あらあらおばさんのパンツじゃ満足できない? これでも周りには20代ですか? なんて聞かれるのよ?」


「だからそうじゃなくてっ!!」


 あーだめだ。完全に遊ばれている。その証拠に編集長は「うふっ……うふふっ……」と悪魔力全開で俺の肩のあたりをつま先で突いてくる。


 この女、他人の心はないのか……。


 が、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかず、俺は彼女におもちゃにされたまま「ちょっと保留ってことで手を打っていただけませんか?」と頼み込む。すると、彼女は再び俺の顔の前でしゃがみこむと「だ~めっ!!」と俺の頬を指でつついた。


「そ、そこを何とかならないっすか?」


「ダメなものはだめ。原稿書くって言うまでさっくんのことおもちゃにするから」


「いや、それは関係内でしょ……」


「ねえさっくん」


「なんすか……」


「さっくんは咲夜ちゃんにどんな酷いことを言ったわけ?」


 と、唐突にそんなことを尋ねてくる編集長。


「酷いこと? 何の話ですか?」


 その身に覚えのない言葉に首を傾げていると、編集長は俺の額を軽くデコピンしてきた。


「咲夜ちゃん退職届を出すとき泣いてたわよ。ダメよさっくん、女の子を無理やり押し倒したりなんてしたら。ちょっとずつ時間をかければ咲夜ちゃんだってその気になってくれるはずよ」


「ってか、泣いてたってなんですか? なんで彼女が泣く必要があるんですか?」


 その言葉が本当か嘘かはわからない。いや、多分話の流れ的には嘘ではないのだろう。


 だけど、どうして咲夜が泣かなきゃいけないんだ。確かに彼女が俺の読者だということはわかった。もしかしたら、彼女はそんな俺のためにあそこまでのことをしてくれたのかもしれない。


 だけど、だからってどうして彼女が俺の家を去って泣かなきゃならないんだ。


 俺にはその理由がさっぱりわからなかった。


「さあね。乙女心は難しいからね。さっくん、そういうときは自分の胸に聞いてみるのよ……」


 そう言って編集長には珍しく真剣な瞳で俺を見つめた。彼女の長い髪が俺の頬に触れて少しくすぐったい。


「さっくんは楽しくなかったの?」


「何の話ですか?」


「作家さんって小説の中でしか素直になれないの? 決まってるじゃない。咲夜ちゃんと一緒にいて楽しくなかったかに決まってるじゃない?」


「それは……」


「じゃあ私は銀行に頭下げに行くから。またね? 小説を書く気になったらいつでも連絡してね?」


 そう言ってまた立ち上がると彼女はやって来たエレベーターに乗り込んだ。


 そんな彼女を眺めながら思う。


 俺は楽しかったのか? 強引に家に押しかけられ、散々に小悪魔な彼女にからかわれ、無理難題を突き付けられて死ぬ気で原稿を書かされた。


 いや、ホント今思い返しても不条理な話だよな。


 だけど、俺は苦笑いを浮かべるとともに自分の気持ちを隠していることにも気がついている。


 本当は楽しかった。咲夜に振り回されながら原稿を書かされ、果てには変なツアーにまで参加させれて……それでも俺は楽しかった。


 いや、それが楽しかったんだと思う。


 だけど俺はそれを素直に口にすることができなかった。


 プライドか? いや、単純に恥ずかしかったのだ。彼女に面と向かって楽しいなんて言う勇気がなかったのだ。その結果、自分の気持ちを隠して彼女を追いだした。


 そんなことを考えている間にも、エレベーターのドアは閉まっていく。俺は慌てて匍匐前進でエレベーターに近づくと閉まりゆくドアの間に手を突っ込む。


「た、楽しかった……です……」


 と、そう伝えると編集長は「あら、それはよかったわ。じゃあ先生が土下座したらまたパンツぐらいみせてあげようかしら?」


「いや、そっちのことじゃないです……」


 と、相変わらずの編集長にそう否定すると、彼女はクスクス笑って俺を見下ろした。


「それ、本気? 私を誤魔化すために吐いた嘘なら、例の画像拡散しちゃうぞ?」


「嘘じゃないですよ……あと、それシャレになってないです」


 俺が社会的に死んでしまう……。


 と、焦る俺を見てしばらく彼女はクスクス笑っていたが、不意に真顔に戻るとじっと俺を見つめた。


「じゃあちゃんと言って」


「ちゃんと言う?」


「私、岩永達樹は木花咲夜と同棲していた日々が楽しくて仕方がなかったって言って」


「いや、なんで……」


 その宣言に何の必要があるんだよ……。


「なんでもよ。しいて言うなら、さっくんが恥ずかしいことを言うところを見てみたいからかしら?」


「あんたは鬼か…………」


「そんなこと言うなら私、銀行に行っちゃうぞ?」


 どうやらやるしかないらしい。ここで彼女の機嫌を損ねたら、俺は咲夜を見つける術を失ってしまうのだ。


 だから「言います言いますっ!!」と答えて彼女を呼び止めた。


「はい、じゃあどうぞ……」


「正直なところ、鬱陶しいなんて言ってたけど……楽しかったです。なんだかんだ言って、一人暮らしの俺の生活が彼女のおかげで華やかになりました。迷惑な顔をしていたのは素直な自分を見られるのが恥ずかしかったからです。だけど、俺、岩永達樹は木花咲夜と一緒にいた日々が楽しくてしょうがなかったです」


 と、俺は自分の気持ちを素直に口にした。


 意外というかなんというか俺が気持ちを吐露している間、彼女は真剣に俺の話を聞いていた。


 どうやら単純に俺に意地悪するつもりでもないようだ。


 話し終えると彼女はポケットに手を入れると、何故かスマホを取り出した。


 そして……。


♪ピロリロリ~ンっ!!


 と、彼女のスマホから軽快な音が鳴り響いた。


「はい、ちゃんと録音しました」


「おいっ!!」


 この女ぶっ殺してやりたい……。


 が、彼女は俺の憎悪の表情をこの上なく嬉しそうに眺めるとエレベーターのドアを押した。そして、ドアが閉まるその直前に、


「下の駐車場で待ってるわ。五分以内に来ないと置いてくわよ~」


 と言った。

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