血獣の匂いに邪魔されないご飯(夕喰に昏い百合を添えて27品目)
広河長綺
第1話
ディナーを、吐きそうになった。
胃の中身が喉の上の方まで来て、口の中に胃酸のすっぱい味が広がる。
まずいからではない。母は料理が得意だし、実際、さっきまで母がこのハンバーグを料理していた時にはキッチンからの匂いで、よだれが出たほどだった。
問題なのは料理が完成したタイミングで、生魚の血の匂いを10倍強烈にしたような匂いが、周囲に漂い始めたことだ。
悪臭の出どころはわかっている。
血獣だ。
今も、サッカーボールのような大きさの肉塊が、リビングの真ん中でプルプルしている。メロンのような網目血管模様の皮膚から、黄色い液体が染み出て、ピンク色のかわいいカーペットを汚す。テレビの上に取り付けたばかりの有機ELの光を浴びて、テカテカ光る。
こういう特徴をもった血獣という存在が、私の家に住んでいる。
悪夢でしかない。
2121年に、人間の輸血を作るためだけに人の遺伝子を組み込んだ豚からデザインされた生物。
それが血獣だ。
当時、倫理にうるさい人たちからの批判を無視して、遺伝子に改造を加えまくった。
手は血を採取する上で、必要ない。
足も必要ない。
顔も必要ない。目も。鼻も。口も。
結果、現在のような肉の塊になった。
ペットとしてデザインされていないから臭いのは当然だ。血獣は汚れた生物であり、一緒に暮らすことがそもそも間違えている。
「そこにいる血獣を殺してよ。血獣の匂いに邪魔されないご飯が食べたいよ」
お母さんに言いたくなった文句を、ゲロとともに飲み込む。
なぜ母に対しての文句を我慢するかと言えば、数年前から、母は血獣保護団体に心酔していたからだ。
さっき説明した「血獣の開発に反対していた倫理にうるさい人たち」の残党であり、血獣が完成した今となっては「人間の遺伝子を持つ以上、血獣に人権を!」と主張して国によってはその主義のために殺人すらしている。
そんな思想にかぶれた母に、もし私が「血獣をキモい」と言おうものなら、
「血獣だって生きてるのよ!人間と同じ権利があるべきなの。いつから差別主義者になったのぉぉ」とヒステリックにキレるだろう。
だから今日も私は鬱々とした気持ちで「ごちそうさまでした。おいしかったよ」とお母さんの機嫌をとる。
「血獣ちゃんも、嬉しそうだったねー」と笑顔な母に対して
「そうだねー、今日もかわいいねー」
母を刺激しないように、私は作り笑いで適当に頷く。
私は表情を作るのが下手なので、ボロが出ないうちに踵を返して、2階の自分の部屋に引っ込んだ。
一生懸命ハーブを焚いているので、ここならまだ、呼吸が楽だ。
ベッドの上で、寝転んでスマホを手に取る。
SNSを開いて、友達の投稿を流し読みする。
母から離れた直後はいつもそうだ。何も考えずに、母とは違う他人の投稿を読んで、母の思想を薄めて時間を潰す。
すると、あるつぶやきが流れてきた。
〈今日さぁー、めちゃくちゃ汚い肉塊がいたから「汚いからこっち来るな」
って言ってやったら、そいつ体液流して逃げてったw〉
言葉をオブラートに包んでいるけど、「肉塊」は、血獣のことだ。
この発言をしたアカウント「天誅」を、普段から見ていない人にはわからないだろう。
だが、私にはわかる。
「天誅」は、いつも血獣保護カルトを批判する投稿をしていて、その度に私の溜飲を下げてくれていたから。
出会いは、1週間くらい前。
何気なくSNSを見ていて、血獣保護団体への嫌悪感表明をみつけ、興味をもちその投稿者のアカウントを見に行って、舌を巻いた。
毎日のように、堂々と、血獣保護団体への悪口を投稿していたのだ。
それだけでも感嘆していたが、それ以上に私を痺れさせたのは、「天誅」が私と同年代の少女であり、女子高生としてのリア充もできていたところだ。
血獣への怒りを堂々と表明しつつも、私のように血獣に人生を狂わされたりしない。
私と同年代の少女らしいネイルの自撮りや、友達とのショッピングもSNSにあげつつ、「そのついでに」血獣保護カルトへの批判をガンガン投稿し「肉塊」を殺す姿は、本当にカッコいい。
母の狂った思想が充満して息苦しい私にとって、酸素ボンベのような存在。
「天誅」は、今も私の期待に応えてくれている。
さっき私が吐き出せなかった血獣への罵倒を、私にはわかるような形で、インターネットにぶちまけてくれた。
そんな天誅の小気味よい態度に興奮してしまった私は、衝動的に「天誅」にリプで話しかけてしまった。
「あの、すいません。あなたはいつも『肉塊』を保護してる団体を批判していますよね?どうしたら、私も、あなたみたいになれますか?」
返事はない。当たり前だ。私は匿名なのだから。
それでも私は話し続ける。
「あなたの言う通り、彼らのやってることは主義の押し付けです。だから、みんなおかしいと思うはずなのに、私の周囲は保護団体の味方ばかりで」
そこまで入力したとき、
ピコン
返信が、あった。
予想外の速さに、息をのむ。
今まで、一度も、SNSで「天誅」に絡んでいないのに。
見知らぬ人に、こんなにすばやくレスポンスするものなのか?
戸惑う私の目に飛び込んできた返信は、たったの2文。
――あなたの住所だけ教えてください。それ以外の情報は、肉塊処理には不要です。
短いながらも、殺意をひしひしと感じる。
もし私の住所を教えたら、どうなるのだろう。彼女は私の家に乗り込んでくるのか?
怖い想像が、胸をかすめた。
ひょっとして「天誅」は、母と同じ狂信者なのではないか。その方向性が逆なだけで。
今になって不安が心に影を落としてくる。
それでも私は、震える指で、自分の住所を送信した。
どんな結果を生むのかわからない存在でも、今の状況に変化があるのなら歓迎しよう。細かい心配は、一度寝てすっきりした頭で明日すればいいや。
――そんなことを思いながら寝た昨夜の私は、今思えば本当に悠長だったなぁ。
翌朝に母の悲鳴で目が覚めた時に、私は後悔していた。
1階の玄関の方から「誰ですか!帰って下さい!」という母の悲鳴が聞こえた時点で、私は、天誅さんが来てしまったのだと悟った。
天誅さんが翌朝に家に来るとは思っていなかったことを後悔する。
私は天誅さんの行動力を尊敬していたはずなのに。
パジャマのまま玄関へ走って行き、私は息をのんだ。
腰を抜かした母の頭ごしに、開かれた玄関のドアが見える。
そこに、ギャルっぽい娘が立っている。
肩を露出させたオシャレなシャツと黒を基調としたミニスカートを着こなし、堂々と不法侵入している。
まるで自分がここに居ることは正義であるとでも言うように。
しかしそんな天誅の姿は私の理想であり、予想通りだ。
私が驚いたのは、天誅が血獣を連れていたことだ。
「なんで、血獣なんてものを」
思わず口にだした私の疑問に「やっぱりね」と天誅は綺麗なつやのある唇を歪め、苦笑した。
「あのさ」私を指さした。憐れむような眼差しで告げる。「あんた勘違いしてるみたいだけど、私が憎んでいるのは血獣保護団体であって、血獣じゃないから」
「じゃあ、肉塊っていうのは…」
「血獣保護団体の狂人のこと。あいつらのせいで、血獣を憎む人が出てきてしまうから。あんたみたいにね」
と、天誅が答えてくれた。私の存在を皮肉に思っているような、口調だった。
呆然としている私の前で、天誅の血獣が数メートルあるプルプルとした体で私の母に迫り、ゲルのような体でのしかかっている。どうやら食べるつもり、らしい。
母が血獣保護団体の狂人だから、か。
「アタシは血獣を愛しているからこそ、こういう肉塊を、血獣使って処理してるんだよ。気づいた?アタシの血獣は臭くないでしょ。あんたの家の血獣が臭かったのは、あんたの母親が自己満足のためだけに血獣を飼い、ちゃんと世話してなかったってこと」
そう長々と説明してくれた天誅は、いまだ呆然自失な私を気遣っているようだった。
なんの前置きもなしに私の目の前で私の母を殺すのは流石によくない、と思ったのかもしれない。
そんな天誅にとっては破格の気づかいされても、私からすれば、納得できるはずがない。
「ふざけるな!!」
罵声の後に続く言葉を、私は必死で探す。
「…血獣を私は、ずっと、ずっと、憎んできたのに」
ずっと尊敬していたのに。血獣と仲良しなんて、裏切りだ。クズだ。
「あんたの部屋が汚かったのは、あんたの母がネグレクトだったから。そのネグレクトの言い訳に飼われた血獣が臭かったのは、手入れをちゃんとしなかったから」
私の苦し紛れの言葉を、天誅は軽く一蹴した。私の母を完食した血獣を引き連れ、呆れた顔で立ち去りながら、冷たく言い捨てる。「あんたが憎むべきだったのは母親だよ」
気がつくと、天誅はもういない。彼女が連れていた血獣も、私の母も、母が飼ってた血獣も、痕跡すら残っていなかった。さっき目の前で起こった惨劇に、実感を抱けない。
天誅が立ち去った後の開けっ放しのドアから清々しい朝空の青がのぞく。鳥が平和にチュンチュン鳴いている。
――そうだ、朝ごはん、たべよう。
私はボーっとした頭で、台所に向かう。
今なら、念願の、血獣の匂いに邪魔されないご飯が食べられるじゃないか。
美味しく栄養補給すれば、血獣も母もいない私が、これから怒りをぶつけるべき相手を探す気力も湧いてくるはずだ。
現時点で一位なのは私が尊敬する天誅様だが、探せばもっと憎いものが見つかるかもしれない。
血獣の匂いに邪魔されないご飯(夕喰に昏い百合を添えて27品目) 広河長綺 @hirokawanagaki
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