努力について
※当時は確かに浮かれて調子に乗っていた部分がありますので、今落ち着いて考えると、というお話をします。
私は大学時代、アーチェリー競技者として目に見える結果は、ありがたいことに残せておりました。賞状やトロフィー、盾は実家に全て保管しております。
今回は、「努力」か? 「運」か? 「才能」か? 「環境」か?
という話をしたいと思います。SNSで話題になっていることもありますし。
①まず努力について。
私は毎日毎日練習していました。たまに授業をさぼってでも、毎日100射200射していました。部活としての全体練習は週2日でしたが、私は毎日射ってました。
多少の雨だろうが。
真夏日だろうが真冬だろうが。土日だろうがなんだろうが。
練習量で言えば、部内で1〜2番目だったと思います。
努力してない、ということにはならないと思います。
そのお陰か、大学で始めた初心者ながら、1年生でレギュラーになりました。
②環境について。
まず、学費は親に出して貰っていました。
弓具も親に買ってもらいました。
「最高の環境」であると思います。
お小遣いは無いのでバイトはしていましたが、いつでも好きな時に働けるような派遣のバイトでした。
つまり、努力できる環境だったということですね。
③才能について。
これに関しては、分からないとしか言えません。ただ、「こう射ったら入る」という「感覚」は、あります。疲れて射形が乱れても、小手先の微調整で捩じ込むようなテクニックを身に着けてしまったりもしました。そのテクニックと感覚は、他のチームメイトには無いものでした。
④運について。
上を見るとキリが無いです。私は「ギリギリ国体に出られなかった」程度の最終成績でした。小さな大会では入賞できますが、全国レベルの選手かと言われれば、微妙だったと思います。
しかし、もし日本にアーチェリープロリーグがあれば、そちらへ進んでいたでしょう。そうなると今も毎日射っていたと思います。そう考えるくらいの選手ではあったと思います。
今の日本では、アーチェリーでお金を稼ぐことはできません。
⑤縁について。
私は2年生の時に部活を辞めました。理由はコーチや部員との衝突です。その後に社会人チームに入ったのですが、それも同じく辞めた友人(お父様がそのチームに居た)に誘ってもらったから。これも縁です。
――
「運と縁」と、よく聞きます。正直、その通りだと思います。
私がアーチェリーと出会った大学は、実は第一希望ではありませんでした。つまり、その第一希望の大学に合格していたなら、アーチェリーと出会ってなかった可能性の方が高いのです。そうなると、数々のトロフィーは私の手元には来ていません。どんな大学生活になっていたのか、想像もつきません。
私は努力した分だけ、点数が上がりました。同じく大学から始めたチームメイトと比較しても、思ったように伸びない子も勿論居ました。
努力できる環境かどうか。
努力が反映されるかどうか。
自分に合った射形に辿り着けるかどうか。
運だと思います。
正直、全てを言ってしまえば、何もかもが運だと思います。
私は運が良かったのです。
――
努力とは「過程」であり、結果を約束しません。
つまり、結果を出せていない人に対して「努力が足りない」など、言える訳が無いのです。その努力を見てもおらず、結果だけ見て、努力の量など分かる筈もなく。
件の話題の方のコメントを受けて、反発する方はこう思ったことでしょう。
「お前に俺の何が分かるんだ」と。
私はアーチェリーを始めるまで、部活動で殆ど勝ったことがありません。野球もベンチで柔道も1回戦負け、ハンドボールはずっと最下位。
努力が実を結ばないことなど10年の間に渡って身を持って痛感してきています。
私は球技も下手、格闘技も弱く、フィールド競技に向いていませんでした。
私には、射的が向いていたのです。ただそれだけ。運が良かった。運が悪ければ100年掛かっても見付けられない「得意分野」を、私は学生の時に見付けられたのですから。
それでどうやって、他の人を馬鹿にできましょう。見下せましょう。
あの頃は私も若かった。ちょっと点が出るくらいで調子に乗っていました。今思い出すと恥ずかしすぎます。無理無理。何も分かっていなかった。
私は恵まれていました。
感謝しか無いんですよね。
――
さて。
この世の全てが運ならば、自分ではどうしようもないのでしょうか。
程度にも寄ります。本当にどうしようもないことはあります。
けれど。できるならば。
努力というのは、要らぬ運要素を減らすことでもあると思います。
私が試合で良い点数を取れたことは、環境と縁だけでは無理でした。それを発揮できるような練習は確実に必要でした。
だから。なので。
環境が悪くても、縁に恵まれなくても。
努力はした方が良いかもしれません。
いつか、良い「縁」に巡り会えた時に、取り逃がさないように。
私はアーチェリーを大学から始めましたが、他のチームメイトと違ったことがひとつあります。
それは、「既に身体ができていた」ことです。負け続けの10年間でも、ずっと鍛えてきた肉体があったことです。筋肉は裏切らず、初めてのアーチェリーにも適応して、スポーツ自体初めてだった他の子よりも早くステップアップできました。
環境と縁と才能だけでは、短い大学生活の間にフルで実力を発揮できるとは限りません。私はスタートラインから、「負け続けた筋肉」のお陰で勝てるようになれたのです。
小説もそうです。私はまだ、何の賞も取れていません。しかし、努力は止めません。努力できるかも運ですが、「できるのにやらない」は違う。
いつか良い「縁」に巡り会えると信じるしかない。その数少ないであろう希少な「縁」をモノにできるかどうかでまた運ゲーする訳にはいかない。確実にモノにするために。
やるしかないんです。
弓チョコの世界観(エッセイ) 弓チョコ @archerychocolate
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