エピローグ

「じゃあ、本当に有難う」

「気にすんな。今度、美味い飯を奢ってくれ」

「任せろ」


 私は教授にそう告げ、扉を閉めた。

 駅へ向かいながら考える。母にどう伝えたものか。


『祖父ちゃんは計算機を開発していたんだ』


 ……こんな所か。

 悔恨を遺して逝った、なんて伝える必要はない。

 教授がコピーすら取らずに日誌と写真を返してきたのは意外だったが……あながち『幽霊』を怖がっていたのかもしれない。


 とにかく、疑問は晴れた。

  

 帰ったら線香をあげよう。

 私はそんなことを思いながら、地下鉄の駅の階段を降り始めた。


※※※

 

 Hちゃんを送り出した俺は独り、酒を呑んでいた。

 某メーカーの十二年物ウィスキーを注ぎつつ、独白する


「……人の良さは変わってねぇなぁ」


 『彼』は確かに『三式高射装置』に対して、悔恨を抱き続けていた。

 この兵器が間に合っていれば、という想いに嘘もなかろう。


 しかし……大尉は単なる開発者の一人。


 戦後七十数年間、そこまでの強い想いを持ち続けるだろうか?

 戦後に書かれていたとある頁を思い出す。日付は1950.6.7。


『本日、S中佐が来訪。何処で聞きつけてきたのか、私が執筆している戦中日誌刊行を取り止めよ、との言。曰く『帝国海軍の名誉の為、戦時中の工作内容は墓の下まで秘匿とすべし』。それでも、執筆し刊行するならば、戦時中の事を妻に全て話すとの脅迫。断腸の想いで合意す』


 PCを開き、日誌内に出て来た個人名等の調査内容を表示させる。

 S中佐――帝国海軍内における砲術科重鎮の右腕であり、本人も大家。

 戦後、数多くの著作物を遺した。

 砲術とは対水上戦闘が主。対空射撃は刺身のツマ、と公言していたと伝わる。

 大尉はそんなS中佐と同郷であり、親しかったようだ。

 先の大戦は、本来なら内地に留まる技術士官達にも多数の戦死者を出し、大尉の同期も多数が戦死している。


 にも拘わらず、大尉は終戦に到るまで一度たりとも内地を離れていない。


 Hちゃんには伝えなかったが、戦時中の日誌内には幾度も『議論平行線』『実験遅滞』『S中佐への報告』という単語が出て来る。

 そこから類推する限り、大尉は『三式高射装置』完成を遅らせる為に送り込まれた砲術科主流派が送り込んだ工作員だったのだろう。

 見返りは内地勤務。

 だが――主流派は何故そんな事をしたのか?


「自分達が傍流に追いやられるかもしれない恐怖。主流であり続ける為なら、幾ら前線の将兵が死んでも構わない。……負けるわけだわな」


 俺は大尉の日誌の最終頁を思い出す。

 日付は――『1995.9.1』。


『本日、W少尉の訪問を受け、驚愕す。戦中は駆逐艦『冬月』乗艦。定年後、戦史について調査。私に辿り着いたとのこと。『三式』について責め立てられ、往生す。『どうして間に合わなかったのか。そうすれば、一人でも多く生きて帰って来られたのにっ!』。答える言葉を持たず』


 大尉はその日以来、幾度も日誌と写真を燃やそうと思ったようだ。

 ――けれど、燃やせなかった。どうしても、燃やせなかった。

 燃やした所で人は何れ真実に辿り着く。


 ならば……生き残った小賢しい臆病者は悔恨と共に生きねばならぬ。

 

 前大戦の真実が白日に下に晒されるのは、おそらくもう少しかかるだろう。

 だが、少しずつ闇は剥がされつつもあるのだ。 

 俺は唇を歪め、グラスを呷った。

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とある技術士官の悔恨 七野りく @yukinagi

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