冬の夜とプレパラート

鹽夜亮

冬の夜とプレパラート

 珈琲はものの三分で冷める。煙草が燃え尽きるのとどちらが早いだろう、とどうでもいい思索に呆けた。

 冬生まれは寒さに強いとどこかで聞いたことがあるが、あれは私からすれば嘘だ。現に、冷め始めた珈琲すら熱く感じるほど、私の手は冷たい。

 誕生日から始まる十二月があっという間に過ぎ去り、年が明けた。年末の焦燥も、年始の暖かさも、何もない年越しだった。味気ないね、と家族で話をしたことだけが、やけに印象に残っている。粘りつくようにじわじわと我々を蝕む巷で流行りの例の感染症は、あらゆる日常から少しずつ色彩を奪っていくようだ。流行が始まってからの日々は、どこかモノクロームのように鮮やかさを欠いている。しかもそこにノスタルジーなど、ない。

 幸い今夜はまだ冷え込みがマシな方だ。煙草を一つ吸い切っても、私の体は凍え切っていない。もう一本に火を点ける。ニコチンが回ると同時に、脳が記憶を掘り返す。

 思えば、昨年の私は三度死んだようなものだった。厳密に言えば、三度「それが起きたら死のう」と思っていたものを通り過ぎたと言うべきだろうか。我ながらよく年越しを迎えたものだ、と喜びも含まない感情を煙に吐き出す。私は私の生命力に、常日頃から心許なさを感じていた。それも、いざ時が来て過ぎ去って仕舞えば案外死にづらいものである。…

 私の生き方は、昨年のうちに大きく変化した。将来への希望と、現在の絶望とを引き換えに、今ここにある生のみを享受するようになった。それが善か悪かはどうでもよい。ただ、そうしなければ私は今を生きられないのだと、悟ったに過ぎなかった。明日、生きているかなどわからない。一ヶ月後などもってのほかだ。これは、私が死にたがっているからではない。生きようともがきながらも、いつ死に飲み込まれても何一つ不思議ではないと気がついたからに過ぎない。そう、私はこの期に及んでまだ生きようとしている。…随分、図太くなったものだ、と嘲笑すら漏れる。

 人に散々迷惑をかけ、将来への展望や目標すら失い、さらに絶望すら投げ捨てた私は一体どこへ行くのだろう?…カミュは、きっとその先で待っている。そんなことを瑣末な杖にして。自己嫌悪を、他者と繋がる希望を、生き抜いた先にある「何ものか」を、困難な生の支柱たる救済を、全て喪失した先にある見えざる空虚に私は何かを見出すことができるのだろうか?それとも、この今に存在する永遠の「無」に飲み込まれ、タナトスに首を垂れるのだろうか?

 そのどちらを想っても私の感情が動くことはない。私は、想う私を観察している。体感は薄れ、脳だけが体と分離して浮遊するかのように冷め切っていた。

 ああ、悪くはない。この感覚は、私にとって好ましいものだ。畢竟、私は私を私の生を通して、分析しようとしている過ぎない。何が起き、何を思い、どうするのか、その結果がどうなるのか、ただそれを観察し、分析し、見届けたいのだ。その視点においては、希望も絶望も、あらゆる喜劇、悲劇も等価値でしかない。己に起こるあらゆる情動、感覚、事象は文章化され、プレパラートの上に置かれた微生物のように観察される。

 逃避だろうか。これを人は逃避と呼ぶのだろうか。なるほど、それも間違いではないだろう。たしかに見方によれば、私は私の生から遠ざかり、その体感から身を引いている。…ともあれ、他者からどう思われようと、それもどうでもいい一つの情報に過ぎないのではあるが。…

 珈琲は冷め切り、煙草は二本目を終えた。体は寒さに震え始めた。さぁ、暖かい屋内へと帰ろう。

 今を生きるために。

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冬の夜とプレパラート 鹽夜亮 @yuu1201

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