第2話:2人ぼっちの食事事情

「切り込みを入れて塩に馴染ませるか……」

 洗い終わって桶から取り出し、切り身の姿になった鯖の現在の状態を見下ろしながら、セツナは小さな声で呟いた。

「まるで拷問みたいな仕打ちだな……」

 特に深い考えがあったわけでは無く、見て思ったことをそのまま口にしただけだった。

 だがそれを隣で聞いていたスズにとっては、考えもしなかった内容に少し戸惑った。

「た……確かにそうかもしれませんが、そうしないと臭みを取ることができませんので……」

「すまん、ただ言っただけだ。気にしなくて良い……これでしばらく寝かせるんだったか?」

「はい、塩が馴染んだら水気が出ていくのです」

「水が抜ければ臭みも取れるのだったか?」

「はい。臭みを取った後は湯引きをするので、今のうちにお湯を沸かしましょう」


 セツナは度々、調理の工程をスズに確認しながら作業をしていた。

 スズに教えられるまでは料理のイロハすら眼中にも無かったセツナだったが、1年と3ヶ月も寝食を共にしていく中で、彼女の料理の腕を理解し、信頼に足るものだと認識していた。


 とは言えスズの方も、元々料理が得意だった訳ではない。

 彼女が育った城の中で、当時仲良くしてくれた女中が料理をしている姿を暇つぶしがてらに横から見ていた。時々『いけませんよ』と言う女中の言葉を振り切って、持て余した身体を使って料理の手伝いをしていたことがあるというくらいだった。

 料理の腕が上がり始めたのは、セツナと山で暮らし始めてからだ。

 城の中にいた頃は野菜を切ることすらまともにできず、指等を怪我することが多かったくらいだったが、今ではセツナに料理を教えられる程には上達していた。

 その成長が、スズにとってはセツナと共に過ごした時間の証明とも言えるだろう。


「ところでセツナ様。やはり……したことがあるのでしょうか?」

 スズはお湯が沸くのを待ちながら、縁側で煙管(きせる)を吸い込むセツナに尋ねた。

「ん? なんの話だ?」

「その……先程言っていた……」

 鯖を見ながらの呟きがどうしても気になったらしい。スズは直接的な表現はなんとか避けて表現しようとしていた。

「あぁ、拷問の話か?」

 できればセツナにも直接的な表現をしてほしくは無かったのだが……そういう思いは口にはせず、スズは少し苦笑いをして頷いた。

「私はずっと殺すことしかしてこなかった。拷問しなきゃいけない時は、全部他の奴に任せきりだったな」

「そうでしたか……」

 

 殺すことしかしてこなかった。

 それを聞いてしまうと、どうしても思い出してしまう。

 ただ身体を震わせて座り込んでいた自分を背にして、武装した武士の群衆を相手に、たった1人で戦ってみせたセツナの姿を

「お前を縛る者も、お前を知る者も、もう何処にもいないだろう。お前は自由だ。好きに生きろ」

 屍の山が積み上がり、血の海と化した座敷の上で聞いた彼女の言葉を


 共に過ごしたのを除けば、スズが知っているセツナの姿はそれだけだった。

 セツナがどれだけの人を斬ってきたのか、どれだけの苦難を経験してきたのか、スズは全く知らなかった。


「変なことを聞いてしまって、ごめんなさい……」

 安易に聞くべきではなかったと後悔し、謝罪をした。

 セツナは自身の過去を快くは思っていない。何も知らなくても、それだけは重々理解していたから。

「気にしなくて良い」

 当の本人は、本当に気にしていない様子だった。

「しかし……」

 そう言われても食い下がってしまう。

 気を遣われるのは心苦しかったから、嫌なら嫌と言ってほしかったから。

 けれどセツナは、

「言わなかったら無かったことになる。そういうものでは無いからな」

「……はい」

 彼女はスズに、優しく笑いかけた。

「それに、もう何かを隠す間柄でも無いだろう?」

 その笑顔が、その答えが、スズの心を暖かく包んでくれた。

「そうですね……ありがとうございます」

「あぁ」

 スズの礼に対してたった一言だけで答えたセツナは、再び煙管を吸い込む事に意識を向けた。

 その姿に少しだけ恨めしげに、

「なんだか……ずるいです」

 そんな言葉が呟かれたのには、セツナは全く気づかなかった。


「湯引きは終わったが……次は何だったか?」

 セツナにそう聞かれたスズは、煮立ち始めた鍋から杓子を持ち上げていた。

「鯖をこの中に入れてください。煮てしまうのです」

「そうか、もうそんな段階か」

 セツナの声が少し弾んでいる事に気づいたスズは、心の中でそっと笑った。

 セツナは菜箸を包丁よりもさらに慣れない手つきで、なんとか扱いながら鯖の切り身を鍋の中へと運んでいく。

「皮が上になるようにお願いします」

「こうか……?」

「そうです。全部入れ終わったら、生姜と落とし蓋をしまして……」

 スズの助言に従うセツナは、慣れないながらも器用に工程をこなしていく。その手際の良さには、目を見張るものがあった。


 2人が作っていたのは『鯖味噌』、スズが初めてセツナに教えた料理だった。

 特別に難しいと言うわけではないが、初めて教えてから時間が経っていたので、復習がてらにセツナの料理を見ていたのだ。

「これで完成か?」

 白米を茶碗によそうスズの耳に、楽しさが隠せていないセツナの声が届いた。

「はい。これにて完成です。盛り付けましょう」

 スズもまた楽しげに、その疑問に答える。

「盛り付け……何か気にすることはあるか?」

「いえ、ただ皿に乗せるだけです。食べるのは私たち2人だけですし、見た目は気にしないでも大丈夫です」


 十分に煮込まれた鯖を杓子で優しく掬い、皿に盛り付ける。その上から煮汁をかけて、刻んだ長葱を乗せる。香ばしい味噌と微かな生姜の香りに当てられ、

「美味しそうだな……」

 思わず感動の声を出してしまうセツナに、まるでスズと同じくらいの年頃に戻ったかのような無邪気さが垣間見えた。

鯖味噌を盛り付け終わった皿と、白米をよそい終わった茶碗を配膳し、座布団に腰を下ろし、手のひらを合わせ、

「それじゃあ……いただきます」

「はい……いただきます」


「そういえば……」

 白米を口に運びながら、思い出したようにセツナが口を開く。

「味噌と米はどのくらい残っている?」

 暮らしていく上で、食料の残り具合は何よりも気にするべき問題だった。

「まだ残っていますが……多く見ても5日分でしょうか?」

「そうか」

 特に米の残量に関しては、お互いに気をつけながら暮らしてはいるのだが、減るものはどうしても減ってしまうものだ。

「心配するな。また向こうで稼いで買ってくるさ」

『向こう』というのは、山を出て少し歩いたところにある町のことだ。

 必要になった時はそこまで向かい、銭を稼いで、米や必要になったものを買って、山まで戻ってくる。それがセツナの主な役割だった。

 それに対してスズの役割は、炊事、掃除、洗濯といったことだ。

 どちらかが押し付けた訳ではなく、互いに得意なこと、できることを率先してやっているだけだった。

 山から出たセツナは、その日の内に戻ってくることもあれば、2〜3日程戻らない時もあった。

 町じゃない何処かでも、何か仕事をしているんだろうかと気になってはいたが、深く聞くようなことはあまりしたくなかった。

 聞かれたこと以外に関しては、自分から言い出さない限りは何も言わないセツナも少し悪いのだが、セツナに気を遣って欲しくないと思っておきながら、自分はセツナに気を遣ってしまっている。その自己矛盾になんとも言えない罪悪感を感じながら、

「いつもありがとうございます」

 礼を言うのが精一杯だった。


 夕焼け色に染められていたはずの空は、すでに黒くなりかけていた。

 あと少しで沈みきってしまう夕陽の光は、自らの手で作った鯖味噌を頬張り、瞳を輝かせながら咀嚼するセツナの顔を照らしていた。

「セツナ様、久しぶりに作った鯖味噌はどうですか?」

 娘を見守る母親の気持ちに似たようなものを感じながら、スズはそう尋ねた。

 それに対してセツナは、口の中の鯖味噌をしっかりと噛み砕き、ごくっと飲み込み、余韻を噛み締めながら一言だけ答えた。


「……思ったよりも、少し甘いな」


             第2話 終

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