第15話

 辰巳の学校は学校生活に彩りを加えようと、各教室、窓際前方脇の机に花瓶が置かれていた。

 その花瓶に生けられた花や水の交換は日直の仕事の一つになっているが、高校生活を満喫したい生徒にとってはそのような面倒なことに意識が向くことはなく、どの学年のどのクラスでも花瓶にはよどんだ水に枯れた花が入りっぱなしになっていた。

 教師達も幾度となく注意するものの改善する様子はなく、また、多忙な彼らからしても言うことを聞かない生徒にやらせるよりも、自らやった方が手っ取り早く、殆どのクラスでは教師が花と花瓶の手入れを行っているのだった。

 しかし、辰巳のクラスは違った。

 花瓶の存在に誰も気には止めていない状況は他のクラスと変わらないが、花瓶の花は常に綺麗だった。

 花だけではなく水も常に新しいものに取り替えられている。

 それは日常の隅に置かれた、誰も気にとめない石ころの様な存在だったが、それでも確かに陽の光を浴び、密かに輝いていた。


 翌日、バイト先の都合で急遽早朝のバイトがなくなり、家に戻るのも億劫だった辰巳は普段より早く学校に着いていた。

 昨晩の出来事が尾を引いて眠りが浅かったのか、いつもより重く感じる瞼をこすりながら教室にたどり着いた辰巳は、ある光景を目にした。

 早朝の教室の前方の隅で、一人の女子生徒が花瓶の花を入れ替えている。

 それは卯月だった。

 とても集中した様子の彼女に、そのまま教室に入ろうとした辰巳は咄入り口の陰に隠れてしまった。

 あの集中状態の邪魔をしてはいけない。

 辰巳の直感がそう告げている。

 黒板横に張ってある『日直の仕事』には、色々書かれている一番下に『花瓶の花の交換』と書かれてある。

 ふと、隣の教室の覗いてみると同じ場所には無残にも嗄れた植物らしきものが入った花瓶が置かれているのが見えて思わず苦笑した。 

 再び教室の卯月を見ると、彼女が交換している花は多少痛んでいるものの枯れてはいない。 

 誰もやらない花の交換を、これまで卯月が交換していたのだろう。


(誰も見てないのによくやるな……)


 暫く別の場所で時間を潰そうと、教室を離れようと思ったが、花瓶に花を生けていく卯月が気になった。

 天女と言われる卯月が朝の日差しを浴び花を生けていく様は神秘的で、同級生の男子達なら感涙にむせび泣くだろう。

 その状況で、辰巳は静かに彼女の動きを観察していた。

 辰巳は料理を学ぶに当たって本を読んだり、実践する以外にも『熟練者の動きを観察する』ということを良くしていた。

 熟練者の動きには無駄がなく、美しい。

 卯月の学校や『凪』での立ち居振る舞いにはその美しさが見て取れていた。

 裕福な家庭に生まれた彼女、ならきっと実家にいた頃からそう言った礼節について色々学んで来たのだろう。

 それならば、『凪』や学校での振る舞いが達者なのにも納得がいく。

 だが、今教室で花を生ける彼女の動きは、何故だか歪に見えた。

 それが、辰巳を彼女の集中を乱したくない以外にこの場に縛り付けたもう一つの要因だった。

 その時、卯月が最後の一輪を花瓶に刺そうとして、落としてしまったのだ。

 手が滑ったのだろうかと思ったその時に見えた。

 床に落ちた花を拾おうとした彼女の手が僅かに、しかし確かに震えていたことに。

 怯えたような、ぎこちない動作で花を拾った卯月はホコリを払うと今度はしっかりと花瓶に指した。

 そして、できあがった花瓶には眩しい朝日と清涼な空気に包まれ輝いていた。

 しかし、できあがった花瓶を見つめる卯月のには生気が感じられない。

 その顔がこれまで見てきたどの顔よりも痛々しく見えた。

 暫く花瓶を見つめていた卯月はやがてハサミや切り落とした茎や葉っぱ等のゴミを集め始めた。

 ゴミ捨てに行こうとしているのが分かった辰巳は咄嗟に隠れようとするも、人より大きめの自身の身体を隠せる場所など廊下には存在しない。

 そうこうしている内に廊下に出てきた卯月と鉢合わせてしまった。


「御山君!?」


 いつもより早い時間に登校していた辰巳に驚く卯月に、盗み見してしまったばつの悪さからなんと言って良いか分からず「……おう」と歯切れの悪い返事をしてしまう。


「……もしかして、見てましたか?」


 どこか困ったように微笑む彼女に胸が痛んだ。


「あー……、すまん。覗きみたいな真似して。集中してたみたいだから、邪魔するの悪いかと思って」

「そうでしたか……」


 何と言えば良いのだろうか。

 昨日の今日ということもあり、彼女に何と声をかければ良いか直ぐに言葉が出てこなかった。


「……花瓶の花、変えてたのお前だったんだな」


 何か話題を、と先ほど生けていた花に話を向ける。


「……そうですね、あまり気にかけている人もいらっしゃらないようでしたし。それに……」

「それに?」

「い、いいえ。なんでもありません。ゴミ捨ててきますね」


 そう言うと、卯月は持っていたゴミ袋と共に逃げるように誰もいない早朝の廊下を駆けて行った。


「お、おい!」


 呼び止めようとするも、卯月は廊下を曲がり、見えなくなってしまった。


「はぁ……」


 昨日から何度目かの溜息が零れる。

 卯月は「あの問い」について忘れろと言っていたが、


(あんな顔されて、忘れられるわけねえだろ)


 あの問いは、卯月にとってとても重大な「何か」に繋がっていたのではないか、そう思えてならない。

 だが、タイミングを失ってしまった今、また彼女にこの話を持ち出すのはあまり良くないだろう。

 自分の対人経験の無さが恨めしかった。


(こんな時、どうすりゃいいんだろうな……)


 途方に暮れそうな時、いつも辰巳の頭にある人の顔が思い浮かぶ。

 スッキリと揃えられた黒髪に、さわやかで笑みを常に余裕を絶やさない。

 どんな事もそつなくこなしてし、出来ないことなど無いのでは無いかと感じてしまう多芸さ。

 そして、誰よりも真っ直ぐで、誰よりも誠実な精神こころを持つ。

 幼い頃から憧れない日など無かったほど、辰巳が絶大な信頼と尊敬を向ける、兄のような人物。


 あの人ならどうするだろう。

 なんて言うのだろう。


 いつもの考えが過ぎる。

 「何かあったら、いつでも連絡し来なよ」と言われ、登録されたスマホの連絡先。

 それを押そうとして――、

 閉じた。


(……いや、よそう)


 この件を話せば、きっと相談に乗ってくれるだろう。

 そして、良い解決策を導き出してくれる確信がある。

 だが、


(いつまでも、頼ってばっかじゃいられねえ。それに――)


 最後に会ったときの彼の顔を思い返す。


(どんなツラしていいか、わからんのはこっちも同じだ……)


 一向に晴れない状況を紛らわすように強く頭を掻き、先ほど卯月が生けた花瓶の元まで歩みを進める。

 間近で見ると、花達の配置に違和感を感じた。

 遠目では整っている様に見えていたが、近くによると全体的にバランスが悪くどうにもチグハグに感じる。

 それが今の卯月と重なって見えた。

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辰飯(たつめし)、卯(うさぎ)残さず @SAKURA_C

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