第24話 小悪魔編集ちゃんはいなくなる

 さっきまで馬鹿みたいに騒いでいた六畳間は悲しいぐらいに静まり返っていた。


 俺が悪いのはわかっているけど気まずい……。


 黙り込む俺の隣で咲夜は小さくお山座りをして黙っている。さっきは少しカッとなったが、まあ咲夜にそれをぶつけても仕方がないことはわかっている。けど、俺は気持ちの切り替えができないでいた。


 その結果がこの沈黙である。


「先生……ごめんなさい……」


 と、そこで咲夜が不意に俺に謝ると膝に顔を埋める。


「別に謝らなくてもいいよ。俺も多分酷い顔をしてただろうしお互い様だ」


 なんというか大人げがなかったとは思う。それに俺は普段あまり怒りを露わにするタイプではないだけに咲夜をびっくりさせてしまった自覚もある。


「なあ、咲夜」


「なんですか?」


「お前はこれからも三毛猫出版で仕事を続けるのか? 傲慢な言い方だけど、俺がこのまま原稿を出さなければあの会社はつぶれるぞ。なんなら他の作家さんに当たってお前を雇ってくれそうな出版社を探してやってもいい」


「…………」


 希薄なネットワークではあるけれど、俺にだって一応作家仲間というものは存在する。時々情報交換をしているが、どうやら編集という仕事は慢性的な人手不足に苦しんでいることぐらいは知っている。


 それに彼女は一応、編集としての経験はあるのだ。その気になれば彼女であればいくらでも働き口は見つかりそうだ。


「私は他の出版社にはあまり興味がないので……」


 がそんな提案に彼女は首を横に振った。


「先生……条件は悪くないと思います。先生だって前みたいに何万部も重版して多くの読者さんに読んでもらいたいと思いませんか?」


「俺の心配をする暇があるなら自分の心配をしろ。このままだとあの会社、本当に倒産するぞ?」


「そうかもしれませんね……」


 と苦笑いを浮かべる咲夜。


 本当にこいつは自分のおかれた状態を理解してんのか?


 と、自分に来た仕事を棒に振ろうとしている分際でそんな心配をしてしまう。


「それにお前だっていつまでも見ず知らずの男の家に居候なんてしたくないだろ?」


 冷静に考えて異常だ。いくら仕事とはいえ年の近い男だぞ? そこまでして三毛猫出版で雇ってもらう恩が彼女にはあるのか?


 諭すつもりで彼女にそう尋ねた俺だったが、そんな質問に彼女は少し驚いたように目を見開いて首を傾げた。


「私は別に嫌じゃないです……」


「なんでそうなるんだよ……」


 俺には彼女の気持ちはわからない。だが、とにもかくにも俺が書かないと決めた以上、彼女がここに居座る必要はもうないはずだ。


「とにかく書かないものは書かない。お前も身支度を整えて会社に戻れ。短い間だったけどお世話になったな」


 これでも彼女のおかげで執筆速度も上がったし、彼女はなんだかんだ言ってもご飯を作ってくれたり、俺が執筆するのを隣で待っていてくれたりしたのだ。そんな彼女に感謝の気持ちがないわけではない。


 だからこそ、これ以上彼女に意味もなく働かせるのは申し訳ない。


 そんな俺に彼女は何故か少し寂し気な表情で顔を上げた。


「先生……」


「なんだよ……」


「一つ聞いてもいいですか?」


 そう言って首を傾げる咲夜。


「先生は編集長から直前になって無理難題を突き付けられたから断ったんですか?」


 なんだよその質問は……。


「そんな当たり前の質問をして何の意味があるんだよ。そうだよ」


 と当たり前すぎる質問に当たり前のように答える。が、彼女にはその答えがしっくりこなかったようで相変わらず首を傾げたままだ。


「先生にとっての無理難題は、直前になって展開を変えさせられたことですか? それとも病気の主人公を書くことですか?」


「なんでそんなことを聞く」


 もちろんその答えは後者だ。さっきも言ったが三毛猫出版の無理難題はこれまでなんども受けて来たし、今更感はある。だけど、どうしてもそんな慣れっこの無理難題でも、病気なんてもんを安易に提案してくる編集長には嫌悪感を抱かざるをえなかった。


 だから、


「そうだよ。編集長にも言ったけど俺はそういうものを書きたくない」


 そう答えると彼女は「そうですか……」と答えてまたしばらく黙り込んだ。


 が、また不意に俺を見つめると「どうして2年間もの間、新作が書けなかったんですか?」と尋ねてくる。


 多分彼女は知っているのだ。2年間のブランクと俺が編集長にノーを突き付けた理由が同じだということを。


「お前だって編集長から色々話は聞いてるんだろ?」


「…………」


 そう尋ねると彼女はしばらく気まずそうな顔をして「ごめんなさい……」と謝った。


「自分の描いた作品を自分のことのように読んでくれる尊い読者さんがいて、俺はその気持ちを裏切ったんだ。それなのにまた俺に裏切れって言うのか?」


 俺が前回書いたのはさっき編集長に強要された病気モノだ。


 正直なところ自分でも安直だったと思う。病気のヒロインを出せば簡単に読者を感動させられるなんて考えて執筆を始めたのは否定できない。


 それでも俺はその病気について当時の編集さんに頼んで色々と勉強したし、決して軽い気持ちでは書かないと心に誓って書き始めた。


 そして、蓋を開けてみたら、自分でも予想していなかったぐらいに大ヒットした。


 こんな言い方は嫌だけど、三毛猫出版ではありえないほどの大ヒットだった。初めて三毛猫出版の小説が平積みにされたし、アニメ化もされてさらに発行部数だって伸びた。


 だけど、そんな俺に予想外なことが起きた。


 それは同じ病気を抱えた女の子から届いたファンレター。


 俺は編集と当時から決めていた。最終巻でヒロインは死に、主人公はその悲しみをどうとらえるのか、そしてどうやって前に進むのか真剣に向き合おうと。


 だけど、そんなファンレターを手にしてから俺の心はかなり揺らいだ。


 だってそうだろ? ファンレターにはヒロインに自己投影をした彼女から『励まされた』だとか『私も彼女と同じように病気から目を逸らしません』とか書かれていたんだ。


 もちろん嬉しい。彼女は真剣に俺の小説を読んでくれていたのは文面を読んでもわかったし、そこまで真剣に読んで真剣に返事をしてくれる読者さんなんてそう多くはないのだ。


 それなのに、それだからこそ心は揺らいだ。


 ヒロインを殺してしまったら彼女はどれだけ傷つくだろうか……。


 だけど……だけど……。


「俺は書けなかったんだよ。わかってたさ。ヒロインに自分を重ねてくれる読者さんがいることがいることはわかっていても、どうしてもあの話はヒロインを殺さなきゃだめだった……」


 俺は結局、ヒロインを殺してしまった。


「でもそれはしょうがないじゃないですか……」


「確かにそうだ」


「だったら――」


「でも、考えてみろよ。自分もヒロインみたい頑張りますって言ってくれた女の子に出した答えがヒロインを殺すことだぞ? そんなの書いてその子がどれだけ傷つくかわかるか? 俺だってそりゃ助けてあげたかったさ。そんな結末あんまりだよな? 初めにそんなプロットを書いた自分を恨んださ。それでもあの展開はヒロインを殺す以外の選択肢はなかった。あれでヒロインを助けなんてしたら、それこそ興ざめだっただろうさ……」


「先生がそこまで考えてそうしたのならば、しょうがないと思います。きっとその読者さんにも気持ちは伝わっていますよ」


「だったらいいけどな。まあ、最終巻を書いた直後に俺は謝罪文を彼女に送ったよ。作家として無力ですみませんって書いてな。その日から彼女からファンレターが届くことはなかったけど」


「…………」


 そんな俺の言葉に彼女は黙り込む。


 あー俺の良くない部分が出ている。俺は多分、無意識に彼女に自分の弱さをぶつけていた。


 彼女にはどうしようもないことはわかっているのに。


「ただの文字の羅列だって、時には人の心を傷つけるんだ。俺はあの時、そんな当たり前なことを痛感させられたんだ。だから俺は安易に人を感動させるために病気なんて使いたくない」


 確かに彼女の言うことはその通りだと思う。きっと編集だって多くの読者だって俺がヒロインを殺したことを責めはしないだろう。


 だけど、俺のメンタルはそこまで強くはないのだ。


「わかったか? とにかく何を言われても俺は書かない。わかったら荷物を纏めて出て行ってくれ」


 そう言って俺はポケットから財布を取り出すと、そこからキャッシュカードを引き抜いて彼女に手渡した。


「先生……」


「もしも行くところがないなら、これを使え。俺にだってお前を招き入れた責任ぐらいはとるよ」


 彼女の家がどうなってるかはわからないけど、多分、編集長によって何かしら家に戻れないようにされているはずだ。あの女なら外カギを付けるぐらいのことは平気でやってのけるはずだ。


 少なくともカードには、贅沢さえしなければ数週間はホテルで生活できるぐらいのお金は入っている。


 痛い出費ではあるけど、彼女にはそれ相応の恩はある。


 が、そんな俺に彼女はカードを受け取ろうとせずに俯いてしまう。


「私……帰りたくないです……」


「なんでだよ。お前だってこんな生活まっぴらごめんだろ。見ず知らずの男の家だぞ? ちょっと危機感が足りなすぎる。俺がいつどのタイミングでお前に手を出しても、こんな状況じゃお前、文句の一つも言えないぞ?」


「先生がそんなことしないのわかってます……」


「それはお前の満身だな。俺だって男だ。酷い目に遭っても知らないぞ?」


 そう言って彼女を少し脅かしてみるが、彼女は俺をじっと見上げたまま微動だにしない。


 それどころかにっこりと微笑むと「私、先生との生活は大変なこともありましたけど……楽しかったです……」と言ってのける。


「楽しい? 見ず知らずの男がただ小説を書いているのを見ていて何が楽しいんだよ。しかもそいつのために朝早く起きて飯を作ったり部屋の掃除までしなきゃなんないんだぞ?」


「それでも楽しかったです……」


「なんでだよ」


「先生は楽しくなかったですか?」


 と、彼女は逆に俺にそう尋ねてきた。


「…………」


 その質問に俺は……答えられない。


 そんな俺に彼女はじっと俺を真剣に見つめて返事を促してくる。


「お、俺は一人でいるのが好きなんだよ……」


 そんな俺の言葉に彼女は目を剥いた。けど、それも束の間、また真剣な瞳で俺を見つめてくる。


「それ、本心で言ってますか?」


「だったらなんなんだよ」


 俺が一人でいるのが好きというのは本当だ。それについて、嘘は吐いていない。


 彼女はそれでもじっと俺を見つめていたが、不意に「はぁ……」とため息を吐くと立ち上がった。


「わかりました。荷物を纏めます。短い間でしたがお世話になりました……」


 そう言って俺に深々と頭を下げると荷物をキャリーバッグに詰め込んで玄関へと歩いていく。


「…………」


 そんな彼女を呆然と眺めていると、彼女は再び俺へと身体を向けるとまたぺこりと頭を下げた


「確かに先生にはご迷惑をおかけしたと思います。ごめんなさい」


「いや、俺は別に……」


「先生だってそりゃ知らない人が家にあがりこんで居座ったら迷惑ですよね。そんなこと当たり前なのに、先生も楽しんでくれているって誤解していました。ご迷惑をおかけしました」


 そう言って彼女はにっこりと微笑む。


 別に俺は彼女に謝ってほしいわけじゃない。それに別に迷惑だったわけじゃない。それなのに、彼女は何度も俺に頭を下げた。


 彼女が頭を下げるたびに、俺の胸がチクチクと針で刺されたように痛くなる。


「別に謝ってもらう筋合いはない」


 と、彼女に伝えると、それまで笑みを浮かべていた彼女は俺を睨んだ。


 そして、


「それはこっちのセリフです……」


 と呟くと俺から視線を逸らした。


「え?」


「こっちの話です。申し訳ありませんでした。もう二度とこんなことはしません。編集長に言われても断ります。ですからご安心ください」


 そう言うと彼女はドアを開けると部屋から出て行った。が、ドアを閉める直前に再び俺を見つめると「でも、私は楽しかったです……」ともう一度笑みを浮かべてドアを閉めた。


 そして、彼女は我が家からいなくなった……。

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