エピローグ
(一)
四人の努力を称えるように、当日はからりと晴れた運動日和だった。
「……それではルール説明です。網野さん、お願いします」
クラスのみんなの前、セリフを言って小雪にマイクを渡す。
今日はお楽しみ集会の日。
みんなが楽しみにしてきた、そして四人の成果が現れる日だ。
小雪の説明が終わると、莉和が
「それでは、ルールは分かりましたね?
ゲームスタートです!」
という。
あっという間に校庭にはガヤガヤ声が溢れかえった。
「成功だね」
華彩が莉和を振り返ると、莉和はきらきらした目で
「うん」
といった。
華彩は楽しそうに散らばっているクラスメイトたちを眺めた。
本当、楽しそう。
日陰で鬼の様子を窺う一樹、それを見つけ迫るのは、鬼の莉菜子だ。
二人の様子を見ていたら急におかしくなって、華彩は思わず吹き出した。
希望が振り向く。
そして、同じようにふきだした。
――笑う二人を見て、莉和は一人、俯く。
だめだ、と目を閉じる。華彩たちに気づかれたくない。太陽の眩しさから目を庇うようなポーズでひさしをつくる。そのかすかな影の中で、そっと力を抜くと、歯の間からすっと痛みが走った。
自分でもおかしいと思う。笑われたっていい。
静かに、莉和は泣いた。
(まだ、思い出せない)
(二)
四年前――――
その日、莉和はクラスメイト数人と、かくれんぼをしていた。
クラスメイトの一人、
「もーいーかい」
莉和は、友達の
今思えば、だいぶ、衛生上好ましくない話である。ただし、小2だったから…………。
加奈子の声が聞こえて、莉和はびくりとした。隣の美奈も、耳を澄ましている。かくれんぼは、何故かいつも、鬼の存在をとても怖く感じさせる。莉和にとってはそうだ。
トン、トン、トン、――
「来たっ」
美奈が声を上げて、莉和は、人差し指を唇に当て、
「しーっ!美奈ちゃん、声が大きい!」
と小声で注意する。
トン、トン、トン、――。
案の定、加奈子の足音が、莉和たちが隠れているところの正面で止まる。
しかし――。
「あれえ?莉和ちゃんたち、いないなあ」
加奈子の足音が遠ざかっていく。莉和たちは、肩透かしを食らったような気持ちで顔を見合わせた。
お互いの顔が、「行っちゃったね」と言っているのが伝わった、その時だ。
グラン、と、莉和たちがかくれていた台が揺れた。次いで、
「わっ!」
頭上から声が降ってきて、莉和たちは悲鳴を上げた。
見上げると、加奈子の、してやったりのニヤニヤ顔。
「もう、加奈子っ」
「加奈子ちゃーん」
二人が加奈子の肩を軽くペシッと叩く。
フェイントをかけるなんて、ずるいよー。
いつから気づいてたの?
回想する中で、莉和は密かに身構える。
(もうすぐだ)
莉和が忘れてしまった、このあと行方不明になる友達の名前が会話に出てくるのは。
美奈がキョロキョロ、あたりを見渡す。
「あれ?」
続く、一言。
「あれ? ――ちゃんは? もう見つけたの?」
ああ、と、目を閉じる。
また、思い出せなかった。
そして、その子は、その後の授業に現れなかった。先生もみんなも、ざわめき出した。
どこに行ったんだ、と。
その子に何があったのかはわからない。
けれど確信があるのは、もう、この世界の誰も、莉和以外にその子の存在を覚えている人はいないということだ。
次の日、莉和は美奈に言った。
「――ちゃん、いないね」
そういった。
すると美奈は、ゆっくりと上体を起こし――、不思議そうな仕草で、口を開いた。
「誰のこと?」
加奈子も、覚えていなかった。
それどころか先生も、クラスの子も、みんな。名前をフルで覚えていたその頃は、漢字まで書いてみせたのに、みんな首を傾げた。
揃って言った。
「そんな子、いないけどな」
そうなって初めて、事態が普通じゃないことが理解できたのだ。
みんな、何故か莉和以外、あの子のことを忘れてしまったのだ、と。
(三)
莉和は、一度回想をやめる。
校庭を見渡すと、疲れたのかしてみんなの動きが鈍ってきていた。
「休憩にする?」
走り回る絢と鈴を目で追いながら華彩に声をかけると、華彩はまた、右にいた小雪に確認する。答えは聞き取れなかった。
華彩が振り返って、苦笑する。
「小雪ちゃんが、やるならとことん疲れさせてやるってさ」
ははは、と莉和も笑いながら、回想を続けた。
家に帰って、台所の隅のレターラックを漁る。
莉和のお母さんが、学校関係の大事な書類を保管しているところだ。当然、学年名簿も入っているはずだった。
(そんなわけない。覚えてないわけない)
「誰のこと?」
「そんな子、いないけどな」
みんなの、下心のなさそうな素直な声が耳に蘇る。やるせなさに叫んでしまいたかった。
ばかな、そんな馬鹿なことがあるか。
《友利小学校第二学年》
大袈裟でなく息が止まる。
手が大きく震え、がさりと大きな音を立てて、学年名簿をラックから取り出す。
それを広げ、深呼吸する。
(これを持って行って、存在してること、証明してやる)
その子の名前を探そうとし――。
名前が、思い出せなくなっていた。
その子の名前はたしか、りん……。
莉和は目を見開いた。
頭の中に電流が走ったような感覚。なんで、思い出せなかったのだろう。
校庭を、鈴と理恋が逃げ回っている。その姿を、三つ編みのおさげを、信じられないような思いで、見る。見てしまう。
最初から、思っていた。
彼女とは今年で初めて同じクラスになったのに、前に話したことがある気がしたのは。
「りん………、」
信じられない思いで呟く。まさか、そんなことって。
その子の名前は、りん……、
「………りんあ」
あの子はピアノが大好きだった。いつも弾いていた。
それこそ、第一音楽室や、第2音楽室で。
そして、クラスが違った莉和たち四人は、いつも、倫愛がピアノを引き始める時間に音楽室に集まって遊んだ。
その時刻まで、今ははっきりと思い出せる。
午後、三時三十三分。
そして、西野理恋の、双子の姉。
(四)
莉和は、理恋を見つめていた。
姿かたちがそっくりで、仲が良かった双子の姉妹。
単純に考えればよかった。
理恋、倫愛。この二人は、どこか名前が似ているではないか。
理恋はおそらくもう、行方不明になった自分の双子の姉の存在を忘れている。最初からいなかった、存在として捉えている。
いや、捉えてすらいないのだろう。
この世界で倫愛を覚えているのは、もう、莉和だけ。
そして、倫愛はもう、生きていないのだろう。あの日の中休みに何があったのか、それは、推測に頼るしかない。いくら頑張ったところで、本当のことはもうわからない。
でも――、と、莉和は思う。
理恋が倫愛の存在を知らないままなのは、あまりに酷だと思った。
思い出したから楽になれるとばかり思っていたのに、そんなことはなかった。
莉和は複雑な想いで、ひなたを駆け回る理恋を見る。この姿には、過去に姉を失った悲しみから立ち直ろうとする悲壮感などは皆無に感じる。
そのとき、だ。
莉和は弾かれたように校舎を振り返った。声が聞こえた気がしたのだ。
そして、――息を呑んだ。
四階建ての校舎、その、二階の窓に。
見なれた顔が莉和に視線を向けていた。
「倫愛ちゃん…………!!」
掠れた悲鳴が、喉から飛び出た。なんで。
つかの間、倫愛と莉和の目が合った。倫愛の顔には、微笑みが浮かんでいた。
その顔を前に、やるせなくなる。
「どうして」
倫愛の表情は変わらない。答えを貰えなくても、声が聞こえてなくても、別にいい。
莉和は、叫んだ。
「どうして、消えちゃったのっ……?!」
倫愛の目が、怪訝そうに莉和の方へと向いた。
「え」
予想外の表情に、莉和の思考が止まる。
でも、ここまで来たら、引き返せない。辛抱強く倫愛の表情を見つめ続けると、だんだんと見上げるために傾けた首が痛くなる。
目の奥が和らぐ。口元が動いて、笑みとともに、声が届いた。
まるですぐそばにいるように、はっきりと。
「なんでだろうね」
目を見開く莉和の目の前、倫愛の姿が淡くなり――、消えた。
「倫愛ちゃんっ……!!」
莉和の耳に、聞こえた気がした声。それは。
「はやく、見つけてよ」
《完》
ピアノの旋律、それが始まりだった
及びスピンオフ作品
パラレルワールド
ピアノの旋律、それが始まりだった 藍沙 @Miyashita-Aisa
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