ライバルが死んだ日

三浦常春

ライバルが死んだ日

「Aが死んじゃった」


仕事帰りの私に、友人は涙声で言いました。


2021年1月14日、19時とか、そのくらいだったと思います。


Aというのは、私、三浦常春が高校生の時にであった友人で、小説を書いたり絵を描いたり、ある時はクトゥルフ神話TRPGを布教したり。


そんな多趣味な子でした。


処女作『学園ガーディアンズ!』の制作にも精力的に協力してくれて、えちちな二次創作でにこにこさせてくれたり、時には「もう許したげてよぉ……」とむせび泣きたくなるような設定を提示してきたり。


創作者としても友人としても、とても魅力的な子でした。


しかしある時、共通の友人から伝えられたのは「Aが死んだ」という言葉。


私はひどく驚きました。


「死にたい」とかネガティブな言葉は口にしても、若干ネタ調というか本気にしている様子はなく、きっと行動に移すこともないだろう。


そう解釈していました。


だからこそ「どうして」という気持ちが強く、ただただ困惑していました。


だけど誰よりも困惑して悲しんで、それを乗り越えて連絡をしてくれた人がいる。


この時の私は死を悲しむよりも、とにかくやるべきことをやらないと、という義務感に支えられていました。


連絡をくれた友人……仮にBとしておきます。


BはAの遺族から連絡を受けて1週間、じっと考えて、そしてようやく私に連絡を入れたようです。


友人の中で初めて連絡を入れた。初めて伝える人に三浦を選んだ。


不謹慎ながら、少し嬉しかったのを覚えています。


「週末、お葬式をやるって。コロナ禍だけど、もし来れる人がいるなら来て欲しい、って遺族の方が……」


そう、2021年1月は、ちょうどコロナウイルス(COVID-19)が流行り始めた時期でした。


風邪のようで風邪じゃない、強い毒性を持つ未知のウイルスに、どう対応すればよいか戸惑っている時期だったと思います。


だからこそ一定の空間に大人数が集まるのは憚られる、そう思ったのですが、遺族が言うには「親族で葬儀を済ませるよりも、友人がいてくれた方があの子は喜ぶ」とのことです。


家族よりも友人。話しぶりから、どうやらAはそう認識していたようで、やっぱり嬉しかったのを覚えています。


だけど、それならどうして相談してくれなかった?


どうして思い留まってくれなかった?


「私たちのために生きよう」、そう考えてはくれなかったのか?


Aの死因は自殺でした。

どうやって、というのは私も知りませんが、何となく想像はついています。何せ相手は創作者ですから。


苦しまず、突発的に。そんな時何を手に取るか。


ひょっとしたら、以前から準備をしていたのではないか。


そんな冒涜ぼうとくすらしてしまって、私は「その日」が来るまでできるだけ感情を殺しました。



さて、週末。


久しぶりにBと会いました。約2年ぶりです。再会を喜ぶ空気にもなれず、ただ静かに、葬儀場へと向かいました。


道中の会話はといえば本当に当たり障りのないもので、私もBも、お互いに地雷を探りあっているような、そんな印象でした。


LINEではさんざん「なんで死にやがった」とか「黒歴史公開してやる」とか、そんなことを言い合っていたのに。


実際に会うとどうしてもAのことを話しそうになってしまって、聞き出しそうになってしまって、とても息苦しかった覚えがあります。


葬儀場へ到着すると、Aの母が出迎えてくれました。


A母はすっかり憔悴していて、萎れた草花のように見えました。


ーーお母さんとの喧嘩してたんだって、死んだ日。


Aは自殺でした。


死体が発見される前、母親と喧嘩をしていたようです。喧嘩の後、母親が外出をした隙に……。


戻った時には、もう手遅れだった。


なんて残酷なやつだろう。

憤りを通り越して、ちょっと引きましたね。


子供の死、それが親にとってどのような感情を植え付けるのか。それにさらに自責の念を付け加えるだなんて。


まさに鬼畜の所業。


これは黒歴史大公開を急がねばならないと、家にあるA関連のデータを全てCDに焼いて墓前に供えることを決意しました。


手続きをして、1メートルの間隔を開けた席へと着く。


私の席は前から3番目。

といっても、列自体が5列しかなかったので、真ん中あたりの列です。


青や白の花に囲まれたAの遺影は成人式のもの。赤い、絢爛けんらんな着物をまとっていました。


気恥しそうに、だけど今を謳歌する顔で笑っていました。


ところで葬儀場には、Aの好きだった曲が流れていたのですが、私は耳を疑いました。


細かいビート。

聞き覚えのあるいい声。

軽快なラップ。


そう、あのヒプのシスのマイクの曲だったのです。


(うわーーーーっっっっ!!!!)


私は内心悲鳴を上げました。


しかも遺品の展示スペースにはスケッチブックがたくさん。


ページをめくる親族。

めくっては涙する親族。


(こ、これは、まさか……)


そう、オタクの葬式ってこんな感じになるんです。


スケッチブックとか本とか全部漁られて、親族や友人の前に晒されるのです。


これにはBも顔を覆って、「迂闊に死ねねーな」。

全力で同意見です。


葬儀はつつがなく行われました。

※ちなみに説法の初めに、今流れている曲の紹介コーナーが設けられていてダブルパンチでした。


棺に収まるAに苦しみはなく、けれど微笑みもなかった。ただ穏やか死が、そこにありました。


それにどれだけ安心したことか。


献花に際してA母が口にした言葉、これが妙に印象に残っています。


「私に花を入れてもらうより、友達に入れてもらった方がAも喜ぶ」

「遺品も全部燃やして、天国に持って行ってもらおう。私が持っているより、きっといい」


A母は一生、「Aを殺した」と思い続けていくのでしょう。


あの喧嘩のせいで。

喧嘩なんてしなければ。


過去は変えられない。

だけど死んだらそれまでだ。

修復なんてできやしない。


お前は、Aは、そういうひどいことをしたんだぞ。


なんてひどいやつだ。

そんな向こう見ずで、衝動的なやつだとは知らなかった。


どうして私たちを、思い出してくれなかった。


今すぐにでも殴りたい気持ちを抑えつけて、私は言われるがまま花を棺桶に詰めることしかできませんでした。


かつて私を嫉妬させた頭は、頭だけは、撫でられなかった。



「あの、葬儀場に流れてた曲さ……」

「オタクの葬儀ってこうなるんだね……」

「めちゃめちゃ面白かったな、不謹慎だけど」

「それな。棺の上で笑い転げてるAが見えたわ」


帰路に着く車で、ようやく軽口を叩けるようになりました。


葬儀を終え、友人の黒歴史が白日に晒されて、やっと一息つけたのだと思います。


親しい友人の死。これを初めて経験した私は、初めて「死」を知ったような気がします。


この世からいなくなること。

もう二度と会えなくなること。

そして、うしなうことで空いた穴は、永遠に元に戻らないこと。


Aが死んでから1年の間に様々なことがありました。


退職して、鬱鬱と日々を過ごして、フリーランスで生きることに前向きになって……ようやく、ほんの少しだけ整理がついたような気がします。


整理、は変ですね。

Aがいないことを受け入れられたと思います。


覚書のような稚拙な文章でしたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。


この文書は「自殺、ダメ、絶対!」を訴えたいわけでも、オタクの葬式が悲惨なものであると告発したいわけでもありません。


私は自殺肯定派です。

尊厳死と言うべきでしょうか。


私だっていつでも死にたいのですから。


だけど自分が死んだ時、残された人がどう思うのか。

本当に今、死んで後悔しないか。


一度立ち止まって、美味しいものを食べて、よく寝て、それからもう一度考えてみてください。


私はあなたに生きて欲しい。

だけどつらいなら無理をしないでほしい。


それでもやっぱり……というなら、私の代わりにAを殴っておいてください。


私はあなたじゃない。

私にあなたのつらさは分からない。


だからこそ無責任に「生きて」と言いたい。

「共に未来を見よう」と言いたい。


太く長く、生きようぜ兄弟。


三浦常春

2022年1月14日(金)

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