3 【王室は皆 自由人なのか】

 宮殿を出て、国道を西に一時間ほど走ると、渓谷に架かった大橋が見えてくる。さながら魔界との架け橋といったところか。

 橋の向こうには、『魔界』のイメージを払拭するような肥沃ひよくな孤島がひっそりと、それでもって主権国家として存在を呈している。王国の国旗がなびく橋のふもと、ベルベットはゲートバーの前に愛車を停めるとギアをニュートラルに入れた。

「お疲れっす。すまん、ちょっと通らせてくれ」

 簡潔に要件を述べ、すぐ横に立つ出国審査官との隔たりをなくすように、ヘルメットのシールドを上げた。今にも吠えてきそうな自動小銃アサルトライフルを背負った出国審査官は、訝しげにベルベットを睨んできたが、

「あ、お疲れ様です。え、あの……おひとりで魔界へいらっしゃるのですか?」

 その見覚えのある顔に、明らかな畏怖を上書きしていた。

「俺って審査いらんだろ? どうせ人権ねえし」

 煽るようにアクセルを回し、野太い音でリズムを取りながらガスを排出する。その行動は、育ちの悪い田舎者そのものだった。

「お言葉ですが……我々が通したとしても、たぶん向こうで止められますぞ」

「すでに応接室で止められた。ってことでオープン!」

 ベルベットの柔らかい横暴と、出国審査官の困りきった表情。ほどなく、見兼ねた様子で守衛所の男が手元でなにかを操作した。

「国王? お願いですから無事に帰ってきてくださいね?」

 という懇願を添えて。

「生きてまた会おうぜ!」

 バーが上がったあと背後でうっすら聞こえた、「仕事増えそう……」という茫然とした肉声は、すぐシステムヘルメット特有の風切り音に変わった。


 ゆっくり二輪を転がして橋の国境を越えるとすぐ、自国に居る時からチラチラと横目に映っていた木製の門が、橋のふもとで出迎えてくれた。東のほうに位置する国がその昔、城郭の正門として設けたものと非常に似ている。

 中央に車輌しゃりょう用の道が敷かれているが、門扉もんぴは固く閉ざされていた。正門の隅には人が通るための潜り戸が設置されており、すぐ横には守衛所が隣接している。

 ほどなく、大型クルーザーのエンジン音に釣られるように、図体の大きな入国審査官がツーマンセルで近寄ってきた。王国側とは装備の質が落ちるが、カスタムされた短機関銃サブマシンガンで武装しており、マズルこそ向けてこないものの、グリップをしっかり握り、マズルにはいつでも指がかけられる状態だった。

「人間か。見ない顔だが、観光にでも来たか?」

 審査官は、大きな体以外に人間との差異が見当たらない。王立図書館のキッズコーナーにあった『たのしいまものずかん』には、もう少しドぎつい魔物が掲載されていたが、あれは紀元前の魔物でも取り扱っていたのだろう。

 要するに種族がわからないので、とりあえず目前の男をオークと仮定した。

「普段から眉間にシワ寄ってんのか? 俺はベルベット、ここの王様と話したい。どうせ政府とは話せんだろ?」

 皮肉、名乗り、要件――すべてを軽快に済ませると、ダブルライダースのポケットから紋章を取り出し、謎の種族に向けて高く放った。左手をフォアグリップから離し、それをキャッチした男は、彫金された一本の羽根を確認するなり、

「申し訳ない、国王でありましたか。え……おひとりですか? あの、魔王様は今しがた、用事があるとのことで出てゆかれましたが」

 急に態度を改め、サブマシンガンにセーフティをかけると、表情を和らげながら紋章を返してきた。でもでも、皆から同じ対応をされると、ベルベットは苦笑を禁じえなかった。

「アポなしで悪かった」

「しばしお待ちを」

 審査官は小さな守衛所へ向かい、イスに座る同僚らしき男と、なにやらごにょごにょと始めてしまった。


 手続きが大好きなのは、どこの国もどの種族も同じのようだ。たった数百メートルの間にふたつも存在する手続きを、どうにか取っ払えないものだろうか。

「ふぅ」

 溜息を吐き捨てた先。正門の後ろには100k㎡ほどの小さな領土が広がっている。

 魔界はふたつの国に面しており、ひとつが東――渓谷を挟み、大橋を渡るとアクセスできる王国と、もうひとつは西――河川を挟んだ向こうに別の国家がある。東西に分かれている川は、魔界の北にある他国の湖から流れているもので、最終的には元の水に収まる。

話長なげえなあ。アイツらもお役所仕事か」

 今や、魔界を往来する国民たちは、頭の上から獣の耳が突起していたり、尻尾を揺らしていたり、小さな角が生えていたり、肌の色が様々だったりと、個体差が強く現れているものの、基本的には人間と変わらないなりをしている。

 魔物と一言に括っても、現代に適応してゆくために見た目が変わってゆき、人間との交配によって今の姿に変化していったのだ。

 また、主権国家として認められている以上、知能の低い魔物ばかりで成り立つわけがない。領土があり、国民がおり、主権によって成り立っているのが魔界なのだ。

 大空で両翼を広げ、口から炎を吐くドラゴンなんて、とうの昔に絶滅している。理由は単純で、現世に適応できなかったからだ。大陸のどこかにはまだ生存していると説く学者も居るが、幽霊と神様の存在くらい胡乱うろんである。


 ベルベットは愛車のシートに下半身を預け、だらりと足を伸ばしながらコーヒーを喫していると、潜り戸からひとりの女性が姿を見せた。

「国王様自らご足労いただき感謝いたします、わたくしはヤマブキ。魔王の妻にございます。どうかお見知り置きを」

 その名に合った鮮やかな暖色の訪問着を着た女性は、しゃなりしゃなりと履いている草履の音も立てずにベルベットに近寄り、丁寧に首を垂れた。長い黒髪をトップで結い、玉かんざしと花かんざしを左右から挿している。普段からこの格好をしているのだろうか? いつもベルベットの側に居る、スーツを着た秘書官と比べると、身支度に掛かる時間が段違いだろう。

「あぁ、ご丁寧にどうも。しかし奥方がなぜ?」

 タンブラーをホルダーに戻し、ベルベットが立ち直った。

「申し訳ございません。あの方は所用で戻られませんゆえ、わたくしが代わりにご対応いたします。政府の者より、わたくしのほうが自由に動けますので」

「こっちこそいきなりで悪かった。んじゃ用件だけ伝えても良いか?」

 ヤマブキは小さく頷いて「お伺いいたします」と丁寧に返し、清らかな目を真一文字に向けてきた。異世界にでも迷いこんでしまったような感覚だった。


「昨今、どこぞの魔物が人間を襲ったと聞いたんだが心当たりはないか?」

「国王様ったら、おかしなことをおっしゃいますね」

 ベルベットが尋ねるとすぐ、ヤマブキは目と口にあべこべの感情を宿しながら、聞き取りやすいハキハキとした声を返してきた。本懐のような鋭い目線で心身を縛りつけ、わざとらしく緩めた口元が反論しようとする気概を観念へと導こうとする。

「もちろん俺が疑ってるわけじゃない」

「それは存じております」

 であれば、すぐにその鋭い目つきと口元の緩みをキャンセルしてほしかった。感情が分裂でもしているのではないだろうか、この女。どうも主導権イニシアチブが取りにくい。

「昨今、王国政府の言動が矛盾し始めてる。『科学のほうが優秀』と言いながら『魔物は脅威』だと吹聴する。『入国審査を設けて安心』と言いながら『人間が魔物に襲われた』と真実もどきを流す」

「その目的は? わたくしども、恨みを買うような覚えがございませんが」

 ヤマブキは右から左へ聞き流すように、目を瞑って鼻から息を取りこんだ。

「魔物へのおそれ。その裏返しだと思うが。もしかすると、それを機に――」

「国王様? そのようなことは政府同士で上手くやってくれます。わたくしたちが口を出す問題ではありません。侵攻も、そのためのデマも、それによって排除される脅威もまるで道理。ただ見守るだけ、わたくしたちは歯車に過ぎません」

 吐息。とても小さく、趨勢すうせいを見据えるような細い感情だった。ベルベット自身、頭に血が上りすぎていたのを静かに薫陶くんとうされた気分である。ひとつ、『侵攻』という言葉が引っかかるが、今は身の程をわきまえ、それに沿った返答がいた。

「俺たちが歯車なら、国民はネジかナットか?」

「いいえ。わたくしたちが国民を動かす歯車です」

「国民はどうせ内閣に――いや、悪かった。邪魔したな」

 ベルベットは嘆息をついたあと、手を二、三回ヒラヒラさせながら愛車へ戻り、発進の準備をした。見送りにしては鋭い目線をヤマブキからもらいながら、

「それはそうと、あんた人間だろ? 魔界に嫁いだのか?」

 第一印象と同時に感じていた違和感を、どこまでも低い声で尋ねた。ヤマブキは凛とした表情で、ただただ力強い首肯を返してくる。

「国王様の前で、そのようなこと口にできませんわね」

 と、気丈に気遣われながら。


 帰り道、ベルベットはハイウェイを飛ばした。

 魔界でさえ絶対王政がなくなった現代、『国の偉い人』が『歯車』にしかならないなんて、ベルベット自身が最も了知していた。

 意気揚々と魔界を訪ねた結果、やり場を失った感情。アクセルを回す右手をどれだけ自由にさせても、そのモヤモヤが晴れることはなかった。

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こくまおCOFFEE 常陸乃ひかる @consan123

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