第14話
スーパーからの帰路のまま二人は辰巳の部屋に直行した。
一般的な夕食の時間にはまだ少し早いが品数も多くしようと思っている辰巳は料理の支度を始める。
材料を台所に並べるその後ろでは卯月がローテーブルに参考書を広げ今日の授業の復習をしていた。
これが最近のこの部屋での日常だった。
辰巳が料理中に手を貸して欲しい時や食後の片付け時以外卯月は参考書や教科書を開いて勉強をしている。
元々は辰巳の調理を監視する為に始まった夕飯会ではあったが辰巳の作る料理の腕とその真摯な姿勢、適度な距離感を保ってくれる彼との時間の心地よさにその目的は徐々に
時折、「その食材は何だ」「その調味料は何だ」と聞きに来るので辰巳の行動はある程度見てはいるようだが、興味津々に聞いてくる様子から監視というより純粋な好奇心から聞きに来ているように見える。
聞きに来るタイミングも辰巳の調理の邪魔にならない時を見計らっているうえ、子供の様に純粋な興味の眼差しで聞いてくる卯月を邪険にできず、その為辰巳もつい説明に熱が入ってしまうこともしばしばあった。
暫くして辰巳の料理が完成に近づくと卯月がテーブルの上を片付け始めた。
その優秀な嗅覚に辰巳は内心苦笑しながら盛り付けを済ませる。
トレーに料理を乗せテーブルまで運んできた時、片付けをしていた卯月が持っていた参考書を落としてしまった。
トレーを床に置き拾うとそれは高校の2年次で使うものだった。
「何だこれ、2年用じゃねえか。お前もうこんなに予習してんのか?」
「……別に良いじゃありませんか。先取り出来るならそれに超したことはありませんし、復習だってしっかりやってます。誰に迷惑をかけているわけでもないんですから……」
「そ、そうか」
少し卯月の目が少し強張ったように見えた。
非難するつもりは無かったのだが、彼女の地雷を踏んでしまったと思った辰巳はそれ以上何も言わず卯月に参考書を渡し会話を断ち切ると早々に料理を並べ始める。
トマトとツナのサラダにオニオンスープ、更にはチキンナゲットと、これまで和食が主だった今までの料理との違いを感じた。
そして、最後に並べたそれを見た瞬間、卯月の目がパッと輝いた。
赤く染まったご飯の上に乗っかる綺麗な楕円型の焦げ目の無い金色の卵。
その上にかけられた赤色のソース。
「み、御山君、これは……!?」
「ああ、今日はお前にも手伝った貰ったからな」
そう、辰巳が作ったのは同じく特売で手に入れた卵を使ったトマトソースのオムライスだった。
オムライスを前に目を輝かせる卯月に辰巳は少し誇らしい気持ちになる。
綺麗に楕円型に成形されたオムレツはかつて辰巳が何度も練習した末習得したもので、今日の出来は過去のものと比べてもかなり良い。
ソースもケチャップよりもトマトの旨味を感じられるようトマト缶をベースに自作した。
今日は買い物を手伝ってもらったお礼にいつも以上に腕によりをかけて作ったのだ。
「早く食べましょう」と目で訴えてくる卯月と共に合掌する。
「「いただきます」」
早速スプーンでオムレツに恐る恐る切れ込みを入れる。
テーブルナイフがあればもう少し様になるんだがなと苦笑しながら今後の事も考えてバイト代が入ったなら揃えておくかと頭の片隅で考えた。
切れ込みを入れられたオムレツは包みを開くように分かたれ、中のトロトロの半熟卵がケチャップライスを覆う様に溢れ出した。
それを目にした卯月は宝石箱を見つけた子供の様に目を輝かせた。
スプーンにケチャップライス、オムレツ、ソースを掬い口に運ぶ。
そうすれば鶏肉と玉ねぎと甘めに作ったトロトロの卵、程良い塩気と酸味の効いたケチャップライスは卯月の口の中で混ざり合いハーモニーを生み出した。
シンプルながらもレベルの高いオムライスに思わず蕩けるような顔になってしまう。
「ん~!!」
辰巳の料理にこれまでにない感嘆の声を漏らす卯月。
辰巳の料理の腕は既に一般的な高校生のレベルでは無く、もはやプロにも匹敵するだろう。
いつもの食事よりも目を輝かせる卯月の顔にはさっきまでの不服も憂いも無くなったことに辰巳も内心安堵した。
「お前やっぱり洋食好きだよな」
以前弥生から「卯月は洋食が好き」との話を聞いていたが、これまでの食事の中でも洋食を出したときの反応が大きかったのでそうではないかと思っていた。
そして、その情報と直感を裏付けるように卯月は少し顔を赤らめつつ口の中のモノを飲み込んで答えた。
「……実家にいた頃は家の方針で和食しか出てこなかったので、洋食は学校の給食以外で食べたことがなくて」
「和食だけ!?」
辰巳は驚愕した。
「外食とかは行かなかったのか?」
「はい。母は仕事が忙しくほとんど家に帰ってきませんし、……私も勉強や家の事でそういう時間がとれなかったので。それに家には母や私に代わって家事をしてくれる人達もいましたし」
「家政婦さんがいたのか?」
「……まあ、そんな感じの人達です。その人達が作る料理を無下にすることも心苦しかったので」
困ったよう眉を下げて卯月は答えた。
これまでの卯月の立ち居振る舞いや言動、持ち物から彼女の家はかなり裕福な方だったのではないかと思っていたがどうやらそのようだ。
これまで和食しか食べてこなかったというのは少々奇妙ではあるが日本人の体質的には和食の方が合っているという話もある。そう思えば別段おかしい事ではない。
卯月の健康状態的にも食生活に問題はなかったように見える。
だが、それよりも何か堪えようとしている卯月の表情が辰巳には気に掛かった。
その後も気にしてないかのように卯月は料理を口に運ぶ。
だが、僅かに空気を悪くなったのを空気を変えるようとしているせいでいつもよりペースが早いのが見え見えだった。
だからだろうか、思わず言ってしまったのは。
「……俺は和食と洋食なら、洋食の方が得意だ」
「何のことですか?」
「食べてみたい洋食料理があったら言ってくれ」
「え、いいんですか!?」
「食費折半だからあんまり材料費が高すぎる料理は無理だがな。けど、予め『こういうの食べたい』って言っておいてくれれば今日みたいなセールの日に安く仕入れられた日に作ることが出来るからよ」
パッと華やいだ驚きと喜びを含んだ笑顔を浮かべる卯月。
そんな卯月の表情を確認すると、辰巳は少し微笑んでお替わりの為に卯月の皿を取るのだった。
夕食後の後片付け。
卯月が洗った食器を辰巳が布巾で拭いていく。
これも、この部屋での増えた日常の一つだ。
先日の申し出の後、食後の片付けを卯月も手伝うようになったのだ。
料理は作って食べて終わりではない。
使った食器や残飯の処理等の後片付けまで含めて『料理』だ。
一応、辰巳は弥生から料理をすることへの手間賃を貰っている。
それを料理の全工程を行うことへの対価と認識していた辰巳にとって卯月の申し出には気が引けた。
その為、弥生に電話で聞いてみたところ、
『別にいいけど。そこまで律儀にならんでもいいよ~』
とカラっとした笑い声と共にあっさり承諾を貰えた。
そんなやり取りの末、卯月は後片付けを手伝うことになったのだった。
「はい」
「おう」
卯月から洗い終わったばかりの皿を受け取り拭いていく。
彼女は直ぐに次の食器に取り掛かっていた。
飲食店に住み込みで働いているだけあって食器洗いもお手の物なのか。
ふと、『凪』に行った時のメイド服姿を思い出す。
とても堂に入った立ち振る舞いに「きっと本物のメイドもこんな感じなのだろう」と辰巳は心の中そう感じた。
あの格好のままバックヤードで洗い物をしていたりするのだと思うととてもシックリくる。
そこまで考えて、ふと思った。
卯月は辰巳と同じく高校入学の少し前にこの町にやってきたという。ならば『凪』で働き始めてまだ一か月経つか経たないかといったところ。
たかが一か月。
だが、されど一か月。
家政婦のような身の回りの家事をしてくれる人がいる家庭で育った者が、自分より長く働いている同僚と同等かそれ以上に店の理念に沿った、洗練された動きを習得している。
一ヶ月にも満たない短期間で、だ。
一体どれほどの修練を積み重ねたのだろう。
辰巳もここまで料理が出来るようになるまで相当の年月を費やしてきた。
故にわかるのだ。
給仕と料理という畑は違っていても、「迷いのない動き」というのは一朝一夕では身に付かないことを。
おまけに学校でも周りの者から頼りにされつつ、勉強や運動でも他者より抜きんでた結果を出して、それを維持している。
家の事、学校の事、双方とも高水準でこなしている彼女の現状は生半可なものではない。
「御山君?」
気が付くと考え込んでいた辰巳に卯月が次の皿を差し出していた。
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもねえよ」
物思いにふけっていたのをごまかす様に皿を受け取る。
流し場に目をやれば、品数を増やした為にいつもより多めに出てしまった洗い物はもうほとんど残っていない。
自分一人でやっていたら時間が掛かっていただろうが、彼女の手際の良さに随分助けられている。
「それにしても御山君は本当に料理が上手ですね」
「なんだ藪から棒に」
「いえ、今日改めてそう思って」
「まあ、初めからこんなに出来たわけじゃねえよ。色々教えてもらってできる様になったからな」
「……御山君」
「なんだ?」
皿を洗う卯月の手が止まった。
何か迷う様に視線をさ迷わせ逡巡した後、蛇口水を止める。
「……もしも、もしもの話なのですが。『ある事柄』を習得しようと全力で取り組んで、周りの人からもたくさんのご教授を頂いて、……でも全く上達しなかったとしたら……そんな人がいたとしたら……それは、その人に才能が無かったということなのでしょうか?」
辰巳には直ぐに理解出来なかった。
努力して、
教えも受けて、
なのに上達しない。
そんなことがあるのだろうか。
一体どういうことなのか、何を意味しているのか。
「……すみません。変なことを聞いてしまいましたね。……忘れてください」
辰巳の答えを聞く前に卯月は頭を下げる。
済まなさそうに笑う彼女の表情が、何かに堪えているように見えて胸が痛んだ。
「では、今日は帰りますね。ご馳走様でした」
それだけ言うと卯月は自分の荷物と弥生の分の料理が入った手提げを持って部屋を出ていってしまった。
「何だよ……どういうことだよ」
暫くして漸く出てきた言葉がそれだった。
卯月の問いが頭の中で何度も巡る。
何かの謎かけのようにも思えるがその考えは直ぐに霧散した。
問いかけてくる時の、卯月は僅かに震えていた。
まるで、雨に打たれた捨て猫のような彼女に、この問いかけが冗談の類いではないのがわかった。
「クソ……」
未だに答えは出てこない。
なのに、それに答えられなかったことに辰巳は奥歯を噛みしめた。
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