月光蝶

M.S.

月光蝶

 ロッカルザル大陸の最北端、大陸の端で【最後の雪帷ゆきとばり】と呼ばれる地域。北の海【聖剣の分水嶺ぶんすいれい】を臨める断崖の丘の一帯に、その村はった。その寒村の名前は【フロウフロワ】。昔、此処ここを初めて訪れた吟遊詩人ぎんゆうしじんが、極北の土地にしては、ちらちらと舞うように浮遊する雪の結晶を見てそう名付けたのが地名の始まりらしい。

 その断崖の集落の、海が見える崖に一番近い民家が僕達の家だった。僕と、僕の父さん、そしてこの村に移った【森人エルフ】の一族最後の末裔まつえいであるプリシラの三人で住んでいた。

 けれど、父さんは少し前に勃発した〝第二次大陸大戦〟で殉死じゅんしした。

 それからは、僕とプリシラの二人暮らしだ。


 父さんが死んで失意の底から立ち上がるには時間を要したけど、そこから何年かは安穏に暮らした。

 一緒に畑を耕して。

 一緒にまきを集めて。

 一緒に御飯を作って。

 一緒に父さんがのこした書物を読んで。

 同じ屋根の下、仲良く暮らした。

 一生それで良いと思った。そうしたかった。

 彼女との時間を生涯そうやって、この大陸の一番端の、この村で、誰の邪魔もされずに過ごしたかった。


────


 ある日、夕食の用意をしている時に、プリシラがふらついた。隣で野菜を切っていた僕は咄嗟とっさに支える事が出来たけれど、彼女の顔色が悪いものだから、寝台に横にさせた。

「大丈夫。ちょっと、体が冷えただけだと思うから」

 その時は大して心配もしなかった。実際その頃の村は昨年より寒波が強かったし、雪も吹雪ふぶいていたから。

 その所為せいだろうと思っていたんだ。


────


 それから暫くして、遂に彼女は寝台から起き上がる事が難しくなっていた。

 僕が上半身を支えて起居を助けても、小鳥のような胸を上下させて、苦しそうにしていた。

「大丈夫。ごめんね」

 明らかに大丈夫ではなかったように見えたし、実際、彼女は日に日に衰弱していった。


 僕は父さんが遺した書物が積んである書斎に入った。嫌な予感がしていた。医学書が積んである辺りの一帯の本を、探りに探った。

 その中からすくい出した一冊の本。

 『森人エルフの呪い、大森林の葉擦はずれ』

 それを開いて、その病の発生機序について記されるページを見る。

 『大森林の故郷を離れた【森人】に、たまに出現する疾患。平衡感覚の弱化。極度の息切れ。筋出力の低下が見られるが、中枢神経性のものか、末梢神経性のものか、それとも心因性か、未だに解明されていない。死期が迫るに連れて、罹患者は故郷の森の、葉が擦れるような幻聴を聴くようになる事から、【大森林の葉擦はずれ】と名付けられた……』


 プリシラは、〝ハーフ〟ではあったが、【森人エルフ】の血を引いている。死んだ母の方が【森人】だった。

 確かに、彼女の耳をしっかり観察すれば、【森人】の特徴的な形質である可愛らしい長耳が、金糸きんしの髪の間から覗くのが分かる。もう半分は【人間】であるものの、容姿に関しては【森人】に近かった。四肢はすらっとしていて、その肌の色も、この村の雪原として広がる白銀と比べても遜色そんしょくが無かったし、髪の毛は彼女が歩く度に、金色の稲穂が豊穣を喜ぶようにさらさらと揺れていた。


 けれど、こんなに近くに居るのに、最近はその揺れる稲穂を見る事も無くなった。


 何故、彼女なのだろう?

 彼女は此処で生まれて、此処で育った。

 僕と一緒に。

 【森人】の故郷である、南の大森林で生まれた訳では無い。大森林の故郷を捨てた訳では無いし、そもそも彼女の故郷は此処と言えるだろう。そんな彼女には、大森林の呪いを受けるいわれなど無いはずなのに。


「【森人】の故郷に行こう? 大森林の呪いだったら、【森人】の故郷に行けば、体調も良くなるかもしれない」

 僕は彼女に提案した。

「嫌よ。だって、そもそも私の故郷は此処だし、大森林なんか行った事も見た事も無いわ。……それに、今の私じゃ、そんな長旅に耐えられない……」

「僕がおぶって行くよ。それが嫌なら、薪を乗せてた背負子しょいこでも良い。……それでも嫌なら、僕が杖の代わりに、君を支えながら行くから……!」

 ふふ、と、彼女は口を押さえた。それは自分の病状を、僕に深刻に捉えさせないようにする彼女の気遣いに見えた。けた頬を隠す為にそうしたようにも見えた。そのどちらだとしても、結局、僕の胸は締め付けられる。

「笑って見せたって無駄だ。……実際、君はほとんど今、寝たきりじゃないか」

 また、揺れる稲穂を見せて欲しい。しおれた稲穂の田園風景なんて、見ていて悲しくなってしまう。断崖から顔を出した陽の光を受けてきらめく君の金糸きんしが、僕の全てなんだ。

 お願いだ。

 また、見せてくれよ。

「……私ね……」

「……」

「死ぬなら、此処で死にたいの。……故郷で死ねるのよ? そんなに嬉しい事は無いわ。【森人】の血が混じっている割には、少し短い命だったけれど……。此処での貴方あなたとの時間は、大切な時間。もし私、仮にあと三百年の天寿を生きたら、貴方との大切な時間が、その三百年の中で薄れてしまうかも」

「止めてくれ……」

「それに病が治ったら、貴方が百歳で死んだとして、私の寿命はまだ二百年もあるのよ? 貴方が居ない世界で、あと二百年、どう生きればいいの?」

「止めて……」

「今この、優しい時間の中で死ねるなら、お迎えが今、来たって良い」

「……僕が、嫌なんだ! お願いだ……、生きる事を、諦めないでくれよっ……」

「っ……、ごめんね……、ごめんね……。……最後の私のお願い、聞いて欲しいの。【森人】の三百年の寿命を以ってする、一生のお願い」

「……っ」

「私の最後を、此処で見届けて?」

 それは。

 それは。

 ずる過ぎるよ。


 僕は、彼女の寝台に突っ伏すように顔を埋めて、泣いた。寝台の敷布しきふがびしゃびしゃになるまで泣いた。いつまで経っても涙は枯れなかった。きっとこの涙を集めていたら、断崖から見える海の総量と変わりはなかったはずだ。

 いつの間にか、すすり泣きが一つ増えている事に気付いて顔を上げると、やはり彼女は、泣いていた。

 やっぱり、そうじゃないか。

 君だって、そんな事を言っておいて。

 本当は、怖いんじゃないか。


 その夜、僕は父が遺した書斎にこもって彼女を助ける方法が無いかを探った。

 ────父さん、お願い、僕にプリシラを助けさせて。

 祈っては本の山を探り。

 祈っては本の山を探り。

 遂に、僕はその本を見つけて、その可能性に賭ける事にした。

 『……【月光蝶】、その蝶は何処どこに生息するか知られていない。北の雪国で、雪の結晶に混じっているかもしれないし、南の森の奥深い場所の切り株で、羽を休めているかもしれない。将又はたまた西の砂漠の慰安いあんとなるような、泉のある緑地に居るかもしれない。……その蝶を見たと言う者は少ない。だが、過去の文献に残っているいくつかの超常現象は、この蝶によるものではないか、と考えられる記載もある。……だが、ここ数百年で【月光蝶】が〝使われた〟とされる記録は無い。また新たに、誰かが【月光蝶】を三匹集めなければ、その真相は永遠に、神のみぞ知る所になるだろう……』


 ────僕は、【月光蝶】を三匹見つけ、必ず君を救ってみせる。


────


 その次の日、僕は父の墓の前で、かしずいていた。

「父さん、僕、【月光蝶】を探しに行くよ。……プリシラを、諦めたくないんだ。……馬鹿な事かもしれない。……でも、彼女を諦める事が馬鹿だと言うのなら、僕は一生馬鹿で良い。……父さんの大剣、借りるよ。……きっと、また返しに来る」

 僕は父さんの墓標にもたれるように突き立てられていた、一振りの青い刀身を持つ大剣を地から引き抜いた。その月光の大剣のめいは、《ウルシオスのひげ》。〝月光〟の異名を持っていた、父の得物えもの。【月光蝶】を探しに行くのに、これより相応しい武器は、無い。


 月光の大剣を背負い、彼女の寝室に向かった。しばしの、別れの挨拶の為に。

 寝室の扉を開くと、彼女は弱々しく、顔を此方こちらに向けた。そして僕が背負っている大剣に気付いたらしく、目を見開いた。

「……ど、どうしたの……?」

 僕は寝台に横になっている彼女に寄って、昨日、父の書斎で探し出した本『月光蝶の夢』を彼女に見せた。

 彼女は緩慢に体を起こし、寝台の飾り板に背中を預けてその本のページを、一頻ひとしきり、めくった。そして、僕の思惑を全て悟ったらしい彼女は、涙を毛布に落とした。

「行って、しまうのね……」

「ごめん。君の一生のお願いは、聞けない。……でも、絶対に、帰って来る」

「どう、して……」

「……」

「どうしてっ、私のそばに居てくれないのっ!? こんな居るかどうかも分からない蝶なんか追いかけずに、私が死ぬまで、此処に一緒に居てよ! 嫌なお願いだって事は分かってる! でも、でもっ。貴方が行ったら、私っ、独りぼっちになっちゃう! お願い、行かないでっ、行かないでっ」

「っ……」

 彼女は泣きながら、僕の外套がいとうの前を両手で引っ張ってそう言う。

 でも、でも。

「此処で君を看取みとるって事は、君の死を、肯定する事になる。……そんな事、絶対にしない。するものか。僕は、最後まで、足掻あがく」

「なん、でっ、なんでよ……」

「……君は……! もし大切な人が死ぬ時、何もしないで居られるか……? ぼーっと、その人の横顔を、痩せ細っていく横顔を、何もせずに見ている事が出来るか……? 君が僕にお願いしたのは、そういう事なんだよ……。 そんな事、出来るはずが無いだろう!」

「……うぅ、うぅう……」

「僕の百年の寿命を使う、一生のお願いだ。行く事をゆるしてくれ。必ず、戻る」

「……ずるい、狡いわよ……」

 彼女の、僕の外套を引っ張っていた手は、そのまま僕の背中に回された。


「……じゃあ、行くよ」

「待って……」

 彼女は僕を制し、寝台から起き上がろうとするが、よろける。咄嗟とっさに支えて、彼女を助けると、彼女は部屋にある一つの戸棚を指差した。彼女を支えながら戸棚に寄る。そこから彼女が取り出したのは、一本の杖だった。

「これを、持って行って」

「これは……?」

「私の、魔術杖。……貴方、魔術が使えないでしょう? これには、私の思念があらかじめ込めてあるの。……貴方がねんじれば、それに応えて三回だけ、魔術が使えるから」

「……ありがとう。寂しい時、これを君だと、思う事にするよ」

「絶対に、帰って来て。蝶が見つからなくたって良い。……生きて、帰って来て……」

「勿論だ」

 彼女の身体を支えていた手から、彼女の震えが伝わる。

「……私の母はね……。死ぬ間近に、葉擦はずれの音を、聞いていたみたいなの」

「……っ」

「私にも聞こえ始めたら、その杖を介して伝えるから、きっと、何処どこに居ても戻って来て」

 僕と彼女は、約束と接吻せっぷんを残して、僕らの過ごした家で、別れた。


 プリシラの世話を、近隣の村人にお願いして、僕は村を出た。月光の大剣ウルシオスの髭と、彼女の魔術杖冬の梟《ふくろう》を携えて。

 ず、西へ向かった。


────────────


 村を出てから二月ふたつきが経っていた。

 無限の砂原を、僕は泉を探して彷徨さまよっていた。

 途中の街で、「この砂漠の何処どこかで、それがひらひらと飛んでいるのを見た」と言う【地人ドワーフ】が居た。それは、その【地人】が暑さで朦朧もうろうとした時に、頭が見せた幻惑のたぐいかもしれなかったが、もう、そう言う信憑性の薄いものにでも一縷いちるの望みを賭けたい所だった。


 向こうの砂丘に、白砂の一帯が見えた。そこに、ちょっとした緑地と泉があるのを見た。あれが、僕の頭が創り出した幻惑じゃなければ、あそこで休憩出来る。

 僕は、白砂を踏んだ。

 ────すると、地面が激震し。

 地中から、見上げる程の【砂百足アンダーグランダ】が姿を現した。

 僕は、見回す。

 今まで僕が、白砂だと思って見ていたものは。

 この【砂百足】が殺して来た、旅人達の遺骨だった。僕はあろう事か、彼らの遺骨に故郷の雪の結晶を見ていたらしく、それに吸い寄せられたようだ。

 その数々の屍の上で、僕は彼らに祈り、月光の大剣を構え【砂百足】と対峙した。


 人の肉の味を知った【砂百足】は僕に向かってその強靱なあごを鳴らして突進して来る。きっとあの顎に掛かれば、いとも容易たやすく四肢をがれるだろう。

 だが、動きは単調だ。僕は【砂百足】の突進を真上に跳躍ちょうやくして回避し、胴体が伸び切った所に、上から落下の勢いも乗算した斬撃を喰らわせるが、その装甲には傷一つ付ける事が出来ない。

 【砂百足】は、背を取られた事に怒ったか、上半身をくねらして暴れ、薙払なぎばらうようにしてその体躯を僕に叩き付けた。

 大剣の刀身で防御するも、全ての衝撃を和らげられる訳では無い。咳き込むと、吐血が大剣の刀身に掛かった。

「……ごめん、父さん」

 受けに回り続けては、その内、大剣が僕の喀血かっけつだらけになってしまう。ならば、次は突進を、正面から受ける事にした。【砂百足】の顎を、出来るだけ近くまで引き付ける。僕の大剣の間合いに入るまで。限界まで引き付ける。

 少しでも怖気付いて見誤ったら、死ぬ。

 僕は次の一撃に賭ける為、両脚を前後に開いて構えた。

 ────今だ。

 【砂百足】の顎が眼前に迫った所で、僕は雄叫びを上げ、持てる膂力りょりょくの全てを使い、【砂百足】の顎を、下から大剣で思い切りかち上げた。

 その斬撃に、【砂百足】は上半身を空に向かって反らしてひるみ、自身の柔い腹部を、僕の目の前にあらわにする。

 ────ここだろう。

「頼む、……プリシラ!」

 背負っていた《冬の梟》を左手で構え、【砂百足】の腹部に向けた。杖は僕に応えて、その杖頭から光速で氷の大槍を生じて、【砂百足】の腹部に風穴を開けた。


 杖頭にしつらえられた、梟の羽の、三枚の内の一枚が、ちた。


 【砂百足】の死骸は砂となって霧散し、旅人達の遺骨に降り注いだ。とむらいの焼香にしては少々粗野だが、旅人達は赦してくれるだろうか?

 その【砂百足】の死骸が消え去った痕から、何かちらちらと輝くものが見え、僕はそれを追った。おそらくそれは、【砂百足】の胃袋に捕まっていた所為せいで、ここ数百年、人々の伝承から消えていたのだろう。それは、緑地に囲まれた泉の上で、くるくると踊るように舞った後、僕の元へやって来た。

「……良いのかい?」

 僕の問い掛けに応えるように、ちら、ちら、とそれは煌めいて見せた。

 僕はふところから硝子がらすの空瓶を取り出して、一匹目の【月光蝶】を、そこに仕舞しまった。


────


 村を出てから四月よんつきが経っていた。

 僕は大陸の南の殆どを覆う、鬱蒼うっそうとした森を彷徨っていた。

 途中の街で、「森の王が怒る時、怒りをしずめに、それはやって来る」と、ある【森人エルフ】から聞いた。

 僕は、その森の奥深い場所、北も南も、西も東も分からなくなってしまった頃に、古代樹の末裔まつえいに出会った。

「【月光蝶】を、探しているのですが」

〝そんなものは、知らない〟

「この森に生息していると、聞いたのです」

〝見た事もない〟

 らちが明かないので、僕は、話の切り口を変えた。

「……僕の大切な【森人】に、葉擦れの呪いを与えたのは貴方か?」

〝だとしたら、どうする?〟

 僕は憤懣ふんまんと月光の大剣の先を、大樹に向ける。

「……お前に、消えてもらうまでだ」

 次の瞬間、古代樹は禍々まがまがしい叫びを上げて正体を現し、【木の貴種トレントプリンス】となって、襲い掛かって来た。


 幾千いくせんの枝は変幻自在に伸び、その全てが僕の体躯を穿うがとうと刺突しとつしてくる。こちらが大剣を繰り出せば、枝は幾重にも重なり、緩衝材となって斬撃は無効化される。

 【木の貴種】の幹に、全く近付けない。

 斬撃の密度で、全ての枝を振り払おうとも、それを上回る早さで枝が再生し、僕の四肢を引き千切ちぎろうと伸びて来る。斬撃の隙間を縫って伸びて来た幾つかの枝が、僕の四肢をかすめて鋭利に皮膚を裂く。

 大規模な範囲攻撃で隙を作らないと、僕の大剣のみではどうにもならないだろう。

 ────仕方が無い。

「お願いだ……、プリシラ!」

 僕は《冬の梟》を背中から取って構え、杖先で地を叩いた。そこを起点にして、一瞬で巨大な氷の円柱が展開し天をいた。すると、僕の頭上を覆って暗闇の天蓋にしていた木の枝と葉は瞬間凍結し、氷柱の崩壊とともに小さな氷のつぶてとなって、地に降り注いだ。


 杖頭に設られた、梟の羽の、二枚の内の一枚が、朽ちた。


 頭上は開けて夜空が覗き、月光が差し込む。

「終わりだ」

 それを見て取った僕は大剣を両手で天に向けてかかげ、その大剣に空から差し込む月光を集めた。大剣は見る見る月光を吸い込み、その刀身は徐々に増大していく。【木の貴種】の背丈を超え、遂にそれは雲を裂く程の大きさに成長する。

「消えろ」

 振り下ろされたそれは光の刃の嵐となって、【木の貴種】の思念の残滓ざんし、その一欠片ひとかけらも残す事を、許さなかった。


 【木の貴種】が根付いていた場所から、何かが、ちらちらと湧いた。きっとそれは、何百年という間、この大樹の年輪の中で秘匿ひとくされていた所為せいで、人々の伝承から消えていたのだろう。それを追って歩くと、森の出口に着く事が出来た。

「ありがとう」

 僕がそう言うと、それは僕の頭上でくる、くると回った後に、僕の肩に舞い降りた。

「……良いのかい?」

 それは、ちら、ちら、と煌めいて応える。

 僕は懐から硝子の空瓶を取り出して、二匹目の【月光蝶】を、そこに仕舞った。


────


 村を出てから六月ろっつきが経っていた。

 彼女の魔術杖に設られた梟の羽は残り一枚。

 杖頭にめ込まれた宝玉は、まだ光を放っている。

 まだ、彼女は生きている。


 僕は大陸の東、混沌と魔物の住処すみかである腐敗した地を彷徨っていた。

 来る途中の廃墟街で、「【苦渋の見張り場所】という丘まで来れば、蝶の居場所を教える」と、ある【半魔ハーフデモン】に言われた。

 それに従い、【苦渋の見張り場所】まで来たは良いが、そこに現れたのは得物であるのだろう《龍の尾剣ドラゴンテール》を携えている、先程の【半魔】だった。

「……どう言う事だ」

「簡単な事だ。……お前の【月光蝶】を、貰い受ける」

 すると、【半魔】は何の逡巡も無くこちらに踏み込んで突進し、斬り掛かって来た。

「何故だ、何故このような事をする!」

「……私も、【月光蝶】を集めている」

 僕が大剣で振り払うと、半魔は後方に跳んで俯き、言った。

「……訳を話せばお前の【月光蝶】、渡してくれるか……?」

「……」

 僕は、あまり考えたく無い可能性を、頭に浮かべていた。

「……いや、聞きたく無い。おそらく、お互いに聞かない方が良いだろう」

「……どうやら、そのようだ」

 彼も、僕と同じような理由で【月光蝶】を探していたら、なんて。

 考えたくも無い。


 剣と剣を、唯々ただただ只管ひたすら打ち合った。もう何刻なんこくこうしているか分からない。僕も退けないし、彼も退けなかったんだろう。途中、彼の尾剣の刺々とげとげしいうろこに、僕の左腕をがれた。僕も、斬撃で彼の右眼を奪った。それでも、闘いを止めない。止める事が出来ない。

 お互いに後方に引いた所で、僕は彼に訊いた。

 もう陽は暮れて、代わりに月が昇ってくる。

「……もう、夜だ。夜になると僕の剣は強くなる。それでも、続けるか?」

「ふん、お前、私に同じような事を言われたとして、止めるのか?」

 愚問だった。

 僕は、背負っている《冬の梟》の杖頭の宝玉を見やる。その淡い光は、最後の命の灯火を燃やしているとでも言うように、段々明滅するようになっていた。

 ……杖は、〝使えない〟。使っては駄目だ。

「片腕で振る大剣が強くなるなど、笑わせる……。舐めるな」

 そして。

 僕の大剣は月光を浴び。彼の尾剣は、僕の血を吸って歓喜に震えた。最後の一撃を交じわした後。

 彼の尾剣は僕の左脚を奪い。

 僕の大剣は彼の胴をった。


「はぁ、はぁっ……」

 僕は大剣を地に突き立てて、下半身を引きりながら彼の上半身の元に寄った。

「……やはり、......やはり聞かせてくれ……、貴方は何故、【月光蝶】を、集めていた……」

 彼は虫の息で喉元を鳴らし、緩慢にこちらを見据えるが、その双眸そうぼうに恨めしさは含まれていない。


「……私は……、その昔、人と交わるという過ちを犯した魔物の、最後の末裔でな……。【月光蝶】の力で、……お前達と、同じ、【人間】になりたかったんだ」


 僕は、もう、彼に対する憐憫れんびんに耐えかねて。

 ────慟哭どうこくした。

「……貴方をっ、貴方の全てを、此処に置いていきはしない……!」

 僕は、自身の失った左腕、左脚に、彼の四肢を取り込んだ。

 そして彼の亡骸を、【苦渋の見張り場所】に丁重ていちょうに埋葬してとむらった。

 墓標に掛けられた彼のよろいの下から、三匹目の【月光蝶】が姿を現した。


────


 それでも。それでも僕は。故郷に帰らないと。何とか、梟の羽は、一枚残した。だが杖の宝玉の光は、日に日に弱くなる。分かってる。葉擦れの音が聞こえるんだろう? あと少し、耐えてくれ。もうすぐだから。


────


 故郷に戻る頃には八月はっつきが経っていた。

 【半魔】の脚を仮の脚にしたが、馴染まない。《冬の梟》を支えにして、体を引き摺る。あの、僕らの断崖の家が見えて来た。

 僕らが過ごした家。

 僕らの宝箱。

 僕ら二人の世界。

 取り戻す。彼女を取り戻す。断崖に光る、日輪に煌めく彼女の、金色の稲穂を取り戻す。

 ────父の眠る墓石の隣に、墓標は増えていない。

 間に合ったんだ。


 彼女は寝台で、眠っているようだった。彼女に掛かっている毛布は、微かにだが、確かに上下している。

 それを見た瞬間、僕は、今までの全てに感謝した。

 僕に見つけられるまで【月光蝶】を、そのはらに隠してくれた【砂百足】に。

 僕に見つけられるまで【月光蝶】を、その年輪に秘匿してくれた【木の貴種】に。

 僕と出会うまで【月光蝶】を、探してくれた悲しい【半魔】の友に。


 ────ありがとう。


 僕は、彼女の前髪をかき分け、その丸い額に口付けした。

 すると、彼女はゆっくり、瞼を開けて。


「……ぁ、あ、ああ、……貴方って人は……、貴方って人は……!」


 僕の左半身と、飾り羽が一枚になった《冬の梟》を見て、涙した。


────


 【月光蝶】の力は絶大だった。彼女は見る見る内に生気を取り戻し、葉擦れの幻聴も聞かなくなった。【月光蝶】は彼女に力を与えると、寝室の窓から【聖剣の分水嶺】に飛んで行き、その海を越えて地平線の向こうへ三匹共、消えて行った。


 それからはまた、あの頃と同じように。

 一緒に畑を耕して。

 一緒に薪を集めて。

 一緒に御飯を作って。

 一緒に父さんが遺した書物を読んで。

 同じ屋根の下、仲良く暮らしている。


────


 断崖から見える【聖剣の分水嶺】を見渡す場所に置いた木製の長椅子に、僕らは二人腰掛けて、彼女は僕に、身体を預けている。

「杖を、返すよ」

「ええ」

 今はもう、杖頭に付いていた飾り羽が一枚になってしまった《冬の梟》を、彼女に返す。

「全く、君らしいよ……」

「……何の、事?」

「後一回、僕が杖を使って、杖の飾り羽を散らしていたら、君は死んでいたんだろう?」

「……っ、……だって……」

 彼女は、僕の肩に頭を預けたまま肩をすくめて、その鈴の音の声を、きまりが悪そうにする。

「本当に、【月光蝶】を連れて来てくれるなんて……、思っていなかったから……。貴方の手で、死にたかったの」

「……」

「葉擦れの音に抱かれて死ぬくらいなら、貴方に、殺して欲しかったの……。お願い、わかって……」

 僕は返事の代わりに、彼女を抱き締めた。


「僕の一生のお願いを、我儘わがままを聞いてくれて、ありがとう」


 日輪に煌めく、彼女の金髪の一糸一糸は、もう、あの頃よりも愛おしく感じる。


────


 そうして、最果ての寒村に住む、一人の【人間】と、一人の【半森人ハーフエルフ】は、永い事、仲睦なかむつまじく暮らした。百年経ち、【人間】の方は死んでしまったが、【半森人】は残る二百年の寿命の間、彼を想いに想い続けて、天寿を全うした。


 それからというもの、【大森林の葉擦れ】に苦しむ【森人】は、この世から居なくなったらしい。それが、何故なのかは、どの国の学者も分からないそうだ。とある伝聞によると、北の最果ての村に住む、魔物の半身を持つ〝月光〟と呼ばれた【人間】が、その病の呪縛をこの世から消し去ったのだとか。


 そして、それと共に【月光蝶】の姿を見たと言う者も居なくなり、更に数百年経ってその伝承と伝聞も、数々の歴史と書物の下に埋もれていった。


 確かなのは、今もこの大陸の最果てには彼らの墓標、そこに一振りの大剣と、一本の杖が納められているという事だけだ。

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