第25話 小悪魔編集ちゃんと手紙

 かくして木花咲夜は俺の家からいなくなった。そして、俺からも新作を書き上げるという重荷は取り払われることになった。


 これでよかった。


 万事解決だ。


 印税という俺の生命線は失われてしまったけど、自分のプライドを捨ててまで小説家を続けていたところで、いつかは精神が破綻していたに違いない。


 だから、この決断は正しかった。


 なんて自分に言い聞かせて俺はコンビニ弁当にむさぼりつく。


 うむ、美味い。今時のコンビニ弁当はよく選べば、充分に栄養バランスだってとれるし、温めれば味だって抜群だ。


 これを食い終わったら求人サイトでも眺めながら、アルバイトから始めよう。


「…………」


 それにしても静かだ。当たり前だけど、六畳間には俺の咀嚼音と、外で近所の子供たちが遊ぶ声だけが響く。


 寂しい……。


 おもわずそんな感情が湧き出てきて、俺は慌てて首を横に振る。


 そんなはずはない。よくよく考えたら全ては無理難題だったんだ。勝手に出版を決められて10日間で原稿を仕上げろと言われたんだぞ? それどころか編集は勝手に俺の家に住みつくし、プライベートもくそもなかった。


 むしろ、そんな無理難題を引き受けようとした俺の方がどうかしていたと思う。


「…………」


 ダメだ。自分にそんなことを言い聞かせてどうする……。


 そんなのもう、楽しかったですって自白しているようなもんだぞ。とにかく別のことを考えよう。前向きに前向きに……。


 なんて考えていると、ふと玄関でポトリと何かが落ちる音がした。


「ん?」


 その音に疑問に思った俺だったが、すぐに時期的にガスメーターの検針の音だということに気がつく。


 我が家はプロパンガスである。そして、今月は咲夜と二人で生活をしていたため、普段は使わない浴槽にもお湯を張ったし、シャワーだって二人だから倍使っているはずだ。


 結構金額いってるかもな……。


 と、急に不安になったので、箸を置いて金額を確かめるために玄関へと歩いていく。きっとポストに今月の使用料が書かれているはずだ。


 そう思って、ドアポストを開いた俺だったが、そこに入っていたのはガスの検針票ではなかった。


「なんじゃこりゃ……」


 そこに入ってたのは封筒だった。猫の絵が描かれた可愛らしい封筒。


 首を傾げながら封筒を手に取ると、紙が入っているには少し重みを感じた。封筒に触れてみると何やら硬い物が入っている。


 疑問に思いながらも封筒を開けると、封筒をひっくり返してみる。するとそこには我が家の合鍵が入っていた。


 そこでその封筒を入れたのが咲夜であることに俺は気づく。どうやら彼女は俺の部屋の合鍵を持ったまま出て行ってしまっていたようだ。それをわざわざ返しに来てくれたようだ。


 ドアを開けて挨拶ぐらいはしようか……。


 なんて一瞬考えたがやめた。特に俺の方から彼女に言う言葉なんてないのだ。それに彼女も俺に言うことがないからこそ、こうやってポストに封筒を入れたに違いない。


 まあ、これでお別れってことだな。


 そう考えながら、俺は封筒とカギを手に部屋へ戻ろうとした。


 が、そこで俺は気がつく。封筒にはカギとは別に便せんが入っていることに。


「…………」


 正直なところ、その便せんを抜き取る勇気はすぐには湧かなかった。


 しばらくその場で立ち止まって考えてから俺は……便せんを抜き取った。二つ折りにされた便せんを手に取ると、ゆっくりとそれを開いてみる。


 すると、そこにはたった一文、こう書かれていた。


『私は先生を許します』


 書かれていたのはたったそれだけだった。


 だけど、その文字を見た瞬間に俺の心臓は跳ね上がった。


 おい……ちょっと待て……この文字……。


 それは見覚えのある筆跡だった……。


 少し丸文字っぽいけど、それでいて文字のバランスがよくて達筆な筆跡。


 間違いない。あの人の文字だ。


慌てて手紙を放り投げるとサンダルに足を入れて外に飛び出す。もしも咲夜が彼女だったとしたら、俺は麺と向かって彼女に謝らなければならない。


 そう思って外に出た俺は慌ててアパートの階段を駆け下りて路地へと出た。


 が、


「はぁ……はぁ……」


 そこには誰の姿もなかった。ただ見えたのは遠くへと足り去っていくタクシーだけ。


 走り去るタクシーを眺めながら俺は混乱する頭を整理する。


 合鍵が入っていたということはあの封筒を入れたのは咲夜に違いない。そして、その封筒に入っていた便せんにはあの人の筆跡。


 どういうことだよ……。


 いや、わかっている。咲夜は俺に何度も何度もファンレターを書いてくれたあの人だ。


 もちろんそれは薄っすらと感じていた。観覧車で咲夜が病院の話をしたときだって俺はもしかしたらって咲夜を疑った。


 だけど、俺はあえて疑うことを止めてきた。それはきっと彼女自身も望んでいることだと薄々気がついていたから。だからこそ、彼女はきっぱりとそれを否定していた。


 いや、というよりは彼女があの人であると考えることが俺には怖かったから。


 だけど、あの文字を見て彼女が咲夜であるということが、疑いようのない事実として突き付けられる。今までは他人の空似で片づけられていたけど、俺の中の本音がそれを勘違いであると否定することを許してくれなかった。


 彼女が咲夜であると事実を知ってしまった俺は……もう彼女を無視することができなくなった。


 俺はやっぱり面と向かって咲夜に謝らなければならない。



※ ※ ※



 俺はその足で駅へと向かうと近くのタクシーを捕まえて都心へと向かった。タクシーに揺られながら俺は考える。


 多分、逃げていたんだと思う。


 彼女は幾度となく俺にヒントを出していた。それなのに俺はそのことを気づかないふりをして逃げていた。


 それは彼女に拒絶されるのが怖かったから。


 彼女にあんな小説を書いて顔を背けられるのが怖かったから。


 だけど、それではダメだ。謝らなければ。仮に罵詈雑言を浴びせられたとしても彼女にちゃんと頭を下げないとダメなんだ。


 でないと俺はラノベ作家になったことを一生後悔することになる。


 焦る気持ちとは裏腹に、タクシーはゆっくりと都心へと向かった。都心に近づくたびに信号は多くなり、車の進みも緩やかになった。


 早く彼女に謝りたい。その気持ちだけが先走りして落ち着かない。


 だけど、それでも徐々にタクシーは目的地へと近づいていき、ようやく停車した。運転手さんに5千円札を手渡して「ありがとうございます」と飛び降りた俺は目の前のビルを駆け上がる。


 にゃんにゃん文庫の編集はこのビルの8階にある。


 よくよく考えたらエレベーターもあるのに気持ちが逸って階段を駆けあがってしまった。


 そのせいで運動不足気味の俺が8階に到着するころには床に倒れ込むほどに息が荒れていた。


 あぁ~くるじぃ……。


 あと数歩なのに、体力尽きてその場に倒れて息を荒げる俺……。


 あと数歩……あと数歩が歩けない……。


 と、自分の体力のなさを恨んでいると、ふと目の前の扉が開く。


 視線をドアへと向けるとそこにはスーツ姿の編集長の姿があった。彼女は驚いたように目を丸くしてしばらく俺を見下ろしていたが、不意に悪戯な笑みを浮かべると俺の頭の前でしゃがみ込んだ。


「あら、さっくんじゃない。もしかして原稿を書く気になってくれた?」


 と、首を傾げる彼女。


 パンツ……パンツ見えてる……。


 けど、そんなことを喜んでいる余裕はない。


「さ、咲夜……咲夜はどこだ……」


 と息を切らせながらそう尋ねると編集長は「さくや?」とまた首を傾げる。


「決まってんだろ。木花咲夜だよ。彼女はどこにいる?」


 と尋ねると彼女はわざとらしく「あぁ~木花さんね」と言ってからにっこりと微笑んだ。


「木花咲夜さんなら退職したけど?」

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