第13話

 その日、辰巳は少々ウンザリした気分のまま夕食の調理にあたっていた。


「何か!何かないんですか!?」

「……だから、無いもんは無いって言ってんだろ」


 普段は料理の邪魔になるからとローテーブルで大人しくしている卯月が今日に限って子ガモのように辰巳の後をついてくる。

 いくら言っても聞かない卯月に辰巳は調理の手を止めずため息を零した。


~~~


 事の始まりは放課後、いつものように先生からの頼みを引き受け教務室に急ぐ卯月はしつこく絡んでくる男子生徒に頭を悩ませていた。

 相手は上級生なこともあって卯月はやんわりと急いでいる事を伝えその場を後にしようとするも進路を阻むように行く手を遮る。

 卯月からの明確な拒絶の言葉が無いことに気を良くしたのか、男子生徒は更にしつこく話を続け、終いには「このままどこか遊びに行こう」などと誘ってきた。

 この手のナンパはこれまで何度か遭遇してきたが、弥生から教えられた方法『微笑みを浮かべ「用事がある」等先約があることを伝える』作戦をすれば引き下がってくれた。

 しかし、今回の相手にはそれが通じない。

 ここまでしつこいのは生まれて初めてだった。

 刻一刻と過ぎていく時間に焦り、対応にあぐねていたところ突然卯月のスマホが鳴り出した。

 これ幸いと電話に出る為と言い男子生徒の話を断ち切り、離れたところの物陰で電話に出ようとすると突然コール音が鳴り止んだ。

 一体誰だったのだろうと通話履歴を見るとそこ『御山辰巳』という名前が表示されていた。

 驚いて物陰から出て周囲を見渡すと放課後の解放感に湧く生徒たちの雑踏の中、少し離れたところでこちらに背を向け去っていく辰巳が見える。

 きっと、上級生に絡まれ困っている卯月を見かねた辰巳が手を回したのだろう。

 その日の夕食の時に問いただすも「間違えてかけた」と言われはぐらかされてしまった。

 そのぶっきらぼうな言い方は彼なりの気遣いなのだろうが、日ごろから彼の気遣いに助けられてばかりの卯月は辰巳に何かお返しをしたいと言い張り、今に至るというわけだった。


~~~


 そんな卯月の申し出に辰巳は頭を悩ませていた。

 見返りを求めてやったわけではないが、気遣いに胡坐をかかない真面目さは彼女の美点だと思う。

 だが、高校生の女子が男子に「何でも言ってください。私やります!」というのは色々良くない。

 辰巳とて男だ。

 最初の頃とは真逆のことを言っているのに頭が痛いことは変わりないと心の中でもう一度ため息をついた。


「んじゃ皿出してくれ」


 適当にそれで手打ちにしようとすると卯月は不服そうに眉を寄せた。

 どうやらそんな頼みでは卯月の気は収まらないらしい。

 学校でのたおやかさとは真逆の表情豊かな子供っぽい彼女に今度は微笑ましさを感じながらも辰巳はそろそろ考えるのが面倒になってきていた。


「わーったよ、じゃあ何か思いついたときに頼むわ」


 結局、決断を先送りにすることにした。

 卯月もそれに一応納得したのか眉を寄せたまま頷き頼まれた皿を取ってくる。

 あわよくば先送りにしている内にこの貸し借りを忘れてはくれないものだろうか、と思いながら辰巳は皿を受け取った。

 しかし、その日は意外に早く来たのだった。


~~~


 翌日の放課後、辰巳から卯月のスマホにメッセージが来た。


『お前に頼みたいことがある。今日はバイト休みか?』


 一瞬ドキッとするものの、直ぐに昨日の話の続きだと気づいた。


『はい。叔母さまから「偶にはしっかり休め」と言われたので今日はお休みです』


 未だに手に馴染まないスマホを苦戦しながら返信すると少し間を開けて辰巳から返事が返ってくる。


『わかった。今から送る住所にの場所に来てくれ』


 素っ気ない返事と同時に住所とその場所への行き方が送られてくると辰巳からのメッセージは沈黙してしまった。

 一体何を手伝わされるのだろうか、辰巳の事だからきっと変なことはしないだろうと思いながらも卯月の胸は少しドキドキしていた。

 自分が言い出したこととはいえ何をするのか分からない状況にほんの少し胸に緊張を抱えながらもその場所に向かった。

 バスに乗りたどり着いたその場所は少々年季の入ったスーパー。


(一応来ましたけど、御山君はここで何をさせるつもりなんでしょう?)


 周囲の建物より二回りほど古めかしい外見のスーパーを見上げる。

 すると、突然入り口が開き中から溢れんばかりの人たちが濁流のように出てきたのだった。

 その人の多さに卯月は驚きつながら邪魔になならないよう端にそれる。


「いやー今日も買ったかった!」

「ほんと良い買い物したわね」

「これで今月も乗り切れるわ~」


 出てくる客の多くは主婦とみられる中年女性であり、その顔は疲労をにじませながらも満足げな笑顔を湛え、膨らんだ買い物かばんを携えていた。


(まさか……)


 その光景を見ながら卯月は自分がこれから何をするためにここに呼び出されたのか薄々わかってきた。

 一先ず到着したことを伝える為辰巳に連絡を取ろうとすると、主婦たちがあらかた排出し終えたスーパーの出入り口からおぼつかない足取りの辰巳が現れたのだった。


「御山君!?」

「……おう、竹寅か」


 何事かと心配して駆け寄る。

 まるで蛇の抜け殻のようにしなびた辰巳を出入り口近くのベンチに座らせる。


「御山君、もしかして私をここに呼び出したのって」


 要件を聞こうとすると辰巳が無言で紙切れを渡してきた。

 見るとこのスーパーの広告だった。紙面にはあまりスーパーで買い物をした事の無い卯月でさえ驚くほど様々な商品が低下価格で宣伝されていた。

 相当に消耗しているのか辰巳は無言で広告のある部分を指さす。

 そこには大きく『超お一人様限定卯!卵2パックで100円!』と書かれている。

 

「……これを買ってこいと?」


 卯月の問いに辰巳は無言で頷き100円玉を渡してきた。

 安堵と杞憂のため息が零れる。一体何をさせられるのだろうと警戒していたがまさかセールだったとは。

 既に辰巳行ってきたのかその手に握られた買い物袋の中に他の商品と共に2パックの卵が入れられていた。

 しかし、ここで卵を手に入れることが出来れば食費を抑えることが出来る。

 何より自分が言い出したことなのだから。チラシには卵の補充の時間が記されており、次の補充は5分後。

 長身で体力のある男子高校生の辰巳が口を開く余裕すらない程消耗するセール。下手な生半可な気持ちで行っては目的のモノも取れず弾かれるだろう。

 卯月はここ一番の覚悟を決めたスーパーに足を踏み入れた。


~~~


「プッ……ククク」

「もう、笑わないでください!」


 買い物後、帰り道中には辰巳の含み笑いに抗議する卯月の姿があった。

 学校とは離れていることもあり同じ高校の生徒は見当たらない。そんな状況もあって二人の距離感は辰巳の家と同じぐらいになっていた。

 あの後、何とか目的の卵2パックを手に入れることができた卯月が、卵を求める主婦の圧倒的勢いにもみくちゃにされ会計を終えたときは敷物の虎のようにヘロヘロになって店から出てきた。

 その様子がベンチで休憩していた辰巳にのツボにはまってしまったらしく暫く笑いが止まらないのだった。


「いや、悪い悪い」

「悪いと思ってるなら少しは少しは止める努力してください!」


 辰巳も笑ってしまって悪いと思ってはいるものの普段学校で楚々とした美人である卯月のヘロヘロ姿のギャップは強烈であり、心の中で悪いと思いつつも辰巳を面白さで苦しめていた。

 卯月も抗議しつつもセールの勢いを完全に見誤っていた。

 一応セールというものを知識としては知って入るものの実際に目の当たりにするのは初めてであり、まさか、あそこまで鬼気迫る激しいものだったとは思いもよらなかった。

 そもそも自分よりも体力もあって世俗に通じている辰巳が疲労困憊になっている時点であの場所への警戒を最大限に高めておくべきだったと反省していた。

 自身の人より高めの身長がなければ主婦の群れから卵を手に入れることは出来なかっただろう。卯月は生まれて初めてこの身長に感謝した。


 グゥウウウウウウウウウウ……


 そんな時、卯月の腹がまた盛大に鳴ったのだった。


「ッブ、フフフフフフ!」

「もう!だからやめてくださいって!」

「フ、フフフ……そう言うんなら……ククク……自分も笑いのネタを供給するんじゃねえよ、ククク!」


 セールで体力を使ったこともあってかいつもより派手に聞こえるその音に遂に耳まで真っ赤にして卯月が睨み付ける。

 辰巳も笑いつつも悪いことをしたと思った辰巳は自身の買い物袋に目を落とす。

 肩から下げられたそれには、少しでも出費を抑えようと卯月が来る前に買い込んだ卵以外のセール品が大量に詰められていた。

 それなりの重量でもある為スーパーを出る前に「持つのを手伝いましょうか」と卯月が申し出てきたがこの程度持ち運べない程やわな生活はしていない。

 その代わり、彼女には袋に入りきらなかった辰巳と卯月の二人で手に入れた卵4パックを小さめの買い物袋に入れて持ってもらっていた。

 卯月に手伝ってもらったことで得られた大小二つの買い物袋に入った戦利品達を思い返す。


(今日は久しぶりに放課後のバイトもないし、買い物に付き合って貰ったし。……お詫びとお返しに少し凝ったモノを作ってやろうかな)


 気が付けば彼女からのお返しの為の要請だったのに今度は自分がお返ししようとしている。

 その可笑しさにまた笑いをこらえながら辰巳は頭の中で今日の献立を変更し始めた。

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