異世界に転生したら俺以外が全員マスクをしている奇妙な世界だった件
結騎 了
#365日ショートショート 012
どう考えても、千鳥足で車道に出た自分が悪かった。
祝日に河原で開かれた会社の行事。営業本部、総勢42名でのBBQ大会の帰り道。昼間からこれでもかと胃にビールを流し込み、肉を食らい、泥酔状態で最寄り駅に着いた。漫画なら、真っ赤な顔の周りに「ヒック、ヒック」と文字が躍っていただろう。前後不覚、気づいたら俺は車道に飛び出していた。顔のすぐ横には、法定速度を超えて走るトラック。意外にも、ドスンという音は鳴らなかった。いや、聞こえなかっただけかもしれない。
死んだ。確実に死んだ。そう思った瞬間、俺は駅の構内にいた。あれ、ここは……。どうして。あの時確かに、トラックに轢かれたはず。どう考えても即死コース。それでも生きている。体はなんともないし、居たはずの場所も変わっている。それも、何かがおかしい。この異様な雰囲気、言い知れぬ違和感はなんだ。
とにかく、俺は察した。これは噂に聞く「異世界転生」だ!アニメやラノベで数えきれないほど見た体験が、自分の身に起きるなんて。どうやらファンタジーな世界観ではなく、現実に近いものらしい。どうせなら中世ヨーロッパの街並みがよかったが、文句は言うまい。俺は人生をやり直すのだ。
しかし、やはり雰囲気が異様だ。老若男女が行き交う駅の構内、皆が俺をじろじろと睨みつけている。そりゃあ、昼間から酔っぱらって座り込んでいるのだ。軽蔑の眼差しは致し方ない。しかし、どうだろう。それだけじゃないようだ。なにか、おぞましいものを見るような。それでいて、鋭い敵意を向けられているような……。
ややっ、違和感の正体が分かったぞ。この人たち、全員マスクをしている。うん、これは絶対におかしい。この世界で流行っているファッションなのだろうか。それにしては、流行に疎そうなおじさんまでしっかりマスクをしている。それも、マスクの色や形も様々だ。なんだ、あの黒いのは。黒いマスクなんて、漫画のキャラクターでしか見たことないぞ。コスプレなのか。
俺は思わず立ち上がり、近くにいた女子高生に話しかけた。酔いのおかげか、羞恥心が軽減されている。「あの、教えてください。そのマスクは……」。自分でも分かる、吐いた息が酒臭い。つん、とした臭いに思わず咳込んでしまう。「ゴホッ、ゴホッ。えっと、すみません、マスクをみんな着けてますけど……」。
小さな悲鳴が上がった。女子高生は、まるで俺を不審者のような目で見て、ものすごいスピードで距離を取った。どうしてそこまで過剰に拒否するのか。ただものを尋ねただけなのに。「あの、すみません、急に……」。なだめようと言葉を選んでいると、恰幅のいいサラリーマンが足早に近づいてきた。「おい、君、やめろ。なんだマスクもしないで」。
マスクもしないで? ……いや、皆して変なコスプレをしているのは君たちだろう。なにかそういうイベントでもやっているのか?
「いい加減にしろ、こら!」「暴れるな!」。ふざけないでもらいたい。俺は今、酔っているんだ。気は大きいぞ。お前が意味の分からないいちゃもんを付けてくるのなら、正々堂々、受けて立ってやる。その男と取っ組み合いになると、周囲に野次馬が集まってきた。皆、微妙に距離を取り合いながら俺たちを囲んでいる。なんだ、その幅の取り方は。でるた? おみくろん? 聞こえてくる単語の意味が分からない。
その後、警察官に担がれた記憶はある。いや、まだまだ。これからだ。俺の異世界ライフは始まったばかりだ。
【マスク着用巡り駅で口論、男性の背中叩く…男を逮捕】2022/01/12 18:02
マスクの着用の是非を巡って口論となり、注意した男性を叩いたとして、東京都新宿警察署は12日、住所不定の男(年齢不詳)を暴行容疑で現行犯逮捕した。発表によると、男は12日午後14時40分頃、新宿駅構内で、マスクを着用しないまま女子高校生(17)に突然話しかけ、注意した男性(45)の背中を叩いた疑い。調べに対し、「俺の異世界ライフは始まったばかりだ」と容疑を否認している。
異世界に転生したら俺以外が全員マスクをしている奇妙な世界だった件 結騎 了 @slinky_dog_s11
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます