第3話:1人ぼっちだった少女の名前
『なっ……!? 今なんと……?』
『何度も言わせるな。あやつが男であったなら、儂の後継として多くを教え込まねばと思うておったが……あやつは女じゃ』
『だからと言って……』
『大奥が存在する江戸ならいざ知らず、ここは奥州じゃ。誰を後継とするかは儂が決める』
『だからと言って……娘に死ねと言うなど……!』
『黙れ。いくらか武勲を立てたくらいで、口で儂を動かせると思うておるのか? 調子に乗るでない。あやつをどう扱うかも、父親である儂が決める』
『ならば……せめて名前で呼んでくだされ! 親から名前すら与えられぬ子供など、見るに堪えませぬ!』
『名前だと……? 身代わりとして死ぬことを定められた者に名前など、つけたとて意味はなかろう』
「…………」
嫌な気分を持ったまま目を覚ました。
夢を見ていた。最悪な夢だ。自分が何の為に生まれて来たのかと思い、生きる事そのものに絶望していた頃の記憶が、夢という形で一部分だけ再生されていた。
口にすることはおろか、何があっても思い出したくなかった。ずっと消えたままでいてほしかった記憶だったが、
『言わなかったら無かったことになる。そういうものでは無いからな』
その言葉が正しいものなのだと、心で実感した瞬間だった。
「ん……」
山小屋の中はまだ暗かった。いつもであれば陽が昇り、明るくなり始めた頃に目が覚めるのだが、今日はいつもより早く目が覚めてしまったようだ。
そして目が覚めてからいつも一番最初にすることは、傍で気持ちよさそうに眠る彼女を起こすことだった……のだが、
「あれ……いない……?」
いつもなら隣にあるはずの彼女の身体を手探りで探ってみたが、そこには敷かれた布団と枕以外には何も無かった。
「……っ!」
そこにいた筈のその人、誰よりも大切な人の姿が無い。それは少女にとって、最も嫌な記憶を思い出すことよりもあってはならないことだった。堪え難い不安が一瞬にして心を覆った。
トントントントン……
厨房から音が聞こえた。包丁で何かを切る音だ。いつもなら少女が鳴らしている音だ。だが今の少女は、未だ布団から起き上がってはいなかった。
「ん……」
僅かに残っていた眠気のせいで気怠げになっている身体を何とか起こし、立ち上がり、その音を鳴らしている人、厨房にいるその人の元へヨタヨタと脚を動かした。
トントントントン……
暗い色の着物を首から肩先を晒す形で羽織り、花魁と見間違えてしまうほどの妖艶さを見せるその姿は、料理をするにも、山で暮らすことにもまるで不向きな格好だった。
けれども彼女はその着物に汚れ一つつけることも無く、軽快に山菜を切っていた。
「あ……」
その姿を見たおかげで、少女の心を覆っていたものがフッと消えていった。
「ん……? あぁ、すまない。起こしてしまったか?」
少女が見ていることに気づいた彼女は、山菜を切る手を止め、少女の方に身体を向けた。
「いいえ……ついさっき、目が覚めたばかりです」
安心しきってしまい、身体から力が抜けるような、張り詰めていたものが一気に緩んだような、そんな感覚を覚えた。
「おい……どうした? 何故泣いている?」
言われて初めて、自分が涙を流していることに気づいた。
「嫌な夢でも見たのか……? 私はどうしたら良い? 何をすれば良い?」
彼女は少女のすぐ傍まで近寄り、これはどのようにしたものかと、隠しきれないくらいにあたふたしていた。少女よりもずっと歳上のはずなのに、そんな風には感じられないくらいの動揺っぷりだ。
それを見て少女はクスッと少し笑って、
「違うのです。セツナ様が隣にいなくて、少し不安を覚えただけです」
少しどころではなかったのだが、セツナを安心させるために、そんなことを言って涙を吹いた。
「なんだ、そんなことか」
セツナの姿を見た少女が安心できたように、セツナも少女の言葉に安心を覚えた。そして、
「私はお前を1人ぼっちにはしない。お前が1人で生きていけるようになるまで、私はお前から離れない」
セツナは少女に目線を合わせ、誓うように言い聞かせた。
「だから……スズ、もう泣くな」
「はい……ありがとうございます……セツナ様……グスッ……」
「いや……泣くなってば……」
城で産まれた少女は、親から何も与えられなかった。
欲しいと思った物も、生きる術も、名前すらも与えられなかった。
産まれたその瞬間から未来を閉ざされていた、その運命を変えてくれたのはセツナだった。
『スズ』
その名前は、名付け親となったセツナが思う以上に、スズにとって大切な宝物だった。
第3話 終
最強の人斬りと身寄りのない少女の料理日記 ブラースΨ @Tknyuy2313
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