最強の人斬りと身寄りのない少女の料理日記

ブラースΨ

第1話:2人ぼっちのその日暮らし

 嘉永(かえい)7年、西暦で言うと1854年、江戸幕府も末期に差し掛かっていた頃、マシュー・ペリーがアメリカからの遣いとして艦隊を率いて再来日し、幕府が日米和親条約に調印した、その少し後のお話。


 当時は13代目将軍、徳川家定(いえさだ)の健康状態が悪化する一方で、将軍としての活動ができる状態ではなかった。代わりに老中—幕府下における政治を統括していた、将軍直属の幹部のような存在—が代理の将軍として幕府を動かしていたが、そんな状態が長く、平穏に続くわけがない。

 将軍の後継を巡る争い、先代の徳川家慶(いえよし)の頃から如実に現れ始めていた幕府に反旗を翻す者達、その他諸々を含む多くの問題を抱え込むことになった幕府。大名達だけでは手が足りなかった。

 将軍家に代々仕える人斬りの家系、それに属する全ての人員を反旗を翻す者達の粛清や、将軍家定とそれに近しい人物の護衛に回してはいたが、それでなんとか均衡を維持できる程度だった。

「先代がもし存命であったならば……あるいは……」と人斬りの家系、その9代目当主が嘆く。先代、8代目当主は裏切り者の情報を入手さえすれば、それを元手にたった1人で敵地に赴き、対象と自身に襲いかかる全ての敵を人知れずに無傷で、返り血すら浴びること無く屠ってしまう。その力は先代将軍の家慶から直々に最強であると賞賛と信頼を得られる程であった。

「先代……」

 9代目当主はその手に握られていた黒のかんざしを見つめ、疲労に染まった顔を俯かせる。

 8代目当主は女の身であったが、刀を握らせれば彼女に勝つどころか、手合わせすらまともにできる者など誰もいなかった。彼女がいれば幕府は安泰だと、誰もが彼女の強さを信じて疑わなかった。

 しかし、奥州に構えられていた裏切り者の拠点に向かったのを最後に、彼女は姿を消してしまった。彼女を探すために多くの斥候が動いたが、見つけられたのは奥州にて彼女が斬ったであろう多くの兵の死体と、血の海にぽつりと浮かんでいた黒のかんざし……つまりは8代目当主の遺品だった。去年の雨が強く降る時期のことだった。

「…………」

 かんざしを懐に収め、顔を上げて、9代目当主は脚を動かした。今の自分は先代には遠く及ばないだろう。だがそれでも、誇るべき当主ではありたいと思うのだった。

「俯いてばかりいるわけにはいかない……セツナ様……私はやりまする……!」

 己を奮い立たせるために、敬愛していた8代目当主の名前を口にした。



 奥州にある名前など誰も知らない大きな山、その奥深くに建たれた小屋の中で、1人の女が刃を握っていた。刃が骨に触れる感触、血に濡れる手、対象を『斬る』という行動のために必要な力、その流れ、何もかも身体は覚えている。今になって間違える理由も無ければ、恐れる理由も無い。幾度も血に濡れた指に力を込め、幾千の命を奪ってきたその手で今日もまた対象の首を……


「待ってください」

 1つの幼い声が、刃を握る女の手を止める。

 声の主は続ける。

「セツナ様、鯖は内臓と一緒に頭を取り除くのです。まだ切り落としてはいけません」

「スズ……」

 セツナと呼ばれた女は声の主の方に振り向く。声の主、スズは幼い少女だった。歳は多く見積もっても12か13歳と言ったところだろうか。

 対するセツナの容姿は花魁と見間違えるほどの妖艶さ、歳は見た目だけで言えば30歳は超えている。スズと並べば親子と見られてもおかしくない。外見だけでもそれだけの違いが2人にはあった。

「骨はどうするんだ?」

「骨も完全に切り離してはいけません。以前にも教えたでしょう?」

「覚えることが多すぎるんだ……1つや2つくらいは頭の中からはみ出てしまってもしょうがないだろう?」

「はぁ……内臓の取り出し方は覚えていますか?」

「あぁ、それは覚えてる」


 緑に溢れていた山の木々が、少しずつ紅く変わり始めていた。周囲の気温が昨日よりも下がっていることが肌で感じることができ、夕暮れの訪れも日に日に早くなり、季節が夏から秋に変わってきていることが嫌でもわかる。

 これから沈もうとしている陽が、山小屋内を柿色に染める。その中でセツナとスズが2人で暮らし始めてから、既に1年と3ヶ月が経過していた。


 鯖の体内から内臓を取り出し、セツナは隣で見守っていたスズに確認をとる。

「こんなものだろう?」

 やや雑把に掻き出されたそれらを見て、スズは頷く。

「上出来です。今度は血合いに包丁を入れてみてください」

「血合い……たしか筋肉のようなものと言っていたか?」

「そうです。どこのことか覚えていますか?」

「赤黒い部位と言っていたような……これかな?」


 何度か包丁の柄を握り直して、血合いの場所を探る。そんなセツナを隣からみて、スズは可愛らしく微笑んだ。

「……やはり私が料理をするのは可笑しいか?」

 まな板を睨みながら、セツナは不満げに漏らした。

「『最強』なんて呼ばれて、人や大きな動物を『斬る』時はあんなに格好良かったセツナ様が、鯖一尾を『切る』ことに、未だにここまで手間取っていると思うと……少し可愛らしく思うのです」

 そう言ってスズは嬉しそうに笑みをこぼす。

 セツナは顔をしかめ、眉をひそめながら、探りあてた鯖の血合いに包丁を入れる。

「仕方ないだろう。1年前までこんなことはしてこなかったんだ。それと『セツナ様』というのはやめろと、何度も言っているだろう」

「1年と3ヶ月です。私もあなたに会うまでは誰かに教えるなんてことはしてきませんでしたよ? それと、恩人を相手に『様』をつけずに呼び捨てでお名前を呼ぶことなどできませんと、こちらも何度も言っておりますでしょう?」

 出会ってから経過した期間まで正確に覚えていたスズに呆れ、セツナは言葉を返さずに深い溜息を漏らした。

「ごめんなさい。いつも銭を稼ぎに出掛けて下さっていますから……セツナ様、本当にいつもありがとうございます。感謝していますよ」

 感謝の言葉を述べたスズを、セツナはチラリと見てしまう。スズとセツナの眼が合った。

「まったく……調子の良い事を……」

 反射的に視線をまな板に戻し、セツナはそう言った。

 その行為、その言葉は敗北宣言に等しく、スズはまた可愛らしく微笑んだ。

 

 1年と3ヶ月前

 雨が強く降っていたあの日

 蝋燭の火だけが照らされていた城の中で、人斬りだった頃のセツナと、彼女に殺されるはずだったスズは出会った。

 セツナはスズを殺すはずだった。いつものように。

 スズは殺されるつもりだった。それを何よりも願っていた。


 けれども現在、江戸が悪い意味で賑わっている中で、2人は過去の生活を捨て、山奥で身を寄せ合って生きている。

 スズはセツナに料理を教える。

 セツナは教えられながら、慣れない手つきで調理する。

 そんな奇妙とも言える関係が現在まで続いていた。


「血合いは切ったぞ。次はたしか……洗うんだったか?」

「正解です。桶に浸しましょう。水が冷たいですが、我慢してくださいね」

 セツナは頷き、鯖をまな板から桶の中に移す。

 浸された鯖の身から血が流れ出て、桶の中の水を赤く濁らせていた。


                            第1話 終

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